助けて、Dr.J!人は誰しも、お気に入りの店というものがあるんじゃないだろうか。
それは自分好みの料理を出す食べ物屋だったり、センスの良い服屋だったりと様々であろう。
もちろん俺にだってお気に入りの店の1つや2つはある。
ビートスクエアのピザワゴンや、俺好みのTシャツを売っている露店などなど。この街にはたくさんの良店で溢れている。
そして、最近出来たお気に入りの店がもう1つ。
『店』と形容していいかどうかは悩むが……商いをしている主人がそれはそれは素晴らしい対価を提供してくれるのだ。
店の名前は『Dr.Jの占い相談室』。
最近見つけた店の中でも1番のお気に入りであり、まさしく俺にとっての恋の駆け込み寺である。
まあ、店といっても居を構えているわけではなく、オンラインでの占い屋なのであるが、たとえインターネットを介してだったとしてもこの店の主人である占い師、Dr.Jはすごい。そりゃもうすごい。
なんてったってまったく光明が見えなかったはずの、俺の密やかな片思いを成就へと導いたのである。
彼……いや彼女?の言う通り、想い人にあれやこれやアプローチをしかけてみたところ、紆余曲折を経てようやっと恋人におさまることが出来た。
俺1人だったら成しえなかったかもしれないので、本当に恩人と呼ぶほかない。
そんな大占い師Dr.Jの占いだが、一時期は何度も何度も申し込み、かなりの頻度で給金を注ぎ込んでいたものだが、最大の悩みだった片思いが解消したことにより、最近はめっきり申し込みをすることもなくなった。
恩人と話すことも少なくなり、少しばかり寂しいような気もするが、Dr.Jの占いを欲している悩める子羊たちは多いだろうから、目下悩みなんて無くなった俺は、他の皆に譲るべきだろう。
そう、思っていた……はずなのだが……。
「た、助けてください……!」
グッと下唇を噛んで画面を見据えると、ヘッドフォンからかすかに息を飲んだ音が聞こえた。
言葉通り、久方ぶりに俺のPCには見慣れたWEBミーティングツールが開かれていた。
電波の届く先、液晶の向こう側には敬愛する天才占い師その人がいる、はずだ。
いかんせん画面には人の顔は映っておらず、デフォルトで設定されているであろう白と黒が混ざり合った、中国の陰陽のマークのみが映し出されているのみなので、相手の表情も見えないのであるが。
幸せ絶頂だったはずのStar soldierこと、この俺ルーク・サリバンが、どうしてこんなにも切羽詰まって再び『Dr.Jの占い相談室』の門をたたいたのか。理由は数日前にさかのぼる。
・・・・・・
・・・
・・
「……んだよ。ジロジロ見んなって」
自室のソファの上。
見慣れた味気ないそれに腰を下ろした恋人は、拗ねたように薄い唇をとがらせた。
俺と同じように日々ファイトや筋トレで鍛えており、そこらへんの男よりよほど逞しい身体をしているというのに、ひとたび俺の家で座るその姿は、まるで質の良い調度品かのように高貴な雰囲気を纏わせている……ような気がする。
付き合いたての浮かれポンチな脳内でそんなことを考えながら、目尻を下げて彼の肩を抱き寄せると、ムッとした顔をしながらも大人しく腕の中へおさまってくれる。
ようやっと手に入った美しい俺の恋人ことジェイミーは、ほんの少しだけ頬を赤らめながらも、ぽすんと背中を預けてくる。
少し前の俺たちだったら考えられないほどの甘い雰囲気に、ゆるゆると口元が上がっていく。
Dr.Jのアドバイスによって、なんとかかんとか中華街のトラブルバスターと恋人になれた俺は、今や幸せの最高潮だった。
最後は押しに押して、押しまくり、攻めの姿勢で迫りまくったため、恋人になった後に少々怒られたものの、結局は承諾してもらえたし、あれやこれやも許してもらえたので結果オーライなのである。
ジェイミーは俺と付き合ってからこっち、トラブルバスターを終えてからに限るが、たまにこうして家へと来てくれるようになった。
夕食を共にしたり、なんとはなしにテレビを見たり。
なんでもない毎日がジェイミーがいるだけで華やぐので、ここ最近は早く家に帰ろうと定時退社が板についてきたほどだ。
大きなトラブルもなく、俺たち2人のささやかな恋人生活は順風満帆。……だったのだ。そう、確かに。
ただ、その……そもそも俺たちは気が合うわけでも仲良しこよしの親友同士だったわけでもなくて、元々はライバルであり、喧嘩仲間であり。
だから……つまり、これはちょっと予想できていたわけで……。
「っあ~ったく!なんでそうなるんだよ!この分からずや!」
「ハァッ!?分からずやはお前の方だろうがよ!」
さっきまでの桃色を帯びた雰囲気は一気に霧散し、ガラスにヒビが入るかのごとく俺たちの間にピシリと亀裂が入ったのを感じた。
きっかけはなんだったか……俺のオンラインゲームの頻度を皮切りに、ジェイミーのトラブルバスターの仕事内容やらなんやらに飛び火して、最終的には、やれ女性にデレデレするなだとか、色目使うなだとかそういう話になっていて……。
気付けばお互い立ち上がって肩をいからせ、相手を睨みつけ合うという分かりやすい喧嘩の構図が出来上がったのだ。
つい何ヶ月か前まではこれがいつものことだったし、繰り返すが俺たちの関係は喧嘩仲間から始まっているので、今さら珍しくもなんともないのだが……付き合ってからこうして喧嘩という喧嘩をしたのは初めてだった。
ほんとだったらこれから2人でシャワーをあびて、少しくつろいで、それからベッドに移動して甘い時間を過ごして……とそこまで考えていたのだが、一瞬にして状況がひっくり返ってしまった。
ここで、一応2歳上という大人の余裕を見せて、俺から謝るだとか、冷静に話し合いを求めるだとか、そういう対応が出来ればよかったのだが……。
悲しいかな、たとえ恋人になったとはいえ、俺はコイツにだけはどうしても負けたくないという矜持だけはずっと残り続けていた。
たとえ恋人になっても、コイツが俺のライバルだということは変わらない。そのことがむしろ俺にとって確かな誇りでもあった、はずなのに……この状況においては全てが裏目に出ていたのであろう。
「……もういい帰る」
ギッと一睨みした麗しの恋人は、ズカズカと荒々しく玄関へ向かい、そのまま振り返ることもなく家を後にした。
出て行ってすぐは俺の頭も燃え上がっており、大きなため息と共にドスンとソファに座ったまま、しばしイラつきを抱えていたのだが、少し経って冷静になってくると、さっきまでの怒りがしゅるしゅるしぼんでいき、代わりに後悔がジワリとせり上がって来た。
……もしかして、言い過ぎたかも。
もうちょっとアイツの言い分も聞いて、話をするべきだったかもしれない。
俺の言い方もだいぶ、いやかなり横暴だったかもしれない。
アイツの言うことにも頷ける部分はあったかもしれないし、俺ももうちょっと譲歩するべきだったかも。
……まさか……俺のこと、嫌いになってたりして……。
そこまで考えて、サーッと血の気が引くのを感じた。
さっきまで怒りでカッカしていたというのに、すっかり俺の頭は焦りと不安でいっぱいになった。
Dr.Jの力を借りて、ようやっと付き合えたというのに、こんなことで別れることになったりしたら一生後悔する。
そう思うものの、ジェイミーが出て行ってから少し時間もたっていて、今さら連絡するのもはばかられたし、それにアイツの怒りもまだ持続しているかもしれない。
また明日、少し落ち着いた頃を見計らって連絡するか……。
そう思っていたのだが……そういう時に限って次の日は朝から緊急の仕事が入って携帯すらまともに開けず、そうするとまた更に連絡のタイミングが掴めず……。
そんなこんなでウジウジしている間に時は過ぎていき……1週間ほどたってしまって、今に至る。
なんとかジェイミーの機嫌を取りたい、けど万が一また彼の怒りを買って更に状況が悪くなったり、ましてや別れるなんてことだけは絶対に避けたい。
そんな悩みをここ最近ずっとぐるぐるさせて、ほとほと疲れ果てた俺が選らんだのがこの方法。
そう、何度も名前を出している敬愛する占い師、Dr.Jに助けを求めることだった。
恋に迷った時の駆け込み寺と化している『Dr.Jの占い相談室』は、やはり評判が良いようで、なかなか予約を取るのも難しかったが、PCに張り付いてにらめっこした結果なんとか予約をもぎ取ったのだ。
そんなこんなで話は冒頭へ戻る。
以前よくしていたように、画面に向かってことの顛末を話し、さてどうしたらいいか……とチラリと視線をPCに向けたのだが、常であれば冷静に、そして速やかに占いを始めてくれるはずのDr.Jが黙ったままなので、不思議に思って顔を上げた。
「……えっと……?何か変なことありましたか……?」
「……え、アッ、いえ……」
ヘッドフォンから、少しだけ焦ったような、慌てたようなDr,Jの声が鼓膜を揺らす。
前に相談した時は、あまり感情も伺えないような声色で淡々と適格に占いをしてくれたのだが、今日は疲れでもたまっているのか、相槌も打たず、質問もなく……ただ黙ってこちらの話を聞くのみだったので、内心疑問で首を傾げる。
「大丈夫ですか……?何か不都合なこととか……」
「あ、いえそういうわけでは……何も問題はありませんので。……スミマセン始めましょうか」
Dr.Jが軽く咳払いをするのが聞こえ、かすかにゴクリと唾を飲む音がした。
はて?と思うものの、このまま進めてくれるならそれに越したことはない、と頷いて姿勢を正す。
画面もオフ、声も合成音声なため、相手の性別や年齢すら知らないが、不思議とDr.Jには最初から信頼出来ると感じていたし、どこか落ち着けるような心地にさせられる。
そんな彼、いや彼女?が問題ないというのなら、そうなんだろうと一人心の中で納得させていると、Dr.Jは気合でも入れるかのように「ンンッ」と喉を鳴らす。
ああ、占いが始まるんだな、とグッと肩に力を入れた。
……が、いつも聞こえてくる占いの棒?をパシパシ弾く音は一向に聞こえてこない。
あれ?と今度こそ首を傾げて見せると、おもむろにDr.Jが話し始めた。
「……つまり、恋人と喧嘩してしまったけど、なんとか許してほしいと」
「……はい」
「言いすぎてしまったと反省していて、ずっとそのことについて悩んでいると」
「はい」
「……別れるつもりなど毛頭ないと」
「はい、それはもちろん!別れるのだけは避けたくて……だから、どうしたらアイツが許してくれるのか……教えてほしいんです」
「な、るほど……」
喧嘩をした時のあの日の怒ったジェイミーの顔が浮かんで来て、グッと唇を噛みしめると、しばし黙っていたDr.Jが何かを抑え込んだような声で、再び口を開いた。
「……お相手は、恐らく、もう怒ってません」
「え!?ほんとですか!」
「はい」
怒っていないという言葉に一気に身体の力が抜けて、ずるりと背中がPCチェアに沈み込む。
よかった。怒ってないんだ……。
「よかったです……」
「……相手も、言い過ぎたと反省しています。……おそらく」
「!そうでしたか!」
気高く、少々気まぐれで生意気な猫みたいなジェイミーが、あの日のことを反省しているとは!
予想外だった恋人の心境は思ったより嬉しくて、思わずゆるりと頬を緩めると、再び咳払いの声が聞こえてくるので慌てて顔を引き締める。
「じゃ、じゃあ仲直りも出来るってことですね!」
「えーっと……ハイ、おそらくは」
「よかった!」
安堵で胸を撫でおろした俺だったが、そこではた、と思い至る。
「……でも、アイツ素直じゃないんで……なんて言ったらすんなり仲直りできますかね?」
「す、素直……。ウッ……あー、えー……そうです、ねぇ……」
しばし逡巡するように沈黙していたDr.Jだったが、しばらくすると、何かを思いついたように「あ」と声を上げた。
「それなら、良い方法が」
「え!本当ですか!」
思わず身を乗り出すと、Dr.Jは少し迷っていたようだったが、しばらくして、そっと秘密を差し出すようにして話してくれた。
その内容に、少しだけ面食らった俺が「え?……それ、上手くいきます?」と声を上げると、力強く「はい、大丈夫です。絶対」と言われたため、口をつぐむ。
あのDr.Jがここまで言うなら……きっと確実なんだろう。
……けど、あのジェイミーがまさかこんな方法で、果たして素直になるだろうか……。
「この方法なら大丈夫ですから」
「はぁ……そうですか……」
いぶかしげに口をへの字に曲げる俺に、確かな強さを持った声が、背中を押してきた。
「はい。あなたの幸運を祈ってますね、 Star soldierさん」
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「ひ、久しぶりだな……」
「……おう」
Dr.Jとの占いの日から数日。
恐る恐る週末にジェイミーを再び家へ呼び出すと、案外すんなりと了承の返事がきた。
夕食をダシに誘い出したため、夕方も過ぎてすっかり外は真っ暗となった頃合い、ジェイミーは正に猫のようにするりと扉をくぐると勝手にソファへと座る。
ジェイミーがソファへ座っているところを見ると、この前盛大に喧嘩をしたことが思い出されて少しだけ胸がきしんだ。
それを振り払うように唇をとがらせた彼の元まで歩み寄り、そっと声をかける。
「……夕食、食べるか?」
「……そのために呼んだんだろ」
ボソリと返って来た言葉が拒否ではなかったことに安堵しつつ、「そ、そうだな」と答えて踵を返し、キッチンへと向かう。
実はジェイミーが来る前から仕込んでいた本日の夕食が入った鍋の蓋を開けるとふわりと良い匂いが鼻をくすぐる。
今日俺が腕によりをかけて作ったのは、いわゆるシチューである。
何の変哲もない、ただのシチュー。
野菜だとか肉だとかを一緒くたに鍋に入れて、調味料と併せてコトコト煮込んだだけの正に男料理だ。
なんでわざわざこれを?と思うかもしれないが、むしろ俺が作れる料理なんてこれくらいのもので、軍時代にとにかく腹を満たすために作っていた素朴な家庭料理だ。
いや、俺だって仲直りの印でこれを出すのはいかがなものかとは思う。
前に一度だけ、作りすぎたそれをタッパーに詰めて、無理やりジェイミーに押し付けたこともあるが、「大雑把な料理だなぁ!オイ」とか言いながら渋々受け取っていた記憶があるので、そこまで喜ばれたということもない。
なのになんでコレを、というとこれこそズバリDr.Jから勧められたとっておきの方法なのだ。
手作りの料理を、それにとりわけこのシチューを、というのが今回のアドバイスだった。
なぜ?というのが正直な感想だったのだが、コレでいけと言われたのだから仕方ない。
ムムムと唸りながらも、シチューを器によそい、両手に持ってリビングへ戻ると、ジェイミーがハッとこちらを見上げてくる。
内心緊張しながらもシチュー皿をテーブルへ置き、一緒に買っておいたパンと飲み物もいそいそ持ってくると、ジェイミーはその切れ長の瞳を少しだけ丸くしてシチューを見つめていた。
なんだコレか、と落胆でもされてやしないだろうか……と不安になりながらも、ジェイミーの隣に座ると、彼はおもむろにスプーンを手に取った。
そのままシチューをすくい、口に含み、嚥下する様を思わずじっと見つめていると、小さくジェイミーが息を吐いた。
ドキドキしながらそのまま横顔を眺めていると、やがてポツリと口を開く。
「……昔、コレお前にもらったことあるだろ」
「あ、ああ。まだこういう関係になる前にな……」
「お前に寄越されてから、持ち帰って家で食べたんだよ」
「おお……」
「そん時、なんか良いなって思ったんだよな」
「……?」
ジェイミーの言っていることがよく分からなくて、そのまま黙っていると、ふ、とその口元が笑みを浮かべるので、今度はこちらが目を見開く番だった。
「正直プロ並みに美味いってわけでもないし、ほんとに材料ぶち込んだだけのシチューだったけど」
「……悪かったな」
「……けど、お前が軍だった時、きっと毎日忙しくて、手が込んだ料理が作れなかったんだろうな、とか。親父さんから作り方教えてもらったんかな、とか。今も大鍋で作って、数日に分けて食うのかな、とかいろいろ考えた」
「……」
その言葉に、ハッと息を飲んだ。
……知らなかった。
ジェイミーが吐露する思い出に、びっくりするくらい何も言えずにいた。
噛みしめるように、独り言のように話すジェイミーは、シチューを見つめているようで、きっとその瞳には初めてシチューを食べたその日の情景が浮かんでいるんだろう。
そんな風に考えていてくれたなんて……。
ジェイミーの気持ちがくすぐったくて、愛おしくて、胸がぎゅっと締め付けられて、熱くて滑らかで、ふわふわした何かが少しずつ全身を満たしていくみたいだ。
「……そんな風に思ってたなんて、知らなかった」
「……そりゃ言わなかったからな。そん時は別に付き合ってなかったし、なんならオレはお前のことそういう意味で好きだったわけじゃなかったし」
そう言ってまた一口シチューを口に運ぶジェイミーの頬が、熱さのせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、ふわりと赤く染まっていくのがまるで酔っているみたいだ、と思った。
「でも今思えば、多分、あの時初めて、お前のこと愛しいって思った瞬間だったって気付いた」
「……ジェイミー」
「……反省、してるんだろ。ずっと悩んでたんだろ。……じゃあ、良い。許してやる」
ボソリと呟いた愛しい恋人を、思わず抱きしめた。
そのまま「ごめん」と囁くと、なだめるようにポンポンと肩が叩かれながら「オレもごめん」と返される。
溢れる激情のままシチューの味がする唇へ嚙みつくと、「おいメシ時だろ!」と文句が飛ぶが、これが照れ隠しだと分かっているから構わず腰を引き寄せる。
思った通り、大した抵抗もないまま大人しくソファに引き倒されるジェイミーに微笑みかけると、赤い顔で目を細めた彼の表情が、あまりにも美しくて胸が詰まった。
ああ、ジェイミー、俺のジェイミー。
やっぱり俺は、お前のことだけしか見えない。
「さて、仲直りといこうかジェイミー」
「……後でシチュー温め直せよ」
「OKマイハニー」
そうして甘い香りのする首筋に顔をうずめる俺は、相も変わらず最高の結果をもたらしてくれる、天才占い師に想いを馳せた。
ありがとうDr.J……次はなるべく、幸せな相談ができるように頑張るよ。
……あれ、そういえば、『ずっと仲直りしたくて悩んでた』って、ジェイミーに言ったっけ……?