私が人として生きていたのは二百年も前の時代だ。その頃はまだ電話などなくて、遠方の者とは手紙を通じて何日もかけてやりとりしていた。スマートフォンという薄い板を使って難なく連絡し合っている現代の者達を見るたび、魔法のようだと思う。どういう仕組みなんだ。あなたにもスマホを持っていただきたいのですが、まだ早いですかね。ドラルクはよくそう言っている。
住所を教え合ったわけではない。またお会いしましょう、とあの男は言ったが、連絡の手段がないのだからもう会うこともないのだろう。流浪の旅を経て一期一会に慣れきっていた私は期待などしていなかったのに、彼はまたカフェに顔を出した。いつもの席で語学書を広げる私に歩み寄ってくる。
「いつもここでお勉強してるんですか? お邪魔しても、いや、座っても?」
ハイ、ドウゾ。私にはそれしか言えなかった。またお会いできて嬉しいです、と言いたかったのに。
見せてくれますか、と言って、彼は私の初心者向け語学書を手に取り数ページぱらぱらとめくった。
「うーんさすがにルーマニア語はわからないミキよ。でもよかったら、お手伝いしますよ。日本語ネイティブと会話、いや日本の人とたくさん話をするのが、一番うまくなりやすい。」
ドラルクとノースディンも日本語は堪能だが、私に合わせて会話は基本的にルーマニア語だ。ロナルドも私の日本語学習に付き合ってくれるが、彼は彼で忙しいので同じビルに住んでいても顔を合わせる機会は案外少ない。三木の申し出は非常にありがたかった。だがどうして、カフェで偶然出会っただけの私にここまでしてくれるのだろう。訊ねようにも私にはまだそれだけの日本語の語彙がなかった。
三木は私のいるカフェを訪ねてきてくれることが多かったが、来ないこともあった。夜明け頃に私を訪ねてくるノースディンと同じだ。私は彼らを待って、来なければ今日はそういう日なのだろうと特に気を悪くするわけでもなく諦める。彼らにも事情や都合があるのだ。私ごときに連日付き合わせるのも申し訳ない。
私を吸血鬼にした張本人であるノースディンはともかく、たまたま出会っただけの三木はただの暇つぶしなのだろうと思っていたが、彼は彼で複数の仕事を掛け持ちしていて忙しいそうだ。私も働きたい、と伝えると、外国の方でも仕事なんていくらでもありますから今度紹介しましょうか?と言ってくれた。
何度もカフェで日本語学習書をあいだに挟んで会話をし、私の日本語も上達していくにつれ、三木のことを通りすがりの気まぐれな外国人ではなく友人と見なしていいのではないかと思い始めた。素直に嬉しくて、また夜更けに訪れたノースディンに三木の話をした。
新横浜で新たな友人と出会えたことを喜んでくれるかと思っていたのだが、ノースディンは何とも言いがたい複雑な表情で頭を抱えた。
「お前というやつは・・・・・・」
本当に大丈夫なのか? そいつ。お前だって今は竜の一族なんだ。お前が吸血鬼と知ってわざわざ距離を詰めてきているんだぞ? ノースディンは私の肩を強く掴んだ。