ダイアモンドよりも 「ふぁ……」
スレッタから感嘆の息が漏れる。
扉を開けば、広々とした店内にジュエリーが陳列されたガラスケースが立ち並んでいるのが目に入った。光を浴びて眩いほどに煌めくそれらは、入り口付近にいてもしっかりと見て取れるほど。
「す、すごい! たくさん並んでます!」
「そうだね」
歓声を上げて青い目を輝かせるスレッタが微笑ましく、エランは僅かに口角を上げる。
休日、ショッピングがしたいという彼女のお願いに応えて私服を纏いモノレールに乗って中心街へとやってきた。何度かデートで来たことがある為馴染みのある場所になりつつあったが、普段であれば帰る時間になった頃スレッタは不意にエランの袖を引いた。
「どうしたの?」
歩き途中だった為、通行人の邪魔にならないよう通路の脇に避けて尋ねる。顔を覗き込めば真っ赤な顔で視線を彷徨わせていた。
「ジ、ジュエリーショップに、寄ってみたい、です……」
「いいよ」
ミオリネが指定してきた帰宅時間にはまだ余裕がある。なぜ唐突に言ってきたのか分からないが、特に断る理由もない。しかし一つ不思議な点があった。
「そんなに赤くなってるの、どうして?」
「は、入った事なくて……お、おお大人っぽい店ですし、緊張しすぎて恥ずかしくなってきちゃいまして……」
エアリアルのライブラリにある漫画で読んで以来、憧れの場所の一つらしい。行き慣れたことで心のゆとりが出て思い出したということだろう。
手持ちのタブレット端末に搭載されたマップで場所を確認する。
「すぐそこだから行ってみようよ」
「ははははい! 頑張りましゅ!」
意気込む余り盛大に噛んで痛みに顔をしかめる彼女の手を引いて、目的地へと向かった。
主に高級品を取り扱うそこは、品質の良さやカラットの大きさを控えめに、あるいは派手に主張するものばかりで、さして宝石に興味無いエランも思わず目を惹かれる美しさがあった。
「ほ、ほわ……すごく綺麗です……」
そんな輝かしい宝飾品よりも、食い入るように見つめてはしゃぐスレッタのほうがエランにはずっと好ましくて、頬が緩んでしまう。
じっくり見ては隣のケースに進み、中のジュエリーを凝視する。おもむろに歩を進めるスレッタが止まったのは、有名ブランドのダイアモンドの指輪だった。
「こ、これがプロポーズで渡す、あの……」
ごくりと喉を鳴らすスレッタの横で、エランもそっと覗き見る。正確にはその下の値札。一、二、三……と桁を数えて、学生から見ればあまりの高額に思考が停止した。
強化人士に給金の概念は無く、学生生活で使うお金は全て費用で賄われている。つまりエラン自身の所持金は0だ。
そこからスタートとなると、一体毎日いくら稼げば彼女に渡せるのだろう。そもそも自分には市民権がないからまともな職も難しいが、この顔の持ち主であるオリジナルのエランのものを借りれば何とかなるだろうか。非合法な手段も視野に入れれつつ、それでもどのくらいになるのかと呟きながら計算していると、スレッタがはっとこちらを振り返って目を見開いた。しまった、と言わんばかりに口も開いて驚愕の表情を形作る。
「エエエエランさん!! 欲しいとか、そういうわけじゃないので……!」
「そうなの? でもあげたら喜ぶと思って」
「そ、そうなんですけどそうじゃないです! こっちに来てください!」
なおも考えようとするエランの腕を引いてスレッタが向かおうとしたのは、店の入り口だった。
「まだ見終わってないよ」
「今度また来ます! とりあえず外でお話しさせてください…!!」
慌てた様子で引っ張る彼女に怪訝な顔をしながらも、大人しく着いていく。ずっと笑顔で見守っていた店員からの「ありがとうございました」という声は扉が閉まる音と共に掻き消えていった。
◇◇◇
よほど狼狽えたようで、1つ先の脇道に入ると道端で息を整え始めた。背を丸めて肩で呼吸するスレッタに申し訳ない気持ちで目を伏せる。
「僕が邪魔したみたいで。ごめん」
「そ、そうじゃないんです! むしろ私が悪くて!」
ぶんぶんと頭を横に振る。一つに結んだ髪が、動きにつられて左右に揺れた。
「アピールみたいになっちゃって……すみませんでした……」
「アピール? 何の?」
「も、ももももしもの話なんですけど、プロポーズされた時に、もらえたらなって……」
確かにその意図で思考していた。ダイアモンドは王道だし、付き合っている関係なのだからアピール関係なくあの場でああいう考えに至ってもおかしくない。
そう伝えても彼女は肩を竦めたままだった。
「私があの店に行きたかった理由は憧れの世界だったからであって、欲しかったわけじゃないんです。いや、欲しいんですけど、今すぐじゃなくて……」
決意したように顔を上げた。曇りのない青い目に気圧されて見入る。
「今は私との時間をください。もっとずっと一緒にいたいです。勉強したりご飯食べたりお話した り、何でもいいです」
強化人士やペイル社のことは機密事項に当たる為一切伝えていない。また、ペイル社がスレッタにつけ込む口実を与えるわけにはいかないので、明かすことはできない。それでも何かを感じ取っていたのだろうか。けれどそれを問い質すのは憚られて、押し黙ることしか出来ない。
スレッタはエランの手を取って祈るように握り、締める。
「どこにも行かないでください。──傍に、いてください」
「……うん。約束する」
力を込めて真剣に伝えたつもりだったが、不安は払拭されないようだった。エランの肩にぶつかるようにして頭を埋めると、背中に腕を回す。少しびっくりしながらも抱きしめ返して頭を撫でる。
「指切りする?」
「……私の我儘で、万が一にでもエランさんに針千本飲ませるわけにはいかないです」
「ならもっと言って。僕に叶えられる事なら何でも」
育てられてきた環境ゆえか、お互いに他人に甘える行為が苦手なのは薄々感じていた。相手に受け入れてもらえるはずがないと、心の底で諦めているからだ。交流を重ねて警戒心を少しずつとかすことが出来れば、自ずと口から出るようになる。
スレッタとの関係もやっとそうなりつつあるのかもしれない。だからこそここで壊したくはない。大切に育んでいきたい。
「──なら。手を繋いで、帰ってもいいですか」
「もちろん」
物足りなさげに体を離すと、エランの手を掴み手のひらを合わせて指を絡める。林檎のように赤面させながらも躊躇いはない。所謂恋人繋ぎと言うのだと知ったのはどの書籍だったか。
自分も頬が熱くなるのを感じながら、ゆっくりと握り返して歩き出す。駅に向かう中さり気なく体を寄せると、スレッタの体がびくりと跳ねた。数拍置いてかかる体重と伝わる体温に、心臓の鼓動が一段と早くなるのを感じる。
帰路に向かう人混みの中、二人だけの世界が確かにそこに在った。
<了>
20230227