シャイニングナイト「…………」
レオナ・キングスカラーが、人生で初めて食らうタイプのダメージに倒れている。不屈れない。
「キングスカラー……」
あのマレウスに心配されるという屈辱。だがレオナは怒りを返す気力もない。
現在、レオナはマレウスと交際中である。その経緯より重要なのは、ふたりがこれから初めてセックスする予定だったという事実だ。
お互い期待より警戒が上回るようなテンションだったが、それでも興味はあった。正直、何が起きるのか楽しみだった。
「大丈夫か……? つい僕も驚いてしまったが、害はないようだ」
「調 べ た の か ?」
「し、仕方がないだろう。いきなり尻が光っていたのだぞ?」
「うるせえ!」
尻尾の房で彼氏の鼻っ柱をぶつ。どうせ効かない。
揺らめく長い尾が逆光なのは、レオナの尻が輝いているためだ。
数分前、ベッドの上で下着を脱いだら曙光のごとく辺りが照らされた。
輝くような美貌と讃えられるレオナだが、尻の皮膚が発光してどうしようというのか。どうしようもない。
そのときマレウスは、彼にできる最大限に気を使った。
「……………………獣人ならではの体質か?」
そんな訳はない。
ドラゴンをベッドから蹴り出して、レオナはちょうど一年前のことを思い出していた。
植物園でマレウスと諍い、その胸ぐらを掴もうとした瞬間だった。レオナは不快な感触に飛び上がった。背後から下半身に液体をかけられたのだ。
「あ?」
眉間に皺寄せ振り向く。すぐそこで転んだまま、一人の下級生が青ざめていた。数メートル先に落ちたビーカー。レオナがかぶったのは、あれの中身だろう。
「どこ見てやがる」
「す、すみません!」
レオナは自分の状態を確認した。
かけられたのは透明な薬液で、臭いもない。濡れた服を魔法で乾かしてみたが、変化はない。レオナは念のため、土下座中の生徒に確認した。
「おい、これは何の薬だ?」
「塗料の魔法薬です。課題で……。身体に悪影響はないって先生が」
「無害ならいい」
一睨みで下級生を追い払う。
「……ちっ。馬鹿馬鹿しい」
勢いを削がれて、レオナはマレウスの元から立ち去った。終始無関心であったマレウスも、ほどなくその場から消えた。
マレウスとレオナが、まだマレレオになる前の話である。
「蓄光塗料の魔法薬だったわけだ。一年の実習で作る簡単な薬だが、その年によって違う付加効果をつけさせる」
レオナの声は低い。掛け布団の下に全身こもっているからだ。マレウスはため息をついた。
「その生徒とやらは、一年分の光を蓄積できる魔法塗料を作ったと。日々の入浴で落ちず、皮膚の新陳代謝にも負けない薬とは、中々の腕前だ」
「あいつ、何が『悪影響はない』だ。開きにして食ってやる!」
「光ることが悪いかと言われると難しいな。むしろ、めでたい気も……」
「俺こそが飢え、俺こそが、」
「待て、僕の部屋を砂にするな。不思議なのだが、なぜ尻にここまで蓄光できる? 常に衣服の下に隠されているではないか」
「普通の服だぞ。完全に遮光できるわけじゃない。着替えや風呂のときは出してるしな。一年貯めればそれなりなんだろうよ」
レオナは投げやりに答えた。やる気の一切が蒸発している。マレウスとの関係でムードを求めるなど片腹痛いが、尻が光るのは落とし所がわからない。初回が蛍の妖精プレイでいいのか。よくはない。段々、目撃者であるマレウスへの殺意まで湧いてきたレオナである。
「これはいつまで光っているのだ? まさか……、一年?」
「この光度だぞ。長くても一日で放出し終わるだろ」
こんな事で慌てるのは馬鹿らしい。人目につかない場所でふて寝しながら、魔法薬の効果切れを待つのが正解だろう。
「そうか。塗料を落とす魔法薬の式を考えていたが」
「誰がテメエの世話になるか。……くく、頼むから塗らせてくださいと頭を下げるなら、別だがなぁ?」
「何?」
「セックスしたさに下手に出るマレウス・ドラコニア。傑作じゃねえか」
彼がそんな醜態を曝してくれようものなら、散々焦らしたあげく、死んでも塗らせない。
(ざまあ見やがれ)
光り輝く黒歴史を背負う羽目になったレオナだが、あのマレウスだってこんな理由で初セックスに失敗したのだ。一矢報いた感がある。
どこかでフクロウがぼわぼわと鳴いている。レオナは眠くなってきた。
うつらうつら、このドラゴンと付き合うと決めたとき「この男の傷になってやるのも面白い」と考えたことを思い出す。伏線回収が早すぎる。
自嘲には憂鬱が沁み込んでいた。
関係が生じると、他人の事が自分の事になる。すぐ隣に立った男が零したコーヒーが、自分にもかかるようなものだ。煩わしい。
憂愁に浸っても尻は輝いていて、布団の中が眩しかった。眼を閉じると、瞼の皮膚がオレンジに透けて見える。
さて、ここでマレウスである。レオナが怒ろうが嫌味を言おうが、マレウスから見えるのは布団の小山だ。
見慣れた寝具が盛り上がり、その下に全裸の交際相手(発光中)が隠れている。
マレウスはゆっくり瞬きした。
「…………」
さきほどの、レオナの顔を反芻する。光っていると気付いたときの顔。計算高さや皮肉のない、それどころか理性や知性がお手上げ状態の無防備な表情。
怒って、暴れて、すねて、布団に隠れてしまった。しかもこの気配からして、嫌味を言うのも飽きて、眠りかけている。まだ尻が光っているのに。何だこれ。妖精の辞書にもない。
「ふっ、は、」
慌てて手の甲を口元に押し当てたが、こらえられない。骨をくすぐられたかのように、全身で笑ってしまう。
「くっ、ははははははは!」
ばちぱちと陽気な火花がマレウスの周囲と布団の山の上に弾けた。笑い始めると止められない。マレウスは身体を折り、腹を抱えて笑い続けた。花が飛び交い、鈴の音がシャンシャンと鳴り響く。
レオナが飛び起きた。
「おい、マレウス! うるせえぞ!」
ぱあっと辺りが明るく照らされる。マレウスはついに膝をつき、床を叩いて笑った。威厳も高尚もあったものではない。
「これは、決して、おまえを、馬鹿に、して、いるわけでは……、う、ぷ、くははははは!」
呼吸すら困難なようである。憎い男が床にへばりつく残念な姿に、レオナは彼らしくなく過去を振り返った。
因縁の、マレウスとのマジフト大会。あの試合でもこの手を使うべきだったのだろうか。相手チーム選手の尻が揃って光ったら、戦意は削がれる。
(俺もヤキが回ったな……)
レオナは仕方なく下半身を掛け布団にしまった。部屋が暗くなる。笑いの火花はまだ散っている。マレウスは瀕死だ。
「おい、いい加減にしろ。こんなくだらないことで、よくそこまで笑えるな」
「すまない。こんなことは初めてだ……」
マレウスは痙攣する腹筋を手で押さえながら、やっと起き上がった。明後日の方向を向き、気恥ずかしさを咳払いで誤魔化す。
「今日はこのまま休んだほうがいいだろう」
「…………」
「キングスカラー? 寝てしまったのか」
レオナは起きていた。暗い部屋の中、彼の緑の瞳が丸く見開かれている。
マレウスは違和感に首を傾げた。レオナと視線が合わないのだ。
「どこを見……」
レオナの目線を追って、マレウスは下を向いた。白いシャツの下で、右の乳首が光を放っていた。あのとき跳ねた蓄光塗料である。レオナの尻のみならず、ドラゴンの右乳首もこの一年光を蓄えていたわけだ。
かかった薬液はごく少量だったらしい。シャツの前を開き、胸を露出させても眩しくはない。ほのかに、慎ましく、右乳首が燐光を纏っている。
「………………」
「………………、あ」
乳首がちかちかと明滅し始めた。今にも消えそうに弱々しい。レオナは限界を迎えた。ベッドに耳まで潜り込む。睡眠は手軽な現実逃避だ。
「おい、転移してくるんじゃねえよ」
マレウスの縦長な身体が、布団山の中、レオナの隣に伸びている。睨むレオナに、マレウスは言った。
「これはお揃いというやつではないか?」
「はあ? 気色の悪いことを言うな。第一、俺の方が百倍光ってる」
「そこまで違わないだろう」
「ガバ判定で揃えようとするんじゃねえよ」
「やめろ、キングスカラー。乳首を引っ張るな。伸びる」
「引っ張られるまま二十八センチも伸ばすやつがいるか!第一、哺乳類でもないくせに乳首だのへそだのおこがましい」
「ふふ、羨ましいのか? おまえの尻も伸ばしてやろう」
「人外ガバ判定やめろ! 尻を掴むな!」
いったい何をやっているのか。
グリム以下といっても過言ではない、低レベルの争いだった。
地力体力魔力実力身分美貌、どれをとっても国際レベルでハイランクな二人が、尻と片乳首を光らせ、狭苦しい布団の中で罵り合い、掴み合っている。
初夜というなら、こんな夜は確かに初めてだ。何度もあってはたまらない。
「あっ」
「うぐ、」
「……………………」
「……………………」
「……てめえが尻をこねくりまわすから……。しっぽに触るんじゃねえ」
「……おまえこそ乳首をつねりあげるから……。これでも神経は通っているんだぞ」
「おい、おまえこそ、……おい、」
掛け布団の中は、お互いの発光で明るい。これくらい狭苦しい空間だと、光源があまり気にならない。汗ばんだ肌が火照り、レオナは琥珀のようであった。マレウスの白皙にほのかに血の色がのぼる様子は、咲き初めの薔薇を思わせる。だが、お互いの感触に鉱物の硬さはない。植物のように冷ややかでもない。
レオナは鼻を鳴らした。
「においがする」
「あ、当たり前だろう。狭いんだ」
獣人の嗅覚は鋭い。マレウスは羞恥を誤魔化すように、レオナを抱き締めた。ぐにゃぐにゃしている。熱い。
「…………」
「おまえも同じにおいになれば、気にならないだろう」
レオナは鬱陶しい拘束に抗議するように、マレウスの鎖骨に額をぐりぐりとぶつけた。今夜の予定が今更戻ってきたことに、文句を言いたかった。マレウスのくせに、その気にさせるなんて生意気だ。
だが変化した局部は誤魔化しようもなくお互い当たっている。暑いし、魔力のにおいが籠って咽そうだ。
「……ドラゴンって乳首弱いのか」
「特別弱くはないと思うが」
「調べてやるよ。感謝するんだな」
「おまえは尻より弱いところはなさそうだな。……おい、乳首を伸ばすな!」
こんな夜だ。もうひとつぐらい何かが起きても、尻と片乳首の光の影に隠れてしまうだろう。
どさくさに紛れ、二人はやっとくちづけした。
ふとレオナが眼を開けたとき、発光は止んでいた。いつ止んだのか、まったく覚えていない。日はすっかり高く昇っている。
マレウスはなぜか足元で、ベッドと直角になって寝ている。身体の半分がはみ出しているのがシュールである。
レオナは欠伸をして再びベッドに潜り込んだ。寝不足なのだ。
事の原因となった下級生には、後日、祝福がもたらされたそうである。寮室の蛍光灯の寿命が倍に伸びた。