檸檬 グランドカンパニーの納品を終え建物を後にしたルガディンは、初夏とも形容されそうな爽やかな日差しに顔を顰めた。明順応、という単語を思い出しながら足早に宿へむかっているとリンクシェルが鳴り響く。
「今どの辺?」
「溺れた海豚亭」
返答する間もなく尋ねてきた相手に苦笑しながら、見上げた建物の名を伝えた。丁度良かった!と弾んだ声が返ってきて、彼は首を傾げた。
呼び出されたマーケット付近のエーテライト横の日陰で、通信相手のヴィエラが涼しい顔で佇んでいた。手を挙げて挨拶すると、気付いた彼女に微笑みかけられる。
「何か予定あった?」
それを今聞くのかと苦笑した彼が首を振ったので、尚更好都合だと彼女は彼に歩み寄った。
「連れてきたいとこがあるんだよねぇ」
にんまりと笑った彼女が、彼の腕に自身の腕を絡めてくる。大丈夫そう?と首を傾げて覗き込んでくる彼女に柔和な笑みを浮かべて彼は頷いた。
連れて来られたのは、喧騒から外れた通りに面したコーヒーショップだった。軽食などが提供されるようなヴィエラが好きなカフェとは異なる様子だったため、ルガディンはつい首を傾げてしまう。歴史を感じさせる建物で、ひっそりと佇んではいるが常連など客は少なくないのだろう。
「来たことないでしょ?」
悪戯っぽく笑いかけてきた彼女に頷いて答えると、満足そうにふふん、と笑われた。広いとは言えない店内と、今日の様に天気が良い日は通りの邪魔にならない箇所に幾つか並べられた椅子で店主拘りのコーヒーやジェラートが楽しめるようだった。店の横に置かれたこぢんまりとした看板にはコーヒーや季節に合わせたフルーツを用いたエードが並んでいる。メニューの様子などから、本当に休憩と水分補給程度に飲み物などが楽しめる店なのだろう。彼女が通りに面した窓に近付き、店内に呼びかける。
「すみませ〜ん」
ゼーヴォルフの店主が店内にいる客に身振りで何か伝えた後、のそりと中からこちらへ向かってきた。2人分の飲み物を注文している彼女から、彼は再度メニューへと視線を向ける。今の時期はレモンと蜂蜜を使った、所謂レモネードが提供されているようだった。発汗で失われた水分と栄養素補給に適切だから売れそうだな、などと考えていると、
「はい、ディンの分」
頬にぴとりと冷たいものが押し当てられる。ベタな手だが面白みや可愛げのある反応が出来ないルガディンは反射的に声も出せない。一瞬硬直した後でヴィエラから差し出された飲み物を受け取った。レモンが一切れ沈められた炭酸水には細かな泡が浮かび、眺めているだけでも涼しげだった。彼女の方へ視線を戻すと、その手のグラスにも同様にレモンが浮かべられていた。
「これ!これ飲んで欲しかったの!」
力強く推してくる彼女が差し出してくるカップに入っているのは、スライスレモンが浮いてはいるがどう見てもアイスコーヒーだった。上部が見慣れた琥珀色のアイスコーヒーで、下の方は淡い黄色の液体と綺麗に二層に別れていた。柑橘類とコーヒー?と疑問符を浮かべている彼に騙されたと思って!と彼女が更に近付いてくる。
「飲む前にしっかり混ぜなきゃだけど」
彼の目前でぴたりと動きを止めた彼女はストローでグラス内を入念に混ぜてから、口元に再度手を伸ばしてきた。
とりあえず店の前の椅子に腰を下ろし、いただきますと呟いた2人はストローを口に含む。爽やかなレモンの風味と果皮の渋み、蜂蜜のコクが炭酸に混じり口内に広がった。想像通りのレモネードの味に頷いていると、左右に首を傾げながら彼女は自身のグラスを眺めていた。彼女とお互いの飲み物を交換し、件のコーヒーの味見をさせてもらう。
濃すぎず薄すぎないコーヒーの風味がまず来て、思ったより苦味は少ないな、などと思う。そこから先程飲んだものよりは弱いがレモンと蜂蜜が香ってきて、舌に残ったコーヒーの風味と合わさる。理解が追いつかず目を瞬かせている彼の様子を、彼女は興味津々で眺めていた。
「どう?コーヒーレモネード」
悪くないでしょ?と目を細めた彼女に了承を得て、彼はもう一口吸い上げる。普段なら舌に残るコーヒーの苦い味が爽やかにレモネードで払拭されるようだった。
「不思議な味だ」
「でしょぉ!酸っぱいコーヒーは好きじゃないんだけど、これはなんかイケるの!」
グラスを返してきた彼にふふん、と嬉しそうな彼女が興奮気味にグラスを返してきた?受け取ったレモネードを飲みながら、彼も微笑む。
「コーヒーもものによっては柑橘系のような香りと表現されるものもあるし、意外と相性は悪くないのかもな」
後味が爽やかで確かに飲みやすい、と添えた彼になるほど?と彼女が呟いた。
「オランジェットとかもあるから、カカオとかそういうのと相性がいい可能性もある」
「美味しいよね」
チョコレートも好きな彼女が頬を緩めた。多分蜂蜜の品種やレモン果汁など、コーヒーの風味に合わせて分量や比率が計算されているんだろうな、と先程見かけた店主を思い出す。種族差別をするつもりはないのだが、店主の様子と細やかな彼のこだわりのギャップと自身の偏見に目を閉じて心の中で謝罪した。
「こないだ飲んで衝撃的だったから、ディンに飲んでみてほしくって!」
ただそのために誘ったのだという。人によってはその程度かと言われそうだが、彼にとっては喜ばしい理由に目を細めて口を開く。
「確かに、これなら普通に一杯飲み切れそうだ」
「でしょ!」
いいものを見つけたと言わんばかりの笑顔を向けられ、静かに頷くしかできなかった。
それにしても、とまたストローを咥えながら店の前のメニューに目を走らせる。季節ごとにこれほどの品質の飲み物を楽しめる良い店だと思い、他の商品も気になった。
「ん」
つい口から漏れてしまったらしい声に彼女が何?と首を傾げてくる。メニューを指差すと、彼女もそちらへ視線を移した。
「ラノシアオレンジを使ったコーヒーもある」
こちらはレモネードより期間が長いようだった。どちらともなく顔を見合わせ、味の想像がつかない、と眉間に皺を寄せる。
「ほんとはジェラートも気になってたんだよね」
少し身を乗り出すと店内のカウンター横の保冷庫に並んだジェラートが微かに見えた。日差しは強いがまだ冷たさが残る風が吹き、確かにまだ早いと頷く。
「また来なきゃ、だね」
「近い内に」
誰と、など確認するまでもなく、彼は頷いて返した。