『メグ・スイレン博士・著 本当にあった出られない部屋』百十八ページ掲載事例のこと 目を覚ますと、知らない部屋の中だった。
殺風景な壁。特徴のない床。のっぺりしたシーリングライト。ざっと四十五平米のワンルーム。窓はない。ひとつだけのドアの上には、電光掲示板が取り付けられている。
寝かされていたダブルベッドから起き上がり、ドアに鍵がかかっていることを確かめた。鍵穴はないのに開かない。
深く息を吸い込む。
まず間違いないだろうという確信。感動が私を包み込む。
「ついに入れた!ここが出られない部屋だーーーー!!!!」
時間を少々遡る。
ネットオークションを徘徊していた私の目に、ある出品物が引っかかった。チケットだ。ライブやイベントのチケットではない。それの出品カテゴリは魔法道具だった。
「ほう。出られない部屋の、招待状……?」
商品説明欄には、「某名門魔法学校内限定発売の福袋に入っていた招待状。未使用。動作保証なし。B級品」とある。そっけない。売れるとは思っていないが、ダメ元で出してみたという感じだ。
0マドル出品、1,000マドルで即決とのこと。出品者の取引履歴は悪くない。私は「即決」した。
出られない部屋の研究を始めて十年。招待状が本物なら、またとないフィールドワークになる。
「おめでとうございます、博士」
「実に嫌そうな顔をありがとう、我が助手よ」
「労災に相応しい顔でしょう?」
「きみ、部屋に転送されるときに負傷したのか」
「監禁による精神的外傷を受けています。継続中です。助手とはいえ、ここまでお供する義理はありません」
「ペア招待状だったらしいな。待て、チーズ削りを振りかざすな」
「もしここがおぞましいお題の部屋だったら、絶対協力しません」
「セックスしないと出られない部屋とか? きみの意思は尊重する。私もせっかく入れた部屋をすぐ出る気はない。まずじっくり調べようじゃないか」
「呑気なことを」
「きみもな。先月も別の研究室から引き抜きの誘いがあったそうじゃないか。本音を言いたまえ。好きなんだろう?」
「……」
「出られない部屋が! あいたぁ!?」
「あの教授、ネクタイのセンスがひどくて。……まあ、博士が他の野郎とこの部屋に入るのも、なんだかムカつきますし」
「そんなことより見たまえ!お題が出るぞ!」
チーズ削りでぶたれる痛みはさておき、私はドアの上の電光掲示板を見つめた。
『マレレオが付き合うまで出られない部屋』
「おおー、へえー、うわー」
「マレレオってなんでしょうか」
「さあね。部屋を調べた後で考えよう」
電波、あじないが、スマホは動いた。充電器はない。部屋と家電、家具などの写真を撮った後は使用を控えた。
デスクに備え付けられていたメモとペンで、記録を取る。助手もチーズ削りを置いて、速やかにドアや壁、床を確認した。
この部屋が本当に「出られない部屋」なのか、確かめるためだ。
出られない部屋は、一種の都市伝説だ。突然密室に閉じ込められ、お題をクリアするまで出られない。
これ自体は、魔法や超常の力を使わなくても再現できる。助手も言っていたが、監禁という犯罪は珍しくない。
何者かが我々を誘拐し、出られない部屋を装って閉じ込めたという可能性は、検討されなければならない。
「どちらもろくでもないですけど」
「あるいは、魔法道具の暴走か」
「……たとえばこの部屋自体が魔法道具ということですか」
「うん。転送魔法と空間魔法の応用。条件が満たされたときだけドアが開いて、中から出るとき元いた場所に転送する。世の中の出られない部屋は、ほとんどがこのタイプじゃないかな」
持ち主が自分で使うための部屋なら、ドアの条件は難しくないはずだ。
しかし手を三回叩く、なんていう簡単な条件でも明示されなければわからない。
そんな部屋に他人がうっかり迷い込んでしまったら、悲劇である。
「でもそのタイプの部屋は、壁を壊して脱出できる可能性があるよ。覚えておいて。天然の本物の出られない部屋、条件達成が絶対になってるタイプは、神の庭のように融通がきかない」
こんなこともあろうかと常備していたプラスチック爆弾を壁にセットした。フレイムブラストの術式を組み込んだ特製品だ。
これで外に出られれば話が早い。私の研究対象は自然発生型の、頑固で厄介な出られない部屋だ。出られる部屋ならさっさと出る。
「博士、爆発オチ早すぎますーーー!!」
結論。壁も家具も部屋は何も壊れず、我々も無事だった。あの爆発力で。ありえない話だ。
「これは本物の出られない部屋である可能性が高い! あいたぁ!?」
「危険な実験はひとりでやってください」
「わかった」
「ひとりでもやめてください!」
「どっちだ……?」
私も怪我はしたくない。助手と自分に防衛魔法はちゃんとかけた。ま、いちいち言うことでもないか。
それからさらに半日かけて我々は部屋を入念に調べ、出られないことを確認した。
助手がぽつりとつぶやく。
「ドア、開きませんね」
「マレレオはまだ付き合ってないのか」
「セックスより最悪な条件があるなんて、思いませんでした」
「そうだな。マレレオの問題は、我々にはどうしようもないことだ。エールを送るか? マレレオちゃんがんばえー! 付き合っちまえー! 冗談だよ、きみ、チーズ削りを置きたまえ。きみ一人ならなんとかなる」
「はあ?」
「私が出られない部屋をここにもう一部屋作って、きみを閉じ込める。出る条件はかかとを三回鳴らすことにしよう。ドアを出た先の座標は私の研究室だ。ハムスターで試したときは成功した。安心したまえ」
「私だけ逃げろと」
「二人分には魔力が足りない。きみが助けを呼んでくれ。私はせっかくの出られない部屋をもう少し堪能したいし」
「ここが真性の出られない部屋なら、外部からの干渉を拒み、一度出た者には二度と開かれないのではないですか」
「いい質問だ。検証しよう」
すごい目で睨まれている。私は言った。
「出られない部屋って面白い。私は今でもそう思うよ。世界はあやふやだ。あやとふやの間に溜まった思念や魔力のカスが部屋っていう概念をまとい現れる。危険で理不尽で、我々に決断を促し、行動させる。そうしてドアが開いた瞬間、誰かの忘れ物が昇華される。浪漫だ。出られない部屋、最高にいいよね」
「全然わかりません」
うんうんと私はうなずいて、出られない部屋で助手をさっさと包み込んだ。部屋というには狭すぎる。棺桶サイズだ。それでも研究の成果の見せ所である。
「これは出られない部屋の残骸を回収し、再構築したものでね。けっこう面白い体験だった。だが今日はもっと面白い!」
あれをこうして、はい、我ながらうっとりするような、出られない部屋の出来上がりだ。絶対の条件を課された部屋。絶対だからこそ、達成の瞬間のエネルギーが奇跡を可能にする。
彼女のかかとはちゃんと三回鳴っただろう。壁は百回くらいたたかれていた。そうしてここにはもう私しかいない。
調査の続きをしよう。
もう一度ドアを確認したけど、マレレオはまだ付き合っていないらしい。
「ねえ、なに、今ちょうど湯沸かし器の配管調べてって、あれえ!?」
「博士、危機感ゼロで脱出おめでとうございます。……お帰りなさい」
「ドアが開いたから出てきたけど……。ここ、私の研究室……、あれから三日か。きみ、驚いてないね?帰ってくるのわかってた?」
「博士が言ったんでしょう。助けを呼べと」
「言ったけど」
「ですので、マレレオを探し出して、付き合っていただきました」
「探せたの!?」
「ネットを検索したら意外とするっと。マレレオが付き合うことで助かる命があると、ご助力を願いました。先方の関係者も協力してくれましたよ」
「ありがとう。マレレオに悪いことしちゃったかな……」
「仕方なく付き合ってやるが調子に乗るなよトカゲ野郎、おやおやおまえの度量も猫の額のように狭いと見える安心しろ僕は寛大だから付き合ってやろう等と、それはもう仲良く言い合いながら協力してくださいました」
「付き合うって何だっけ?」
「もう別れてもいいですよってあちらに連絡しておきます」
「よろしく頼む」
出られない部屋に色々あるように、マレレオにも色々あるのだろう。
振り向くと、自分が出てきたはずのドアは消えている。少しと言わず名残惜しい。
「あの招待状、またオクに出ないかなあ」
「懲りませんね、博士」
「何も知らない人が落札するよりいいじゃないか。え、きみ、そのチーズ削り、持ってきちゃったの?」
◇登場人物
・博士:出られない部屋にはまっている魔道量子物理学研究者。
・助手:博士に沼り中。人生こんなはずじゃなかったのに。博士がセックスしないと出られない部屋にどこぞの馬の骨と入ってしまう悪夢を見てはうなされている。べ、べつに博士のことなんて好きじゃないんだからねっ。
「学園長、あなたの学校から流出した招待状で、高名な研究者である博士が失踪、監禁、孤独死したとなったら、世間はどう思うかしら?監督不行き届き、責任問題。わかったらさっさとそこのマレレオに付き合うように圧力かけなさい!!」