ケレス家の長男は悩みを抱えていた。
特に強調しておきたいのは、最近の「休日の昼」の悩みについてだ。
部屋中のむせ返るようなカカオ豆の香り。「食べて」という言葉と共に拒否を許さない次男の圧と差し出されるトレー。そこに載せられたいくつものチョコレート。唯一の救いは、前日の次男の動きを見ていれば次の日に来るだろうと心構えが出来るぐらいか。
休日の起床時間が遅い長男にとって、それは毎度寝起きに直面する事態でもあった。
「カカオくせぇ……」
鼻が曲がりそうになるのを堪えて食卓につく。うんざりした表情を隠さないまま、緩慢な動きで一つつまんだ。
最初は全くチョコレートだとは思えない程毒々しくて歪な形をしていたが、段々と整えられてハート型やうさぎ型などファンシーなデザインを作り出すようになった。味も趣向を凝らし始め、ナッツ、オレンジピール、いちご等一口ごとに舌を楽しませる有様だ。初めて作ってから数週間とは思えない程レベルアップしている。それはいいのだが──。
「飽きるっつーの」
「そんなこと言ってるとモテないよ? 兄さん」
いつからいたのか、三男はにこやかに笑いながら数個掴んで口に放り込む。美味しそうに顔を綻ばせる様子に、よりげんなりした。
「ゆっくり過ごせる筈の休日が何日もカカオまみれになってみろ! 流石に嫌になるだろ」
「こんなに美味しいのに。勿体無いなあ」
言い合う兄弟を当の次男は一瞥すらせず、淡々とラッピングに取り掛かっている。どうやら完成したらしい。
「明日渡すのか」
「うん」
「すっかり一途になっちゃって。彼女の胃袋でも掴むつもり?」
おどけた三男の言葉に次男は手を止めた。眉根を寄せてじっと見つめ返す。
「僕は彼女のことをもっと知りたいだけだ。胃袋をどうこうする気はないよ」
「へえ〜〜?」
煽るように覗き込む三男から視線を外すと、ラッピングを終え、片付けに入った。がちゃがちゃと、皿の擦れる音がいつもより大きい。機嫌が悪くなっているのが実に分かりやすく表れていた。
かと言ってこれ以上言うとチョコレートまで取り上げられそうなので、間食用にサランラップに取り分けて懐に仕舞い込んだ。
夕方の誰もいない公園のベンチ。
次男──エランのバイト先兼スレッタの実家である居酒屋に帰る前に渡したいと言われこの公園に寄ったものの、寂しさを感じていた気持ちは、口に広がる甘さで一気に吹き飛んでしまった。
「んー! 美味しいです!」
赤いリボンの封を開ければ、色とりどりのチョコレート。可愛らしい造形や甘い味が多いのはスレッタに気を遣ったのだろうか。
ゆっくり味わいたいのに手が止まらなくて、頬張りながら次に食べるチョコレートを手に取って眺め回していると、くすりと笑う声がした。
「口に合ったみたいで良かった」
頬杖をついてスレッタを見つめたまま少しだけ目元を和ませる。幸せな気持ちがこちらまで伝わる、心奪われるような優しい表情に、嬉しいような恥ずかしいような不思議な感情がこみ上げてきて、ふにゃふにゃと相好を崩した。
「こんなに沢山くれるなんて、本当にありがとうございます」
「僕が作りたかっただけだから気にしないで」
感謝も素気無くかわされる。伝わっていないような気がして、もう一度口を開く。
「お母さんもお姉ちゃんも、仕事や学校で忙しいから中々デパートに行けないんですけど……きっとこういうチョコなんだろうなっていう夢の味が詰まってて。エランさんのチョコレートが今までで一番好きです!」
「僕の……?」
ぽかんと呆気にとられるエランに、自分がどれだけ恥ずかしいことを言ったのかようやく思い至る。
「どひゃあ……え、えええっとあの! 他の人にもあげたんですよね? どんなチョコレートをあげたんですか?」
「あげてないよ。君だけ」
こてんと首を傾げて答えられて、スレッタはいよいよ固まってしまった。
「私、だけ……?」
「うん」
「ということは。あの、その、ほ、ほほ、ほほほ本命──?」
「うん」
ひゅう、と息を吸い込む。
どれだけぽいぽい食べていたか、先程の自分がフラッシュバックした。頭を抱えたくなった。
「あああああの、返事は、こ、こ今度──」
「無理にしなくていいよ。僕は君の好きなものを知りたかっただけだから」
静かに諭す穏やかな声色に、スレッタは両手で抱えたチョコレートを胸に押し当てた。これだけの思いを、無下に扱っていいわけがない。
「……いいえ、ちゃんとお返事、させてください。時間はかかるかもしれませんが……」
「なら、待ってる」
真っ直ぐ射抜く強さで見返すペリドットの美しさに、はい、と頷くので精一杯だった。
「……それで?」
「僕がスレッタ・マーキュリーの弁当を作ることになった」
「なんでだよ!!」
数日後、事の次第を問い質せば何でもプロスペラに料理の上達を見込まれ、営業終了後に作るスレッタの明日の昼食の弁当を次男が担当することになったという。
「 『エランくんの料理のスピードも上がるし私も他の仕込みができるようになるし、助かるわぁ』ってところかな?」
「変な声真似するな気持ち悪い」
面白がる三男の高音の声真似を制すると、次男を見やる。心が弾むのを隠す様子もなく、うきうきと弁当向けのレシピ本を読みふけっていた。
結局意中の相手の胃袋を掴んだ次男への悩みの種が増えそうな未来しか見えず、長男は長い長いため息をついて俯いた。
<了>
20240214