「新しい主様も、もう1人の主様を目覚めさせたいんですよね?」
身支度をするわたしに、ムーが問い掛けた。『主様も』と言うからには、ムーは執事全員がそう思ってると言いたいのだろう。誰も諦めてはいないと信じているのだ。
「そう言われればそうだけど……、わたしにできるとは思えないかな…………。
――ネックレス、どっち?」
「こっちの丸い飾り、昨日味見させてもらったチョコレートに似ていて美味しそうです!」
「じゃあこっち」
大振りな天然石のチョーカーを着けて、鏡の前に立つ。その間に、ムーが二本足で立ち上がった。
「主様なら、きっとできますよ! 主様には、執事さんたちの悪魔化を食い止めた凄い力があるんですから!」
そう力説するムーの大きな瞳は、期待に満ちた光できらきら輝いていて、眩しい。溜め息が出てしまいそうだった。
「それはわたしじゃなくて、眠ってる方の主様でしょ? ……もしかしたらわたしには、同じことだってできないかもしれない」
「うっ、それはそうですけど……、主様だって、執事さんたちの力を解放することができてるじゃないですか! きっと同じ力を持っています!」
やっぱりそうなんだ。ムーから見ても不安なんだ…………。
そろそろ気が付いて来た。ムーはわたしを励まそうとしているのでも、けしかけようとしているのでもなくて、ただムー自身が安心したくてわたしに縋っているのだ。デビルズパレスの、主様に。
「……仮にそうだったとして、その力でもう1人の主様もどうにかできるとは限らないでしょ? 第一、何をどうやったらその特別な力が使えるのか、分からないんだし。
シューズ選ぶから、ちょっと退いて」
甲高い声にさんざ捲し立てられて、腹立ち紛れに喋ってしまった。自分の声の余韻が耳にこびり付いていて、やっと後悔した。
ムーが今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ですが……、このままじゃ、アモンさんがかわいそうです…………!」
「それは……」
『もう1人の主様が』ではないのか。
わたしが言い淀んだのを納得したと受け取ったのか、ムーは泣き寸だった顔を明るく綻ばせた。
「そうです……! 僕、お手伝いします! だから1人じゃできないことも、きっとできるようになります! 僕たちにしかできないことがきっとあるはずです!」
主様! と嬉しそうに肉球を掲げるムー。握手かハイタッチのつもりなんだろうか。
正直なところ、同意も共感もし難かった。けれど無下にすることもできなくて、わたしは形だけ、その柔らかい手を取った。
本当はもう何十回も試していた。アモンくんとベリアンの立会う中で。もう1人の主様と共に悪魔化を食い止めたという、ロノやフェネス、ボスキの教示を受けながら、もう1人の主様の身体に触れたり、直接呼び掛けたりした。手を握ったり額を合わせてみたりもした。けれど少しも反応はなかった。『心の中に入る』のだと言われたけど、それがどういうことなのかさえ、わたしにはさっぱり分からなかった。
それらの試みが失敗する度、皆の期待が萎えて失望に変わっていくのが分かった。わたしでは力不足だったんじゃないかと、自分自身を疑わしく思った。貴方でなければならなかったのではないか、と、劣等感と疎外感を覚えた。
わたしにできることって、なんだろう。