『blank space』ピンポーン
来訪者を知らせるチャイムの音にモニターを確認すると、"さっさといれてよ"と言わんばかりにこちらを覗き込む見慣れた綿毛が目に入った。勿論これはあだ名……とまでもいかない今浮かんだばかりの仮名だが、我ながら結構いい例えだと思う。
「また来たのか」
「お腹すいたーあけてー」
「うちは食堂じゃないと何度言えば……」
「んな固いこと言わずに!ね?クロノおにーちゃん」
「切るぞ」
揶揄を含んだ声音に若干の苛立ちを覚えて突っぱねるとマシロの態度は一転、低姿勢なものに変わった。日によって会話の内容が異なるとはいえこれに似たやり取りをもう何度も繰り返している。マシロの軽口など挨拶のようなものだ。いい加減流せるようになれと思うものの、コイツ相手にすんなり首を振るのはどうにも癪に障るというか……
「いつまで液晶越しに会話してんだ。いーからさっさと入れちまえって」
どうせ追い返す気ねーんだから、と横から伸びてきた手があっさり開錠ボタンを押した。待ってましたとばかりに早足で自動ドアを潜るマシロを視界の隅で捉えて、仕方ないなとキッチンに向かう。無論、もう一杯のコーヒーを淹れるために。
「お待たせ」
「マシロさんですか?」
「あぁ。今日も時間ピッタリだな」
リビングとは少し距離があるせいでぼんやりとしか聞こえない会話に耳を傾け時計に目をやると、時刻はちょうど昼時だった。確かに一昨日もまったく同じ時間帯にチャイムが鳴った気がする。
「俺の番?」
「はい!」
「んー……」
雑然と並べられたトランプに鋭い視線が刺さる。たとえ"遊び"でも一切手を抜かないアカネさんらしく、その瞳は真剣だった。
ハイジが泊まりにきてから我が家ではカードゲームが流行している。ポーカー、大富豪、ババ抜き、七並べ……凡そ思いつくものは全てやり尽くしたはずだが、今日は頭に戻って神経衰弱をやっているらしい。その人数ではなかなか数が減らないのではと思ったが、元々記憶力の良い二人だ。残りの枚数はもう両手で足りるくらいに減っていて、勝負は終盤に差し掛かっていた。
「こっち」
「わ、すごい。僕隣のかと思ってました」
「俺も迷った。運がよかったな」
両者手元のカードの量は大差ないように思える。きちんと数えてみるまで勝敗はわからないだろう。
「終わったら一度休憩するんだぞ。熱が上がるといけない」
「わかりました」
「昼飯食ったらクロノとマシロもいれてババ抜きしよーぜ」
「……アカネさん、俺が苦手なの知っててわざと言ってるでしょう」
「全然?」
ニンマリと上がる口角にすぐ嘘だとわかったものの、一緒にやるのだとはりきって棚の奥からトランプを引っ張り出していたのを知っているからそれ以上何も言えない。
明らかにはしゃいでいるのがわかる。三兄弟の末っ子とはいえ元来面倒見のいい性格だ。三年以上一緒にいて自分を慕ってくれるハイジは最早"弟"のような存在だろうし、年下相手に世話を焼けるのが嬉しいんだろう。
「お邪魔しまーす」
「マシロさん!」
「よ。もう熱下がった?」
「はい!お陰様で」
それから暫くして両手にスーパーの袋を引っ提げたマシロがやって来た。以前買い物に行ったあの店だ。
アカネさんが寛容なせいか、ふらりとやって来る頻度が徐々に高まっている。ハイジが来て更にその間隔が縮まったのは恐らく気のせいではない。
床に座り込んでいるハイジに合わせ身を屈めるようにして頬に触れている。普段音楽以外のことは大抵適当に済ますくせに、末っ子に対してはいやに心配りが細やかだ。
「それは?」
「ハイジに土産っつーか、見舞い?」
「お。新作のスイーツはいってる」
「言っとくけどハイジのだからね」
「俺のは?」
「これ"お見舞いの品"だから」
元気なヤツの分はねーのと言われて唇を尖らせる。けれどどう考えてもマシロの持つポリ袋は"一人分"というにはサイズも膨らみも大きすぎた。
「一緒に食べましょう。マシロさん、いいですか?」
「お前のなんだから好きにしな」
「ありがとうございます!」
「クロノにはこれね」
「野菜と……ハムか?こんなに沢山」
「勝手に食っちまったからその補填。ほい」
この前と同じやつがいいなぁ、俺。
差し出された袋と共に甘ったるい猫なで声が追いかけてきた。
「……結局お前の胃袋に収まるんじゃないか」
「おー。よくわかってらっしゃる」
「まったく……」
隅の方にこっそりと、ご丁寧に別の袋に包まれたプリンに免じてリクエストに応えてやることにする。
エプロンの紐を結びながらカウンター越しにリビングを見遣る。
先程の神経衰弱はどうやらハイジに軍配が上がったらしい、本気で悔しがるアカネさんとハイタッチを交わすマシロとハイジ。
そんな三人で目の前の席が埋まるのを想像して頬が緩んだ。新たな来訪者が増えた我が家では最近になって急遽ダイニングチェアを買い足した。誰かと囲む食卓はそれそのものが最高のスパイスになる。
それが自分の大切な人であれば、尚のことだ。