無題(後天性女体化)中庭に植えられている椿が始めた季節、遠征先から長義が隊長を務めた部隊が戻れば本丸の正面玄関で則宗が出迎えた。
「ご苦労さん」
今日の近侍は則宗ではないしそもそも近侍が出陣部隊を玄関先で待つ義務は無い。それに今朝からはちょっとした“事件”が発生していた。
数多ある本丸にもよくある男の器で顕現した刀剣男士が何を持ってか一時的に女体になるバグだ。則宗の他にも他数振りが今朝目覚めた時からこの状態に見舞われ、ここでは省くがあれこれ一悶着あった。
状況の把握に確認、前日から決めていた部隊編成や内番の変更に時の政府への報告を済ませ、日課や本丸の雑事等をやっていれば夕刻になり漸く落ち着いてきた頃ではある。
『提督採用試験に落ちた審神者が男士を女士にする事があるらしい』
と主が仮説の範囲内ではあるがと話していた。
他にも刀剣男士のバグ多種多様あるがこの女体化の事例が幼児化に続いて多く発生している。それでも未だに発生原因は不明だとこんのすけが言ってはいたが 。
それとはまた例外に女性審神者適合者が極度の男性恐怖症で致し方なく男士を女士にしている本丸もあると政府所属時代に参考資料で見た事がある。ただ“仕様”と“バグ”ではそもそもの経緯が違い過ぎる。そして後者は大体が数日で戻るものだ。特に何かしらの“条件”が無い限り。
則宗がわざわざ自分を出迎え労いに来るような刀では無い事は十分知っている。絶対何かあるなと勘ぐっていれば
「お嫁さんが出迎えとは羨ましいですな」
同じ遠征部隊だった一期一振が長義の左隣で微笑みながらいち兄お帰り!と飛び込んできた信濃藤四郎を抱きとめた。
「私には弟達がいるので関係無いですが」
と一期はその胸に飛び込むのを躊躇うもう一振りの弟刀である五虎退においでと両手を差し出した。
「・・・」
その様子を横目に長義は奥歯を噛んだ。
自分達が恋仲だと周知されているが(大体則宗のせい)あからさまに言われると恥ずかしい事この上ない。
頬と耳に熱を持つのを感じながら長義はただいまと小さく呟けば
「よしダーリンお帰りのキスしてやろう♡」
則宗が玄関框まで降りてきて長義のマントの裾を引っ張り上げた。
「そう言うのいいから!」
長義が慌てて一歩下がれば
「お~い時と場所を弁えろ~」
「ヒト前でやるな~」
と同部隊だった刀達がそう吐き捨てて室内に上がって行く。
やめろと長義がマントを引っ張り続ける則宗に注意すれば
「つれないなぁ」
裾を掴んだまま頬を膨らませた。くそあざとい(加州談)じじぃを自称してやる仕草ではない。
「何か用があるんじゃないの?」
「万屋に行きたい♡」
「は?」
唐突に何かやると言い出すのは政府所属(以前)からだったがただの買い物か。
「この前エプロン買うって言っただろう?」
確かに以前則宗が料理をしていた時に言った。己の写しの割烹着をお下がりを着ている(それが国広がもう厨の手伝いをやらないと意思表示に思えた二重の意味で)のが許せなかったからであるが。
「ああ、言ったけど・・今からその姿で?」
この遠征から帰れば長義の今日の主から与えられた仕事は終わりであり夕餉まで事務作業をしようかと思っていた。それは特別今日明日提出しなければならないと言った急用要件では無い。
「エプロンはフリーサイズだから大丈夫だろう?」
則宗は確かにに背も通常(いつも)より縮み、横も細くなったがと自身の身体を見下ろした。
内番着や軽装、私服とはまた別に待機と言う形で帯刀はせず武具やジャケット等を外し本丸内で活動している男士は多い。
例に漏れず則宗もそうだったが今は女士の姿で戦闘装束も同じく変わっていた。
今は赤シャツにネクタイ、ボトムスは左側に赤白のプリーツの切り替えがある膝上10センチはあるミニスカートだ。それに黒の30デニールストッキングに本丸の建物内では何時も履いているキャラクターのスリッパだ。
これに長義に眉間に皺を寄せた。
(まっったく理解できない)
女性用のシャツの仕様が前釦が左程度の変更なら分かるが(ただ胸部に対してサイズが窮屈)何故わざわざミニスカートなのだろうか。然もその布の質感は薄手で肉を拾うし心許ないし戦闘に関係無いし寒さや突風等を防ぎそうにない。それに下着までちゃんと?変わっていると言うのだからよくできたバグである。
自分じゃここまで落ち着いていられない無理だと長義は思う。時の政府に在籍していた頃から男である事が当たり前だからと言うのもある。則宗の順応力に驚いている位だ(同じくバグで女体化した古い刀達は大体長く生きていればそうなる事もあると笑っていたが)
これで一緒に行かないと言えば一振りで行くと言い出すだろうし、通販を利用すればいいじゃないかと提案すれば臍を曲げるに違いない。
「・・じゃあ行こう、寒いから上着羽織ってね」
「・・・よく履けるねそれ」
「? ああヒール(靴)か」
玄関には個々刀達のものが収納してある棚がある。則宗のものを仕舞っている一角には何時も履いている編み上げブーツは無く、替わりにあったのは踵の高さが7センチはあろうかというストラップのついた白のハイヒールだった。初手絶対こけるだろうという思ったが顕現した日からそうでしたと言わんばかりに馴染んでいる。実戦に行かせるかは審神者の判断次第だが、体が鈍るのもよくないし演戦は行って貰おうかなと言っていた。他所の本丸での事例もあって戦闘に支障は無いとは本当らしいがその細腕で刀を振るうのかと疑いたくもなる。
「でもちょっとこけそうだから腕貸せ♡」
と則宗が立ち上がり長義の左腕に自分の腕をするりと絡ませた。絡められた腕が思った以上に細いし胸が当たる。
「ちょっと!」
「まぁまぁ♡いいじゃないか」
この距離でないと分からない何時も則宗から漂う菊の清廉な香りがすれば長義は何も言えなくなった。
横目に見ればヒールの高さがあっても視線が少し下だ。何時もと同じにこにことよく笑う口元。元々幼げな顔立ちだが更に丸くなった輪郭。顎も小さいし首も細い。何時もより唇の色が――
「? 唇なんかつけてる?」
「うん?乱にグロスとやらをつけて貰った」
顔が近くなれば今朝との違いが更に見て取れる。もうひとつ気付く。誰よりも豊かな睫毛もくるんと上がって外の光を取り入れ輝いている。確か睫毛を上向きにカールさせる道具があったなと長義は思う。
「何してるの・・・」
「面白いだろう♡」
滅多にこんな事起きないだろうし偶にはいいだろうと則宗はぐいと長義の腕を引き歩き出した。力は変わらないは本当らしい。
『わぁ!女の子の則宗さんだぁ』
『可愛い~~!』
道すがら審神者や刀から口々にそんな言葉が聞こえてくる。
想像はしていたがかなり目立つ。幼児化バグの次に多いとは聞いていたが隣に歩いているだけでよく分かる。確定報酬とは言え大体どの本丸でも村雲江の次に新刃でレアである以上の周囲の視線を一身に受けている。
「僕は女の子になっても可愛いからなぁ♡」
ふふんと開いた扇子をぱたぱたと扇ぎ結局腕を絡めたまま長義の歩く則宗はご機嫌である。
『おっぱいでっか』
すれ違った男性審神者が則宗を見るなり小さく呟いた。本人は他人に聞こえない声量のつもりだっただろうがヒトより優れた聴覚を持つ刀剣男士には聞こえてしまう。
(くっそ最悪だ)
と長義は下唇を噛んだ。
それに則宗の方にも問題がある。右肩から胸、左の腰に向けて赤のスマートフォンストラップを掛けていてそれが更に胸元の形を強調している。
「ねぇ何でそれ着けてるの?」
「ん?この服ポケットがついてなくてな。だから加州の坊主が以前使っていたものを借りた」
大凡付いているであろう腰の辺りをぽんぽんと扇子で軽く叩く。何故かスカートでそれが短いと言うだけでも理解出来ないのに不便さもプラスされている。否寧ろマイナスだ。
財布だったら良かっただろうが毎回万屋街で利用可の決済アプリを使っていたのもある。時の政府勤務のこんのすけの音声を使っていると噂の決済完了時の≪こんpay♪≫と鳴る音が則宗のお気に入りなのだ。
「あ、そう。でもその掛け方よくないよ」
「? 引っ掛けそうか?」
確かに慣れてないし釦やサッシュの房の所に引っ掛けるかも知れないなと則宗は首を傾げた。
(分かってなかった)
普段は色々と目敏い割りには偶にそう言う事に気付かない時がある。ただ指摘すればそう言う目で見ていたのか揶揄される。周りの視線をこっちが追い払うしかない。
「で、店は分かるの?」
思わず則宗が進む方に(腕を組まれているせいもあって)進んでいたがこの方角はよく行く洋菓子店があるだけだ。
「そう言えばエプロンって何処に売ってるんだ?服屋か?キッチン用品の店か?」
加州らと行く店も大体決まっているのか知らないらしい。
「はぁ・・・」
万屋街には服を販売する店は幾つもあるがエプロンの取り扱いまでは確認した事は無い。料理の一切を厨の者達に全て任せっきりなのが仇になった。
「確かこっちにキッチン用品の専門店があった筈。 無かったら服屋の方に行ってみよう」
そのキッチン用品を扱う店の出入口付近にエプロン各種が並べられていた。
胸元までカバーするスタンダードなものから腰エプロン、そのデザインも生地も様々で一部はセール価格と掲げられてる。
これだけあれば好みのものが見つかりそうで何件も梯子せずに済みそうだ。
「お前さん買わないのかい?」
沢山あるなぁと見渡す則宗の隣に長義が立っていればそう尋ねてきた。
「いいよ」
「えっ?長義くんもお手伝いしてくれるの?ありがとう♡ってお前さんの大好きな祖が喜ぶぞ」
きょるん♡とおかしな擬音が付きそうな声色で則宗は顎の下に両手を当て言った。
「何今の?燭台切の声まねのつもり?似てないよ」
燭台切は常に瀟洒で長船の祖らしい佇まいでそんなそんな苺飴を噛み砕いた様な声など出さないしぶりっ子のテンプレみたいな仕草もしない。
「どれがいいかい?お前さんの好みでいいぞ」
則宗は似せたつもりはなかったしなぁと言いながら一番手前にあるハンガーに掛かっている小花柄がプリントされたエプロンのを手に取った。
「別に好みとかない」
「じゃあ新婚さんごっこは?」
「しない」
まだ引きずっていたのか。あの後本当にそういう動画を二振りで視聴した(或いはする予定な)のなら包丁は一期に今一度お叱りを受けろと長義は内心呪詛を吐く。
「じゃあ僕が堀川の坊主とお揃いでも?」
これ、と掛かったままのエプロンの裾を広げた。浅葱色のだんだら模様。新選組の刀の中でも厨の手伝いをするのは堀川国広だけだ。
加州も古参なので顕現したばかりの時はしていた様だし、今は離れの台所で今もたまに(則宗と競って)作っている話を聞いたばかりでそのエプロン姿は見掛けた事がない。
「構わないよ、あなたが好きなもの良いんじゃない」
「恋刀を自分色に染めたいとかないのかお前さんは」
「ないね」
そんなやり取りをしていれば近くに立つ男性審神者達のこちら・・特に則宗を見ている不躾な視線が気になる。
「・・・・・はぁ」
ぐるり一周辺りを一瞥すれば周囲の耳目は一斉に散らばり距離も遠のいた。その最後、目に入った製菓コーナーの売り場を案内する垂れ幕にふと思い出す。
(小豆が泡立て器が欲しいって言ってたな)
それは今あるハンドミキサーでは無くそれこそ洋菓子店が使う様な大型の業務用のものである。恐らく本丸の運営費から全額は出せないだろうが値段や使用頻度、応用の幅によっては何割かは出せるかもしれない。
値段と大きさ、機能性だけ確認しようと長義は則宗に
「あっち見に行くけど」
と声を掛ければ
「ん、行ってらっしゃい」
と手を振った。思いの外真剣に選んでいてついてこないらしい。10分も掛からないで戻って来れるだろうと長義はそれがある店の奥に向かった。
(意外にあるな・・・)
ピンからキリまであるだろうと思っていたが厨の広さに見合ったサイズで考えれば卓上用だろうかとずらりと並んだ見本品を見渡す。値札を見れば大体が10万超えた位。それに更に機能が色々ついているものだとその倍の値段だ。
(相場は大体これ位か・・・)
矢張りハンドミキサーに比べるとかなり割高の印象である。
機能性を然程注視しなければ低価格帯のものでいいだろうが現世遠征で中古で購入する手もある。これは帰って小豆と経理担当の博多と要検討だと結論に至り、長義が則宗の元に戻ろうと足を向ける。
「?」
視界に入った則宗が手元に2着エプロンを持ったまま誰かと話している。長義の今見えている位置からは丁度鏡台が相手の前に置いてあり誰かは分からない。
早足で向かえば話していたのは他所の本丸の山姥切長義(同位体)だった。男性の審神者だったら速攻で追い払っていた所だが。そうでなければ他所の本丸の加州に意見を求めていたのかと思っていたので意外だ。
「お前か則宗の世話役は」
目が合った瞬間同位体の冷めた視線が長義の頭の天辺から足先まで一周した。
(何だコイツ)
片眉を上げ左手を腰に当て戦闘装束をきっちり身に纏う姿は自身と変わらない筈でありながら妙に威圧感がある。性格は個体差があるが見た目の区別が判らないだけで若しかして政府所属の個体なのかもしれない。
(感じわる。絶対偽物くんにもこんな態度だろ)
長義が同位体の視線に眉根を寄せれば
「女性体のバグなんて珍しいのに、ましてや則宗はレア。何故一振りにさせているんだ?万屋街(此処)に来る人間が善人とは限らないんだよ」
だから俺がこうやって見てやってと他所の同位体はぶつぶつとお説教を始めた。
政府関係者やよくない考えを持った審神者が残念ながら存在するのは事実だがこんな白昼堂々店内でやって退ける方が可笑しいだろう。それにたった数分、数十メートル離れていただけだ。
「はぁ?」
と声を落とし睨みを利かせれば
「まぁまぁ、僕の彼氏だ。何かあったら直ぐ飛んできてくれるさ」
則宗がうははと笑いながら長義の左腕を肘で小突いた。
「「はぁっ!?」」
その場に居た山姥切長義二振りが同時に声を上げ店に響いた。散らした筈の周囲の視線がまた弓兵の放たれた矢の如く突き刺さる。
「流石同位体だな。驚き方が同じだ」
(いや合ってるけど!)
他所の同位体が目を丸くさせ驚いている。そう珍しい事でもない。恋刀がいる山姥切長義もいるだろう。ただ相手が則宗であるのは珍しいかも知れないが。
「なぁどっちがいい?」
同位体二振りの間のぴりぴりとした空気を一掃させた則宗は手に持った水色をベースに苺の実や花の柄がプリントされたものと、ウィンドウ・ペン地にカップケーキがプリントされたものを交互に身体に合わせて見せる。
(何故こいつにも訊く・・・)
明らかに二振りに向けて言っている。そして選んだエプロンは可愛いだとか綺麗なものが好きな刀や審神者向けのデザインだ。則宗にそんな趣味は無い(筈である)
「それ“元”に戻ってもちゃんと着るの?」
「着るさ、僕は可愛いし♡」
「そう」
「っ失礼する!」
長義と則宗の親しいやりとりを見て漸く我に返ったのか他所の同位体が声を上げた。
「おお、じゃあな他所の山姥切」
「お前二度と則宗を一振りにするなよ」
最後に一言脅しに似た言い方で長義を一瞥し、マントを翻し踵を返し同位体は足音大きく去って行った。
「やっと行ったか、忙しい奴だ」
はぁと長義が溜息を吐き去った後ろ姿を眺めれば
「うはは♡やきもち焼いたか?」
と艶のある口角を上げ則宗が笑う。
「別に」
「ナンパされてたのに?」
「はぁ?山姥切長義(俺)がそんな事する訳ないだろ」
(おちょくるにしてももっとマシな嘘があるだろうが)
則宗ははぁつまらんと視線を手元のエプロンに移す。前髪に隠れた横顔からは真意は読めない。何時もの事だ。
「・・・・・」
今の則宗は女性体のバグが起きている。それを言い訳に同位体が言っていた様によくない考えを持つ人間に狙われるかもと言えば親切心を盾に何かしら声を掛けたかも知れない。蓋然的に狙われるかは置いておいてそれは親切心であってナンパだとは思いたくない。よっぽどこの後お茶するか連絡先でも訊かれない限り。これは則宗の行き過ぎた勘違い。そう思いたい。
腹の中のもやもや何時の間にか何処からともなく現れて唾を飲み込もうともそれは直ぐには収まらない。他者から下心で見られている事に気付いていながら無防備な振る舞いをしこちらを試す様な言い方に苛立ちを感じずにはいられない。
「決めた!これにするぞ♪」
長義の思いとは裏腹に則宗はご機嫌のままだ。
手に取ったのは花柄やフリルのついたものでもなく長義のマントの内側の色に似た紺青色のごくごくシンプルなエプロンだ。恋仲が周知されている中それは"いかにも"長義が自分を意識して選んで買い与えたものだと思われる。この後自分の物だと目印に刀紋を着ければ尚更だ。厨の者達や新選組の刀達に暖か~い目で見られる事請け合いである。まだ花柄やフリルが着いたものの方が(包丁の言う人妻に見えるかどうかは置いておいて)則宗がノリで選んだのだろうと思われてマシ?だ。
「ねぇほんとに・・」
迷子になりそうな子供の様な声を出してしまった自覚があるが足取り軽くレジの方へ向かう則宗を追いかける。
「何だ?」
則宗がくるりと振り向けば結った髪が同時に揺れ動く。
本当に連絡先等を訊かれたのか。それともエプロンについてか。どちらにしても揶揄われるのは目に見えている。
「やっぱりさっきの――」