【#rstmワンドロワンライ】ピンチ「では、姉君。申し訳ございませんが、少々お待ちください」
「全然大丈夫よ。ごゆっくり、ね」
「アーサー、よろしくな」
「おう」
ひらひらと手を振ってステイルに笑いかけると、義弟はぺこりと恐縮したように頭を下げて背後のドアの向こうへ消えて行く。護衛で城から付いてきてくれた衛兵も一人その後ろに続いて行った。
城下町の中央市場。ここは訪れる大半が中級層の住民で、警邏の衛兵もあちこちに立っており城下街の中でもかなり治安の良い地区にあたる。目の前の活気ある光景にプライドは我知らず口許を緩めた。
定刻通りに切り上げた視察の帰り、買いたいものがあるというステイルの言葉で一行はこちらに立ち寄っていた。
王族のプライドたちにとって欲しいものがある時は宮殿に商人を直接呼ぶ場合がほとんどだが、機会があればやはり直接店に足を運びたいという気持ちはある。昨日交わした雑談の中で、ステイルが足りなくなりそうなインクや便箋があると言うので、それならばこの機会にとスケジュールを調整し、こうして文房具を取り扱う専門店にやってきたところである。
ステイルと一緒に店内を見て回るのも楽しそうでかなり心惹かれたのだが、プライドは通り沿いにたくさん並んでいる露店に興味が向いていた。青物や果物、日用品から工芸品など多種多様な売り物が雑多に広げられている光景は慣れぬ彼女には圧巻で眺めているだけで胸が弾んでしまう。
もうすぐ夕暮れという頃合い、行き交う人々は忙しなく通りを歩んでいる。それぞれに目当ての露店の前で足を止めて店主と話したり、品物を手に取って矯めつ眇めつしてみたり。剃んな風に民のひとりひとりが日常を営んでいる姿は、見ているだけで嬉しくなるものだ。
プライドはにこにこと笑みを浮かべて中央通りを遠巻きに眺める。露店の並ぶ一画からステイルの入った店は少しばかり離れているのでこの辺りは人通りはそこまでではないが、なるたけ邪魔にならぬよう脇に避けて立った。
すると、プライドの真横に立つアーサーが「何か見に行かれますか?」とこちらを見下ろして尋ねてくる。本隊騎士の服を着ている彼の姿はもうすっかり見慣れたもので、背筋をぴんと伸ばした装いはいつ見てもとてもよく似合っていて恰好良い。
「そうね……」
本音を言えば露店のひとつひとつを見て回りたい気持ちがあるが、流石にあの人混みに突撃するのは護衛をするのに気を遣うだろう、と引け目を感じてしまった。今回の視察は公式のものだが帰りに寄り道をする予定を決めていたので、プライドもステイルも普段より大分大人しめの服を着ていた。特にプライドは動きやすく質素なドレス姿だ。人混みに紛れてしまえば見止めるのは大変だろう。
勿論、見る人が見ればすぐにそうと分かる一等物の衣装だが、それなりに紛れることができるようにと想定して用意したものだ。元々中央市場は上級層の貴族やそれに準ずる資産家の商人なんかがお忍びで訪れることも少なくはない。
特にプライドの目立つ深紅の髪はまとめて上げてもらうよう、朝の身支度の際にロッテにお願いしてあった。ティアラはたいそう褒めてくれたけれどステイルとアーサーは「お似合いです」と消え入りそうな声で言ったきりしばらくは目を合わせてくれなかった。見慣れない装いに緊張させてしまったのかもしれない、気を回させてしまったならちょっと申し訳なかったと思う。
不意に、プライドとアーサーの眼前を年端のいかない子どもが数人駆けて行った。きゃあきゃあと楽しそうに声を上げて、つつき合い、はしゃぎ合いながら通りの向こう側へ去って行く。ティアラよりもういくつか年下くらいだろうか。
自分も市井に産まれていればああして友だちと日が暮れるまで遊び歩くことがあったかもしれない、なんてほんのわずかの羨望を抱きつつ、ふと隣のアーサーを見上げる。ここではないが同じような中級層民の地区で育ったアーサーには、ああした過去があっただろうか。
アーサーは彼女の視線には気づかないまま、やはりどこか懐かしそうに目元を細めて子どもらの背を追っていた。プライドは微笑ましく近衛騎士の横顔を見つめ、もう一度通りの向こうへ目を向ける。
集団に遅れ、一生懸命に駆ける少女が目に入った。他の子よりもまた一回り幼い。さっき通った子のうちの妹とか、かしら……。
何とはなしに目で追っていると、突然少女が暗がりに姿を消した。プライドは思わず瞠目する。裏通りに入ったのだと気づくのに少しだけ時間を要した。
中央区は治安が良いとはいえ、幼子が一人で裏通りを歩いて問題ないはずがない。ましてやもうすぐ夜になる――。
それと認知した時には、既に両脚は自然と駆け出していた。
買い物客や、帰路につく人々、あるいはこれから出勤する者でごった返す大通りへ躊躇いなく突っ込んで行く。普段着ているロングドレスでは絶対に出せない速度で、小柄な身体はすいすいと人いきれを掻き分ける。
「プライド様!?」
「どちらへ!?」
背後から追い縋るようにアーサーと衛兵の声が聞こえるが、プライドは脇目も振らずに通りを横切ると少女の消えた路地へ身を投じていた。
そこは両脇を高い石塀で仕切られた狭く細長い小径だった。
塀に遮られて陽の光が通らないせいで、ただでさえ薄暗くなりかけていた周囲が一気に闇に染まる。一瞬どきりとして足が止まりそうになりながらも目を凝らすと、路地の突き当たりの角に消えていく小さな影が見えた。
「あ、待って……!」
プライドは慌てて駆け出す。
少女が消えた曲がり角まで辿り着くと、また少し先の角を曲がっていく少女の姿。追いかけ、追いつきそうになると、また角へと姿をくらませる少女。
それを何度か繰り返し、プライドはようやく少女の背を捉えた。
「待って!」
大きく声を上げると、目前の少女がびっくりしたように肩を跳ねさせてプライドへ振り仰いだ。大きな瞳に溢れんばかりに涙を溜めているのに気づき、プライドははあはあと荒い息をなんとか飲み込んで、その場でちょこんと膝を抱えるようにしゃがむ。
怯えたように立ち竦んでいた少女が、ひっくと小さく息を呑んだ。プライドは努めて優しく見えるようににっこりと笑う。
「あなた……駄目よ、こんな時間に、こんな場所に来ちゃ。……どうしたの?」
途端に防波堤が決壊してしまったようで、少女の丸い瞳からぽろぽろと大粒の涙が幾粒も零れ落ちてきた。
「おっ……にぃぢゃ、んッ……! がぁ……!」
「お兄さま?」
「ア、アンのごど……置ぃ、でぇ……」
涙でぐずぐずの聞き取りづらい声から、それでも何とか状況を把握する。
兄に置いて行かれたと主張する少女の頭をよしよしと撫で、安心させるように小さな手を握りしめる。幼い頃のティアラとステイルを思い出して、こんな状況にも関わらず胸の奥がじんと温かくなる心地がした。
それからよいしょと立ち上がって、ひとまず大通りに戻る算段をつける。とにかくこの子は警邏に預ければ問題ないだろう。先ほどの集団に兄にあたる子がいたのであれば、恐らく近所に住んでいるのだろうし、ひょっとしたら警邏の中に顔見知りがいるかもしれない。
「とりあえず、市場の方に戻りましょう? 道分かるかしら」
「ひッぐ……ぅ……わ、がんなぃい……」
「そう……来た道を戻るしかないわね」
プライドは肩を竦めると、怖がらせないよう、意識して柔らかく笑って見せた。弟妹は王族教育の賜物もあり幼い時分にもプライドの前でこんな風に明け透けに涙を見せたことがほとんどないから、姉である彼女には慰め方が分からない。それでも小さな手の主の心をなんとか安らがせてやりたくて、何度も笑いかけ、手を握った。
それから少し落ち着きを見せた少女の手を引いて、暗い路地を進み始めたものの……数分も経たず、プライドはぴたりと足を止める。
「おねえちゃん……?」
か細い声でこちらを見上げる少女の頭をまたそっと撫でる。
ほとんど明かりのない暗い路地だ。石塀も似たような見た目だしところどころに狭い小径が何本も枝状に伸びており、どこを通ってきたのかまったく分からない。
――しまった。迷子になっちゃった……?
ここで狼狽えれば少女に不安が伝染してしまう。小さく冷えきった女児の手のひらへ自身の体温を分け与えるように強く握り込み、辺りを見渡す。
もうこうなったら適当な家屋の扉を叩いて事情を説明して道案内でも頼みたいが、万が一第一王女がこんなところで迷子になっていると知られたら色々厄介だ。
どうしよう、かしら……?
まずい。さすがにちょっとだけ……心細いかも。プライドが形の良い眉をきゅっと寄せた、その時だった。
「……プライド様ッ!」
背後から、暗闇を切り裂いてよく通る聞き慣れた声が響いた。
振り返る前に、背にどんと衝撃があって、熱いものが触れる。ぎゅうっと力強く抱きしめられていると気づいたのは、耳元で吐息が震えた後だった。
「ッよ、やく……見つけたッ……! マジ、足速ぇっすよ……!!」
ぜいぜいと激しい呼吸の合間、掠れた声で紡がれたその言葉に、プライドの心臓が引き絞られたように痛む。せっかく落ちつき始めていたはずの鼓動が、ドッドッドッと全力疾走した直後のように早鐘を打った。それでも胸の痛みとはうらはらに、背に触れる熱を帯びた身体に強い安堵と、言い知れぬ何かを感じて、倣うように深く息を吐きだす。
抱き竦めてくる腕の強さに身じろぎもできずにいると、ややあって――プライドに覆い被さるように彼女を捕らえていた腕が、急激に脱力した。それでようやく動けるようになったプライドは、くるりと踵を返して顔を上げる。
「心配かけて、ごめんなさい。アーサー」
「い……いえ、あのッ、俺、今……!? 俺こそ、すンませ……ッ!」
薄闇に慣れ始めた目にも明らかなほど顔を真っ赤に染めたアーサーが、ほとんど目前で硬直していた。見失いかけていた主を見つけた勢いで思わず抱き寄せてしまったに違いない。そこまで心配させてしまったことが忍びなく、プライドはもう一度、ごめんなさい、と苦笑を浮かべて見せた。
それから手をつないだままだった少女のことを説明するとアーサーはどうにか落ち着きを取り戻してくれ、真剣な顔で話を聞いてくれた。一人きりで裏通りに入ったこの子が心配で追ってきたこと。声もかけずに走り出してしまったことを改めて詫びつつ、そんなわけで今は大通りに戻ろうとしていたこと。
すべて聞き終えた後、アーサーはプライドから少女を引き取って小さな身体をひょいと抱き上げた。戻る道は覚えているという彼の後ろをついて歩けば、ほんの数分もしないうちに大通りへ出る。
ほとんど沈みかけの陽光が、それでもひどく明るく感じられてプライドは心底ほっとしてしまった。
通りに出てすぐ、護衛で付いてきてくれていた衛兵と落ち合うことができた。衛兵に少女を預け、アーサーと二人で早足にステイルのいる文房具店へ戻る。
幸いなことにまだ買い物は終わっていないらしく、扉の前に待っている人影は見当たらなかった。それもそうか、ここを離れてまだ十分少々しか経過していない。
プライドは大きく胸を撫で下ろし、ほっと息を吐く。それから隣のアーサーを上目遣いに見上げて「……アーサー?」小声で訴えた。
「あの……ステイルには内緒にしてくれる? 怒られちゃいそうだし、二人だけの秘密っていうことで。……駄目かしら」
「………………分、かりました」
こくりと生真面目な顔で頷いて、鋼を一本通したかのように背筋を伸ばすプライドだけの近衛騎士。
そんなアーサーの顔は、オレンジ色の陽光に晒されて、なんだかとても紅潮して見えた。
おわり