独白

　死体。
　ラトさんの言葉が頭の中でぐるぐる渦を巻く。
　死体。死、死者。尊厳。
「……主様は、オレの主様は…………っ」
　薔薇の香りに包まれていてもどうにも落ち着かなくて、蹲り、頭を抱えた。
　それは死体なんかじゃない。主様そのものだ。今に目覚めて、元通りの生活に戻るんだ。
　そうだ。ラトさんが『死体のよう』だなんて本当に思ってたのなら、あんな風に挨拶なんかしないはずだ。ラトさんの考えてることはよく分からないけど、直感と言うよりもきっと不安の表れだとか、そういう本人や周りの皆から受けた感情が言葉になっただけのことだろう。
　それは死体じゃない。主様は生きている。呼吸しているし心臓も動いてる。単に眠っているだけ。

　ただ、オレが主様を守れなかったということだけが事実だ。



西の大地のとある説話

　ある村に、長く雨の降らない日が続いていました。村の溜め池は枯れ、村を流れる川が枯れ、井戸もひとつ残らず枯れてしまいました。
　そこで村の若者たちは大きな瓶を背負って、水を求めて干上がった川を遡る旅に出ました。
　村から出て半日ほど歩いたところ、川は草木生い茂る山の中へと繋がっていましたが、辺りに水源を思わせる瑞々しい緑色は見当たりません。若者たちは考えました。「もっと奥へ入れば、きっとこの森を形作った水源に出会えるだろう」と、枯れ草や枯れ枝の合間をずんずん分け入ることにしました。半刻ほど進んだ頃、段々景色に生気のある植物が増えていき、遂に透き通った水を湛える大きな泉を見付けることができました。周りが崖のようになっていることから、ここも随分嵩が減ってしまったようですが、小さな村の住人たちがひと月生活するために汲み上げるくらいは何でもない量に見えます。
　若者たちは早速力を合わせて水を汲もうとしました。しかしそのとき、空から光の槍が降り注ぎ、彼らに次々突き刺さりました。村の物見台から彼の方角を眺めていた見張り番が不自然に炸裂する光を見て駆け付けましたが、泉のあった場所からは、半端に水の入った瓶と気を失ったひとりの村娘だけを残して、泉も他の若者たちも消え去っていたのでした。
　衛兵は項垂れながらも娘を背負って村へ帰り、荷馬車を引いて大きな軽い瓶を持ち帰りました。
　娘の父親と母親はひどく驚き嘆き悲しみましたが、意識がなくとも娘が帰ってきたことを喜び、涙をながして衛兵に感謝しました。
　さて、この娘は村一番の器量良しだと評判でした。その噂は村の境を超えるほどで、一連の事件の話もまた、村を超えて広がっていきました。
　悲惨な事件から間もなくして、隣村のある若者が大きな水瓶を背負って村を訪ねて来ました。同じ年頃の相手がいなくなった娘に結婚を申し込もうと考えたのです。若者は、悲しみに暮れて求婚の返事はおろか仕事も手に付かない娘の両親を慰め、仕事を手伝ったり食事の支度を代わってやったりしました。
　ところが、同じことを考えたのは彼一人ではありませんでした。「美しい娘が、素晴らしい結婚相手を待って眠っている」などという噂を聞き付けて、近隣の若者たちが続々とこの村へやって来たのです。彼らは競って透き通った綺麗な湧き水を大きな瓶や樽で運んで来るので、村の井戸は今までにないほど清浄な水で満たされるようになりました。
　村に水が戻ると、若い旅人たちはそれぞれご馳走やら、花束やら、宝飾品やらドレスやらを娘への贈り物として持って来るようになり、娘の眠る家は今までにないほど裕福になりました。それこそ歴代のご先祖さまより、この村の村長より、村の畑の大地主よりもずっと贅沢な暮らしができるようになったのでした。
　それでも娘は相変わらず眠ったままなので、両親たちの気が晴れることはありませんでした。「ただいま」を言うこともできなくなった娘を、誰に譲る気にもならなかったのでした。