焦がすのは恋だけにして 日本各地を巡るツアーでは会場毎の空気感が違うのがいい。それにケータリングでその土地土地の食事が色々出るのも密かな楽しみの一つになっていた。本当は有名店ばかりでなく、地元の人が通う店、みたいなところまで足を伸ばせたらよいのだが、そもそも仕事で行っている訳だし、最終日にはそのまま新幹線でとんぼ返りの慌しいスケジュールになることが多く、宿泊日も騒ぎになるといけないからという理由でホテルに軟禁状態だから、ケータリングはスタッフの心配りだ。
前後のスケジュールの都合もあり、大阪は特に慌ただしくて、トウマが行きたかったお好み焼き屋に寄れなかったと嘆いていた。テイクアウトして来てもらえばいいじゃないか、と宇都木さんを呼ぼうとしたら、トラと一緒に焼きたかったの、とかわいいことを言われてさすがにちょっとときめいてしまった。
気を取り直してうちでお好み焼き屋やろう、そう誘われた先にあったのは鉄板代わりのホットプレートでもない、トウマのうちにひとつだけあるフライパンだった。予想はしていたが、普段お湯を沸かすくらいでしか使われない狭いキッチンに、普段料理なんてしない男がふたり、ぎちぎちに並ぶことになった。
「粉一〇〇gに対して水一三〇ml…うち量りねぇや、だいたいでいいだろ」
「水、このコップ半分くらいか?」
「たぶん」
料理をしない人間の目分量ほど信用できないものはなく、水と粉の割合がいつまでもバランスが取れず、ゆるければ粉を足し、かたければ水を足しているうちに、パッケージ裏に掲示された二枚分レシピで作るはずが随分多くなった気がする。
「フライパンの蓋もねぇや、まぁ焼く時間伸ばせばいいんじゃねぇか、たぶん」
「生焼け食わすなよ」
「腹壊す時は俺も一緒だよ、だいじょぶだいじょぶ」
何が大丈夫なのか、安心材料でもなんでもない。
フライ返し代わりの木べらで押し潰すように半分に割って、火の通り具合を確認すると、だいじょぶだろ、とトウマが笑う。洗い物が増えるの面倒、と言ってソファの前のローテーブルにタオルを敷いてフライパンをそのまま置いた。
ソファを背もたれにして床に座って、ソースの容器を振って傾けると、ぶちゃっと音を立てて想定以上の量があふれ出る。うわ、と驚いたトウマが指まで飛んだソースを舐めた。ソースの味しかしないだろうな、という量を割り箸で適当に伸ばしながら、トウマがちらりと視線を寄越す。
「マヨは?」
「少しだけ」
「じゃあ端っこに出しとくから欲しいだけ取って。鰹節、青のり」
「歯につくからなぁ」
「ついててもいいよ、かわいいよ」
「そういう話はしてない」
「まぁまぁ、絶対かけた方がうまいって」
聞いたくせに有無を言わさず全体にばさばさっとふりかける。鰹節が熱で踊る様子を眺めていると、お好み焼きからどろりとはみ出してフライパンで少し焦げたソースのにおいが部屋に充満して、すん、と鼻を鳴らした。
「トラって割りと好きだよな、こういうの。焼きそばパンもハマってたしさ」
「あれは別にハマった訳じゃなくて」
トウマが好きだって言ってたから、とはわからないだろうな、こいつは。
取皿に分けられた崩れたお好み焼きが皿からはみ出していても、コンビニの割り箸がきれいに割れなくても、麦茶のコップと酒のグラスが同じでも、トウマに渡されたものだからいいのに。
湯気を立てるお好み焼きをふーと吹くと、多過ぎる鰹節と青のりが舞う。トウマが笑って、缶ビールの水滴を拭ったティッシュでテーブルに散ったそれらをかき集めると、くしゃりと握ってゴミ箱へ適当に放った。
唇にあてるとまだすこし熱い。唇についたソースと少しのマヨネーズをぺろりと舐め取った。
テーブルに頬杖をついたトウマが、片手に持った缶ビールをちびちび飲みながら、こちらをじぃっと見つめている。
「……そんなに見られると食べにくい」
「トラかわいーなと思って。まだ熱い?」
「熱い」
ふぅふぅ吹いて冷ましているところの何がおもしろいんだか知らないが、目を細めてにまにま口元をだらしなく弛ませながら、飽きることなく観察されるみたいな視線を浴びせ続けられる。
トウマはあっという間に自分の分をぺろりと平らげて、作った量が多過ぎたんだからもっと食べろ、ノルマだろという話なのだが、酒を飲み始めているのでそんなに食事はいらないらしい。
唇の先にちょんとふれさせたお好み焼きはやっと俺にとっての適温になって、ぱくりとひとくち放り込む。市販のお好み焼き粉に水とカット野菜を混ぜただけだ、味は失敗しようがない、悪くはないが、やっぱりソースが多過ぎないか?
「ひとくちちっちゃ。かわい」
「なんでもかんでもかわいいって言っときゃいいと思うなよ」
「俺はさぁ、トラのことかわいくてしょーがねぇんだもん」
ふにゃふにゃ笑って、ずいぶん上機嫌だ。酔ってるな。今夜はキッチンにいる時から飲み始めていた。酔いがまわったトウマは少し厄介だ。
トウマの手が伸びて、唇をふに、とつついてきた。顎を引いて、まだ食べてる、ちらりと非難の意味を込めて視線を送る。親指が唇を割って侵入してきた。歯列を指の腹でなぞりながら、青のりついてる、とトウマが笑って、のぞいた八重歯におまえだって鰹節ついてるし。
「ん、おい」
「ちゅーしたい」
噛み付くように唇をぶつけられて、絡められた舌からビールの苦味と香ばしいソースの味がする。空き缶も箸も転がるし、テーブルに膝もぶつけるし、こんなひどいキス信じられない。
「ちょっと待て! おい! 待て! どこでスイッチ入ったんだ?!」
酔ったトウマは待てもできないダメ犬になるから厄介だ。待てができないだけにとどまらず、ダメだと言われたことをわざとやって様子を伺う子供みたいな、更に厄介なところが出てくる。どう対応してやればいいのかわからないから困る。
「ほんとに待て、待っ……」
「ダメ?」
「ダメに決まってる! まだ食事中…!」
「俺は終わってる。構えよ」
自分の都合だけかよ! 呆れて声も出なかった。
どう? 大丈夫? といちいち丁重にお伺いを立てて、取扱注意の壊れ物でも扱うかのような普段の感じと、全然ちがう。いつもこんなぞんざいな態度だったらムカつくと思うが、たまにこういう感じで来られると、困る。本当に困る。こんなの、ちょっと興奮する。
「イヤなの?」
「イヤでは……ないけど……」
フローリングに転がされて背中が痛い。イヤではないけど、こんな扱いはあんまりだ。女にするみたいに、やさしくていねいに扱えなどそんなこと言うつもりは毛頭ないが、床はさすがに、ないだろ。
押さえつけられて、貪るように唇を奪われる。絡める舌に鰹節が混じって、最悪だ。鼻に抜ける鰹節のにおいで、全然集中できない。
やっと解放されると床に後頭部をぶつけて、ごつんと鈍い音がした。ああ、とトウマがやっと気付いたとでも言うように、ソファーから手探りでクッションをひとつ掴むと首の後ろに押し込まれた。
仰け反った首筋に舌を這わせて、気まぐれに歯を立てていく。肉食獣に捕らえられた獲物のように身動きひとつ取れない。服の中に潜り込んだ手が荒っぽく這い回る。
「ッ……トウマ、痛い」
「勃ってるじゃん」
のしかかった膝で、ぐりと脚の間を押されて、からだが竦み上がった。押さえつけた膝でゆるりと円を描くように刺激されて、下腹部がじわりと熱くなる。腹の奥がむずむずと疼き出す。もうこうなったらだめだ。何もわからなくなる。
覆い被さるトウマを押し退けて、床を這って逃げ出そうともがくと、腰を掴んで引き摺り戻された。うつ伏せになって背を向けても、うなじの辺りを吸ったり噛み付いたりを繰り返されて、再び潜り込んできた手が胸を力任せに揉みしだく。
「っあ! トウマ、だめ、」
「だめ? だめじゃないだろ」
力加減を忘れたトウマの指先に胸の尖りを摘んで押し潰される。やだ、いたい、でもだめじゃない、いたくされるのきもちいい、下唇を噛んで耐えても、くぅと鼻が鳴ってしまう。
背後でトウマが喉の奥で笑った気配がして、顔が熱くなる。
「俺さぁ、トラがきもちよさそーにしてんの見るのすげぇ好きなんだよな、オレにキスされて、さわられて、トラがだめになっちまってるの見てると、なんか、俺もすげぇきもちい、興奮する」
尻にかたくなった股間を押し付けながら耳朶を甘噛みされて、声が上がりそうになるのをクッションに顔を埋めて堪えた。
「なぁトラ、隠すなよ、もっと見して、どうしたい? 全部してやるからさぁ」
口調はやさしくなっても強引な手の動きは変わらない。クッションを抱え込んで、ぎゅうと背を丸めて逃げても、やめてくれる気配はもちろん、待ってくれる気配もない。
シャワー浴びたい、歯磨いてからにしろ、気持ちよさそうにしてるとこ見たいならもっとちゃんとやさしくしろ、言ってやりたいことは色々あるけど最大限譲歩して、ベッドがいい、やっとのことでたったこれだけのお願いをしたのに、全部してやるって言ったくせに、聞いてもらえなかった。