出奔魔術師の旅日記7 いざこざと金の眼 7 いざこざと金の眼
それからいくつかの説明を受け、一通りの話が終わったところでユディはやりきった顔で二人を見た。
「次はパーティー申請ですね。問題無さそうならカードをお預かりします」
「はい、お願いします」
トレイの上にカードを戻せば、ユディはノエルとユークの二人へと栗色の瞳を向ける。
「リーダーはどちらで登録しますか?」
「俺で頼む」
「承知しました。少々お待ちください」
短いやり取りをすると、ユディは二人のカードを持って再びカウンターの奥へと向かう。
一体どうやって登録しているのか、どんな魔道具を使っているのかと好奇心は尽きないが、どうにも周囲からの視線が痛くて流石のユークも大人しくしていた。何か起こしてノエルに迷惑を掛けるのは避けたい。
程なくしてトレイを手に戻ってきたユディは二人の前にそれぞれのカードを差し出す。
「登録完了しました。カードをお返ししますね。ノールさんは討伐数を更新しましたが……」
何か言いたそうにちらりとユディはノエルを見る。
「ランクアップ申請はしない。そのままにしとけ」
「承知しました」
面倒くさそうに答えるとノエルはさっさと自分のカードを取った。自分のカードを手に取り、ノエルのカードと見比べてユークは純粋に疑問に思う。
「ねえ、貴方のランクは何ですか?」
好奇心に任せた質問に再びギルド内の空気が凍り付く。
国内でも指折りの冒険者で名を知らぬ者などいないであろう黒狗が、いきなりパーティーを組むと連れて来た得体の知れない男。そいつは冒険者ですらなく、自分の相棒となる男のランクも知らないという。
面白くないのは周りで見ていた比較的高ランクのパーティーだ
彼等は幾度となくノエルをパーティーに勧誘してはその度に素気無く振られてきた。そして、タイミングの悪い事にこの場には最もしつこく勧誘してきたパーティーの者達がいたのだ。
それまで黙ってみていたが、リーダーの男は身のうちに滾る怒りに任せて乱暴に立ち上がる。これまで幾度頼み込んでも決して首を縦に振らなかった黒狗も憎ければ、そんな男をあっさり自分のモノにした得体の知れない男も憎い。
そして、その矛先はノエルではなくユークの方へと向けられた。
「おい」
低い声と共に男はノエルの間に割り込み、ユークの肩を掴む。
「何でしょう?」
大柄な男にいきなり肩を掴まれ、凄まれるがユークは特に動揺した様子も見せず、座ったままゆるりと振り返って首を傾げて見せる。
その態度がまた男を苛立たせた。
「テメェ、黒狗に尻尾振って甘い汁でも吸うつもりか?」
「……何の話ですか?」
何を言われたのか理解出来ないと言った様子できょとんと聞き返すユークに男はイライラしながら脅すように睨み付け、その魂胆を暴いてやろうと口を開く。
「誤魔化すんじゃねぇよ! 初めて登録するような奴と組んで黒狗に何の得があるんだ。どうせ金でも積んで雇ったんだろうが! 黒狗が弱らせた魔物に自分がトドメ刺しゃ簡単に討伐数稼げるもんな」
唾を飛ばしながら怒鳴り声を挙げる男の様子にユディは慌てて止めようと立ち上がり掛けた。しかし、その動作はちらりと向けられた孔雀青の瞳に寄って制され、年若きギルド職員は中途半端な体勢で止まる羽目になる。
絡まれたユークは曇天色の髪を耳にかけながら眼鏡越しにじっと男を見据えた。
「そんなつもりはありません。そもそもそんな事でランクを上げて何の意味が? 実力の伴わないランクなんてただの飾りでしょう」
本気で分からないと言った様子で尋ね返すユークの態度に、男の怒りは更に煽られた。ユークの事が気に入らなかった事もあるが、少なからず自分達が無意識のうちに目論んでいた事を真っ向から否定された事も大きい。
「私は自分の功績の為に彼と組んだ訳ではありませんよ」
追い討ちを掛けるような一言に男はカッとなってユークの胸倉を掴もうと手を伸ばした。しかし、その手はユークの服に触れるより先にノエルに横から掴まれて阻まれる。
同時に真紅の瞳がぎろりと男を睨み据え、その目の鋭さに男の勢いは一気に萎んだ。何とか腕を引っ込めようとするがびくともせず、激痛と共にミシミシと音を立てる骨に男は呻くしか出来なかった。ノエルはただ真紅の瞳で男を睨み付けるだけで何も言わないが、その態度が何よりも雄弁だ。
コイツに手を出したら容赦はしない、と。
「ノール」
静かに、されど凛とした声が場に響き、思わず全員がその声の主に視線をやった。注目を受けながらもユークはゆっくりと立ち上がり、腕を掴んだままのノエルの手にそっと自分の手を重ねる。
そして、ノエルの真紅の瞳を真っ直ぐに見つめ、穏やかに笑んだ。
「私なら大丈夫ですから、手を離してあげてください」
「……チッ」
折れちゃいますよ? と柔らかく嗜められて、ノエルは舌打ちと共に相手を投げるようにして腕を離した。受け身も取れず、無様に床に転がった男の腕は掴まれていた部分が内出血を起こし、手の形に赤く変色している。男の痛がりようを見る限り、折れるまではいかなくてもヒビくらい入っているかもしれない。
流石にやりすぎじゃないかと思いながら床で痛みに呻いている男に近付くとユークは小さく苦笑する。
「申し訳ありません。治療をするのでこれでおあいことさせてください」
ユークが傍らにしゃがんで手を翳し、優しい光が男の腕を包んだかと思うとすぐにその光は収まった。光が消えた頃には男の腕に浮かんでいた痛々しい内出血は綺麗になくなっている。
「動かしてみてください。痛みは?」
「あ、ああ。平気だ」
「良かった」
無詠唱で発動した治癒魔法に驚く男や周囲の視線を尻目にユークは不服そうにしているノエルの元へと戻る。
どうやらユークが相手の治療をした事が気に入らなかったらしい。
「喧嘩売ってきた相手にそこまでしてやる事ねぇよ」
その気になればユーク一人でも対処出来たのもわかっているだろうに、随分と過保護な事だ。それだけ気に入られているのだろうかと思いながらユークは穏やかに笑む。
「ダメですよ。何事も最初が肝心なんですから。ねぇ、ノール」
「……わかったからその呼び方はやめろ」
そう言ってノエルは大人しく引き下がり、面白くなさそうにぷいとそっぽを向く。どうやら喧嘩を売られた事よりもユークにノールと呼ばれる方が嫌らしい。
名前を聞いただけで周りが騒つくような冒険者だが、存外可愛らしい所があるものだ。くすりと笑みを零していれば、真紅の瞳が咎めるように睨み付けてきた。
「ああ、怒らないでください。ちょっと可愛いなと思っただけですから」
「……ここでの用事は済んだから行くぞ」
「あ、待って下さい、ノエル。また迷子になるじゃないですか」
「お前の場合、ただの迷子じゃ済まねぇだろ」
すっかり臍を曲げてしまったようで、ノエルは大股で出入り口の方へと向かい、周囲の視線を集めながらユークはそんなノエルを追い掛けて行く。
まるで嵐のように去っていく二人を、誰しも唖然としながら見送るしか出来なかった。ただ一人、ギルドのカウンターの奥で金色の瞳を光らせる男以外は……。
ギルドを後にした二人は再び大通りを歩いていた。ユークのランクを上げるためにも討伐なり依頼なりを受けなければならないが、それよりもまずは腹拵えをしようと話になったのだ。
丁度真昼を告げる鐘の音が高らかに鳴り響く中、食品を扱う露天商達の客引きの声にも熱が入り、それに吸い寄せられる客達で通りは賑わっている。
「どれも美味しそうで悩みますね。オススメはありますか?」
「ミゴン・アルシペルの名物は近くの湖で獲れる湖竜料理だ。屋台で食えるのは硬いヒレや食い難い部分が殆どだが味は悪くねぇし食い手がある」
すっかり機嫌を直したノエルの視線の先にあるのは湖竜を使った串焼きの屋台だった。
湖竜はその名の通り湖に棲む竜だ。蛇のような小さな頭部、細長い首に甲羅のない亀のようなずんぐりとした胴体、ヒレ状の四肢を持つもので、亜竜に分類される。
竜種には幾つか種類があり、高等種になれば何千年も生きて人語も理解するという。そんな竜種の中でも下等で然程強くないが外見は竜に似ているものを亜竜と呼ぶ。
強靭な鰭脚状の四肢としなやかに動く長い首は厄介だが、それ以上に美味しい事が彼等にとっては災難な事だったかもしれない。
「ニーノ達の宿でも名物だって言ってましたね。あれにしましょうか」
「……」
「ノエル?」
屋台の方へ向かおうとするが、不意にノエルが立ち止まってしまい、ユークは不思議に思って彼を見上げる。端正な顔の眉間には深い皺が刻まれており、何やら苛立っているようだ。
先程までとは言わないが、ノエルは目立つから視線を集め易い。何かしら嫌なものでもあったのだろうかと思っていれば、ノエルの見ている方から壮年の男が真っ直ぐこちらへと近付いてくるのが見えた。
「よお、ノール。来たなら挨拶くらいしていけよ」
「チッ、ローランドか……。何の用だ」
片手を上げながら駆け寄ってきては軽い様子で声を掛けてくる男に対して、ノエルは忌々しげに舌打ちする。ユークより半歩前に出て自然と庇うような体勢を取りながらノエルはローランドと呼んだ男を睨むが、彼の方は大して気にした様子もなくユークへ視線を向けた。
全てを見透かすような不思議な色合いをした瞳は金色で、見据えられたユークは少々居心地の悪さを感じる。そんな二人の様子などお構い無しに青みが強い黒い髪と相俟ってまるで月と夜空のような色を纏う男はニカっと笑って見せながらなおも二人との距離を詰めた。
「いや、お前さんがパーティー組んだっていうからどんな奴が相手なのか気になってな」
「アンタには関係ねぇだろ」
威嚇するように低い声で斬り捨てるが、やはりローランドは意に介さずにユークの方へと顔を近付ける。
「……いや、ほんとどこでこんな奴拾ってきたんだ?」
珍しい奴がいたもんだ、と小声でローランドが呟くのを聞いてユークは思わず後ろに飛び退いた。得体の知れない男に警戒心を強めていれば、ノエルが小さく溜息をつく。
「コイツはミゴン・アルシペル冒険者ギルドの副ギルドマスターだ。ローランド、ちょっかい出すのをやめろ」
心配しなくてもいいと暗に含めるノエルの言葉にも警戒を解いて良いのか判断に迷い、ユークはじっとローランドを見た。威嚇する猫のようなユークの様子に苦笑しながらローランドは姿勢を正して礼を取る。
「いやいや、名乗りもせずに悪かったよ。俺はローランド・ファイゲ。今ノールの奴が言った通り、ミゴン・アルシペル冒険者ギルドの副ギルマスをしている」
「……そんな方が何か御用ですか?」
「ちっとお前さんらに頼みたい事があってな。なに、悪い話じゃないさ。奢ってやるから飯でも食いながら話そう」
カラカラと笑って見せながら話を進めるローランドの提案に乗っていいものか迷ってノエルを見る。
彼は諦めたように小さく息をつくと行くぞと言ってローランドの方へと歩き出した。どうやらこの話を聞くつもりのようだ。
不都合な話ならば彼は斬り捨てるだろうとユークは判断してノエルの判断に従う事にした。