『互いの35センチメートル』クロノは面倒見がいい。それこそファンから"ママ"なんて愛称で呼ばれるくらいには。
俺は必要以上に干渉されるのは嫌いだが、事ある毎に何かと口を出してくるアイツのことを"余計なお世話だ"と思ったことは不思議と一度もなかった。恐らく毎回の主張に筋が通っているからだろう。そんなクロノのお節介は特に"健康"に対して発揮される。これは幼い頃からずっと一緒にいるアカネのお墨付きだから間違いない。
三年来の付き合いがある今でこそ当たり前のように認識している事実だが、ルビレが結成されて間もない当時はまだ知らなかったのだ。なぜクロノが、これほどまでに他人の体を心配するのか。
「すげー雨」
「どーりで髪がうねるわけだわ……」
「天気予報、今日は終日晴れだっていってましたよね……?」
「まぁ、あくまで予報だ。外れることもあるだろう」
リハを終え、スタジオを出た俺達は目の前が霞むほどの大雨に呆然と立ち尽くしていた。普段ならマネージャーが車を回してきてくれるところだが、今回はプライベートの時間に集まったためがんちゃんはこの場にいない。つまり付近のパーキングまで徒歩で移動するしかないのだ。更に具合の悪いことに今日俺は傘を持ってきていない。そもそも天気予報などマメにチェックするようなタチではないし、今日は朝から雲ひとつない晴天だった。それで傘を用意しておけという方が無理な話だ。
「ハイジ、傘は?」
「持ってます!一応いつも携帯しているので」
「そうか。偉いな」
……めちゃくちゃ用意のいいヤツが若干二名身近にいたわ。
アカネは持っていないだろうがクロノがいれていくだろうし。少しの期待を寄せて隣に立つハイジを見遣るとニコッと人の良い笑みが返ってくる。どうやら一緒に行ってくれるようだ。ずぶ濡れにならずに済んだと一安心していると、不意に目が合ったアカネがニタァと意地の悪い笑みを浮かべた。……なんだその魔王みたいな笑みは。いたずらっ子なんて可愛いレベルじゃない、絶対にろくでもないことを考えている。嫌な予感がして思わず頬がヒクリと震えた。
「ハイジ。俺が持つから傘いれてくんね?」
「ちょっ……!」
「アカネさん!?」
「身長差考えたら俺とハイジ、クロノとマシロで相合傘した方がいーだろ?」
やっぱりろくなことじゃなかった。俺とクロノの組み合わせなんて気まずくなることくらい簡単に想像がつくだろうに。
"相合傘"を強調して言ってきたあたり確信犯だ。傘をひらくアカネの傍でハイジが心配そうな顔でこちらを見ている。助けてハイジと縋るような思いで視線を送るが、残念ながらアカネの思惑に逆らえる者はルビレに存在しない。
……さて、一体どうしたものか。現在のところ相性最悪のクロノの機嫌を損ねることなく車まで辿り着く方法は……いや、そもそもコイツは俺を傘にいれる気があるのだろうか。"傘を持ってこないお前が悪い。車まで走れ"と突っぱねられるかもしれない。チラリと横目で様子を伺うと予想通り眉間に皺を寄せて渋い顔をしていた。
まぁ、そうだろうな。仕方ないと雨空の下に一歩踏み出そうとした時、後ろからグンッと強い力で引き戻された。
「……待て」
「え?」
「風邪でもひかれたらルビレの活動に支障をきたす。不本意だがいれてやる」
「……んな怖い顔して言われても」
「いいからさっさと入れ!」
「うわっ」
躊躇なく俺の腕を掴んで傘の中に引っ張りこんだクロノは長い足を最大限活かしてガツガツと大股で歩き始める。いつもより歩調も早い。何をそんなに急いでいるのかと思ったが、そういえば車のキーはクロノが持っているんだった。ここでダラダラ時間を消費していたら外で待つアカネとハイジが風邪をひいてしまうかもしれない。
もしかしてアカネのヤツ、ここまで計算尽くだったのか……?
「……寒くないか」
「えっ」
「二度同じことを言わせるな。寒くはないかと聞いている」
唐突すぎて一瞬思考が停止した。不機嫌感満載ながら口から出たのは俺の身を案じる言葉で、そのチグハグな組み合わせに「あ、あぁ……うん」と返答まで吃ってしまう。これでは動揺しているのがバレバレだ。
……それにしても意外だった。初対面で地雷を踏み抜いた最悪の出会いからして、俺のことは心底嫌っていると思っていたのに。
「そうか。ならいい」
「……なんでそんなこと聞くの?」
「お前がいつもブーブーうるさいからだろう。今日だって開口一番……そんなふわふわの頭をしているくせに」
髪の量関係ある??
ひとつため息をついたところで傘が僅かにこちら側に傾いていることに気がついた。ただでさえ人一人分しかスペースのない傘の下に図体のデカい男二人が並んでいる。となれば、クロノの肩は間違いなく濡れているはずだ。肩を抱き寄せて距離を詰めてもいいが、そんな事をすれば鬼の形相で睨まれることは目に見えている。俺だって男相手に紳士的に接する義理はない。空いた隙間を埋めるため、わざと少しだけ乱暴にぶつかった。
「ッ……!なんだ突然!」
「こーすりゃ傾けなくて済むだろ。あ、俺だってしたくて引っついてるわけじゃないからね?」
「……そんなことわかってる」
「あ、そ」
"くっつくな気色悪い"と再び距離を取られる可能性も考えたがそんな事はなく……今回は素直に従うことにしたようだ。誤解のないよう付け足しておくが、俺は単に「自分さえ犠牲になればいい」という考えが嫌いなだけだ。相手が負い目を感じずに受け取ってはじめて"厚意"というものは成立する。一方通行な気遣いは単なる自己満足に過ぎない……そう思っている。
「人の心配すんのもいいけど、同じくらい自分のことも大事にしろよなー」
「何か言ったか」
「別に?」
危ない。つい口が滑ってしまった。スタジオを出た時はなんてタイミングの悪いと文句を言いたくなったが、今は雨の音がかき消してくれたことに感謝しよう。
俺にとってRUBIA Leopardという居場所はむず痒い。
アカネもクロノもハイジもマネージャーのがんちゃんも、他人の心配ばかりしている。それこそ自分の身を疎かにするほどに。今まで身を置いてきた環境とは何もかもが違いすぎて、なんだか落ち着かない。けれどきっとこれが"居心地がいい"ということなんだろう。
「しかもしっかり影響受けちゃってるしなぁ」
「は?」
大きすぎる独り言に今度こそクロノが訝しげな視線を向けた。
今までの俺であればこちらに傾けられた傘に気がつくことなどなかったのに。
気づいたとしても、相手を濡れさせまいと気遣うことはなかったのに。