交際を前提に結婚してください!ダイアモンド、というモノを知っているだろうか。
え?当たり前だろって?
いや分かってるよそんなことは……一応だろうが一応。
ダイアモンド。
炭素から構成される鉱物で、地球上で一番固いとも言われている。
ほとんどは宝石に加工され、アクセサリーなどに使われることが多い。
その輝きはいつの時代も男女問わず魅了し、時には呪いがかかっているだとか世界を征服するだとかいう、曰くつきのものまで存在するのだ。
そんなたくさんの人間を虜にするダイアモンドだが、このオレ様にはあまり縁がない。
そもそも宝石の類には正直興味があまりないし、派手で着飾ることを好んでいた母親はいろいろ集めていた気もするが、オレにとってはただの石とそう大差ない。
アクセサリーとかは別に嫌いじゃねぇけど、普段ファイトする時邪魔になったり落としたりするので、身に着けることがあったとしてもせいぜいピアスくらいである。
だから、そう、ダイアモンドなんていうのは、オレにとっては良くも悪くも、手にすることなんてない遠い世界の話であって……。
「ジェイミー」
鼓膜を揺らした声に、現実逃避していた思考がハッと引き戻される。
呆然としていたオレの目の前では、特徴的な澄んだ青の瞳がキラキラ輝いていた。
その疑いや不安など全くない表情に対して、今のオレの脳内はまるっきり対照的であると果たして誰が気付くだろうか。
オレの左手を取っていた手は、オレよりも一回り大きく、拳を握ることが多いからか固く、節くれだっていた。
その熱くて、ザラついた感触に、手先くらいちゃんとケアしろよなという文句が頭をよぎるが、さすがにそれを今口に出す勇気はない。
「なあ、ジェイミー」
うっとりした顔でオレの左手、正しくは左手の薬指を愛おしそうに撫でるルークは、本当にオレの知ってる脳筋ルーク・サリバンなのだろうか。
これは夢か?
ああ、そうか、そうだよな現実なわけないよな。うんうん。
……ああ、夢だったらどれだけ良かったことか。
多分この瞬間、"茫然自失"という言葉が世界で1番似合う男である、オレ様ことジェイミー・ショウの視線は、自らの左手でずっしりと重みを感じる輝きから離せないでいた。
効果音で表すなら、ぽかん、である。
オレの頭と網膜が正常ならば、これはまさしく、そう、恐らくこの世で最も有名な宝石だ。
ただ、よく見るようなこじんまりとしたソレではない。
……デカイ。あまりにも、デカイ。
なんだこれ、ちょっとしたナッツくらいあるんじゃねーか?
ナニコレ、オレ様がおかしいの?
あんぐりと開けた口を閉じる暇もなく、動揺のまま震え出したオレを、どうやら感動だと勘違いしたらしい我がライバルは、柔らかく微笑んで、あまりにもベタな一言を口にしたのだった。
それはオレにとって、絶望と死刑宣告にも似た言葉であった。
「オレと結婚してくれジェイミー」
__________
「まあ~~~なんて立派なの……」
「ホントホント!私、初めて見た~!」
2つの黄色い声が頭上を飛び交って、キャッキャッと楽しそうな笑い声が耳に響いて来るが、オレの頭は依然としてテーブルに突っ伏したままだった。
頭はテーブルに、右手はだらんと垂れ下がり、左手だけを2人の女性に掴まれているオレの恰好は、トラブルバスターとしてはなかなかにカッコ悪いだろうけど、今はそんなこと構っていられない。
春麗大姐とリーフェンの師弟ガールズは、オレの左手に鎮座する輝きにすっかり夢中だった。
綺麗、素敵、羨ましい!と声を上げている2人をよそに、オレの周囲にはどよんとした黒いオーラでも漂っているに違いない。
オレの頭を悩ませる元凶、それはガールズが夢中になっているソレ。そう、指輪だった。
しかもただの指輪じゃあない。
これが婚約指輪です!と図鑑にでも載ってそうなほど、完全無欠な婚約指輪だった。
今まで見たこともないくらい大きなダイアモンドが乗ったその指輪は、その宝石の大きさに比例してずっしりと重い。
……うん、重い。重いんだよ。いろんな意味で……。
「それで、ついにルークと結婚するの?おめでとう!」
きゃいきゃいとした女性の声とは違う、しっかり成人した男性の声で聞き捨てならない言葉が吐かれたので、勢いよくガバリと顔を上げる。
ムスッとした表情を作って見つめる先には、褐色の肌に鍛えられた体躯。オリエンタルな雰囲気を纏わせて笑うアラブの若、ラシードがいた。
昼下がりのメトロシティのカフェ。
4人掛けのテラス席には、オレ、春麗姉さん、リーフェン、そしてラシードという異色の組み合わせで集まっていた。
なぜこんな不思議な4人組でカフェなんかにいるかというと、理由は簡単で、オレが3人を呼び寄せたからだった。いや、正確に言えばリーフェンは勝手についてきただけだが……。
「んなわけねーだろッ!つーかそんなことお前もよく知ってんだろーが!」
「あははは!ごめんごめん」
豪快に笑いながらヒーヒー言っている友の姿に、思わずクソッと小さく悪態をついた。
しかし、オレのSOSを受けてわざわざナイシャールから駆けつけてくれた友人には感謝もしている。
何しろこんな相談、ラシードや春麗大姐(とリーフェン)以外にはどうしたって出来ない。
ことの発端は数日前。
いつも通りライバルとファイトをしてひと段落ついた時。夕暮れが輝くチャイナタウンの屋上で、ボロボロのルークが、同じくボロボロのオレに指輪を差し出してきたところから始まる。
そういえば、ファイト前、アイツは何かを大事そうにベンチに置いてから始めてたけど、てっきり鍵とかさ、そういう落としたら困るちょっとしたヤツだと思っていたのだ。
まさか、それがビロードの箱に包まれた、女性の憧れだと一体誰が予想できようか。
断られるなんて微塵も考えていない顔で、目の前に跪いたルークはうやうやしくオレの左手を取って、その大きなエンゲージリングをそっと薬指にはめてきたのだ。
対するオレは、あまりにも、そう、あまりにも驚いていたために何の反応も返すことが出来なかった。
なんで、とか、嘘だろ、とか。
言いたいことは山ほどあったのに、人間って自分の予想を遥かに超える事象に遭遇すると、何もできなくなるんだな。ウン。
そしてお決まりのプロポーズの言葉を囁いてきたルークは、夕陽の紅とくすんだ金髪が殊更映えていて、まるでドラマか映画の中の景色のようだったのを覚えている。
いや、これがさ、女性だったら諸手を上げて喜んだかもしれない。
なんなら、オレだって普通は逆の立場だけどさ、恋人とかにされたら喜びはする、かもしれない。
けど、オレ達の間に横たわる致命的な欠陥、もとい事実が全てを阻んできた。
そう、オレ達は付き合っていない。
恋人でもなんでもないのである。
「あら、どうして?ルークは少し子供っぽいところもあるけど、優しくて強い良い青年じゃない。結婚相手として申し分ない人だわ」
「そうそう!こーんな気合入った指輪を渡すくらいなんだから、相当愛されてるんだしぃ」
やっと左手を開放してくれたチャイナタウンガールズは、疑問半分、面白さ半分といった様子でつついてくるが、これみよがしに顔をしかめて見せたオレにとって、何の慰めにもならない。
「……意地が悪いぜ大姐……。オレたちが恋人でもなんでもないってことくらい分かってんだろ?」
「んふふ、そうね。そうなんだけど」
小さく笑いながら首を傾げる春麗大姐は、大層美しいが、今はオレの心を少しも晴れさせることは出来なかった。
「でもさぁ、無理もないんじゃない。普段から”あんなコト”言ってたんじゃさぁ」
横から口を挟んできたラシードの発言に、ウッと言葉を詰まらせる。
そう、実はどうしてこんなすれ違いが起こってしまったかというと、多少はオレにも責任があった。
これを理解してもらうには、まずオレとルークのそもそもの関係性と、周囲の認識から説明する必要がある。
まず、オレとルークは自他共に認めるライバル同士だ。
暇さえあればお互いファイトを繰り返し、戦績は五分五分といったところ。
毎日がファイトと喧嘩に溢れたこの街、いやこの世界ではオレたちの名前もそこそこ知れ渡っており、更に2人がライバル兼喧嘩友達であるということは言わずもがな、周知の事実だった。
と、ここまでは問題ない。オレだって文句のつけようがないくらい、まぎれもない本当の話である。
しかし、風向きが変わってきたのは果たしていつごろからだっただろうか。
一定の層から、「アイツら、付き合ってるんじゃね?」という疑惑がどこからともなく湧き出してきたのだ。
最初はポツポツとした噂程度だったのだが、あっという間にそれはUSA全土に広まっていき、オレたちのファイトの様子を収めた動画のコメントでは、「こいつら付き合ってるってほんと?」というワードが立ち並び、面白がった雑誌やテレビの記者たちによって、小さな特集が組まれるまでになっていた。
オレとしては、一体全体なんでそんな噂が出てきたのかさっぱり見当もつかなかったのだが、まあオレとルークが2人で一緒にいる時間が、他のファイターたちよりも明らかに多かったこともあり、これも有名税ってヤツなんかなぁなんて呑気に考えていた。
もちろんこの話は当事者の片割れであるところのルークも、当然のように知っている話だったので、なんでだろうなぁなんて話を2人でしながら、酒を飲むくらいだったのだ。
最初こそ、付き合っていないと否定を繰り返してきたオレたちだったが、それでもあまりにも聞かれるものだから、途中からめんどくさいプラス、少し面白くもなってきたので、ちょっとしたお遊びを始めた。
付き合っているのか?と聞かれる度に、ニヤリと笑って「おーおー付き合ってますけどぉ」と肯定しだしたのだ。
これが良くなかった。
初めは否定していたオレが突然一転、質問に肯定しだしたので、当初は記者や周囲の人間がざわめいていたが、明らかにふざけてます、と分かるような受け答えをしていたため、すぐに「なるほど、これはジェイミーの悪ふざけだな」と知られることとなったのだ。
そんなオレの悪ノリに、ルークもノることにしたのか、ある時からアイツも「ああ、ジェイミーとですか?付き合ってますよ」と返すようになってきた。
時には2人そろっている時に突撃してきた記者に対して「今デート中だから」とか「オレのダーリン」だなんてふざけて話すこともあって、オレらのバカげたふざけあいは瞬く間に周知の事実となった。
そうした中、周りからの認識としては、これがなんとも不思議なもので、否定していた時とは対照的に「ああ、あの二人が付き合ってるのは嘘で、ただふざけてるんだ」というのが暗黙の了解となる。
動画のコメント欄にも、「付き合っているの?」という疑問じゃなくて「お幸せに!(笑)」だとか「ラブラブで羨ましいねww」みたいなふざけたコメントが増えてきて、今となってはすっかりルークとジェイミーは付き合っている、というネタ、お遊びが全ファイターたちの認識になった。
……のはず、である。
うん、少なくともこのオレは、そう思っていた。んだけど……。
「でもよ……明らかにあんなん、おふざけだったろ!?皆そう思ってただろーが!」
「うん、まあ」
「そうね」
「仲いい友達なんだな~って思ってたけど」
ダンッとテーブルを軽く叩いたオレを見た3人は、苦笑交じりに肩をすくめている。
そう、これはあくまでおふざけだったのだ。
オレとルークはファイト以外にもメシに行くことだって、お互いの家に行くことだって何度もあったけれど、実際2人きりの時に愛を囁いたことなど一回もないし、身体の関係はおろか、キスすらしたこともない。
良い友達であり、ライバルであり、ファイト仲間。それがオレたちを表す全てだったのに……。
結婚しようだなんてまさか、寝耳に水の出来事だったのである。
最初はもちろんこれも冗談かと思っていたが、さすがにルークがふざけているか真剣かなんて聞かなくても分かったし、わざわざ本物の指輪まで用意はしないだろう。
「それならさーあ、なんでその気がないのに指輪外さないの?」
「あ、確かに!外せばいいじゃん!もしかしてやっぱり~?」
ニヤニヤとするリーフェンの言葉にとんでもないとブンブン頭を振って否定する。
「アイツにぜったいに外すなってしつこいくらいクギ刺されてんだよ!それに……こんなバカ高いモン、家に置いとけるわけねーだろ!?」
そう、この指輪、どう見積もっても、給料3か月分とかそういう次元ではない。
そこまで宝石に詳しくないオレだが、ここまでのカラットのダイアモンドが気軽にポンと買えるような代物ではないことくらい分かっていた。
多分そのへんのサラリーマンの年収……いやそれ以上かもしれない。
ルークは軍にいた経歴や、バックラー社のエースファイターということもあって、その実かなり稼いでいる。
普段はそこまで物欲もないタイプのため、そういった素振りすら見せないが、恐らく彼の貯金は大方の予想を遥かに超えて、貯まりに貯まっていたことが予想された。
……と、いうことはだ。もしかしてこの指輪って……。
果たしてオレの指の上できらめくコイツがいくらするのか考えるだけで身震いがする。
「まあそこまで大きなダイアモンドなら、安くはないでしょうね」
「うんそうだねぇ、ルークかなり気合入れたんじゃない?相当良いモノだもんね」
大姐とラシードがうんうん頷いているのを横目に、おおきなため息を吐いた。
分かっていたことだけれど、良い所のおぼっちゃんでオレなんかより遥かに審美眼もあるラシードから改めて言われるとドッと重苦しい何かが両肩にのしかかってくるようだ。
「そんで、どーすんのジェイミー」
「そうね。その気がないなら早めに言ってあげた方が彼のためだわ」
女性2人から詰められて、思わず、うぐっとツバを飲み込んだ。
分かってるさ、ちゃんと本人に言う以外、解決法なんてないことくらい。
けど……けどよぉ!こーんな気合入った指輪渡してきてプロポーズされておいて、今さらそんなつもりありませんでした~なんて、さすがのオレ様にだって簡単には言えない。
てかそもそもアイツ、なんで、こんな!大事なことを!なんの前触れもなく!
……あ~マジで分かんねぇ!
「まあジェイミー、そう落ち込まないでよ。ルークなら分かってくれるって!大丈夫!」
ニカッと笑ったオレとルークの共通の友人であるラシードの笑顔は、今日はなんだか目に染みた。
ああ、ホント、なんでこんなことになっちゃったんだろうな。
_____
「あら、ジェイミー。噂のカレとは順調かしら?」
「ングッ!」
突然降って来たタイムリーな話題に、あやうく口に含んでいた水を吹き出すところだった。
チャイナタウンの一角。
黄巾族とのファイト後、ベンチで休憩がてら水を飲んでいたところ、この近くのバーで働くおかみさんに声をかけられた。
おかみさん、いうか、正しくはママ、だろうか。
オレなんかより幾分か年上のはずなのに、いつだって綺麗で艶っぽい彼女は、どこか自身の母を連想させられて、人知れずそれなりに気を許していたりもした。
先ほど言われた”噂のカレ”とは、言わずもがな、目下俺の悩みの種である脳筋くんのことである。
彼女も、もちろん有名すぎるオレたち2人の奇妙なお遊びはよく知っていて、時たまふざけて声をかけてくるのだ。
いつもだったら、それに「あったりまえだろぉ~?ダーリンはこのジェイミー様にベタ惚れなんだからな~」とふざけ100%で返していたのだが……。
今日はとてもじゃないがそんなこと言える気分でもなくて、代わりにじとっとおかみさんを見上げるのみである。
そんなオレの様子に、おや、と目を丸くしたおかみさんはそのサラサラで長い髪を揺らして首を傾げて見せた。
「ん?珍しいわね。何かあったの?」
「ん、いや別にそういうわけでもないけど……ちょっとな……」
まさか友達からプロポーズされて困ってますとは言えず、ムスッとした顔で水を飲み続けるオレを心配そうに見つめるおかみさんに、とりあえず話題を変えるか……と口を開きかけた時だった。
「あ!いた!ジェイミー!」
軽やかに響いた声に、ビクッ!と思わず肩が跳ねる。
ギギギと音が出そうなくらいゆっくりと、声のした方に顔を向けると、チャイナタウンの夜特有の明かりに照らされて、満面の笑みのダーリン……もといルークが走り寄ってくるのが見える。
「あら、噂をすればじゃない。ハァイ、ルーク」
「あ、どもっす!」
ニコニコ笑顔で駆け寄って来る脳筋くんは、おかみさんの挨拶に爽やかに返すと、オレを見て薄らと頬を染めながら微笑んだ。
……やめろ!その愛しくてたまりませんって目をやめろ……ッ!
「な、なんだよルーク。今日なんか約束してたっけか……」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ、コレ、お前にも見て欲しくて」
照れくさそうにしながら、ルークがポケットから取り出したのは……何かのカタログか?これは。
見たところ、家具のカタログみたいだ。
ん?と首を傾げるオレの目の前でパラパラ開いたルークは、付箋が貼ってあるページをこちらに見せてくる。
「ホラ、俺んちのベッド買い換えようと思って。これからはお前も寝ることになるんだし、意見聞いておこうかなってさ」
「ブーーーーッ!!!」
ルークの言葉に、ついに口から水を吹き出したオレを、誰が咎められよう。
やっべ……!衝撃で水が変なところ入っちまった……!
そのままゲホゲホ咳き込むオレに、驚いたルークが背中をさすってくれるが、今はその優しさがまるっきり逆効果であるとコイツは知らない。
生理的な涙を浮かべながら、バッとおかみさんを見上げると、おかみさんは面白いくらいに”鳩が豆鉄砲を食ったよう”を体現したような顔をしていた。
「え、……っと……?ジェ、ジェイミー……?あなたたち、もしかして……」
「イヤイヤイヤイヤ!ちょ、ちょっと待って!」
ヤバイ!あらぬ誤解を受ける!と、慌てて両手をぶんぶん顔の前で振って見せたが、おかみさんの困惑した視線がオレの左手の輝きに目を止めて、「えっ!」と声を上げる。
ああああああ!まずったぁーーー!!
「いや、違う!これは、そういうんじゃなくて!」
「ジェイミー、ルーク、あなたたち……やっぱりそういう関係だったの……」
「いや待って!」
口に手を当てて感動しているおかみさんに、なんとか弁明しようとするが、隣のルークが照れながら「まいったなぁ~」とか言ってニヘニヘ笑っているから、全然まったく説得力がない。
いやなんてタイミングだよ!チクショウ!
「ゴォラ!ルーク!」
「ん?」
ラチがあかないため、元凶であるルークに向かって声を上げると、当のルークはなんで怒られているのかわかりませんって顔できょとんとしている。
とにかくなんとかしなくては、とルークの胸倉を掴もうと立ち上がった時だった。
こういう時、悪いことっていうのは続くもんなんだな……。
「あ、いたいた!サリバンさん!ショウさん!」
「ゲェッ!!」
バッと振り返ると、新たな来訪者がゾロゾロとオレたちに近づいてきているのが見えた。
過去何回か受けたこともある、ファイターマガジンの雑誌記者のチームである。
オレもルークもそこそこ名の通ったファイターであり、割とインタビューにも応じることが多く、何よりあのお遊びが読者ウケが良いそうで、時たまこうしてインタビューや写真撮影のためにやってくるのだ。
しかし、しかし今日だけは、絶対に来てほしくなかったのが本音である。
「お2人がこちらにいると伺いまして!今日も取材しても良いですか?」
「え、あ、きょ、今日はちょっと……」
「良いっすよ!」
快活にサムズアップするルークを思わずギロリと睨みつけた。
こ、このやろぉお!
「ルーク!この、バカッ!」
「え、なんでだよ良いじゃん」
ルークは呑気に首を傾げているが、オレにとっては大問題である。
ここで変なことでも言おうものならきっと……ウッ……!めまいが……!
「何怒ってんだよハニー?」
いつものふざけ口上でニヤリと返したルークは、その服を掴み上げようとしたオレの左手をあっさりと捉えてみせた。
その一言が今世紀最大の悪手だということに、アホ脳筋くんは気付いていない。
手を振りほどこうにも、単純な握力ではコイツに勝てるわけもなく、ただ睨みつけるしかないオレとルークを見て、はじめは「相変わらずですね~」とニコニコしていた記者たちが、ある一点に目を止めて、ピタリと動きを止める。
その視線がじーっとオレと、そのライバルの左手薬指を見ているのに気付いてハッとする。
まずい!恐れていたことが……!
っつーか、お前もしっかり左手にオソロの指輪してんのかよ!
まあ、普通のカップルならそうなのかもしんないけどさあ!!
「え、嘘でしょ……2人とも実は本当に……!?」
「あ、ハハハッ!バレちゃいましたか?」
ぷるぷる震えながらこっちを見る数人の記者たちに反論する暇もなく、ルークはさも嬉しそうにオレの肩をぎゅっと抱くと、お決まりのポーズで、左手の指輪を見せつけるように、皆の目の前に掲げて見せた。
そしてそれだけでは飽き足らず、呆気にとられるオレの左手を取って、自らと同じように掲げる。
明らかにお揃い、しかもドデカイダイアモンド。
これが大人じゃなくてティーンの学生だってどういうことか分かるだろう。
……オレにとっては最悪なことに。
「ええええええ!!そ、そうだったんですね!結婚おめでとうございますッ!!」
「わー!ビッグカップル誕生!あ、もしかしてずっと前から付き合ってたってことですかね?素敵です!ぜひぜひ結婚式は生中継してほしいです」
「ハハハ!いやぁまだ結婚式とかは決めてなかったんですけど……確かに生中継いいですね!そうすれば、コイツの故郷のおばあや兄貴たちにも見てもらえるし」
はははとほがらかに笑い合う記者たちとルークを前に、オレの頭はついに思考停止していた。
ナニ、エ、ケッコンシキ???
ど、どういうコト……??
あまりの展開にショートをおこしたオレの脳内は、完全に動きを止めていた。
なんかもう取返しのつかないことになっているような気が……。
ああ、おばあ、ユン哥、ヤン哥、ゴメン……。
「ジェイミー……?」
心配そうな声と共に、おかみさんから肩をポンと叩かれて、ハッと現実に引き戻される。
もうこれ以上どうしようも出来ない気もするが、とにかく今はここを離れることが先決だろう。
「ちょ、ちょっと来い!ルーク」
「え」
ぐいっとその太い腕を思い切り引っ張って、驚く記者たちやおかみさんを振り切ると、ルークを引きずって皆から姿を隠すように路地裏へと走りこんだ。
周囲に人気がないことを確認し、さてどこから問い詰めてやろうかと、困惑しつつも大人しくついてきたルークをバッと振り返る。
今度こそ胸倉を掴み上げてギッと睨みつけ、さあ、ありったけの怒りを……。
「ジェイミー」
オレの口が悪態をつく前に、ルークの大きな手のひらがそっと胸倉を掴む手をすくいあげた。
ぎゅっとオレの手を握りしめた我がライバルは、先ほどまでの快活な笑顔はどこへやら、その凛々しい眉をへにゃりと下げて、申し訳なさそうに、こちらを見つめている。
「ゴメン、ジェイミー……勝手に皆に言っちゃって」
「え、あ、お、おう……」
「俺、つい嬉しくなっちゃって……ジェイミーの気持ちも考えずに……ホント、最低だよな……」
シュン……と叱られた子犬さながらに落ち込むルークに、オレの中で燃え上がっていた怒りがしゅるしゅるとしぼんでいくのが分かった。
いや怒ってはいる。
何を勝手に!と思うし、そもそもコイツにはオレたちの関係についてキッチリ話をしなくてはならないのだ。
分かってはいるのだが……懇願するようにこちらをチラチラ伺うルークの姿は、オレの中の何かの琴線にピタリとハマっていた。
……オレは元来、誰かにお願いをされたり、頼まれたりするのに滅法弱いのである。
「……いや、まあ、反省してんなら、良いケド……」
結局、オレの口は不満や怒りを吐き出すことはなくて、何やら曖昧なことを喋り出した。
なんでだよオイ!これじゃあ、まるっきりバカはオレの方だ。
「ああ、ジェイミー!さすが俺のスイート!」
先ほどまで悲しげだった顔を感激の表情に染め上げたルークは、ぎゅっとそのままオレを抱きしめてくる。
初めてのライバルからのハグに、驚きで固まっていると、ルークはおもむろにコツンとオレの額に自らの額を合わせる。
そして、本当に大事なモノを差し出すようにそっと囁いたのだ。
「……好きだよジェイミー。お前と結婚したら、毎日美味しいもの食わせてやって必ず大事にする。もちろんファイトも欠かさずに」
ふわりと金髪が視界をかすめ、ちゅっ、と頬にキスをされる。
その瞬間、まるでガーン!と金槌で殴られたような衝撃がオレを襲った。
心臓がドクドクとうるさいくらいに鳴っているし、まるで沸騰しているかのように頭が回らなくなってしまった。
なんだ、なんだよコレ……!
こんな感覚知らねえ!今まで一度も、誰かにこんな感情を持ったことなんてない……!
まるで未知の体験に、全身が雷を受けたように痺れている。
まさか、いや、ウソ。そんなわけ……!
「なあ、ジェイミー。今日、ウチ来るだろ?ベッド、決めなくちゃだし」
にっこりと愛おし気に笑ったルーク、改めオレの婚約者は、握ったままだったオレの手に再びぎゅっと力を込める。
そんな幸せそうにゆらゆら揺れる青い瞳を眺めていると、やっぱり頭が上手く回らなくなって……。
気付けば不思議な力に操られるかのように、コクンと頷いていたのだった。
ああ、おばあ、大哥たち……。
近い将来、テレビでオレが写るかもしれねーけど、どうか腰を抜かしませんように……。
______
『ふうん。じゃあ万事上手くいったってことでオーケー?』
「ああ、ありがとうな」
電話越しに呆れたような声を響かせる友人の声に、御礼を言ってうっそりと微笑んだ。
今日、俺は本当に欲しいものを手に入れたのだ。
軍の兵士だった時代から、出来ることはなんでもやるが俺のモットーである。
大事な大事なソレ、いや彼、は最初は戸惑っていたようだけど、今は奥の寝室で穏やかに眠っている。
やっと、名実ともに俺のものになったのだ。
『いや~、それにしてもさぁ、まさか本当に上手くいくなんてね……。怖いくらいだよ』
「ははは、人聞き悪いなぁ」
『なんか友達を騙していたみたいでちょっと罪悪感』
ふぅと声をため息を吐くラシードは、奥で眠る彼から相談を受けた時、全ては俺の考えた作戦だと気づいたようで、すぐさま電話をかけてきたのだ。
そして、ラシードの考え通り、これは俺の婚約者、もといジェイミーを手に入れるための道のりなんだと説明すると、彼は呆れたみたいだったけど、俺のために一応は黙っていてくれたみたいだった。
ジェイミーはモテる。
なにせ彼ほどセクシーでクールで、スパイシーな人間なんてこの世にはいないのだ。
俺にとって彼はライバルであり、ファイター仲間であり、そしてどうしようもなく焦がれる相手だった。
彼と一緒にいたい。ファイトも、それ以外も、ジェイミーが感じる喜びも悲しみも、全て共有したいのだ。
ただ、そんな彼とずっと一緒にいるためには、並々ならぬ努力が必要だということも理解していた。
彼は基本誰にでも優しいけど、だからこそ彼の唯一になるのは至難の業なのである。
ただの喧嘩仲間から、愛を囁く関係になるためには、そう、外堀を埋めることから始めるのが勝ちだ。
軍の時もそうだった。目標があるのであれば、周りから攻めていく。
そうして獲物が気付いた時にはもう戻れないところまで来ている。
だからこそ、ジェイミーが例のお遊びを始めたのはオレにとって僥倖以外の何者でもなかった。
その時だ。アイツを手に入れるためにどうするべきか考えついたのは。
その一環として、付き合ってる噂も流したし、ファイターマガジンの記者にも連絡した。
そうすれば、きっと瞬く間に俺たちの結婚スクープが取り沙汰され、世間に広く知られることになるだろうと予測して。
恐らく、そうなった後は、いくらジェイミーが弁明したとしても全ては後の祭りになるだろう。
指輪を買ったのはもちろん作戦のためだけど、半分以上は純粋な愛情からだ。
零れ落ちそうなほど大きなダイアモンドは、ジェイミーの指にこそふさわしいと思えた。
お金なんて、彼のためなら惜しくも何ともなかった。
まあ、一目で高価なものだと分かれば、優しくて意外と慎重な彼は、つっ返すことも出来ないと分かっていたというのもある。
普段から絶対につけていろって言ったのは、単純にいろんな人の目に留まらせたいということもあったし、コイツは俺のものだと示す目的もあった。
胸の内にくすぶる独占欲は、俺の心をいつだって熱く燃え上がらせる。
ああ、ジェイミー……やっとだ。
『それでルーク。これからどうするの?』
「どうするって?」
『ジェイミーだよ。このまま結婚するつもり?』
「もちろんさ」
『そっかぁ。まあ2人が幸せならいいけど……オレの大事な友達を悲しませないでね』
「分かってるさラシード」
おやすみ、と伝えて電話を切る。
訪れた静寂と共に、じわじわと幸せで胸がいっぱいになる。
ふと左手を持ち上げると、キラリと光る愛の証。
これと同じものが、ジェイミーの指にもあると思うと、感動もひとしおだった。
溢れる想いのままに、ダイアモンドに口づけを落とす。
大事にするさ、当たり前だろ?
だって、やっと手に入れたんだから。後悔はさせないさ。
寝室から微かに愛しのハニーの寝言が聞こえたので、すくっと立ち上がる。
向かう先は、もちろん俺の大事な宝物が眠るベッドへと。