発熱 違和感は多少なりあった。いつもより上手くいかないエーテル管理、判断力の低下、そして悪寒と倦怠感。健康優良児と豪語する程ではないが健康には恵まれており、滅多に体調を崩さないから気付くのが遅れてしまった。なんとか他の冒険者とのダンジョン探索を終え、ルガディンは感謝の言葉を背に足早に彼らの元を去る。フリーカンパニーのハウジングが近くて助かったとテレポで向かい、自室の扉に手をかけた。上着の類を乱雑に脱ぎ捨て楽な格好になり、ベッドに倒れ込む。ヴィエラに作ってもらったダブルベッドは頑丈にしっかりと彼を受け止めた。外し忘れていた眼鏡はベッドサイドに置いて、布団に包まって丸くなる。身体は寒いのに頭は熱で浮つくという不思議な感覚に顔を顰めた。とりあえず発汗を促して熱を下げようと目を閉じた。
目を覚ますと窓の外は相当暗く、ベッドサイドの時計は夜中を指していた。ぼんやりと霞がかった頭と重い身体を無理矢理起こし、鞄から水が入った瓶を取り出し口元へ運ぶ。ぬるかったが五臓六腑に染み渡るようだった。何かしら腹に入れておくべきだろうが、生憎病人に適した食事や食材を持ち合わせていなかった。食欲もないしまぁ良いか、と重怠い身体に鞭打ち、肌着の替えをのろのろと探す。と、リンクパールが鳴り響いた。
「ようやく繋がった!」
脊髄反射のように応じてしまった彼の耳に、ヴィエラの声が響く。ずっと連絡してたのに!と怒っている様子はないが元気な彼女の声に目を閉じて謝罪した。要件を尋ねてみると、特に何も、とお決まりの返事だった。用事をすっぽかしたわけではなくてよかったと安心していると、んん、と怪訝そうに彼女が呟く。
「何かあった?」
報告するほどの事象ではないだろうから、こちらも特に何も、と答えてもよかった。寝起きで頭痛すら残っているルガディンの頭は気が利く返答も浮かばず馬鹿正直に体調不良だと返していた。
「熱!?しんどいやつじゃん!!」
声を荒げた彼女が珍しい、と小さく付け足したのは聞き逃さなかった。上半身を起こしているのも疲れてきて、ベッドに倒れ込む。わりと、と返すとちょっと待ってて、と言われる。
「食欲ある?何かほしいものは?」
「食欲はあまり。特に欲しいものもない」
畳み掛けてくる彼女に苦笑しながら返すと、本当にぃ?と怪訝そうな声が返ってきた。まぁいいか、と呟いた彼女が言う。
「適当に何か持ってくね。しっかり休んどきなよ」
ちょっと待ってて、と言い残し途切れた通信に一度瞬きし、彼は再び目を閉じた。
額に冷たいものを感じ、ルガディンは目を覚ました。
「あ、起きた」
水を張った器の上で軽く手を振ったヴィエラがベッド脇に腰掛けていた。額に載せられた濡れタオルに礼を述べると、彼女が目を細める。
「氷枕すら忘れるぐらい、体調が悪いご様子で」
図星なので黙っていると、すごい汗、と濡れタオルで顔を拭われた。そうだ、と彼女が手を叩き、なんとなく嫌な予感がした。
「丁度目覚ました事だし、身体拭いとかない?」
着替えた方がいいでしょ、と提案され、先程着替えておかなかったことを後悔する。テキパキと手慣れた様子で彼の鞄から肌着を取り出し濡れタオルを器に浸した彼女が早く脱ぎなよ、と声をかけてきた。横になり通しで軋む身体を起こし気が乗らず顔を顰めていると、手伝ってあげよっか、と妖艶に囁かれた。病人なりに手早くボタンを外し、シャツを脱ぐ。
絶妙な力加減でルガディンの肌の上を濡れタオルが拭っていく。ひやりとした温度と汗などの不快感が解消されていくのが心地よく、彼は深く息を吐いた。新しい肌着に袖を通しながらヴィエラに礼を述べると大丈夫だとにっこり笑いかけられる。
「貴重な弱ってるディンが見れたし」
病人相手に何を言ってるのかと苦笑していると、お互い様でしょ、と首を傾げられた。それはそうだと頷いていると、食欲ある?と尋ねられる。散々発汗し寝て休んでいる内に怠さなどら随分楽になった分、言われてみると何か口にしたくなってきた。素直にそう伝えると良かったと破顔される。
「さっきまでグリダニアに居たからミューヌに良い薬草とか教えてもらって」
そのついでに教わったレシピも試したいのだと言う。
ミューヌ直伝ヴィエラ作のレシピも気になり、ルガディンは彼女に甘える事にした。よしきた、と嬉しそうに拳を握った彼女が、彼の室内のキッチンへと向かう。柔らかそうなパンとオニオンとベーコンが彼女の鞄から取り出される。サンドイッチかと思いつつ眺めていると、鍋が出てきた。鍋?と眉間に皺を寄せていると彼女が手早く少量のオニオンを薄くスライスし、ベーコンも細かく刻んでいく。一斤から切り出した一切れのパンはざっくり格子状で9等分に切り分けられていた。微かに首を傾げる彼の前で、鍋にベーコンを入れ、軽く炒めてからオニオンを投入する。立ち上る香ばしい香りに彼の表情が緩んだ。オニオンが半透明になり、火が通ってきた頃にヴィエラがミルクの瓶を手にした。ミルクスープかと予想しているルガディンの目の前で、予想通り鍋の中にミルクが注がれる。ふつふつと鍋の中が沸騰しかけたタイミングで切ったパンと塩少々を振る。木ベラで時々様子を見ながら弱火で煮詰め、水分が飛んだところで彼女がこちらに顔を向けてきた。
「お腹の調子は大丈夫?」
今更かと苦笑しながら頷くと、よしきた、と器に盛った上からペッパーを挽かれた。
「パン粥だって」
あたたかな湯気を纏った器とスプーンを手に、ヴィエラがベッドサイドに腰を下ろした。礼を述べたルガディンが手を伸ばすと、さっと器が逃げていく。
「病人なんだから」
歌うように呟いた彼女が掬い上げた一匙にふぅふぅと息を吹きかける。こうなるともう従うしかない彼は差し出された匙に大人しく口を開いた。ベーコンとオニオンの風味が移ったミルクを吸ったパンは柔らかくとろけ、粗挽きのペッパーで引き締められて美味かった。素直に感想を伝えると、嬉しそうに彼女はまた一口ずつ丁寧に適温に冷ましつつ提供してくれた。
「甘いのとしょっぱいの、二つ教えてもらったんだけど、ディンはこっちのが好きかなって」
食べ終えた器を洗いながら彼女が言うには、甘く煮た豆と蜂蜜を使ったパン粥のレシピもあったらしい。そちらの方が消化に良く滋養もありそうだったがこちらの好みを考慮してくれた結果のようだった。
「美味かった」
深く頷いて再度感想を伝えると、よかった、とカットしたフルーツを手に彼女は微笑んだ。
「味とか気になるし材料は買ってたんだけどね」
カットフルーツを一緒につまんでいたヴィエラがちらりと自身の鞄に目を向けて呟いた。それは確かに、とルガディンも頷くとだよねぇ!と彼女は目を輝かせた。
「じゃあ、明日の朝ごはんにしよっか」
今日はここで泊まるし、と隣の自分の部屋の方を見遣った彼女に倣う。しばらく同じ方向を眺めてから、またフルーツに戻った。瑞々しく甘い果汁が染み入り、彼は目を閉じる。
「じゃあね」
手早く片付けを終えた彼女が扉の前でひらひらと手を振った。大人しく頷き手を振り返す彼に、彼女は微かに広角を上げる。
「人恋しくなったらいつでも呼んでね」
それじゃ、と彼女が退室したのを見届けた後、彼はぼふりとベッドに倒れ込んだ。何でもお見通しだなと僅かに胸に残ったわだかまりを押し込め、元気になってから存分に充電させてもらおうと目を閉じた。