Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    namu3333333

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 6

    namu3333333

    ☆quiet follow

    【アサプラ】炎陽■現パロ(現代王女軸)
    ■付き合っている設定です





     日中の刺すような鋭さを思えば角が取れたといえなくもない、けれどまだまだ充分に厳しい暑さをはらんだ夕方の陽射し。昼間にたっぷりと熱された大気はこの時間になってもちっとも衰えを知らず、脚を動かすたびに重く熱い空気を蹴っているような心地がする。
     長い髪がうなじに張り付く不快感を堪えてプライドは小さく溜息を吐いた。

    「暑いわね……」
    「ッすね……」

     隣を歩くアーサーからもそこはかとなくだるそうな相槌が返ってくる。気を紛らわせたくてわざと大きく振った腕、指の先がほんの少しだけアーサーの手の甲にかすめた。
     それだけで体温がぶわりと一段高まった気がして、プライドはそろそろと伸ばした腕を胸元へ引き戻す。指先で火照った唇に触れればうだるような熱気よりもっと熱い吐息が、じわりと爪を焦がしそうなほどに温めた。



     今日は猛暑になると天気予報が伝えていた。朝食を用意してくれながら、登下校に車を手配しましょうかと心配してくれたメイドの顔がちらりと思い浮かんでくる。そうすれば良かったかもというわずかな後悔を、けれど徒歩だからこそこうしてアーサーと二人きりの時間が持てているのだという圧倒的満足感が凌駕している。制服のスカートが汗で足にまとわりつくのが大分嫌だけれど、今回ばかりは許容範囲だ。
     いつも一緒に登下校している弟妹とは、今日は偶然にも別々に帰宅することになった。ステイルは叔父のヴェストからの要請で放課後から王城へ呼び出されており、ティアラは学友と一緒に入っている部活動の日だ。
     大人しく一人で帰宅しようと思っていたところ、騎士塔の改修工事のため放課後の部活動が休みになったというアーサーから、一緒に下校しようとメッセージアプリで連絡が届いた。特に寄り道する用があるでもなし、寮生活の彼にプライドたちの住んでいるマンションまで遠回りさせてしまうのはと一瞬悩んだものの、ほとんど即レスでその申し出を受け入れていた。
     それというのも、半年ほど前に幼馴染から恋人へ関係性を更新した彼と一緒に過ごす時間があまり取れていないことを、プライドは密かに気にしているのだ。……渡りに船と勢い込んで了承してしまったのが、今にして思えばちょっぴり恥ずかしいけれど。



     校舎を出てすぐに若干バテつつ歩いていると、制服のポケットに入れているスマートフォンがポコンと通知音を鳴らした。
     歩道の脇に寄って立ち止まり、スマートフォンを取り出す。アーサーはプライドの真横に立つと液晶画面が見やすいように自身の陰をプライドに落としてくれた。丁度良い街路樹なんかもないような住宅街に入っていたから、その優しさはとてもありがたい。日中の屋外ではディスプレイは反射してしまって見づらいものだ。
     通知は、件のメイド――ロッテからのメッセージだった。
     急遽、日用品の買い出しに出る必要が発生したのでマンションを空けている、同僚たる先輩メイドも一緒についてきてもらっている。何か用命の場合は申し訳ないが帰宅まで待ってほしい……という内容だ。
     プライドの専属メイドの二人は、プライドたち兄弟と同じ騎士団管理マンションの階下に住み込みで働いてくれている。日々のハウスキーピング以外にもちょっとした用事を頼むことはままあるので、その為に報告をくれたのだ。
     そういえば今朝、ステイルとティアラのメイドも王城での研修で夜まで部屋を空けると報告があったのを思い出す。王城が直接雇用しているメイドたちは定期的に受講する義務があるそうで、つい先週にはロッテとマリーも参加していた。
     そうすると今は守衛以外にマンション内には誰もいない状況だろうか。守衛は呼び出しのない限り居住フロアには上がってこないから、珍しく本当に一人きりになるということだ。

    『分かったわ、いつもありがとう。気を付けてね』

     ロッテへメッセージを返して歩みを再開する。メッセージの内容をかいつまんでアーサーに話すと彼は整った眉をぎゅっと寄せて眉間に深く皺を作った。

    「え……一人きりですか。ステイルもまだ帰らないンすよね?」
    「何時になるか分からないって言っていたし、遅くなるんじゃないかしら……夕食までにはと言っていたけれど」
    「ティアラと、他のメイドさんもいないンすよね?」
    「ええ。ティアラも、いつも通りなら夕食までには帰るはずね」
    「……心配なンで、俺、ロッテさんたちが戻るまで待っていても良いすか?」

     遠慮がちに言われた言葉に、プライドはぱちくりと瞬きをする。

    「守衛はいるわよ?」
    「でもジャックさんがいるのってエントランスホールですよね。部屋に一人にしておくってのが、なンか……」
    「……わたし、一人でお留守番できないと思われているの?」

     なんということだ。王女といえど最低限の日常生活くらいは一人でも問題なく送れる程度の常識も経験もあるし、そもそもロッテたちも数時間もすれば帰ってくるというのに。
     さすがに心外だとばかりにプライドが唇を尖らせると、アーサーはあわあわと焦ったように首を振った。あんまり激しく振るので、後頭部でまとめた髪がぱしぱしと彼の二の腕を叩いて乾いた音を立てる。

    「違います! そのォ……寂しいンじゃないか、って」
    「!」
    「プライド様、いつも誰かと一緒にいますし。一人でいるの、あんま慣れてねぇかと思って……」

     大きな体躯に似合わない子犬のような表情でプライドの様子伺いをするアーサーに、思わず笑みがこぼれてしまった。
     子ども扱いされたのかと憤慨してしまったが純粋に気遣ってくれただけと分かって胸を撫で下ろす。そのままアーサーに伝えてみると、彼は仰天してぶんぶんと大きく手を振って否定した。鍛え抜かれた前腕が風を生んでちょっと涼しい。

    「プライド様のこと子どもだと思ったことなンかないっすよ!?」
    「そうなの? アーサーって私に対して、その……過保護だから。てっきり」
    「過保護でもねぇです。それに、これは子ども扱いじゃなくて、その」

     そこで一度言葉を区切ったアーサーは、ちらりとプライドを見下ろす。ぐっと腰を屈めて顔を寄せると、耳に触れるようにして低く囁いた。

    「……彼女扱い、なンで」

     そうして背筋を戻すとアーサーはふいっと顔を逸らす。汗の滲んだ首筋が真っ赤に染まっているのが目に入って、プライドは、ぴたりと足を止めた。鼓膜に直接吹き込まれたような言葉を反芻して、肩がぷるぷると震えてくる。
     数歩だけ先行したアーサーだったが固まってしまった彼女を置いて行くこともできず、火照った顔で振り返って「は、早く帰りませんか……?」とほんの少し怒ったように眉を吊り上げた。それが照れ隠しなのは百も承知だし、というか仕掛けた側のアーサーが照れているのも腑に落ちないけれど。
     嬉しくて恥ずかしくて心臓がうるさくて、アーサーの声も一枚膜を隔てたような、どこか遠いところから響いている気がして。すっかり身動きできなくなってしまったプライドは、アーサーに手を引かれてなんとか帰路を完遂したのだった。



     ■□■



    「お帰りなさいませ、プライド様」
    「ただいま、ジャック!」

     守衛室から顔を覗かせて頭を下げるジャックに手を振って、アーサーと一緒にエレベータに乗って上階へ。エントランスに引き続きエレベータの個室内も空調が効いていて、アーサーと二人ほっと息を吐く。同時に漏れた吐息に、顔を見合わせてちょっと笑ってしまった。
     玄関のドアを開けると、部屋の中もきっちりと涼しくなっていた。有能な専属メイドたちのおかげだ。靴を脱ぎながら茶でも淹れようかしらと考えていると「アイスティーで良いすか?」と三和土にスニーカーを揃えながらアーサーが尋ねてくる。

    「……ええ。ありがとう」

     私がやるわよ、と言おうとして、けれど折角なのでお言葉に甘えることにする。その間にアーサーに断って服を着替えようと思ったのだ。なにせ汗でべたべたの身体がかなり気持ちが悪い。本当は今すぐシャワーを浴びたいくらいの気持ちだったけれど、流石にアーサーを一人で部屋に待たせた状態で悠長に浴室に籠もるのは気が引けてしまう。
     着替えたらリビングに行くからと伝えてアーサーと別れると、プライドは一人そそくさと廊下を進む。自室に入るとエアコンが静かな音を立てて駆動していて、ロッテに心の中で手を合わせた。クロゼットから適当な部屋着を引っ張り出して、少し考えてから普段着ているものより少しだけ気を遣ったノースリーブのマキシワンピースを手に取る。ゆとりのあるデザインだから苦しくないし、ウエストマークのおかげでちゃんとして見える。
     制服の上下をぱっと脱ぎ捨てると、チェストにしまっておいたボディシートを数枚引き抜き、身体を拭う。冷房の風が当たると少し寒いくらいだったので、慌ててワンピースを頭からかぶった。ボディシートの石鹼の香りがぶわりと薫るので、ぱたぱたと胸元に手で風を送って散らしてみる。胸元の汗が特に気持ち悪かったので入念に拭ったせいで、匂いが強くなってしまったのかもしれない。
     靴下も脱ぎ捨てて裸足のままスリッパを履き直し、部屋を出たところで、アーサーにこっちの部屋に来てもらえば良かったのかもしれないと今更ながらに思い至った。当然のようにリビングに通してしまったが、誰もいないのだしプライドの部屋でも問題なかったはずだ。だだだだって私たち一応恋人同士なのだし……。
     ふとそう考えてしまえば何だかどんどん緊張してきてしまい、プライドはおそるおそる見慣れたはずのリビングのドアを押し開ける。
     広々としたリビングの真ん中に置かれたソファに座ったアーサーが、ドアの開く音に気づいてこちらを振り返る。プライドの姿を見止めて一瞬大きく目を見開いたかと思うとなぜか眉根をぎゅっと寄せてすっと目を細めた。
     ソファの前のローテーブルにはガラスのロンググラスが二脚。プライドはすすす、とアーサーの座っている横まで歩み寄ると、ちょこんと隣に腰を下ろす。プライドが座るのと同時にアーサーはソファの隅にかけてあった薄手のブランケットを引き寄せると、プライドの肩にばさりと被せた。

    「な、何!?」
    「薄着すぎです。エアコン効いてますし、風邪引きたくないでしょう」

     でも、折角ちょっとかわいい感じの部屋着を選んできたんだけれど……!?
     口には出せず、なんだか釈然としないまま、プライドは大人しくブランケットを肩に羽織り直した。ワッフル織りの薄い素材だから暑すぎることもないだろう。アーサーがグラスを手元に引き寄せて「ガムシロ1個で良いンですよね?」とプライドの前に置いてくれる。
     ありがとう、と礼をしてモヤモヤとした気持ちと一緒にグラスを一気に半分ほど干した。たっぷり入った氷でよく冷えていてとってもおいしい。からからに乾いた喉が心地良く潤っていく感覚にほぅ、と小さな吐息が漏れる。テーブルに戻したグラスから、からんと氷の揺れる軽やかな音がこぼれた。
     最近気づいたけれど、多分アーサーは、プライドに何か物申したいことがある時はこんな風に困ったのと憤ったのの中間のような表情をする。強いて言うなら、拗ねているというのが近いような気もする。恐らく相手がステイルやティアラなら声を荒げたい場面なのだ。
     今だって本当はきっと「風邪引くだろォが!?」って言いたかったに違いない。プライドにはそうできないから、こんな風にへんにゃりとした、ちょっとだけ怒ったような眉根の寄った顔をする。気遣われているなあという少しの心苦しさと、それでも言いたい気持ちを真っすぐ向けてくれているんだという面映ゆさで、心臓を鳥の羽でくすぐられているようなむずがゆい気持ちになってしまう。
     プライドは賑やかしにテレビの電源を入れ、ソファに深く沈んだ。拳ひとつぶん離れたところにあるアーサーの肩が、遠くて近くて、なんとなく落ち着かない。もんやりとした気持ちのプライドを知る由もないアーサーが身体ごとこちらへ向くと、スマートフォンの画面を差し出してくる。
     ディスプレイには綺麗な青い海、白い砂浜、眩しい太陽――夏の代名詞のような美しい景色の画像が映っていた。

    「わあ……!」
    「来年の夏はどこかに出掛けたいって話してましたよね。プライド様、こういうトコ好きなンじゃないかって」
    「ええ! 大好き!」

     眺めの良い場所は好きだ。アーサーと出掛けられるならどこだって嬉しいけれど、素敵な場所ならもっと嬉しい。思わず満面の笑みで大きく頷くと、アーサーが耳をぶわりと朱に染めて、ソファの座面で少しだけ身を引いてしまった。
     今年は私たち兄弟も、騎士部の部長になったアーサーも何かと忙しく、あまり遊びに出かける余裕のない夏となってしまった。来年も忙しいことにきっと変わりないだろうけれど、今から予定立てて動けば数日の休暇ぐらいは融通できるはずだ。
     本音を言えばアーサーと二人きりで出掛けてみたい、という気持ちがないではないけれど、まだ学生で婚約者カッコ仮の恋人同士ではお許しが出るか分からない。それにティアラやステイル、アラン先輩たちも誘って皆で出掛けるのもまた別ですっごく楽しそうだ。
     プライドもアーサーにならってスマートフォンの画面をすいすいと指先でなぞる。検索エンジンに『夏』『グループ旅行』『国内』『海』……色々手当たり次第にキーワードを入れては、ヒットした観光地やホテルの情報を見せあう。

    「アーサー、このホテルすっごく良いの……ほらこれ……」
    「……スイーツビュッフェですか。ティアラも喜びそうすね」
    「でしょう?」
    「ここはステイルが好きそうじゃないすか? でけぇ美術館が何個もあって」
    「あ、本当。美術館巡りって楽しそうだわ! ……騎士の先輩たちは何が好きなのかしら?」
    「うーん……少なくともアラン先輩は酒のうまい土地なら満足するンじゃ……?」
    「アーサーはどういうところが良い?」
    「お、俺は、プライド様が行きたいところが良い……です」
    「私もアーサーの行きたいところが良いの! 具体的じゃなくて良いから!」
    「うっ……。……あンま人いねえところ……っすかね……」
    「静かなところね! じゃあ観光より避暑って感じで攻めるべきかしら……」

     ああでもないこうでもない、と言い合って、時折顔を見合わせて笑う。
     ふと気づくと、わずかに離れていた肩が自然と触れていた。空いていた距離がぴったりと埋まっている。
     ブランケット越しに感じる、アーサーの半袖から覗く二の腕はなんだかとても優しくて安心できる温度だった。



    「あら……雨?」

     いつの間にかすっかり話し込んでいた。不意に鼓膜を打つ雨音に、プライドは窓の外に目を向ける。
     話題は二転三転し、今はアーサーから最近の騎士部の話を聞いているところだった。たくさん話して喉が乾いていることに気づき、ローテーブルのグラスを取る。淹れてもらったアイスティーは既に空になっていて、グラスには氷が溶けた薄甘い液体が底に幾分か残っているだけだった。
     おかわりを淹れて来ようか、けれどソファを立ってアーサーから離れるのがなんとなく寂しいような……そう考えて、一瞬途切れたお互いの声の隙間に、ぱらぱらとガラスを叩く雨の音が紛れていることに気づいたのだ。
     窓の外はすっかり暗くなっていて、プライドは慌ててソファから飛び上がり窓辺に立つと、窓の外へ目を凝らす。眼下の光景は雨の煙る暗がりでよくは見えないが窓に当たる雨の雫の音は決して弱いものではない。
     端にまとめてあったタッセルを解いてカーテンを閉めると、アーサーが「夕立みたいです」とスマートフォンを眺めながら渋い顔をして言った。天気予報を確認してくれたようだ。

    「あ、そういえばステイルが今朝、ティアラに折り畳み傘を持たせてたっけ……夕方から雨だから、って」

     持たせていたというか、ティアラの鞄に無理やり突っ込んでいたのを思い出す。兄様、雑! ノートが折れちゃうでしょ! とぷんぷんしていたティアラが実に可愛かった。

    「じゃあティアラとステイルは大丈夫すね」
    「アーサーも、雨が止むまではいた方が良いわ。止まなかったら泊まって行っても良いんだし」
    「いやそれは流石に……ッ」

     瞬時にかっと頬を染めあげたアーサーの反応を不思議に思い、プライドは小首を傾げる。そして数秒。ハッ! と思い至って「ス、ステイルの部屋か、客間もあるし!?」と慌てて付け加えた。
     プライド本人はまったく全然一切構わないし望むところだったが、まさか自室に泊まるよう要請するつもりはない。まだ早いし、というか、アーサーにそんな気はないだろうし。……ちょっと残念な気もするけれど。
     火照った顔で微妙に目を逸らすアーサーにつられてかっかと熱い頬を誤魔化すように、ぱたぱたと手扇で顔を煽ぐ。空調はよく効いているのに突然昼中の陽射しが身体の中でぶり返してきたような心地だ。
     なんだか妙な気詰まりで押し黙った二人の間を、つけっぱなしのテレビから流れるバラエティ番組の軽快な音声と、ばらばらとガラスを叩く雨音が埋めていく。プライドは窓から離れ、ソファに戻った。
     さっきまでくっついていたからなのか、薄いブランケットの下で剥き出しになっている肩がやけに寒い。冷えてはいけないから、アーサーもそう言っていたから、羽織ったブランケットを強く握りしめてアーサーにぎゅっと身体を寄せた。
     途端に硬直したアーサーから意識して視線を逸らし、膝の上で持て余すようにスマートフォンを握りしめている手をじっと見つめる。節が目立って小さな傷がいくつもあって、誰より優しくプライドに触れる、大きな手。
     帰路、珍しくアーサーから繋いでくれたなあと思い返す。どきどきして全く堪能することができなかったのが今更のようにもったいなく感じられて、ほとんど無意識に言葉が零れた。

    「……手、繋ぎたい」
    「は……」
    「繋いでくれる?」

     顔を上げ、蒼い瞳を覗き込む。さっきまで見ていたどんな雄大な景色にも、穏やかな海原にも似ていない。強くて真っすぐな、何より綺麗な色だ。
     アーサーは目を細めてプライドの視線を真正面から受け止めると、間髪入れずに彼女の手を取ってくれた。ちょっと荒れた手のひらは夏の夕焼けのようにじんじんと熱い。火傷してしまいそうで、けれどこれが原因で負う怪我なら全然構わないと本気で思う。
     プライドの片手を取って指を絡めたアーサーが、もう片方の手で彼女の手の甲をすり、となぞった。固い指の腹の感触に、ぞくぞくと背筋が震えてくる。足りない。もっともっと、この熱が欲しい。

    「足りないわ……」
    「……ッ」

     ぽつりと思ったままを呟けば、アーサーが赤く染めた目元を伏せてほんのわずかにためらう素振りを見せた後、両腕をそっと伸ばしてくる。プライドはその腕に抗わず、大人しくアーサーの胸元に抱き込まれた。
     薄いワイシャツの向こう側から、どくどくどく、破裂しそうなほど早い鼓動が聞こえてくる。嬉しくて、アーサーの背に回す腕にぎゅっと力を籠めた。すん、と鼻で深呼吸をするとかんかんに照った太陽と、少しだけ汗ばんだ素肌と、土埃の匂い。
     アーサーの顎が後頭部にもふ、と乗ってきた。身体は拭いたけれど髪、頭皮は汗臭いんじゃないかしらと一気に不安になったが、この心地良い場所を離れることと天秤にかけるのは難しい。
     アーサーが本当に小さな、囁くよりも細い声で、好きですと零した。胸の奥が柔らかな羽毛でくすぐられるように甘く疼く。

    「キスも」

     ワイシャツに吸い込ませるように呟くと、アーサーがぎしりと固くなる。
     それからそっと躊躇いがちに解かれた手に、拒まれたのだろうかと一瞬よぎった怯えは、けれどすぐ唇に触れる指先の熱に掻き消される。薄い皮膚の上、輪郭を確かめるように優しくプライドの唇をなぞる指。指が離れてすぐ、その温もりの喪失感を埋めるように重ねられるアーサーの唇。
     押しつけ、擦り合わせるだけのキスだった。接触が解かれる刹那、ふ、と小さく零れた熱い吐息があえかに開いたプライドの上下の口唇の隙間に吹き込まれる。身体の内側の熾火をふいごで煽られたみたいに発熱が止まらなくて、目の前の身体に縋りついて続きをねだった。
     もっと欲しい。もっと。全然足りない。この人が、この人の愛が、全部欲しい。

    「もっと……もっとして」

     欲しくて欲しくて、熱に浮かされた頭に浮かんだ欲望そのままを口にする。はしたないだとか引かれるんじゃないかとか、普段は本音を吐露することに付いて回る憂慮も、今は灯された火であぶられて形を失くしたみたいでちっとも気にならなかった。
     朱を塗りこめたように赤く染まった顔でアーサーがごくりと唾を吞む。ちゅ、ちゅう、と音を立てては何度も何度も、唇を重ねる。厚い舌に口蓋をぬるりとくすぐられると腰が引けてしまう。ちょっとだけ怖いけれど、恐れよりもはるかに強い、飢餓めいた渇きが満たされる歓びで、アーサーの胸元のシャツを掴んで続きを求めてしまう。貪られるのと同じだけ、プライドからもねだり、奪うように舌を吸った。
     もっと、もっとたくさん。身体をぎゅうぎゅうと押しつけて自分からも精一杯口を開く。勢いが良すぎて、気づくとアーサーをソファの座面にすっかり押し倒す形になっていた。
     アーサーが焦ったようにソファの上で身をよじる。完全に仰向けになってはいないけれど、腹筋でぎりぎり持ち堪えているような体勢だ。
     引き締まった上体の上にほとんど乗り上げる形で、プライドは制止されたことにむくれ顔で異議を申し立てて見せた。アーサーは眉尻を下げると、なだめるようにプライドの頭を不器用に撫でる。

    「も、もうすぐティアラもロッテさんたち、帰ってくるンじゃないすか?」
    「でもまだ帰ってきていないもの」

     熱中していた玩具を取られた子どものように、むうと唇を尖らせるプライド。好きなだけ甘えて思うさまワガママを言って、本当に子どもみたいだという自覚はあった。けれどアーサーはそんな自分に呆れたりはしないと知っているから、大分恥ずかしくてもこうして素直な気持ちを見せることができる。
     アーサーが赤い耳朶を隠すように身体を斜めにずらして「や……これ以上は、急に止まれる自信、無ぇンで……」と口ごもった。

    「止まらなくても良いのに」

     素直に思ったことをそのまま言葉にすれば、アーサーはぐりんと顔を上げて目を吊り上げる。プライドの両肩を掴んで腕を伸ばすと、アーサーの長い腕の分だけ二人の距離が離された。

    「貴方は俺をどうしたいンすか!?」
    「どう……? 私のことをもっともっと好きになってほしい、かしら」
    「そんッ……」

     掴まれた肩を今度はそのまま引き寄せられて、アーサーの胸板にぽふり、と再び納まるプライド。やっぱりこの場所は居心地が良い。頬に当たるシャツの向こう側で逸る鼓動がどくどくと血流の良さを訴えている。

    「……とッくに好きです。これ以上があるって考えンの、怖ぇくらいです」
    「ッ!?」

     唐突に、首筋にちくりとした鈍い痛みが走った。何事かと思えば、アーサーがそこに歯を立てている。
     突然のできごとに瞠目したプライドが、咄嗟に首筋を庇おうと手を伸ばす。その手も取られて、手首に、そして指先にかぷりと柔らかく噛みつかれた。子犬が甘噛みするよりもっと弱くて、けれど熱っぽい仕草に、かあっと額の裏まで熱が上がってくる。
     指の関節、手首の筋、剥き出しの膚のあらゆる部位を噛まれて、磨いた爪の先にも歯を立てられて。思わずぴゃっと首筋を竦めた隙をついて再び塞がれた唇もむにむにと食まれる。潜り込んできた舌が、プライドの薄い舌を器用に絡め取ると、その先にまで柔らかく犬歯が食い込んでくる。
     何度も何度も繰り返して、息も継げず、酸欠でくらくらと視界が揺れた。

    「……とりあえず、これで勘弁してください」

     アーサーがそう言ってプライドをぎゅっと抱き竦めるのと、玄関のドアベルが鳴るのはほとんど同時だった。
     ベルの鳴らし方で訪問者が誰か分かる。ロッテが戻ったようだ。プライドが帰宅していることを警備室で聞いて様子を見に来てくれたのだろう。
     荒れた呼吸の合間でどうにかそのことを伝えると、プライドを丁重にソファに座らせ直したアーサーが立ち上がる。彼女に代わってロッテを迎えに出ようとするアーサーが「ついでにお茶淹れてもらってきます。……プライド様、顔真っ赤なンで」と目を細めて言い置いて行った。

    「……ひとのこと言えないわよ……」

     リビングのドアの向こうへ消えていく、あぶられたように赤い首筋を見つめて、プライドはなんだか悔しまぎれのようにそう漏らすことしかできなかった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤💕💖💖💞💞💞
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    namu3333333

    DONE・アサプラ(未満)
    ・アーサーが近衛騎士になってすぐくらい
    ・色々捏造
    【#rstmワンドロワンライ】ピンチ「では、姉君。申し訳ございませんが、少々お待ちください」
    「全然大丈夫よ。ごゆっくり、ね」
    「アーサー、よろしくな」
    「おう」
     ひらひらと手を振ってステイルに笑いかけると、義弟はぺこりと恐縮したように頭を下げて背後のドアの向こうへ消えて行く。護衛で城から付いてきてくれた衛兵も一人その後ろに続いて行った。
     城下町の中央市場。ここは訪れる大半が中級層の住民で、警邏の衛兵もあちこちに立っており城下街の中でもかなり治安の良い地区にあたる。目の前の活気ある光景にプライドは我知らず口許を緩めた。


     定刻通りに切り上げた視察の帰り、買いたいものがあるというステイルの言葉で一行はこちらに立ち寄っていた。
     王族のプライドたちにとって欲しいものがある時は宮殿に商人を直接呼ぶ場合がほとんどだが、機会があればやはり直接店に足を運びたいという気持ちはある。昨日交わした雑談の中で、ステイルが足りなくなりそうなインクや便箋があると言うので、それならばこの機会にとスケジュールを調整し、こうして文房具を取り扱う専門店にやってきたところである。
    4827

    recommended works