レモンの後じゃ甘すぎる 待ち合わせはフードコートの片隅。俺のバイトが終わるのを待って、その人は大体いつも同じ席に座っている。
「お疲れ様、小鉄くん」
「お疲れ様です。あー喉乾いた。時透さんは何飲んでるの?」
「期間限定のやつだよ。おすすめだって言われたから」
指差してくれたメニュー表の一番上を飾るレモン色。何故かちょっぴり自慢げな顔をしてくるのが可愛くて思わず頬が緩んでしまった。
「好きでしたっけ、レモン」
「うん。好き」
続けて「それおいしいですか?」って聞こうとした言葉が喉奥で止まる。真っ直ぐに俺を見つめて時透さんは言った。
「好きだよ。本当に」
「…………レモンの話、ですよね?」
「? うん、レモンの話だよ」
「うん、いや……うん…ごめんなんでもないです…」
誤魔化すように視線を自分のトレーに移した。チョコレートシェイクの容器の縁を、水滴が滑り落ちていく。レモンの話。レモンの話に決まってるじゃん。何の話だと思ったの、俺。
何故だか顔をあげられなくなって、水滴を指でつついていた俺に向かいから追い討ちがかけられる。
「好き?」
「はぇ、」
「小鉄くんは、好き?」
俺を映した両の目が、また真っ直ぐ見つめてくる。それが、甘く優しい色を携えているように見えるのは、きっと俺の気のせい……だと思う。
レモンはそんなに好きじゃない。子供舌だって笑われるかもしれないけれど、酸っぱさがどうにも駄目だった。丁度時透さんの手の中にあるレモネードみたいに甘く加工されているものだったら飲めるかな、というくらい。
どちらかと言うと苦手ですね。そう答えようとしたのに、澄んだ空色に見つめられていると何故だか言葉に詰まってしまう。結局口から出たのは正反対の言葉だった。
「……好き、です」
「そうなんだ。嬉しいな」
馬鹿みたいに心臓が跳ねる。たった二文字を口にしただけで、手に汗が滲むほど緊張していた。いや、レモンの話なんだけど。何かとてつもなく大事なことを言ってしまったような、そんな後悔にも似た感情が頭のなかをぐるぐる回る。
「嬉しい?」
「だって、好きなんでしょ? 同じ気持ちで嬉しいよ」
「あー……」
何だか居たたまれなくなって手元に視線を落とした。勝手に緊張している俺も悪いけど、思わせぶりなこの人も大概だと思う。
周りの席に人が居なくて良かった。知らない人が聞いていれば、告白にしか聞こえないんじゃないだろうか。
「大袈裟な人ですね」
「そうかなぁ。大袈裟なんかじゃないと思うよ」
無駄にドキドキさせられたせいか、八つ当たりみたいな言葉が出た。対する時透さんは気にした様子もなくのんびりと会話を繋ぐ。
「よっぽど好きなんですね。前からそんなにご執心でしたっけ? あんまりレモンばっか食べてるイメージないですけど」
「前からと言えば前からだね。兄さんにも呆れられたくらいには入れ込んじゃってるかも」
思わぬ返答が返ってきて面くらう。はて、食べ物ひとつにそんなに執着する人だっただろうか。普段からぼーっとしていて、何事にも無頓着な性格なのに。首を傾げていると、時透さんがくすりと笑う。
「まあ俺はレモンの話だなんて言ってないんだけど」
「は?」
自分の容器を空にした時透さんは、そのまま俺のトレーに手を伸ばしてくる。当たり前のようにシェイクを奪い去って、口をつける直前に「飲んでいい?」と一応のお伺いを立ててから、俺が頷くと甘ったるいチョコレートを飲み下した。
「……いや聞いたじゃないですか。今、俺が」
うっかり動揺させられたから「レモンの話ですよね?」って確認までしたのに。アンタは「うん」って返したじゃねーか。それなのに「レモンの話だなんて言ってない」?
言葉遊びのような、なぞなぞのようなやり取りに頭が混乱してきた。
「レモンの話は確かにしたけど。そのあとだよ」
「あと?」
「そのあとで、俺はこう言ったんだよ。『小鉄くんは、好き?』って。『小鉄くんはレモンは好き?』とは聞いてないもん」
けろりと言ってのける。何を、の部分を抜かした問いかけはわざとだったらしい。もはやひっかけ問題だろ。誰が分かるんだよそんな意図。
勝手にレモンの話だと勘違いした俺が、好きだと返して。同じ気持ちで嬉しいだのなんだの言われて。
あれがレモンの話じゃないなら、一体。
「……じゃあ何の話だったんですか」
「何の話だったんだろうねぇ」
涼しい顔の時透さんの手の中で、俺のシェイクはみるみる減っていく。何となく追い立てられるような、じれったいような気持ちになって手を出すと大人しく容器が差し出された。
「小鉄くんは何の話だったら嬉しいの?」
全てを見透かすような目にまた捕らわれて心臓がぎくりと音を立てた。何の話だったら嬉しいか、なんて。
逆にあなたは何の話のつもりで、あんなに喜んだんですか。
俺の手の中で軽くなったシェイクがじんわり溶けていく。
「これ結構甘ったるいね」
咄嗟に答えられない俺の返事を待たずに、時透さんが首を振る。勝手に飲んでおいて随分な言い草だが、同感だったので頷いておいた。いつもは好きで飲んでいるチョコレートが、今日はやけに甘ったるくて飲みづらい。
「好き?」
「……何が」
「やだなあ、シェイクの話だよ」
「警戒しすぎだよ」って笑いながら俺を宥める時透さんを恨めしい気持ちで見つめる。警戒されるようなことばかりしているのは一体どこの誰なんだか。
「好きですよ。いつもこれ飲んでるの知ってるでしょう」
シェイクはすっかり液体になってしまって、振ると完全に溶けた音がした。ていうかこの人ほとんど飲みやがったな。後で新しいの買ってもらおう。
「甘い方が好きなんだ。そっか……頑張ってみるね」
何を?って聞くのも何だか面倒くさくなってそのままにしておいた。「応援してくれる?」なんて言いながら覗き込んでくる時透さんにハイハイと適当に頷いて、空になった紙コップをトレーに戻す。
どうせ口じゃ勝てないし。手のひらで転がされるのは不服だけど、楽しそうな顔を見たら「何でもいいか」と思えてしまうから俺も大概この人に絆されてしまっている。