【夢でもし逢えたら 一夜目】 神代一人神代一人は幽体離脱できる。しかし本人は気付いていない。目覚めた時随分楽しい夢を見たとひとり笑い、心の奥底メモにそっと書き残す。誰かに話した事もなく、きっとこれから先も話さない。自分だけの宝物だから。
目の前にシルバーグレーの金属光沢がある壁が現れた。
夢の中でまたこの夢を見ているな、と感じる。所謂明晰夢と言う現象だ。
その遮蔽物は二歩も歩けば途切れ、向こう側からは柔らかな光が差し込んでいる。
薄暗い場所から明るい向こう側を除き込んでみた。
「やあまた来てくれたんですねいらっしゃい」
壁の向こう側にはネクタイを緩めた巨大な富永がいた。
目が合うなり弾けるような明るい声で言葉を掛けてくれる。いつもそうだったなと昔を思う。
ノートパソコンの裏側に突如気配を感じた富永は、跳び上がりたい衝動をグッと抑え身を固くした。何しろ相手は『ちっちゃい』。
己の軽はずみな行動でプチっと潰しかねない。そんな事とんでもない
程なくモニタの左側からピコリと小さな顔がこちらを覗き込んできた。
…可愛い。控えめに言って最高にカワイイ。
目視で身長およそ8.5センチ、体重不明、体格2.5頭身。顔色良し。動作小柄ながらも機敏。御機嫌も…多分良し。いつものマントも簡略化されてぴらぴら足元まで覆っている。トミナガサーチアイは他にも様々な情報を光の速さで読み取った。
圧倒的愛らしさにのたうち回りたい欲求をググっと抑え、できるだけ冷静なトーンで挨拶をする。ちっちゃいKの前ではカッコつけねば!
「やあ‼︎また来てくれたんですね‼︎いらっしゃい‼︎」
…失敗したか?今思ったより声弾んでなかったかオレ。
「俺はまたこの夢を見ているんだな。昼間お前の好物を届けてくれた患者さんがいて。一緒に食べたいなと思ったから」
「ああ、杉本さんの葉ワサビ漬けですか?あれは絶品でしたよねー。もう市販品では物足りない身体になってしまいましたwww」
昼間診察室での出来事を話しながらノートパソコンの陰から出る。子供用プール程の大きさに感じるキーボードの横を通り、大きな富永の笑顔を下から見上げる。
不思議な夢だ。ああ、靴のままデスクの上を歩いてしまっている。悪いことをしているな。…夢だから良いのか。
「何よりオレと一緒に食べたいって思ってくれたのが嬉しいッスよ!じゃあここで何か飲んで行きます?コーヒーくらいしかないけど」
「うむ。いただこう。お前、仕事はもう良いのか?」
「丁度上がろうって思ってたとこですね。日付も変わっちゃったし」
そう言うと富永は席を立ち、新たに導入したらしいオフィス用コーヒーマシーンを操作した。先日電話で試験的にメンテナンス付きレンタルサービスを利用してみると話していたな。実物を知らないのに見知らぬ機械が随分鮮明に見える夢だな、と神代は思った。
「もう遅いからブラックじゃなくてミルク多めに入れますね?カフェオレにしますけどいいですか?」
「その方がいいな。ブラックだとお前も寝付けなくなるだろう?…夢で何を言ってるんだ俺は」
この状態でも寝付きの良し悪しに思考が行ってしまう自分が少し可笑しかった。
「コーヒー1杯程度じゃオレは全く問題ないっスけどねwww アンタはもう『寝てる』から。今日は早く休めたようで良かった」
…そう。Kは完全に夢だと思っている。
いや、あの人にとっては本当に『夢』なのだろう。
しかし、オレにとっては完全無欠の『現実』。朝出勤して2件オペして患者さんと術後話してカンファレンス3件やって合間に製薬会社の人と会って院長室に戻って書き物やって今だ。あ、昼飯食べるの忘れてた。
初めてちっちゃいKを見た時、あの人恋しさにとうとうオレも幻覚を見るようになったか⁈と思った。しかしながら同時にもう幻覚でもいいや!とも思った。が、どうやらオレ側の精神疾患ではなく、あの人側のオカルトであるらしい。そして思った。オカルトでもいいやと!
どうやらこの現象、幽体離脱というヤツですね⁈本体御本人も変わらず元気そうだし、ならば全然オッケーノープロブレムモーマンタイ‼︎
ウェルカムトゥ富永総合病院院長室‼︎
「これねぇ、ウチのキッズルームで子供達と遊んでる時に女の子から教えてもらったの。ネットで調べて即買いしちゃいましたwww」
コーヒーマシーンをセットした富永は、そのまま棚の引き出しを開けて何やら箱を取り出した。箱から中身を出す。
「シルバニアファミリーダイニングテーブルセット‼︎」
「おお⁈凄いな‼︎」
「このダイニングテーブル、診療所にあるやつとよく似てるでしょ?椅子のサイズ、今のアンタに丁度かと思って。座ってみて下さい」
「うむ」
デスクの上に配置されたミニチュアの椅子に腰掛けてみる。白木のテーブルと椅子を模して作られたそれらは居心地が良く、夢の中特有の安堵感と開放感に包まれて神代は少し笑い、言った。
「ありがとう。ピッタリだ」
…‼︎‼︎声を上げるなオレ!取り乱すなオレ‼︎
叫ぶのは脳内だけに留めろオレ‼︎
うっぎゃああぁ何これこの可愛いの⁈
何ですかその嬉しそうな微笑みは⁈
アナタオレを殺しに来てますか来てますね⁈一撃必殺ですかそうですね⁈
…己を落ち着かせる為肩で息を付き、ナイスタイミングで出来上がりの音を立てたコーヒーマシーンからカップを取り出す。
ここで平常心を取り戻さねば!そんな絶対無理な事を考えつつ、この時のために用意してあったスポイトで自分用のカップからカフェオレを吸い出し、この時のために用意しておいたドールハウスカップ&ソーサーに注意深く液体を落とす。
あ、ダメだオレ。手ェ震えてるわ。この感情の持って行き場が無いわ。…オペ中は震えないから大丈夫!
vs『あのひと』だけだから!
「はいどうぞ」
「この陶器も凄いなぁ。とても綺麗だ」
自分が座る席に出された小さく精密に作られたコーヒーカップの見事さに神代は感心した声を上げた。
そっと持ち上げ、いただきますと小さく呟き口を付ける。
熱くないかな心配だなとミニチュアカップを持つ手のちっちゃさに心が千々に乱れつつ、お鼻無いけどどっから息を吸ってるんだろ?の疑問も脳裏によぎりいっぱいいっぱいの富永と、コーヒーカップをソーサーに戻した神代の目が合った。
デッカいくりくり目なのに切れ長風味って反則じゃね⁈
「美味いな。安心する味がする」
そう言ったこのひとは幸せそうにニコリと笑った。……ちょっと待って⁈そんな完全無防備な笑顔見せないで⁈帰せなくなっちゃうでしょ‼︎普段どれだけ自制してるのよ⁈
…言ってしまおうか。言ってしまおう!頑張れオレ‼︎
「口に合って良かった!オレも頂きますね。…ねぇ、このままここでこんなカンジに一緒に暮らせたら、なんてねwww?」
言った!言ったぞオレ‼︎
「む?べつに構わないが」
え⁈かまわないの?マジで⁈
「これだけはっきりした明晰夢の中でここに居るのは悪くないな。ただ」
ゆっくりと周囲を見渡した神代はそこで一度言葉を切り、少し考え小首を傾げた。
「ただ?」
「本体は餓死するかも?」
「はいダメー!はい止めときましょー‼︎てか、めちゃめちゃ『かまう』でしょソレ‼︎」
富永は前のめりで慌てて前言を撤回する。
「いや、夢だから何とかなるんじゃないか?」
「何とかならなかったら大変でしょ⁈また来て下さいよ。いつでも。待ってますから」
「ふふっ。そうだな。そうする」
コーヒーカップに残ったオーレに目を落とし、神代はふわりと笑う。
が、次の瞬間何かに気付いたように周辺を見回した。
「廊下で物音がする。おそらく急患の知らせが入った。戻る。コーヒーご馳走様。美味かった」
残りを一息で飲み干し、真っ直ぐにオレを見てKは言った。ちっちゃいのに、いつもの目だ。だからこちらも、いつもの様に送り出す。
「ええ。いってらっしゃい。頑張って」
「ああ、行ってくる」
そうしてあのひとはふわりと消えた。
「先生、お休みのところ申し訳ありません」
「いや、起きている。何があった」
幸せな夢から頭を切り替え手早く身支度を終えた頃、私室の扉が控えめにノックされた。
譲介の声が硬い。長い夜になるのかもしれない。
小さなお客様セットの後始末兼次回の準備をしながら富永は思う。
今のひと時があの人の息抜きになっていますようにと。
そして、自分も同じ事ができたら良いのにと。似たような夢はたまに見るんだけどな、と。
続