アスターとサミュエルが昼寝から目を覚ます時間に、その訪問者は唐突に現れた。ピンポーンと鳴るチャイムの音に玄関を開けると、そこには五年半ぶりに見る懐かしい顔があった。
「リドルさん、お久しぶりです」
「ジェイド……キミ」と、僕が顔を引き攣らせれば、彼はフロイドより細かなギザリとした歯を見せて、含みのある視線を僕に向ける。
「僕たちの父が、どうしてもリドルさんに会いたいと言っていまして、ですのでお迎えにあがりました」
出会った時から唐突だったこの男は、相変わらず唐突で。理由を教えてくれもしない。
「会いたいって……」どういう意味なんだと、頭が混乱していると、ジェイドの後ろ、長いストレートの腰までの黒髪に、明るいオリーブの少し目尻が垂れた瞳をした女性が立っていた。美しい肢体に白いマーメードラインのワンピースを着た女性は、僕の顔を見てニコリと微笑む。
「はじめまして、リドルさん。わたし、フロイドさんとジェイドさんの母です」
その自己紹介に、固まった僕の背後、「「かあさん、どうしたのー?」」とお昼寝から目を覚ました二人が、まだ少し眠そうに目をこすりながら起きてきた。
「二人とも、奥の部屋に……」そう言いかけた僕の横で、彼女は二人を見て目元を潤ませ、口元を両手指で押さえてふるふると感動に震え、グッと溢れる涙を堪え、本当に嬉しそうに大輪の花のような笑みを浮かべる。
「初めまして、サミュエルちゃんにアスターちゃん。わたし、フロイドさんのママで、あなた達のおばあちゃんよ」
アズールのお母様も若い外見をしていたが、フロイドとジェイドのお母様はさらに若く見える。彼らの母というより姉、もしくは妹と言われてもそう信じてしまえるぐらいの外見年齢だ。
こそりと「本当にキミたちのお母様なのかい?」と疑ってみたら、ジェイドに「そうですよ、僕達の可愛い所は全て母譲りです」と言われてしまい、ボクはフロイドとジェイドに対しての可愛いという意味を、頭の中の辞書で引き直す羽目となった。
彼女は、膝をついて両手を広げニコリと笑う。
「おばあちゃん?」サミュエルがことりと首を傾げると、彼女は小さく頷いて笑う。ゆっくりと近づくサミュエルは、彼女の腕の中に収まると、女性化していた時のボクよりも大きな胸に顔を埋めて、フロイドに似た笑顔でニコリと笑った。
それを見てアスターが躊躇していると、空いた片手でアスターを手招きし、恐る恐る腕の中に収まったアスターを、彼女は本当に幸せそうに涙ぐんで、改めて二人を優しく抱きしめた。
「わたし、ずっとこの子達を抱きしめたかったの」
嬉しいと溢れる言葉に、ボクは申し訳なさで胸が潰れそうになった。
「ところでリドルさん、早速で申し訳ありませんが、ボス……ボク達の父があなたとあって話がしたいと。すでにフロイドもアズールも父とともにいます」
なにがあったんだと驚愕する僕に、ジェイドは、「一緒に来ていただけますね?」と最終確認をする。だがその言い方は……
「それ……その言い方はボクに拒否権がないだろう?」
「そうですね、もしリドルさんが拒否なされれば、父はあなたごと子供を〝処分〟してもいい、とさえ考えています」
「は?」
ジェイドの言葉に、思考が停止する。処分というのは、殺すということか? ボクだけじゃなく、アスターとサミュエルまで……!?
心臓が止まりそうなぐらい驚き、グッと胸を抑える。大丈夫だ、まず会いに行くという選択肢を取れば、最初の段階で殺すというカードが切られることはない。
昔の自分なら、きっとこんな横暴な態度を取られれば、怒りで我を忘れたかもしれない。けれど今のボクには、子供たちを守る力を、何一つ持ち合わせていなかった。今の僕には強者に対抗する魔力がないのだから。
ボク自身、ボクの大切な宝物である二人を自分の力で守ることが出来ない事実に、なんて弱いんだと俯き、そして意を決して「わかった」とジェイドにそう言った。
その後、身なりを整える為に時間が欲しいと言えば、ジェイドとその母親に気にしないでいいと言われ、そのままの服で黒塗りの超高級車に三人で乗り込むこととなった。広々とした座席に、車の中なのに毛長の絨毯が敷き詰められ、中央にはテーブルもある。その上にはコールドの大きな箱が置いてあった。
「サミュエルちゃんにアスターちゃん、チョコレートはお好きかしら?」
フロイドのお母様が、この観光地で一番人気のパティスリーのロゴが印刷された、見るからに高級な箱の蓋を開けると、そこには花びらや金粉の掛かった綺麗なチョコレートがぎっしり詰まっている。
「「うわぁ〜〜〜! なにこれすごい!! おいしそう!!」」
かあさん食べていい? と、目をキラキラさせてボクに聞いてくる二人に、彼女が「アルコールは入っていないから、安心して、ね?」と小首をかしげる。その時の表情が、サミュエル……いや、記憶の中のフロイドに似通っていて、ボクはグッと込み上げる感情を抑え込んだ。
「いいよ、ただし三つまでにするんだよ。そして、車の中を汚さないように気を付けて食べること。どう? ボクとの約束、守れるかい?」
そう言い聞かせると二人は「うん!」と元気よく返事をして、本当に嬉しそうに、リーチ夫人の持つ箱の中のチョコレートを覗き込んで、どれにしようかとチョコレートの味を尋ねている。
「リドルさん、どうかされましたか?」
リーチ夫人を見つめ考え事をするボクに、ボクの隣に座り、逃げ出さないように監視しているジェイドが気になって効いてきた。
「仕草やなんかもそうだけれど、キミたちのお母様、仕草がフロイドにそっくりだね」
「フロイドは母さんっ子でしたから」
「正直ボクは、サミュエルに似た表情を見ると、どうしても可愛いと思ってしまうから、キミたちのお母様に対して、あの子たちと同じことを無意識に言って失礼をはたらかないかとても心配だよ」
「ふふ、母さんなら可愛いと言われれば喜んで頭ぐらい撫でさせててくれますよ」
冗談か本当か……あのリーチ夫人を見る限り、本当に頭を撫でさせてくれそうで、ボクは余計に注意しなければと、固く誓った。
その後、チョコを頬張りおいしいと喜ぶアスターとサミュエルに、リーチ夫人が「ジェイドさん、このお店買えないかしら」ととんでもない事を口にして、ジェイドまで「後で調べておきます」なんて言うものだから、ボクは頭が痛くなった。
ボクはこれに覚えがある、陽光の国のあのビルで、小さな二人を溺愛して会う度にプレゼントを渡すアーシェングロット夫妻そのもの……いや、プレゼントの規模で言うなら、店ごとプレゼントしようとするリーチ夫人は二人の数千倍強烈だ。
ボクは急いで、このプレゼントを返品する方法を考えるのだった。