雉も鳴かずば撃たれまい「私にできることがあれば、なんでも言ってください」
片手を胸に当て、担当執事のルカスが言った。それは、女が不思議な縁で彼ら悪魔執事たちの主人となってから、何度も聞いた言葉だった。
出会ったころは、単なる社交辞令だと聞き流していた。しかし、いくつもの困難をともに乗り越えた今では、彼らが偽らざる真心からそう言っていることを女は知っている。だからこそ心配で、彼女は初めて、その台詞を聞くたびに思っていたことをぶつけてみることにした。
「ずっと、思っていたんだけどさ。そんなに簡単に"なんでも"って、言わないほうがいいんじゃない?」
「おや、どうしてですか?」
ルカスは金色の瞳を瞬かせた。聡い彼のことだから、女が言いたいことは理解しているだろうに。彼女はちょっとムッとして語気を強めた。
「例えば、だけど。なんでもって言葉を逆手にとられて、恋人になれとか、キスをしろとか、そういうことを命令されたらどうするのかってこと」
もちろん、女自身にはそんな命令をするつもりなど毛頭ない。けれど、彼女がずっと彼らの主人でいられるわけではないのだ。
悪魔執事たちは不老だ。女が天寿を全うしたあとも、死なない限りは途方もない時間を生き続ける。いつか、次の主人が選ばれる日が来るだろう。優しい人ならばいい。だがもし、美しい彼らを自らの所有物のように扱う人間だったら?
世界から嫌われた悪魔執事たちにとって、デビルズパレスは安息の地だ。もしもこの屋敷の中でまで、彼らが虐げられてしまうようなことがあったら……。
「私たちを、心配してくださっているのですね。ありがとうございます。主様は、本当に優しい方ですね♪」
弾むように、歌うように、ルカスは言った。その瞳が、幸福そうに緩まる。彼は女の座るソファの傍らへ膝をつくと、小さな手を取って口づけた。
ルカスの身からとろりと色香が溶け出したのがわかって、女は思わず身を固くした。逃げ出してしまいたくなったけれど、緩く握られた手を振り解けない。ルカスは艶やかな唇が触れていない場所はないのではないかと思うほど、飽きずに女の手に口づけを落とし続けている。
「る、るかす……もう、離して……」
「ねえ、主様」
弱々しい願いは、聞き届けられなかった。キスの嵐が止んだと思えば、今度は指同士を絡めるように手を繋がれて、女はすっかり参ってしまった。
「ルカス……っ」
「ふふ。本当に可愛らしい方だ。主様、私はね、あなたが私を選んでくださるなら、恋人になることも、その唇に触れることも、吝かではないのですよ」
「えっ」
思い描いていたのとは全く違う展開になって、女はもうどうすればいいのかわからなかった。ただ、もっと自分を大切にしてほしいと伝えたいだけだった。執事たちが与えてくれる優しさを、同じように返したいだけだったのに。
女が途方に暮れているのを察してか、ルカスはようやく彼女の手を解放した。女は逃げ場のないソファの上で、小動物のように体を縮こまらせている。
すっかりルカスを警戒している様子の女に、彼は柔らかく微笑みかけた。
「ですが、私は今の……執事として主様の傍にいる時間も気に入っています。無理やり特別な関係になろうとは思っていませんから、安心してください。ただ、私があなたを愛していることだけ覚えていていただければ、それで十分です♪」
今は、という言葉は、ルカスの胸の内に留められた。
女が自分たちに、家族へ向けるような愛情を抱いていることを、悪魔執事たちはみな知っている。人間の心は移り変わるものだ。家族への愛が、男女の愛に変わる可能性は、ゼロとは言えない。なにしろ彼女は、ルカスの「なんでも」という言葉から、色事を連想するくらいだ。
先ほど余さず触れた手を胸に抱きしめ、首筋を朱に染めている主人を眺めながら、ルカスは笑みを深めた。獲物を定めた肉食獣は、もしかしたら今のルカスに似た表情をしているのかもしれない。