ああ、なんて幸福な日々! 柔らかな日差しと微かな鳥の鳴き声の中、ルガディンは目を覚ました。微かに痺れを伴う腕の中の重みに視線を落とす。整った寝息のヴィエラをしばらく眺めてから、時間を確認する。普段通りの起床時間で、予定もない休日なのに習慣の怖さに苦笑しながら再度目を閉じた。
「モニモニしたかったのにぃ!」
昼前に目を覚まして迫るチェックアウト時間に慌てて支度をしている彼女にすまんと謝罪する。
「ゆっくり休んでほしくて」
彼の一言に彼女の耳がぺたりと下がった。それを言われたらぁ、と萎れた彼女の視線が時計に向き、やば!と支度を再開する。
ホテルを後にしてから、近くにあるカフェでのんびりと過ごす。普段ならドリンクとトーストのセットで朝食を済ませていたが、対応時間外になっていたので一足早いランチで遅めの朝食を摂ることにしたのだ。
「モニモニ……」
注文したガレットを待ちながらまだ萎れた耳の彼女がぼやく。注文内容を呼ばれ、彼が素早く立ち上がり2人分のトレーを手に戻ってきた。萎れっぱなしの彼女の前にトレーを置くと、姿勢を整えた彼女がナイフとフォークを手に取る。香ばしく焼き上がった彼女のガレットにはアイスクリームとバターが載せられていた。一口に切り分けられた生地が刺さったフォークを萎れた彼女が口に運び、ん!と耳を跳ねさせた。
「ここのランチ、初めて食べたけど美味しいね」
すっかり機嫌を直した彼女がほらほら、と自分のガレットを差し出してくる。変わり身の速さに苦笑しつつ、彼は口を開けて応じた。美味い、と素直な感想を伝えると嬉しそうに微笑みかけられた。お返しにと違う味付けの自分の分を差し出すと、彼女が身を乗り出してくる。シンプルで香ばしい生地と瑞々しい野菜、ハムの塩気が半熟の黄身と絡んだそれを頬張った彼女はおいひい、と顔を綻ばせた。頷いて応え、また食事を再開する。
「生地自体がそんな甘くないから、アイスクリームがめっちゃ合う〜……!」
これぐらいが好き、とコーヒーを含みつつ、彼女はガレットを堪能する。
「小麦粉だと砂糖が入るからかな。しかもサクッと焼き上がるからバターやチーズとかの油脂とも相性がいいのかもしれない」
ガレットの生地はどう作るんだったか、上にかかっているのはパプリカパウダーか、などと分析しながら彼も呟いた。近くのテーブルまで運ばれていく季節のフルーツのコンポートやクリームが贅沢に添えられたガレットを横目に彼女が口を開く。
「……ああいうの、全部は食べられなさそう」
誰かと一緒じゃないとなぁ、と添えられ、共通の知人であるミコッテやヒューランを思い浮かべつつ、だろうなと彼は頷いた。複数人で一緒に来て、違うものを頼み分けながら楽しむ方法は姉妹達もそうだが女性的なイメージがある。こういった店の色んなメニューを彼女達が楽しめるのはいいことだし、その一環を自身が担えるのも嬉しく思う。ソースと化した卵黄とチーズがたっぷり堪能できる部分を切り分け、彼女にもう一口どうかと提案すると、いいのぉ!?と嬉しそうにフォークを構えられ、目を細めて頷いた。ガレットを食べた後もゆっくりコーヒーなどを飲みながら過ごす。
「え、」
トームストーン上に指を走らせていたヴィエラが小さく呟き硬直した。どうした?とルガディンが尋ねて見ると、また彼女の耳が微かに萎れていた。嫌な予感だと思いながら聞いてみると、近くにある行ってみたいと思っていた喫茶店に寄れると思って調べたところ、定休日だったらしい。
「ようやく行けると思ったのにぃ〜……!」
心なしか表情まで萎びて見える彼女が机に突っ伏した。よしよしと髪型が崩れない程度に横たわる後頭部を撫でる。そういえば、と店に入った時に見かけたものを思い出した彼は、空になった皿が載ったトレーを手に席を立った。目的の品はトレーの返却口付近に置いてあった。
「これはどうだ?」
起き上がる元気もなくなった様子の彼女の前に、手の中のものを置いた。なにこれ、と顔を上げた彼女の前には魔導書程度の大きさのカラフルな用紙があった。
「……手作り青空まるしぇ……?」
手作りのアクセサリーやお菓子の販売会が本日を含めた数日間開催されている旨が記載されている広告を彼女は手に取る。開催時刻は夕暮れ前までで、場所はそう遠くない広場らしかった。ぴこぴこと耳を揺らした彼女がふぅんと呟く。
「いいじゃん」
輝きを取り戻した瞳が細くなるのを見て、彼は満足気に頷いて応えた。
到着した開催場所は青空の名に相応しく賑わっていた。晴天の下に所狭しと広げられたテントやテーブル、敷物の上には様々な商品が並んでいた。
「見てくだけでも大歓迎だよ〜!東方仕込みの木製絡繰細工!」
入り口近くで出店していたアウラの男性が木製の玩具の歯車を回しながらよく通る声をかけてくる。彼の手に乗る大きさの小箱の上で、歯車の動きに連動してナマズオがぴょこぴょこ跳ねていた。まじまじと見入っていると、アウラは嬉しそうに解説を始めてくれる。他にもゴムを組み合わせた走る木製のチョコボ型の玩具や端材を活用した積み木など、色んなものを見せてくれた。嵩張るから今は購入できないが、また改めて購入したい旨を伝えると嬉しそうに微笑んだアウラはショップカードを差し出してくる。手触りの良い紙で作られたカードにはシロガネの一画が記されていた。
「面白かったね」
レバーを回すと中から小さな木製の品が入ったカプセルが出てくる、本体も当然木で仕立てられた機械を回していた彼女が歌うように呟く。その手にはカプセルに入っていた、花の形にカットされた香木が握られていた。2人で上品な香りを堪能してから、他の店も覗いてみる。ラザハンの織物を作る際に出た端材を用いた布小物やかつてシラディハで使われていた香水瓶を模したガラス細工など、彼女の目が輝いた。
「お菓子もある!」
手作りならなんでも出店可能らしく、商品は幅広く取り扱われているようだ。ふわりと漂うバターや小麦の香りに彼女の耳がぱたぱたと揺れる。そろそろカフェで食べたガレットも消化される時間だろうと、彼は笑って彼女の後について行った。とある屋台の前で2人の足が止まる。
「『純白のシフォンケーキ』……?」
「『卵白を多めに、卵黄と粉類は最小限の配分にすることで優しく滑らかな口当たりに仕上がっています』……」
掲げられた黒板に書かれた説明文と並べられたケーキに目を奪われた。数回瞬かせた視線をお互いに向け、これは食べるしか、と一ピース試しに買ってみる。
「軽っ……!」
支払いを済ませるルガディンの横で、ケーキを受け取ったヴィエラが思わず口走ってしまった。スタッフはそうでしょうと満足気に頷く。食べるの楽しみ〜、と弾んだ声の彼女とまた散策に戻る。と、彼女の背後にある屋台に彼の関心が移った。
「クリームケーキ」
認識した瞬間思わず読み上げてしまった彼の言葉に彼女が急にどしたの、と背後を振り返る。わりと食べ慣れている彼好みのホイップクリームがたっぷり塗られたケーキでも売られてたんだろうか。そう思って向けた視線の先にはシンプルなスポンジケーキがカットされて並んでいた。二人して疑問符を浮かべながら近付いてみると、生クリームを練って作ったケーキらしい。ミルクの代わりかと首を傾げつつ、これも一ピース購入した。
「えっ重っ」
ケーキを受け取った彼女の呟きにスタッフはニヤリと笑って頷く。あちらで飲食できますよ、とクリームケーキのスタッフが教えてくれた場所まで二人はのんびり足を進めた。
教えてもらった場所はテーブルや椅子が並んだ休憩スペースだった。広場全体が見渡せるようになっており、普段なら広場で遊ぶ子供を見守ったりする場所なのだろうかと思いつつ、空いていた隅にルガディンとヴィエラは腰を下ろす。道中で買ったコーヒーを一口含んだ彼女が一息吐いた。さて、とどちらともなく視線が交わる。
「どっちから食べたい?」
卓上に並んだ二種類のケーキをお互い指差す。彼女が指した白いケーキの包装を解いた彼がお先にどうぞ、と彼女に軽やかなケーキを差し出した。お言葉に甘えて、とケーキを頬張る彼女の横で、彼はクリームケーキを手に取る。見た目は素朴なスポンジケーキの一切れなのに、ミルク代わりにクリームを使うだけでこんなに重量がかわるのかと思う重みだった。一口齧るとどっしりと詰まった食べ応えのある生地で、咀嚼している内に濃厚な甘味が口一杯に広がる。これは好きそうだなと横に視線を向けると、頬を膨らませた彼女が目を見開いていた。
「ふっごいよ!」
まだ少しケーキ残っている様子の彼女が口元に手を添えながら興奮気味に言ってきた。嚥下を終えた彼女がふんふんと興奮冷めやらぬ様子で差し出してきたケーキを一口齧らせてもらう。
「うわ……!」
柔らかな口当たりの後、ほのかな甘味を残してしゅんわりと溶けたケーキに思わず嘆息してしまった。彼女に目を向けるとすごいでしょうと力強く頷かれた。もう一口貰い、ゆっくりと噛み締める。
「面白いな……!」
粉と卵と乳製品の配分などの違いでこんなに差が出るのかと目を瞬かせながらケーキの風味と違いを堪能した。
「美味しかったねぇ!」
「まだ残ってたら買って帰ろうか」
満足気に呟いた彼女が持て余す、すっかり冷めたコーヒーを胃に収めた彼が頷きゴミを手に席を立った。うん!と満面の笑みの彼女と先程の出店に戻り、感想を述べて幸いにも残っていたケーキを買って他の店を回ることにする。
宝石の端材を使ったシンプルながらに綺麗な耳飾りを気に入った彼が会計をしようとすると、
「これも一緒にお願い!」
艶やかな石を使った耳飾りを彼女が差し出してきた。苦笑しながら謝ると、快く応じたスタッフは会計を終え個別に包装してくれた。受け取った耳飾りをはい、と差し出すとありがと〜、と受け取った彼女は可愛いと目を細めた。
「次のお出かけの時に着けよっと」
日にかざした耳飾りを眺めながら、彼女が弾んだ声で呟く。それを身に付けた彼女を想像し、似合うだろうなと彼は頬を緩めた。マルシェはそろそろ終了の時刻に迫っており、撤退の準備を始める店も増えていた。
「どっかで食べて帰ろ!」
この辺だと、と顎に手を添えて考えた彼女が地図を手に眉間に皺を寄せる。うーん、と呟き考え込んでいた彼女が頷いて彼に向き直った。彼女が指した地図の一角を目指し、他愛のないことを話しながら歩みを進める。
夜食には少し早い時間だったためか、件の店は席がまばらに埋まっている程度だった。空いていた席に案内され、配膳された冷水を含んで二人は一息吐く。
「ここはね〜、変わったサンドイッチが有名なんだって」
開いたメニューを二人で眺めていると、メニューに手を伸ばしたヴィエラが言った。野菜やチーズが挟まれた美味しそうなメニューにルガディンはなるほどと呟く。顎に手を添え、そうだなと呟いた彼は並んだ文字を指差した。
「これとか好きそうだな」
彼の指先に書かれたスピナッチが挟まれたサンドイッチに目を走らせた彼女がうーん、と呟く。
「それと……これが気になるかなぁ」
彼の言ったものと、シュリンプが入ったサラダらしきものが挟んであるものを彼女が示した。
「じゃあ、その二つにするか」
「いいの?」
ディンも食べたいのあるんじゃないの?と首を傾げられ、他のメニューにさらりと目を走らせる。肉系も美味そうだが、彼女が指したものに一層惹かれた。自分も気になってたと伝えるとじゃあ遠慮なく、と彼女は微笑んだ。
「デザートはどうする?」
彼が尋ねると、真剣な表情でメニューを見つめた彼女はチョコレートケーキを指差した。頷いて彼は店員に声をかける。
「わ、」
小声ですご、と呟いたヴィエラの前にはどっさりとスピナッチが挟まれたサンドイッチが提供されていた。対するルガディンの前に置かれた方にもたっぷりの野菜とシュリンプのサラダが挟まれており、一瞬圧倒されつつ彼は店員に会釈をする。
「すごいね」
手を合わせて嬉しそうに言ってきた彼女に頷き、どちらともなくいただきます、と呟いた。
さっくりと表面が焼き上げられたパンにはセサミが練り込まれており、軽やかな口当たりの後に香ばしい風味が広がる。中のフィリングはまろやかな酸味のシュリンプ入りのコールスローのようで、パンの風味と相まって美味かった。咀嚼しながら彼女に視線を向けると輝いた目を丸くしながらサンドイッチを頬張っていた。
お互い数口堪能した辺りで相手に自分の分を差し出す。ソテーされているらしいスピナッチには複数の茸も混じって、風味豊かだった。ガーリックをはじめとしたスパイスが微かに効いていて、食べ応えがある仕上がりになっていた。
「こんなにスピナッチ食べたの、初めて」
パンもおいしい、と満面の笑みを浮かべた彼女に釣られて彼も頬を緩める。野菜たっぷりのサンドイッチを堪能した後、デザートのチョコレートケーキを頂く。
「これ、ケーキっていうより生チョコだぁ……」
口元を抑えた彼女の呟きに、彼も頷いた。滑らかな口当たりのチョコレートケーキは甘さと苦味のバランスが程良く仕上げられていた。メニューに載っていたワインと合うだろうなと彼が噛み締めていると、悶えながら彼女が呟く。
「コーヒーに合う〜……!」
濃厚なチョコレートケーキをゆっくり二人で分け合い、会計を終えて店を後にした。
「ここ、シュークリームとかも有名なんだよ」
ヴィエラの呟きに会計時に見かけたショーウィンドウに並んでいたのを思い出しながら、ルガディンは頷く。
「他のサンドイッチも気になるし、また来たいな」
彼の返答にだねぇ!と元気いっぱいな返事の彼女に改めて礼を述べた。こういった情報に疎く無頓着な彼は良く彼女の恩恵に預かっている。
「この店教えてくれた冒険者に感謝だね」
鼻歌混じりの彼女の返答に、彼はまた頷いた。知人にも紹介したくなるぐらいの納得の店だったが、そこに連れて来ようと選択肢に含まれているのが恐れ多い。あ!と彼女が何か思い出したように耳を跳ねさせた。
「ディンと一緒ならなんかもう一個注文してもらって、味見できたじゃん……!」
しまったぁ、と悔しそうな彼女にまた誘ってくれればいいと返すと、そうする!と元気に返答された。
「もう疲れたし今日はここで休む〜……」
ルガディンに用意された冒険者ギルドの客室のベッドの上で、大の字になったヴィエラがぼやく。はしゃぎ疲れて自室に戻る元気も体力もないだろう、苦笑しながら浴槽に湯を張った。
「連れてって〜」
しなやかな両手を広げて甘えるように見つめてくる彼女に従った。こういう時はルガディンで良かったなと自身の体格や腕力に感謝する。じゃあ後で呼ぶからね、と脱衣所から顔を覗かせる彼女に苦笑して頷いた。自然な流れで一緒に入浴することになっているのも慣れてきた。貰ってきたショップカードを自身の冒険手帳に挟み、買ってきたものを整頓している内に彼女の呼ぶ声が浴室から響く。
ルガディンサイズの浴室の広さに甘んじて入浴を終えた二人は、また自然な流れで一緒のベッドに就いた。
「あ、」
腕の中の耳がもぞもぞと動く。こちらに顔を向ける姿勢になった彼女がそういえば、と切り出してくる。
「明日って特に予定なかったよね?」
閉眼して頷くと、良かった、と呟かれた。何かあったかと思い返していると、ナナモ様がね、と彼女が続ける。
「依頼があるから来て欲しいって」
シラディハだと思うけど、と添えてきた彼女が言いたい事が伝わってくる。俺でよければ、と返すとやったぁ、と弾んだ声が返ってきた。
「そうと決まったら早く寝なくちゃ」
腕の中のヴィエラが明日こそモニモニ、と言い残してしばらくしてから、安らかな寝息が聞こえてくる。相変わらずの寝つきの良さを羨ましく思いながら、ルガディンは数回瞬かせた目を閉じる。頬をくすぐる彼女の耳の感触や腕の中の温度、そして耳に届く幸せそうな寝息の彼女を一日中堪能できる日々の幸せを噛み締めながら、眠りに就いた。