天秤を抱いて 見張り台から寝室へエスコートされ、まだ目元の赤いベリアンと、おやすみの挨拶を交わす。静かにドアが閉まったのを確認して、そこで顔から一切の表情が抜け落ちるのを感じた。
ドッと疲れが押し寄せて、よろよろとその場にへたり込む。理由も分からないまま込み上げた涙が、頬を濡らした。震える喉に力を込めて、溢れそうな嗚咽を噛み殺す。
胸の中で、頭の中で、いくつかの感情がめちゃめちゃに走り回っていた。
よかった――一階の三人の蟠りがなくなって、元のように笑い合えるようになってよかった。
こわかった――あんなに高いところから落ちて、ロノが死んでしまうかと思った。ベリアンも常になく感情的で、あのまま二度と会えなかったらどうしようと思って、こわかった。
そして――私は無力だと、思い知らされた。悪魔の力を解放したあと、私はただ執事たちに守られて、隠れていただけだ。できたのは、震える体を押さえつけて、じっとしていることだけ。今と同じように。
天使たちとの戦いには、多少だけれど慣れたつもりだった。別邸の三人と、知能天使の一人に遭遇したときは、命の危機だって感じた。あのときも相当こわかったけれど、でも、今回の比ではなかった。
私は、死んではいけない。この世界で私だけが、悪魔執事たちの力を解放できるからだ。
けれどそれは、言い換えれば、私の命と引き換えに、彼らを見捨てなければならない可能性があるということだ。家族のような彼らを、地獄と化した戦場に置いて、私一人だけでも生き延びなければならないということなのだ。
ぎりぎりと奥歯が鳴る。手のひらにぎゅうぎゅうと爪がくい込んで、皮膚を食い破りそうだった。
(……こわい)
戦いを知らずに育った。戦争はあったけれど、過去か、遠い海の向こうのできごとでしかなかった。武器の扱いも知らない。調理器具か、工作の道具としてしか、刃物を扱ったことがない。
こんな恐怖は、彼らに出会わなければ、知らずに済んだのだろう。
――指輪を引き抜いて、どこかに棄ててしまえば?
元の生活に戻れる。平和な場所で生きていける。けれどそう考えるたび、弱い心は引き裂かれるような痛みを訴えた。保身と引き換えに見捨ててしまうには、私は彼らに深入りしすぎていた。
こんなに無力で、弱くて、なにもできないのに。私が守るよ、だなんて、どの口が言うのだ。全く、自分で自分に呆れてしまう。しかし、あのときは真実そう思ったのだ。心からの言葉だった。
永遠に等しい時間を、人類を守るために費やしてきたベリアン。彼のやさしい心を守るために、私にできることがあるなら、なんだってしたい、と。
だって、私には彼の気持ちが理解できるから。長い間、ベレンさんと仲間の命を天秤に掛け続けてきた、ベリアンの気持ちが。
天秤の片皿には、私の命が乗っている。いつか私も、大事な執事たちの命をもう片方に乗せなければならないときが来るのだろうか。