ニューワールド・ニューゲーム うだるような暑さだった。
空港を出てタクシーに乗るまでの短い間に、汗が噴き出す。
スマートフォンの天気予報アプリを確認すると、赤く表示されているのは熱中症アラートだ。
素直にペットボトルの水を飲み込む。
タクシーが発車して間もなく、運転手が話しかけてきた。
「お客さんはどちらから? 草原は初めて?」
「輝石の国からです。ええ、初めてです。ずっと来たいと思っていました」
「最近、観光客も戻ってきたよ。仕事の人もね」
「夕焼けの草原は歴史ある大国ですから」
その歴史が途絶えかけたのは、数年前のことだ。
王位継承権者に不幸が続き、国政が混乱した。急遽繰り上がりで即位した若い王子は民意を顧みず権力を振り回し、国土に荒廃をもたらした。各地で暴動が起き、内戦に至るのは時間の問題と見られていた……。
カーラジオが今日のニュースを流している。各地の開発計画の見直し。復興への取り組み。軍の再編。各地のイベント情報。日常の世界。
平和だった。
内戦は起きなかった。
起きるより早く、問題のあった国王が退位した。この王が行った、最初で最後の善行かもしれない。今は議会が国を動かしている。
運転手は肩をすくめた。たくましい腕には、カラフルなビーズのブレスレットが巻き付いている。
「今も玉座は空で、王制を続けるかどうか議論されているそうですね」
「さあね。どうなるもんだか」
「あ、すみません。そこで停めてください」
「は? そこって……。何もないぜ? 街までまだ何十キロもある。エチケット袋か? 乗ったままでも……」
「お願いします」
彼は不思議そうに路肩に愛車を停めてくれた。
私はチップを混ぜて、当初告げた目的地までのタクシー代を支払う。
「このまま都に入ってください。振り返らないように」
「お客さん、あんた……。厄介ごとは勘弁してくれ」
「ご心配なく。ハクナ・マタタ、でしょう?」
車外に降り、手の中にほうきを呼び出す。
一息で飛び乗った。
荒野の熱風を振り切るように私は飛行し、そして目的地にたどり着いた。
暴動で破壊された国境の村。バスと乗用車が一台ずつ。乗用車から降りた奴らがバスに乗り込んだのが見える。
「全員動くな! 撃つぞ!」
叫ぶ前に撃った一撃で、バスの運転手は昏倒している。
魔法で遠隔操作し、バスのハンドルとブレーキを固定した。もう発進できない。
車内の全員に静止の魔法をかけ、私はバスのドアを引きちぎって乗り込んだ。
五歳から十二歳の子供たち二十人。運転手の他に、男と女が一名ずつ。
全員あんぐりと固まっている。
「魔法執行官だ。児童誘拐の現行犯で逮捕する」
退位した前国王が進めた政策のひとつに、魔法教育の拡充がある。
夕焼けの草原は魔法士が少なく、魔法の教育環境が整っていない。
自分自身が魔法士であった前国王は、魔力を持つ子供たちが適切な教育を受けられるようにと望んだ。それ自体は素晴らしい。
だが、他の政策同様、性急だった。
結果として胡乱な団体が入り込み、魔力を持つ子供たちの誘拐、人身売買事件に繋がってしまった。
魔法士は貴重な人材だ。国際的に需要が高い。
集められた子供たちは国外に連れ出され、引受人の保護下で専門の魔法教育を受けるという。だが、その引受人の正体は悪党だ。
ついに今日の取引情報を得たものの、犯人組織は用心深い。
地元捜査機関からの極秘要請を受け、魔法執行官単身での強襲となった。観光客を装い、当日入国して駆けつけられては、こいつらも対処しようがなかっただろう。
「今頃おまえたちの巣も潰されている。諦めろ」
私は犯罪者どもを厳重に拘束し、バスの外に放り出した。じきに回収役がやってくる手はずだ。
子供たちにかけた静止の魔法を解除してやる。
まあ、泣かれた。
当然のことだろう。この子たちは、立派な魔法士になるための勉強をしに行くつもりでいたのだ。
今まで面倒を見てくれていた大人たちに売られるところだったとは、ショック過ぎる。
気付かれないように対応できたら良かった。
だが、事は急を要した。犯人に余裕を与えて、人質を取られてはならなかった。後の捜査のために犯人を殺すなとも言われていた。
こんなときは言い訳が頭の中を回る。
私は黙って、パニックになった子供たちがひきつけを起こしたり、バスから逃げ出さないように見張っているしかなかった。
「おい」
バスのドアを外からノックされた。振り返らずに風の魔法を撃ちこむ。当たっていない。
「あなたたち、絶対にバスから出ないで!」
子供たちに叫んで、バス全体に防衛魔法をかけ、外に飛び出す。
熱風が砂を舞い上げる。
若い男が立っていた。獣人の耳と尾が目立つ。
男はにやにや笑いながら、地面の一か所を指さした。私が取り押さえた三人に、一人が追加されている。
「あっちの高台から、転がってる間抜けどもを撃ち殺そうとしてたぜ」
「口封じね。……あなた、何者?ここで何をしているの」
「魔法戦闘の気配がしたんでね。見物に来た。もう終わったんだろ。じゃあな」
「待ちなさい」
「俺がいないほうがうまく行く。何事もな」
男はほうきを呼び出し、ひらりと乗った。何気ない所作からでも、かなりの腕前の魔法士だとわかる。完全に味方とは限らない。無理に止めようとして戦闘になれば、バスが危ない。
私は仕方なく飛び去る男を見送った。
バスの中の子供たちがいつのまにか泣き止んで、同じように西の空を見上げていた。
****
住処にたどり着いて、一息つく間もない。
「活躍だな、キングスカラー。どうせならもっと活躍してみせるがいい」
「うるせえ、のぞき見野郎」
レオナはうんざりと吐き捨てた。唸り声をあげて、マレウスを睨みつける。
ドラゴンの王子の姿は、黒い陽炎のように揺らめいていた。
実体ではない。
学園でマレウスが事件を起こしたのは、何年も前だ。
事件当時、予想しなかった後遺症のようなもの。
それが、夢の世界の残滓である。
「本人が目覚め、僕が魔法を解いた後も、夢の世界が残り続けるケースがあったのだ」
マレウスが語る説明を、「レオナ」はつまらなさそうに聞いた。
「本人の一部でもあるため、強引な削除は危険が伴う。通常は自然消滅するだろう。だが、その世界が一定以上の強度を持つ場合、現実世界や本人に影響を及ぼすことがないか、観察することになった」
「俺の、レオナ・キングスカラーの夢はめでたく観察対象となったわけか」
レオナが夕焼けの草原の王となった夢は、今日も続いている。
この世界の「レオナ」は十分優秀で、密かに訪れたマレウスを知覚し、コンタクトを取った。このレオナはドラゴンの知り合いを持たない。自国で身に覚えのないドラゴンの気配がしたら、看過できない。
そしてレオナはマレウスと邂逅し、世界の成り立ちを知った。
「消えるどころか僕が支配していたときよりも強固であるし、世界の範囲も広がっている。おまえのイマジネーションは相当なものだぞ。世界が世界を再生産している。この世のものは見られるまで存在しない。見られることで生まれる、という説があるそうだが……。僕はすでに、この世界の異物だ。直接関わろうとすると、反動が出る」
「トカゲくせえ臭いをぷんぷんさせて、隠れているつもりだったのか?おめでたい野郎だ」
「口の悪い猫だ。この世界のおまえまでなぜ僕を嫌う?」
「おまえの無責任な魔法で生み出されて、夢のくせに現実すぎる問題に対処させられているからだが?」
「現実的過ぎる夢にしたのはおまえ自身だぞ」
そんなやり取りをしたのは、数か月前だ。
幾度目かの接触となる今日、マレウスは、不思議なものを見る目でレオナを見つめる。
「なんだよ。観察が終わったなら帰れ」
「住む世界が夢だと、本物ではないと知って、なおも正気を保っている。なぜだ?あるいはおまえはすでに狂っているのか?」
「ハッ!夢だろうが、現実だろうが、目が開いたならやることは変わらない。いつか消える? どこの誰でも同じだ。それに、マレウス・ドラコニア、おまえは随分余裕だが、夢と現の境目が危ういことは知っているだろう」
尾の先がマレウスのすねをぶつ。レオナの牙が光る。
「消え失せるのは、どちらだろうな? ……どこにお帰りか知らねえが、おまえの世界、今のうちに可愛がってやれよ。目覚めていられる限りはな」
「退位して隠居生活かと思ったが、おまえの野心は健在のようだ。心得た。……また逢う日まで、息災で」
鼻につく魔力がかき消える。
ドラゴンはあるべき世界へ立ち去ったのだ。
そちらの世界でのレオナ・キングスカラーがどうしているのか、尋ねたことはない。
少なくとも生きてはいるのだろう。
いつか、そちらのレオナが死んだとき、この世界は消えるのだろうか。
「なんとも不公平な話じゃねえか」
傾き始めた太陽、その向こう。もはやこの世界にとっては神ともいえる別の自分が、ひどく不本意そうに唸り返した気がした。ああ、まったくこれはお互い様、実に実に公平たる不公平だ!