あなたの名前を「なんだか相性良さそうだし、君たちでバディを組んでもらおうかな」
悪の組織の新人構成員研修。
二人一組で行動するこの研修で、樹の相棒に選ばれたのは、深海青斗という純朴そうな青年だった。
「よろしくお願いします、深海さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします緑埜さん」
青斗がにこやかな顔でそう言った。
朗らかで、真面目そう。爽やかな好青年。
樹が彼に抱いた第一印象は、そんな具合だ。
こんないかにも良い子そうな人が、なぜ悪の組織に? とは思う。だが理由なんてどうでもよかった。
樹は利用できるものは、なんだって利用する。
自分は目的を果たすため、この組織に加入したのだから。
〜*〜
「深海、緑埜ペア、どんどん成果あげてるらしいな」
「あれは将来の幹部候補かもな。きっとそのうち、俺らが使われる側になるぞ」
「あはは! ありえるな〜!」
研修が始まって約一ヶ月。
食堂に向かう途中だった樹の耳に、先輩構成員たちのそんな話し声が聞こえてきた。
この一ヶ月、様々な訓練や任務に参加してきた。
その度に、樹と青斗は好成績を残している。
自分たちを組ませた先輩の見立て通り、樹と青斗の相性はかなり良かった。
二人とも比較的真面目な性格のため、ぶつかることは無いし、頭脳派の樹と肉体派の青斗という点でも行動がしやすい。
「あ、緑埜さん! こっち!」
食堂に着くと、先に席を取っていた青斗が手を振ってくる。樹は彼の向かいの席に腰を下ろした。
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫ですよ……て、緑埜さん、ご飯それだけ?」
「えぇ。あまり食べると動きずらいので」
青斗が樹の持ってきた、おにぎりやサラダといった軽めの食事に驚いている。
しっかりとした定食を食べている彼からすれば、心配になるのは無理もなかった。
今日の午後は、戦闘訓練の予定が入っている。
動く前こそ食べて体力を付ける、という者もいるが樹は逆だ。軽い食事で、身軽にしておいた方が動きやすい。
「そういう人もいるんですね。俺とは真逆だ」
「人それぞれですからね。深海さんはしっかり食べて、体力をつけてください」
「そうします」
そう言って食事を始めた青斗のことを、樹はどこか微笑ましい気持ちで見ていた。
最初はただ、利用する相手くらいに思っていたのに不思議なものである。
純粋で、素直で、優しい彼を見ていると、つい手を貸したくなってしまう。出会った頃とは大違いだ。
変化していく自分の心に、樹自身が最も驚いていた。
〜*〜
午後。樹たちは本部の戦闘訓練所にいた。
今日の戦闘訓練は、各ペア総当たり戦で行われる。戦闘は一人ずつ。勝った方に一点が入る。
最終的に最も点を取ったペアが優勝だ。
これは研修だが、同時に上へのアピールの場でもある。ここで優勝できれば、幹部の座に一歩近付くことができるだろう。
「緑埜さん、頑張りましょうね!」
「えぇ、そうですね」
樹たちの最初の対戦相手は、体力自慢のペアだった。黒髪と茶髪の男。二人とも長身かつ、がっしりとした体格をしている。
「あんたらが幹部候補って言われてる奴らか。どんなやつかと思ったら、ひょろひょろじゃねぇか! 特にそっちの眼鏡の方」
黒髪の男が樹に向けてそう言った。
実際、樹は華奢な部類に入るので特に否定もしない。
「そんなんで戦えるのか? 棄権してもいいんだぞ?」
「お気遣いどうも。ですが問題ありませんので」
「よく言うぜ」
隣の青斗が、気遣わしげにこちらを見てくる。
「緑埜さん、大丈夫ですか?」
「なにがですか?」
「いろいろ言われてたから……」
「あぁ、大丈夫ですよ。特に気にしてません。それに」
樹はふっと笑みを浮かべた。
「ああいう人には、実力を見せればいいだけですから」
審判役が準備をするように促してくる。
青斗がと相手の茶髪の男が待機席に下がり、樹と黒髪の男が会場の中央に残る。
「よろしくお願いします」
「棄権しなかったこと、後悔させてやるよ」
未だ大口を叩く男に樹は内心呆れた。この謎の自信は、いったいどこからくるのか。まぁ、構わないが。
互いに準備を整え、向き合う。
それを確認した審判が小さく頷いた。そして。
「はじめ!」
審判の声が高らかに響いた。
それとほぼ同時、相手が拳を振り上げる。
それで樹が怯むとでも思ったのか。実に短絡的な考えだ。
自分の顔面に剥けらたそれを、樹は腕を掴むことで防いだ。空いたもう片方の手は、相手の腰に回し、そのまま下に潜り込む。
「なっ!?」
男が動揺しているのが伝わった。だが、そんなことは気にせずに、勢いよく投げ飛ばす。
ダンッ! という激しい音が鳴り渡った。
「……そ、そこまで!」
一瞬のできごとで、呆気にとられていたらしい審判役が合図を出す。
「ぜ、全然動けるじゃねえか!?」
「当たり前でしょう。私だって鍛えてるんです」
舐めてもらっては困るのだ。
樹だってそれなりに動けるし、青斗だって頭は悪くない。あくまで、そちらの方が得意というだけの話だ。
「凄いですね……! 緑埜さん!」
青斗と交代するため待機席に戻ると、彼が目をキラキラとさせて迎えてくれた。なんだかくすぐったい。
「まずはこれで一点です。次も頼みましたよ」
「はい! 頑張ってきます!」
青斗が元気にそう返した。次の瞬間。
突如、会場内にサイレンが鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 敵対組織の潜入を確認! ターゲットたちは訓練所に向かって……グァっ!?』
周りが一気にどよめいた。
敵はこちらに向かっているらしい。
この場にいるのは新人ばかり。おそらく、人質にしようと考えているのだろう。
「緑埜さん、俺たちどうすれば……」
「落ち着いてください。なにか武器になるものを集めましょう」
「おやおや〜? そんな時間はないよ、 新人くん」
「っ……!?」
背後からの声に振り向くと、見知らぬ男が立っていた。その男が、大きくナイフを振りかざす。
咄嗟に距離を取るも、僅かに服を切り裂かれた。
「おっと、仕留め損ねちゃった」
「っ……」
いつの間に入り込んだのか。気付けば辺りには敵対組織の者たちで溢れかえっていた。
味方が敵に向かっていくも、次々と倒されていく。
「余所見なんて感心しないな〜! ほら、もっと僕を見て?」
先ほどの男が再びナイフを振るう。素早い動きだ。躱すのが精一杯で、なかなか攻撃に踏み込めない。やっとのことで、相手のこめかみに入れた蹴りも、なんなく交わされてしまう。
「ほらほら、そんなんじゃ僕を倒せないよ? それにね、敵は僕だけじゃないんだから」
横から勢いよく、別の敵が襲いかかってくる。
振りかざされた腕をどうにか受け止め、腹に膝蹴りを入れて凌ぐ。しかし、今度はまた別の敵が背後から現れる。これではキリがない。
「一人じゃないのはこっちも一緒だ!」
そんな声がしたかと思うと、樹の背後にいた敵が吹っ飛ばされた。
「緑埜さん、大丈夫ですか!?」
「深海さん」
樹が戦っている間に、青斗は既に数人の敵を倒したらしく、何人かが伸びている。
「こっちは俺に任せてください!」
「……助かります!」
樹は、改めて目の前の敵と向き合った。
男は愉快そうに笑い声をあげた。
「あはっ、あはは!! いいね、いいね!! 楽しくなってきたよ!!」
再びナイフを振り始めた相手の攻撃を樹は躱す。
他の敵を青斗が相手にしてくれているため、心にも多少の余裕が生まれ、戦いやすい。
自分が誰かを信頼し、こんな風に背中を預ける日が来るなんて。正直、思いもしなかった。
男がナイフを振りあげる。
樹はすかさず、相手の手首を掴みひねりあげた。
「っ!?」
男が怯み、手から武器が離れる。その隙を狙って、訓練の時と同じ要領で敵の体を容赦なく投げた。相手から力が抜ける。仕留めたか?
「……」
樹は小さく、安堵の息を吐いた。
その刹那。
「やっぱりまだ、あまちゃんだね」
「樹!!」
仕留めたと思った男が、不敵な笑みを浮かべたのと、青斗の叫ぶような声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
背中に鋭い痛みが走った。
見れば、青斗に倒されたと思っていた敵がナイフを持って立っていた。背後から切りつけられたのだ。
「っ……ぐッ……!!」
痛みに耐えきれず、その場に倒れ込む。それと同時に、みぞおちを蹴られた。一瞬、息ができなくなり、声にならない悲鳴をあげる。
「グっ……ッアぁ!? カハッ!!」
「痛い? 痛いよね!? もっと痛がってみせてよ!!」
攻撃を防ぐこともできず、苦しむ樹をあの男が見下ろしてくる。その表情はどこまでも楽しそうだ。
「ねぇ、君はどんな気分?」
男が青斗に視線を向ける。
青斗は呆然とした様子でこちらを見ている。
その顔からは、感情が一切読み取れない。
「苦しむ仲間をみて動けないなんて……」
芝居がかった声で男が言った。
「可哀想な子」
ドガッ、という鈍い音が響いた。男がゆっくりと倒れていく。
いったいなにが起きたのか、樹は一瞬理解できなかった。
青斗が目にも止まらぬ速さで、男のことを殴り倒したのだ。
「よくも俺の仲間を傷つけてくれたなぁ?」
「ひぃっ!」
青斗が男の胸ぐらを掴む。
「ふかみ、さん……?」
たしかに青斗のはずだ。だが、明らかに普段と様子が違う。朗らかで、優しい彼の影は一ミリもない。
青斗はもう一度男を殴り、投げ飛ばした。
そして彼は、生き残っていた敵たちをぐるりと見渡す。そして、ニヤリと笑みを浮かべた。
「や、やっちまえ!!」
誰かが叫び、敵が一斉に青斗に襲いかかった。
殴る、蹴る、投げ飛ばす。
敵たちが一気に倒れていく。逃げようとする者にも容赦なく、青斗は攻撃を入れていく。
樹はただ、眺めていることしかできなかった。
あれだけ苦戦したはずの敵がどんどんと倒れていき、残りも少なくなっていく。
そんな中、青斗の隙をつき背後から攻撃しようとする者がいた。
「ふか……」
樹がどうにか、彼を呼ぼうとした時だった。
「ぅオラァッ!!」
「!!」
どこからか飛び出してきた人物が、青斗に襲いかかろうとした敵を蹴り倒した。
そして次の瞬間には、たくさんの足音が鳴る。
「行くぞお前ら!!」
「余ってるやつは、怪我してる新人回収しろ!」
どうやら、応援部隊が辿り着いたらしい。
大勢の構成員たちが割り込んで、残党たちを薙ぎ倒し、怪我人を回収していく。
「大丈夫!?」
樹のもとにも救助がやってきた。
朦朧とした意識では、相手の顔立ちもハッキリと見えない。ただ、不思議なことにその声を、樹はどこかで聞いたことがあるような気がした。
「よく頑張ったね。あとは俺たちに任せて」
優しいトーンで語りかけられ、頭を撫でられる。
その声と動作に、体から一気に力が抜けていく。樹はそのまま意識を手放した。
〜*〜
目を覚ますと、樹は真っ白な部屋に寝かされていた。
どこからか漂う、薬品や消毒液の香り。腕から伸びた点滴。どうやらここは、病院のようだ。
あの戦いの中で、それなりの怪我を負った自覚がある。それでここに運び込まれたのだろう。
樹は、しばらくの間ぼんやりと天井を見つめ、それからゆっくりと、体を起こした。
少し痛むが、我慢できないほどではない。
案の定、自分の体は包帯だらけだった。
樹がひとつひとつ、周りの様子を確認していると、病室の扉が開いた。入ってきたのは。
「緑埜さん! よかった。目が覚めたんですね」
青斗だった。
戦闘の最中にみせた、あの攻撃的な姿はなりを潜め、樹の知っている優しい彼だった。
「体、起こして大丈夫ですか?」
「少し痛みますが、平気です」
「ならよかった……。緑埜さん、丸二日眠ってたんですよ」
「丸二日も……。それは、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて! 心配はしましたけど、迷惑だなんて、これっぽっちも思ってませんよ!!」
やっぱり、いつもの青斗だ。あれは、実は夢だったのでは、という気がしてくる。
「迷惑をかけたとしたら、俺の方です」
「深海さん?」
不意に青斗が表情を曇らせた。
悲しそうな、申し訳なさげな、そんな顔で彼は俯く。
「……緑埜さん。戦ってる時、俺おかしかったですよね?」
おかしかった。彼が言っているのは恐らく、樹が意識を失う前に見た、あの姿のことだ。
無言を肯定と受け取ったらしい青斗は、更に沈鬱な顔をした。そして、ゆっくりと口を開く。
「実は俺……、多重人格なんです」
「多重人格?」
「はい……。精神的に追い詰められると、人格が変わってしまうんです」
多重人格。
一人の人間の中に、複数の人格が現れること。
その原因は、トラウマや辛いできごとだと言われている。
この優しい青年は、いったいどんな経験をしてきたのか……。
「少し驚きはしましたが……貴方は私のために戦ってくれた」
あの時彼は、樹を仲間と言ってくれた。
そして、その仲間を傷つけたことに激怒したのだ。
「大丈夫ですよ、深海さん」
「……ありがとう、ございます」
ようやく、青斗が笑ってくれる。
それを見て、樹はほっと胸をなでおろした。
彼の顔が曇っていると、なんだかこちらま出悲しくなってしまう。できることなら、青斗には笑っていてほしい。
「そうだ。俺、もう一つ緑埜さんに謝らなきゃいけないことがあるんです」
「もう一つ?」
樹は首を傾げた。はて、なにかあっただろうか。
「あの時、緑埜さんのこと、つい呼び捨てにしてしまって……すみませんでした」
あの時。そう言われて、樹はようやく思い出した。
そういえば、敵に不意打ちをくらう直前、たしかに青斗は樹を名前で、呼び捨てで呼んだ。
あまりに些細なことすぎて、覚えていなかった。
「そんなことですか。まったく気にしてませんよ」
樹は思わず笑ってしまった。
まさか、そんなことを気にしていたとは。
「呼びやすかったら、そちらで呼んだのでは?」
「うっ……実は……」
「構いませんよ、名前で呼んでもらって。それから敬語も」
樹の方が青斗より少し年上だから、彼はそこを気にしているのだろう。
けれど、自分たちは同じタイミングで組織に入った仲。
「私たちは同期でしょう、 "青斗”」
「!!」
彼の名前を呼ぶと、青斗はぱっと目を見開いて、それから嬉しそうに笑ってみせた。
「あぁ、そうだな"樹”」