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    morenyquil

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    清牧log
    大学二年生の清田(20)と四年生の牧(22)が海南バスケ部OB会で再会する話。
    清田が始終メソメソしていて、牧はわりとマイペースに生きています。
    ※※※
    進路等についてはすべて捏造ですのでご承知おき下さい。また、作中に未成年飲酒や他者に飲酒を無理強いするような描写がありますがあくまでフィクションであることを申し添えます。

    #SD腐
    #清牧

    清牧log(なんでいるんだよ!!?)
     清田は喚き散らしたくなるのをぐっと堪えて飲み込んだ。後ろ姿だけでもわかるに決まってる。
     あの背中に憧れてずっと追いかけてきたのだから見間違えるはずなんてない。
     世界でいちばん顔を合わせたくない人がほんの数メートル先でグラスを片手に元チームメイトらと談笑している。神様仏様に誓って断じて彼のことを嫌っているわけではない。ただ単に気まずいので勝手に自分が会いたくないってだけだ。
     かつての自分ならばここで人目を憚ることなく大声をあげて逃げ出していただろうが、清田はすでに二十歳の誕生日を迎えているし年が明ければ地元の成人式にも参加する。
     つまり立派なオトナなのだ。スマートかつ優雅に立ち回らなくてはならない。
     『海南大付属高校バスケットボール部OB会』のえらく達筆な立て札が掲げられた座敷の奥の方でニコニコしながら手を振っている幹事の一人である神は電話ではこの酒の席にあの人が来るだなんて言っていやしなかったはずだ。
     自分でわざわざ『牧さんって〜・・・』だなんてクソダサい確認をとったワケでは無いがきっと気を回して牧がいないから今回、自分を誘ってきたはずだと勝手に思い込んでいたが現実はそう甘くはなかった。
     甘酸っぱいには程遠い、苦くて渋い記憶がフラッシュバックする。

     ─────最初は純粋な憧れだった。

     ─────いちばん大好きな先輩だった。

     でっかくて、眩しくて、バスケがめちゃくちゃ上手くて、ただひたすらにカッコよくて。
     一目惚れと言っても過言では無い。中学生のときに見た彼のバスケに目を奪われたのだ。
     自分は他人より運動神経はいい方で、バスケだって小学生の頃からミニバスのクラブチームに入って色んなリーグで勝ち続けてきた。中学もバスケ部に入部してからすぐにレギュラーになったし、当然のごとく自分はバスケが地元でいちばん強い高校に行くものだと思っていた。
     だから海南のオープンキャンパスではバスケ部に乗り込んで先輩たちを蹴散らしてやったし(手加減されていたらしい)、夏の県予選や決勝にも足を運んだ。そこで清田は牧紳一というバスケットプレイヤーに運命とも言えるような一方的な出会いを果たした。
     牧のプレーを見てからというもの、あんな選手になりたくてより一層練習に励んで勉強も頑張った。合格祝いに雑誌のインターハイ特集記事に映り込んでいた彼が履いていたのと同じシューズを両親にプレゼントされた時は嬉しすぎて毎晩枕元に置いて眺め、入学したあとのことを妄想する日々が続いた。
     とにかくちょっとでも彼に近づきたかったのだ。
     しかし、いざ同じチームで先輩後輩としてプレーするだけでは物足りないくらいに自分は欲張りで。
     寸分の狂いもなくパスを出すあの手で頭を撫でて『よくやった』と褒めて欲しかった。
     ずっと一緒にバスケがしたかったし、肩を並べていたかったし、自分がどれくらい好きなのかってのを相手にもわかって欲しかった。
     要するに清田は牧のことを独り占めしたくて、なによりも牧のことが『欲しかった』のだ。

     入口付近に集まっていた馴染みの同級生らの隙間に主役が来てやったぞと無理やり割り込もうとすると、ノブの席はこっちの特等席だぞと先輩らが集まる方へと連行された。
     手付かずのお通しが置かれた空席はなんの因果か、牧の右隣であった。
    「お疲れサマ、デス・・・マキサン」
    「ああ、清田じゃないか。やっと来たのか!」
     高校一年生の頃の世間知らずでクソ生意気な清田が当時のキャプテンである牧のことを熱烈に慕っていたというのは海南どころか当時の神奈川のバスケ界隈では周知の事実である。
     幹事たちが牧の隣の席を清田の到着が遅れることがわかっていても良かれと思って空けておいてくれていたのだろうが、肝心の清田の心中はちっとも穏やかではない。
     絞り出した片言の挨拶を済ませてなるべく目を合わせないように卓上のビール瓶を牧へと差し出す。新歓のときから体育大の過激な飲み会を生き抜いてきた清田が学んだショセージュツのようなものだ。学年がひとつ上がったことで部活にしろ下宿先にしろ、軍隊みたいな厳しい上下関係の最底辺からは抜け出したがまだまだ下っ端であることに変わりはない。未だに後輩をこき使うより先輩から使いっ走りにされることの方が多い日々が続いていた。
    「まだ入ってるから気にするな。足も崩してていいから」
    「失礼します・・・なんか久しぶりッスね」
    「ん?お前インカレのウチの二回戦観に来てただろう。客席の一番上にいなかったか?てっきり清田だとばかり思っていたんだが」
    「あっ、オレかも・・・しんねーですね・・・えっと、ダチが相手の学校にいたもんで」
    「来るって先に教えてくれてたら一緒に飲みにでも行けたのにな。もう誕生日は過ぎているから二十歳だよな?まあ、ダチがいたんならそっち優先か」
    「ハハ、すいません・・・」
     誕生日を覚えてくれていたことが嬉しくて口元が緩んでしまう。バレないように唇を噛んで自分を律したが、こんな些細なことで舞い上がってしまうなんて自分はどれほど単純な造りをしているのだろうか。
     雑なデマカセで取り繕ったけれども、会いたくないなんて言いつつ実は未練タラタラで行ける試合には無理やり都合をつけてこっそり足を運ぶというストーカーのようなこともやっている。  
     牧が大学に入学したばかりの頃はついこの間まで神奈川ナンバーワン選手だったというのにジャージ姿で荷物持ちやベンチで応援に徹している姿を見てかなりショックを受けてしばらく足が遠のいていたけれど。
    「どうした信長。元気ないみたいだけどもしかして体調悪かった?酒はやめとく?」
    「そんなことないっスよ神さん!いただきます!」
     神によって並々とグラスに注がれたビールを一気に飲み干して笑ってみせるとホッとしたように唐揚げの皿を今度は差し出される。
    「刺し盛りはもう全部無くなっちゃったから清田はこっち食べちゃって。他になにか食べたかったら追加で頼みな」
    「えっいいんスか?」
    「ちょっと会計増えたくらい誰も気付かないよ。お金持ってる社会人組もいるしな」
    「じゃあお言葉に甘えて・・・」
     なるべく正面に座っている神や、牧とは反対隣にいる武藤の方だけを向いて唐揚げをひとくちで頬張る。帰省も兼ねたOB会への参加であるが、会費の元を取ってやろうと駅弁をケチったせいで腹がすいていたのだ。
    「───清田」
    「っはいセンパイ!!」
     条件反射で、牧のハスキーな声で名前を呼ばれると身体が勝手に背筋を伸ばして返事をしてしまった。できるかぎり関わらないようにしているのにどうして牧はわざわざ自分に声をかけてくるのか。
     気にかけてもらって当然嬉しい気持ちもあるが、もしかすると牧はバスケのこと以外となるとたまに(むしろ結構)忘れっぽいので清田の専らの悩みの種である例の事件を忘れてしまっているのかもしれない。
     先輩たちはこれこれ!海南名物!だなんてゲラゲラ手を叩いて笑っているが清田からしてみればそれどころでは無い。
    「ん。ほら」
     清田のグラスが早速空っぽになっていることに気が付いたのか、今度は牧がビール瓶を差し出している。
     いやいや先輩に酌させるなんて悪いっスよ、という清田の言葉は見事にスルーされてしまった。黄金色の液体がグラスに溜まるあいだ、本人の視線がやや下にずれているのを良いことに牧のことを盗み見る。
     出会った頃は随分と大人びて見えた彫りの深い強面な顔立ちは大学四年生にもなってしまえば年相応に感じるし、海には今でも通っているのだろうか、昔よりも明るく変色した髪の毛は思いの外パサついていた。
    「す、すみません・・・牧さんにこんなこと、オレあとは手酌で大丈夫なんでセンパイたちは気にせず楽しんでくださいよ」
    「寂しいことを言うんじゃない。お前に構いたくって俺たちはここをわざわざ空けておいたのに」
    「そうだぞ信長〜そこの牧先輩はなあ、可愛がってた後輩をよその学校に盗られちまって落ち込んでたんだからな!」
     手加減無しでバシバシと背中を叩かれビールの表面が揺れて溢れそうになる。
    「おい。箸で人を指すな武藤」
     身を乗り出して牧のことをからかっている武藤は首から上がすでに真っ赤でめんどくさい酔っ払いと化しているが、そんな酔っ払いの戯言であっても清田の心臓をあの頃のように弾ませるには十分な起爆剤には変わりない。
    「だってホントだろ。清田はなんで〜ってずっと愚痴ってたクセに」
    「別にずっとじゃない」
    「いーやお前は結構根に持つタイプだろうが」
    「知らん」
    「オレはちゃあんと知ってる」
     武藤は絡み酒だからテキトーに流しとけ。と耳元で牧から囁かれたけれどもどうしても話の詳細が気になって武藤へと擦り寄った。
    「そのままウチに上がってくれば受験だって楽勝だったのになあ。面接で何聞かれるかだって教えてやったのになーんでまた県外の、ん?誰が頼んだんだこれ?誰も手つけてないしおまえにやるよ、飲んでいいぞ」
    「いただきます」
     焼酎は苦くてまだあまり得意ではないのだが先輩に勧められたものはとにかくなんでも飲みこめと刷り込まれている。
    「は〜・・・イイ飲みっぷりだな。あんな子どもみたいだったのに信長もすっかり大人になっちまって。どうだ?コレはできたか?」
     そもそも清田が貰った焼酎は小指を立ててニヤケている武藤がついさっき若いバイトの女の子を捕まえて頼んでいた芋のお湯割りなのだが本人は既に忘れているらしかった。
    「フリーっすよフリー。うちの大学ほとんど野郎しかいねーっスから。女子もいるっちゃいるけどみんなおっかなくて近寄れなくて」
    「それでも合コンとかあんだろ。おまえ年上の姉ちゃんからモテそう」
    「講義ない時はほとんどバスケか昼寝かレポートだし、休みの日はバイト入れてるんで一年の時数合わせで行ったっきりッスかね・・・?」
     女バスと合同の飲み会も不定期で開催されるがほとんどの子が誰かとカレカノだし、単発で入っている筋肉必須の引越しバイトにはもちろん女子なんていやしない。
     一年生の夏頃に同じ学科の子に告白されて試しに付き合ってみたこともあったが、あまりにも清田がバスケ一筋なので手を繋ぐことすらせぬままにたったの二週間くらいで無かったことにしてくれと言われた。
     フラれるよりひどい。しかも次の月にはもう清田よりも随分とナヨナヨした男と付き合っていたのが非常に気に食わなかった。
    「おまえはよぉ、人懐っこいし遊んでるのかと思ったら案外マジメな大学生やってんだな。若いんだから遊べるうちにもっと人生楽しめよ、そのうち嫌でも就活あるんだから」
    「だって武藤さん、同世代のヤツら・・・流川のあんにゃろーとか・・・あのバカ、桜木だって最近アメリカ行きが決まっただなんて言ってたし。オレだって負けてらんねーです」
    「・・・・・・まあ確かに流川はイケメンだし今頃アメリカで金髪爆乳美女にモッテモテかもな」
     清田のトーンにあわせて武藤が真面目な顔をしてみせるが話の内容はまったくもって逆方向だ。
    「なっ!!今のはバスケの話ッスよ!?オレがモテねえから僻んでるみたいな言い方すんのやめてくださいよ!」
    「落ち着け落ち着け。おまえはバカなんだからごちゃごちゃ難しいことは考えずガムシャラにバスケ楽しんどきゃいいんだよ」
    「・・・ウス」
     ほら今日は無礼講だから好きなもん好きなだけ食っていいぞいっぱい食え〜と次から次へと料理の皿が清田の目の前へと集められる。
     喜んだのも束の間、よく見るとほとんどが誰かの食べ残しで刺身のツマと海藻しか乗ってない皿なんて何を食えというのやら。
    「この茶碗蒸しエビとウニが入ってるぞ」
    「信長〜串きたからこっち置いとくよ」
    「炒飯もそっち置けるだろ。信長の前の要らねえ皿下げてもらおうぜ」
     清田がぶすくれたのを見ていくつか温かい料理も運ばれてきたが、一度損ねた機嫌はすぐに治るものでは無いが、大学の先輩たちと違って気安く構ってくれるのは有り難かった。愛のあるイジリってやつだ。
    「なんかオレ・・・ガキ扱いされてません?センパイたちみんなしてやることなすこと親戚のオジサンみたいっスよ」
    「そりゃあ、信長だし。昔から犬みたいでかわいくてたくさん食べさせたくなるんだよ」
    「もしかして神さん動物園のエサやりみてーな感覚でオレに飯食わせてます!?遠慮なく食いますけど!」
     目の前の焼き鳥を全部両手で持ってかぶりつくが咎められることはなかった。先輩たちの分まで食べてしまったというのに、むしろ食い意地を褒められる始末。
    「ま〜き!信長がオッサンって言ってんぞ〜」
    「ちょっ何言ってんスかオレが牧さんをオッサン扱いするわけないでしょ!牧さんは人よりちょっとばかし・・・ンギャッ」
     武藤の告げ口についついかつてのノリで反論すると脳天に懐かしい衝撃が降ってきて、隣を見ると眉根を寄せた牧が握りこぶしに吐息をふうふうと吹きかけている。
    「悪ィ。久しぶりなもんだから手加減の仕方を忘れた」
    「なにも全力で殴んなくても・・・それにオレ牧さんのことオッサンだなんてこれっぽっちも思ったことないですからね。ホントっスよ」
     


     海南バスケ部が代々掲げている横断幕に刻まれているのは常勝の二文字だ。その名に恥じないプレーと十数年連続インターハイ出場の実績は紛うことなき本物だ。神奈川の王者で有り続けることが海南バスケ部員たちの誇りだった。
     だけど、常勝・海南は常に勝ち続けているわけではなかった。
     高校一年のときの夏。
     海南は神奈川で一番強くても、全国で一番強いわけでは無かった。インターハイの決勝戦のあとで清田は思い知らされたのだ。
     それが今に始まったことでは無いということも。
    「────すまない。俺の責任だ。皆よくやってくれた」
     あと少しだった。決勝まで残って全国二位になったという結果は歴代でも初めての快挙だが、目標としていたのは当たり前に一位だ。
     誰もが悔し涙を浮かべる中、牧だけは決して涙を見せずに部員達に、応援席に、監督に頭を下げて御礼と謝罪の言葉を口にした。
     試合終了のホイッスルが鳴ってからホテルに帰るまで、ずっと泣かないで堂々としている牧が誰よりも悔しい思いをしているというのは想像に容易い。去年も一昨年も牧はインターハイを経験していて、この大会で引退はせずとも最後の夏だったというのに。
    「今日はゆっくり休め。明日は朝から表彰式だ」
     まだ陽が落ちていないというのに高頭監督はホテルに着くと早々と解散の指示を出し顧問や応援に来ていた保護者会の面々とどこかへ行ってしまった。部員たちはそれぞれに割り当てられた部屋へと肩を落としながら帰るのであった。
    「なに突っ立ってんだ清田。鍵はお前が貰ったんだから早く来い」
    「えっ、あっ、すぐ行きます!」
     幼い頃から清田は感情表現が人一倍豊かなものだから、人目をはばからずに泣きすぎてもう顔の穴から出る水分が枯れてしまい、頭がボーッとしていたところを牧の声で現実に引き戻される。
     今回の広島遠征では慣例通りに同じ学年同士で二人から四人ずつ部屋の規模ごとに部屋割りが決まっていたところを宮益に頼み込んで無理やり部屋を交換してもらっていたので清田は牧と相部屋なのだ。
     初日は大好きな先輩と朝から晩まで一緒に居れるので有頂天だったが敗北を喫した今となっては、居心地が悪くて仕方なかった。
     幼稚園の頃から体操クラブに所属し、小学校低学年の頃からバスケをやってきた清田にとって試合に負けた経験はたくさんある。だが、海南に入学して公式戦や他校との練習試合も含めて負けたってのは今日が初めてだったし、憧れの牧が誰かに敗北するところを実際に目の前で見るのは初めてだった。ビデオや雑誌のスコアで見るのとはワケが違う。
     単純に精神力の強さの差なのだろうか、清田がベットに泥のように沈んで試合のあれそれを思い出したせいで鼻をすすっている横で床に荷物を広げた牧はバッシュの手入れを始めたようだ。底無しの体力を誇る清田でさえスポーツバッグを開ける気すら起こらないでいるというのに。
    「カントク、さすがに今日は練習って言わなかったっスね」
    「去年もそうだった」
    「・・・牧さんはどうしてへっちゃらなんですか」
    「清田から見て俺は平気そうに見えてんのか?」
    「ッ、すいませんオレっ!ヘンなことを!今のはなんて言うかその、あのですね」
     意図せずぽろっと口から出た言葉が、あと一歩で全国制覇だったのに負けて悔しくないのかと牧のことを煽ったように聞こえたのではないかと慌てて飛び起きて弁解する。
    「今のは俺の言い方が悪かったな。スマン。別にお前を責めたわけじゃないんだ。いつも通りに見えてんのなら良かったって意味だ」
    「そしたら牧さん・・・全然平気じゃねーってことじゃないですか・・・・・・」
     荒っぽくバッシュを拭いていた牧の右手の動きがぴたりと止まった。長く深い溜息の後にクロスを放り投げ、先にシャワー浴びてくるとだけ言い残して牧は足早にバスルームへと消えた。
    「あの!いずれオレがナンバーワンルーキーじゃあなくって、神奈川ナンバーワンになるッスけど・・・・・・・今は牧さんが一番だって、牧さんが誰よりもバスケつえーんだって!ちゃんとオレは知ってますからね!」
     声のデカさには自信があるのできっと中にいる牧にも届いているだろう。鍵を閉める音はしなかった。バスルームのドアの目の前に駆け寄ったものの、ドアノブを回して今の牧と対面する勇気を清田は持ち合わせてはいない。
    「だれも牧さんのせいだなんてちっとも思ってないっスよ・・・だからあんなこと言わないでください・・・」
     もう出ないと思っていた涙が大粒の雫となって清田の頬を再び濡らす。
     いい試合だった。お互い全力だった。
     けれども脳裏には試合よりも、唇をきつく噛み締めて自分たち部員に負けたのは自分の責任だと頭を下げた牧の姿が焼き付いて離れない。
    「牧さんがいたから、オレたち、っぐ、海南はここまで来れたのに・・・ううっ・・・でも牧さんだけが全部背負い込むのは嫌ですよぉ・・・・・・」
     反応は無かったがしばらくすると返事の代わりにくぐもった嗚咽だけが扉越しに聞こえてきて、いつまで経ってもシャワーの水音は聞こえてこなかった。



    「過ぎた事だし今更こんな話をされてもお前も困るだろうからこの話は全部適当に聞き流してくれて構わない」
    「なんスか牧さんそんなシンミョーな顔して!オレが偉大なる牧さんの話をテキトーに!なんか!聞くわけないじゃないですかあ!ねえっまきさん!」
    「わかったから耳元でキーキー叫ぶんじゃねえ。やかましい」
     海南バスケ部OB会に合流してから小一時間後、清田はそれはもう武藤をバカにできないくらいに出来上がっていた。右手にビール瓶、左手にグラスを持ってほぼ全員の先輩と乾杯を済ませて千鳥足で元の席に戻ってきた時には注いで注がれてを繰り返したせいで顔が猿みたいに真っ赤だ。
    「・・・だいぶ酔ってんな」
    「酔ってましぇん!まだまだイケるっすよぉ、すいませんオネーサン!ナマ追加!じゃんじゃん持ってこーい!!」
    「どうしてウチを受けなかったんだ」
    「へぇ?」
    「さっき武藤の言っていたことはあながち間違いでは無いというか・・・俺は清田の進路に口を出せるような立場では無いし・・・他のチームにいる成長したお前と当たるのもまあ、悪くはないと思うけどな」
    「はあ・・・なるほど」
     自分の頭がチャンポンした酒のせいで普段の何十倍もバカになってる自覚はあるが、牧も牧で珍しく歯切れが悪い。酔ってるのかどこか腹でも痛いのだろうか。
    「高校の時は一年くらいしか一緒にプレー出来なかったろ。インハイ優勝も逃しちまったし、でも大学なら二年チャンスがあったじゃないか」
    「まきしゃあん・・・?なに言ってんれすか大学は二年じゃなくて四年まであるのに、高校は三年だけど大学生は四年でまきさんもいま、よねんでしょーが」
    「俺は大学でお前が入学してくるのを、二年間首を長くして待っていたんだと言えばわかるか。なのにお前、」
    「・・・・・・」
    「お待たせしましたー!ナマとウーロン茶です」
     あまり牧の言おうとしていることがわからずに、面食らっているとその微妙な空気を突き破るように先程清田が注文した生ビールと牧が注文した烏龍茶が運ばれてきた。当然のように清田は生のジョッキの方に手を伸ばしのだがそれを横からひょいと奪われる。
    「あっそれオレの頼んだビールれすよ」
    「チェイサー入れないとあとでキツいのはお前だぞ」
    「やだ!」
    「ワガママ言うな、あっこらこぼれるだろ!勝手に飲むな!」
    「清田信長!イッキいっきまあす!!」

    *
     季節は冬が終わって春が訪れようとしていた、高校一年の終わり。 
     牧たち三年生が卒業するまで残すところあと一日。卒業式の準備でいつも練習でバスケ部使ってる体育館の床はビニール臭い青緑色のシートに覆われて所狭しとパイプ椅子が並べられている。体育館が使えなくなってしまったバスケ部員には各自走り込み等のボールを使わない練習メニューがウインターカップ後に牧からキャプテンを引き継いだ神によって課せられていた。

    「お疲れ様っス牧さん!」
    「清田・・・?どうしたんだこんなとこで」
    「明日は式とかでバタバタすると思って今日会いに来ちゃいました、へへっ」
     バスケ部では三年生のうち牧を含めた数人が早い時期から系列校の、高校と同じくバスケットボールに力を入れている海南大へのスポーツ推薦枠での入学が決まっていた。彼らは自由登校となっている二月から既に大学バスケ部の練習に本格的に合流している。
     卒業の前の日だっていうのに牧は熱心に夜まで海南大の第二体育館で練習しているという情報を彼のクラスメイトでもある宮益から聞き出して、清田は体育館の入口のスロープの手すりに腰掛けてじっと牧が出てくるのを待ち伏せしていたのだ。
    「いつからいたんだ。中に入って来りゃよかったろ」
    「邪魔しちゃあ悪いっスよ。しかも勝手に入ったら怒られそうですし」
    「驚いた。お前も遠慮するんだな」
     三月に入って少しマシになったとは言えども夜はまだかなり冷える。いくら暑がりの清田でも防寒着も、学校指定のベストも着ないでいて寒そうだと牧が特段何も考えずに両手で清田の顔を包むと、想像していたよりずっと冷たかった。
     じんわりとついさっきまで運動をしていた牧の体温が清田の外気にあてられて赤くなったまるい頬へ伝染していく。
    「なんか・・・犬扱いされてる気がする」
    「実際飼ってる犬にそっくりだろうが」
     犬にするみたく、牧の指先が今度は清田の顎の下を擽った。
    「違いますよアイツがオレに似てきてるんですってば」
    「ちょっと待て」
     妙に膨らんだコートの右ポケットをガサゴソとまさぐると、牧は微糖の缶コーヒーを取り出し清田へと手渡した。
    「半分飲んでいいぞ」
    「えー、一本まるまるじゃないんですかそこは」
    「俺が帰り道で飲むためにさっき買ったのになんでお前に寄越さないといけないんだ」
    「牧さんのケチ」
    「じゃあ返せ」
    「いただきます!」
     貰えるモンは貰っとけの精神で生きているし、なによりも牧から貰ったものをたとえ本人であろうが譲ってたまるかと清田は急いでプルタブを引いてコーヒーを腹に流し込む。無糖だったらキツかったが微糖ならば清田でも飲める。
    「ごちそーさまです。ちゃんと半分は残しましたからね!」
     多分ですけど・・・と缶を返せば牧は眉をひそめて清田を見ていた。怒っている時の顔ではなくなにか心配事がある、そんな表情だった。
    「やだな、ちゃんと残しましたよ」
    「・・・なんかあったのか」
     二人が言葉を発したのはほぼ同時だった。
     部活を引退した牧が練習に顔を出さなくなってから久しいが、清田も清田で練習が忙しくこのように押しかけたことは無かったため悩み事でもあるのかという含みのある問いかけだった。
    「思い出作りってやつです。牧さん明日で卒業しちゃうから、やっぱり伝えねーとって思って」
    「ほう」
     この話は前にもした事あるかもしれないんですけど、という前置きの後に一旦深呼吸をする。常日頃から突っ走る前にちょっと考えろという教えられているからだ。
     ぶっちゃけ、インハイ決勝の時のフリースローと変わらないくらいに緊張して握りしめた手のひらや背中は冷や汗でビショ濡れになっている。
    「おっ、オレは!中坊のときから牧さんに憧れてて絶対海南に入ってレギュラーになって一緒にバスケやるんだって思ってて・・・夢が叶って今年一年間マジでめちゃくちゃ楽しかったです・・・!」
    「それは何よりだ」
    「ただ、牧さんのこと、憧れてるんですけど・・・それだけじゃ、なくなっちゃって」
    「ほう?」
    「実はですね、さっきのコーヒー、間接キス、だな、ってドキドキしてます」
    「間接キス・・・?」
     人生初の告白だ。
     声が震えてしまうし、清田がぼかして伝えようと思っても牧には全然意味がわかっていない様子であった。
    「好きなんです・・・オレ、牧さんのことが好きになっちゃいました・・・・・・!!」
     清田にとっての一番の先輩はいつだって牧で、同じように牧にとって一番の後輩になるためには他の奴らとは違う決定的な何かが必要で。自分はどうしてここまで牧に執着しているのか長いこと考えた結果が早い話、恋だった。
     清田は牧に恋している。
     万に一つの可能性が無いわけではなかったが、最悪の結果のシュミレーションと同じようにオレンジ色の外灯に照らされた牧はほんの少しだけ目を見開くとすぐに言葉を詰まらせて隠しきれない困惑の表情を浮かべていた。
     途端にきっと続いて出てくるであろう否定の言葉を聞くのが恐ろしくなって、物言いたげな牧を視界に入れないように清田は目をギュッと瞑って思いついたことをすべてめちゃくちゃにぶつける。
     用意してたカッコつけたセリフは名残惜しいがとっくに空の彼方へと飛んでった。
    「嘘じゃないんです!バスケも好きだし、牧さんのことはバスケットマンとして誰よりも心から尊敬してるんです。だけどオレは・・・その気持ちと同じくらいアンタに、牧紳一って一人の男に惚れてるんです・・・オレのこと好きになって欲しいだなんてゼータク言いません。牧さんにとって何よりもバスケが最優先だってわかってます、それでも、オレは牧さんのことが・・・・・・」
    「清田」
    「・・・・・・すいません。迷惑ですよね、やっぱ今のは全部忘れてください」
    「ネクタイが曲がってるぞ」
    「えぇ・・・?」
     今日こそは告白するのだと朝練がある日よりも早くに起きて自主練メニューをはじめからおわりまで二回やって気合いを入れた。
     母親の鏡台を占領して髪をセットしてから自分でアイロンをかけたカッターシャツに袖を通して、部屋中ひっくり返して見つけ出したネクタイを入学式ぶりに締めて準備万端、のハズだった。
    「こっち来い。制服くらいちゃんと着こなせるようにならないとこれから入ってくる後輩に示しがつかないだろ」
    「・・・はい」
    「ん、こっちから結ぶのは難しいな。後ろ向け」
     肩を掴んで身体を半回転させられ牧の手が背後から胸元へと伸びてくる。赤いネクタイをするりと解いてしまうと慣れた手つきで器用にネクタイをあるべき形へと牧はいとも簡単に操っている。
    「いいか清田。俺は明日卒業して大学に行く」
    「っぐ、はい、」
    「メソメソ泣くんじゃない」
    「だって牧さんに卒業してほしくないです」
    「俺だって卒業すんのは名残惜しいさ。やり残したことだってあるしな」
     自分の胸元でネクタイを結ぶ日に焼けた指先。冬は海に入れないから好きじゃないと言ってたから、オレも冬は嫌いだ。だってこんなにも湿っぽい。
    「・・・歪んでるかな。もう一回やり直そうか」
    「・・・・・・優しくしないでくださいよ、っ、牧さんのばか」
     自分を気遣う牧の優しさが逆に辛かった。
     穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。いつだって自信満々で生きてきた清田がこんな惨めな思いをするのは初めてであった。
     今日だって不安だのなんだの言いつつも、牧は自分のことをよく気にかけてくれるし結構上手くいくのではとどこか過信していた。
    「ところでさっきの話だが・・・」
    「オレの自己満に付き合ってくれてありがとうございます。これでスッキリしました!」
     牧がなにか言おうとしたがそれを遮って足早に牧の前から立ち去る。今は一刻も早く彼の目の前から消えてしまいたかった。背後から清田を呼び止めようとする声が聞こえたがさらに足を動かして逃げ出した。
     初恋は実らないというジンクスは本物だったのだと清田は身をもって体験したのであった。

     海南大付属の卒業式に出席するのは基本的に卒業生と二年生、それから教員に来賓、保護者だけだ。例年、最後のホームルームを終えて校舎から連なって出てくる卒業生を在校生は部活動ごとに別れて盛大に出迎えて最後の時間を過ごすようになっている。部活動に入っていない一年生は基本的に自由登校なので殆どが遊びに出かけている。
     ペーパーフラワーで飾られたアーチをくぐって歩いてくる三年生を清田は心ここに在らず、といった表情で離れたところから見つめていた。
     今朝は布団の中でグズグズしていたところを母親に怒鳴られてやっとのことで登校することは出来たが朝練はすっぽかしたし、髪の毛も昨日とは打って変わって寝癖でボサボサ。ネクタイは風呂に入る前に解けないように頭から頑張って引っこ抜いてどこかへやってしまったから相変わらず清田はハレの日だというのにノーネクタイだ。
     それにしても、あまりにも清田がゾンビみたく青白い顔をして駐車場の隅っこに突っ立っているので見かねた帰宅部のクラスメイトたちがバスケ部はあっちにいたぞと手を引いて清田のことを高身長の生徒が集まる輪へと引き渡した。
    「信長」
    「・・・すいません神さん。サボりました」
     腰を折って神へと頭を下げる。卒業式の日に似つかわしくない光景に事情を知らない周囲が少しだけざわついた。
     誰よりも熱心に、誰よりも黙々と、そして誰よりも長い時間練習している神からしてみれば周りから期待されているレギュラーの清田が無断で朝練をサボったことは許し難いことだろう。
     普段は温厚で寡黙な神だからこそ怒るときっと怖いんだろうな、と清田はあまり働いていない頭で覚悟を決めたが神の声音は想像していたよりもずっと優しかった。 
    「信長、大丈夫か?酷い顔だぞ。もしかして寝てないの?」
    「はい・・・」
     卒業する三年生を取り囲む集団から少し離れたところに神は様子のおかしい清田を連れ出した。手櫛で寝癖を整えられ、クマが酷いと目の下を親指の腹でぐりぐりと揉まれる。手加減してくれないと目玉飛び出るッスよ、と清田がぼんやり抵抗すると神はようやくその手を引っ込めた。
    「先輩たちと写真撮るなら今のうちだけどどうする。部費で買ったカメラの残り枚数あまりないみたいだから早めに行っとかないと・・・」
    「オレはいいッス」
    「寂しい、というか拗ねてる?とも違うな。牧さんとなんかあった?」
     昨晩、牧が自分に尋ねたのと同じ問いを神にも投げかけられて清田は言葉を詰まらせる。
     この一年で築き上げた、憧れの人との関係を壊したのは紛れも無い自分だった。

    *

    「ん、んん・・・どこだここ・・・・・・」
     目が覚めると清田は見知らぬ洋室のベッドの上に寝かされていた。自分の下宿先は畳張りのオンボロ1Kで、さっきまで酒を飲んでいた店も和テイストのよくある駅前の大衆居酒屋だったはずだ。
    「起きたか」
    「げっ!牧さん!」
     唐突にもやのかかった視界に牧の精悍な顔がにゅっと現れたものだからたまげて大声を上げてしまった。小麦色に焼けた逞しい腕によっていとも簡単に清田の身体はシーツの海から引き上げられる。
    「ちょっとでもいいから水を飲んだ方がいい」
    「ここは、ってか飲み会は!?うわっ!なんスかその格好!」
    「さっきからなんだ。人の顔みて露骨に嫌そうな顔ばっかしやがって」
    「ちっ違うんですただ寝起きにいきなり牧さんって、ほら、びっくりするじゃないッスか」
    「全然フォローになってねえ」
     水気を含んだ何もセットされていない髪の毛と、白いバスローブみたいなのを羽織って牧はベッドに腰掛けている。自分のすぐ傍に。億万長者の仮装みたいな格好はやたらと様になっていて、清田にとって都合が良すぎて夢ではないかと自らの腕をこっそりつねってみたが普通に痛くてヒリヒリした。
     堪らずに、距離を置こうと後退るがすぐにベッドボードへと激突する。様子のおかしい清田をよそに牧はとりあえず飲めとコップの飲み口をを清田のくちびるへと押し付けた。
    「お前は相変わらず落ち着きがないな。飲み会ならとっくにお開きになって生きてるやつは二手に分かれて二軒目とボウリングに行った」
     差し出されたのは酒ではなく、水。子どもが看病されているみたいに牧が傾けたコップの水をされるがまま全部飲み干した。
     テレビ横の小さな置時計に目をやれば深夜一時半頃で、自分の感覚が正しければ結構長い間意識を飛ばしていたことになる。
    「あとで神に礼を言っておけよ。ここまでお前の荷物を担いできてくれたんだから」
     牧が顎で指し示した先のバゲージラックには見慣れたスポーツバッグとリュックがバランスよく積み重なっていた。
    「あ、神さんもいるんすか・・・?」
    「アイツは幹事だし二次会組だ。ここはさっきの店のあった大通りのビジネスホテルで今は俺とお前の二人だけ」
    「オレと牧さんのふたりだけ・・・ホテル・・・・・・って金!いくらっスか!?てかオレさっきの会費も渡してないです!」
     どうにでもなる、と水をさらに並々と注がれて先ほどと同じようにコップを押し付けられてしまい渋々全て胃に流し込んだ。血液全部がアルコールになったかのような感覚が水を飲むことでちょっとだけ薄まってマシになってきたような気がする。
    「オレのことなんか放ったらかしで良かったのに」
    「良いワケないだろうが」
     手の甲で濡れた口元を拭いながら清田はくちびるを尖らせた。本心では牧が二次会に行ってしまわずに清田に付き合っていてくれることがとてつもなく嬉しいが、その反面未だに子ども扱いをされているような気もしてむず痒い。
     大学の飲み会ではコールをされれば抗えずにイッキ飲みをして、挙句の果てに便所で胃液まで吐いて気が付いたら朝になってて道路脇の花壇で寝てたことだってあるんだし大丈夫と説明すれば全然大丈夫じゃないと牧に軽く脇腹を小突かれた。
     海南の飲み会では皆、酒よりもバスケの話に夢中でわりと落ち着いていたと思う。
    「ったく爛れた生活しやがってこの不良が。実家まで連れて行くには遅かったから泊まりの連絡は勝手にしておいたぞ」
    「スイマセン。グレてるとかじゃないんですけど部活がわりとイケイケな奴多くて・・・センパイたちに介抱なんかさせちゃって、みっともねえっすねオレ」
    「今更だろ。長距離移動で疲れてたのにいきなり飲み会で悪かったな」
     ふわりと頭に牧の手が覆い被さる。
    「!」
     何年ぶりだろうか、牧に頭を撫でられたのは。大目玉を食らった回数の方が圧倒的に多かったかもしれないが、清田は牧に頭を撫でれられるのが特別に好きだった。それはシュートを決めた時、試合に勝った時など様々だ。
     相変わらず伸びっぱなしの髪の毛をかき混ぜる大雑把だけど優しい手付きが心地好くて、つい身を任せて緩く目を瞑ってしまう。
    「どこまで覚えてる」
    「ええっと、牧さんのあだ名が一年の時から部長だったってはなし・・・キャプテンじゃなくって会社の偉い人的な意味の・・・」
    「それは忘れろ。どうする?このまま寝るか?」
    「うーん、汗かいたし風呂入ってきます・・・」
    「お湯に浸かるのは危ねえからシャワーだけだぞ」
    「あ、」
     頭に伝わるあたたかい手のひらの感触が急に消えてしまい、目を開けて牧の姿を追いかけるとどうやら備え付けのタオルを引き出しから準備してくれている最中で。
     寝ぼけた頭で億万長者の仮装かと勘違いした牧が着ていると同じ、ホテルのロゴが胸元に刺繍されたバスローブ風の寝巻きもあとからベッドの上へと投げて寄越された。
     身体を動かすと少し頭痛がするが冷水をしばらく浴びれば収まるだろう。
    「あれ・・・背縮みました?」
     飲み屋ではずっと座っていたものだからあまり気が付かなかったが、牧の横に立って並ぶと清田の目線の方が少しだけ高いところにある。
    「また人を年寄り扱いしやがって。お前がデカくなったんだろうが」
    「変な感じッスね。確かに高校のときからちょっとずつ伸びてんですけど・・・まさか牧さんよりデカくなってるなんて」
    「言っておくが俺だって大学入ってからも伸びたんだからな」
     ほとんど変わらない程度の差だとしても、いつも見上げていた牧がちっちゃくなってしまったみたいでなんだか落ち着かない。離れていた時間の長さをこんなところでも思い知らされてしまった。
     二人ともいつの間にかあの頃の二人では無くなってしまっているのだ。見た目も、それから中身も。
     スポーツバッグから替えの下着を掘り当てて、タオルと一緒に逃げるようにバスルームへと飛び込んだ。

     バスタブの中や仕切りのカーテンは濡れていて牧がついさっきまでここでシャワーを、ここはホテルで二人っきり、と次々に湧き上がるへんちくりんな下心のせいで居心地が悪い。そもそも高校時代の日々の練習や合宿で同じ部屋で寝起きしたり、裸なんて散々着替えや大浴場で見ている仲のはずだろと己に言い聞かせる。
     どうあがいても清田は健全な青年なのでそのようなことを夢想することもあるが、幻想だとわかっているけれど好きな相手とは結婚式の夜に結ばれるのが正解だろと信じているクチだ。まさか、恋人でも両想いですらない相手に対して淫らな感情を抱くだなんて最低すぎると自身の欲望を嫌悪した。
     清田が牧に対してずっと抱いてる憧憬とその延長にある恋慕はあくまでそっくりそのまま辞書に書いてある通りの意味であって断じて牧といい仲になってあれこれ他人には言えないようなことをしたいという訳では無い。無かったはずだ。
     朝から晩までふたりで一緒にいて、飯を食ったりバスケをしたり、たまにショッピングモールに出かけたりして誰にも邪魔されず楽しく過ごしたいだけなのだ。海では牧にサーフィンを習って、水平線に沈んでいくオレンジ色の夕日を眺めながらこっそり手を繋ぐくらいはしてみたいかもしれない。
     所詮、全部ただの願望だけど。

     烏の行水だと周りからよく言われるだけあってすぐに全身を洗い終え、歯を磨いてから部屋に戻ると、牧はベッドに腰掛けてテレビのチャンネルを回しながら缶ビールを飲んでいる最中だった。おそらく冷蔵庫にある無駄に高いやつだろう。
    「全部砂嵐ッスねえ」
    「あと三時間くらいしたら釣り番組がはじまるかな」
     テレビを諦めて牧が電源ボタンを押したのか、ぶつん、と音を立ててテレビの画面が真っ暗になり静寂が訪れる。遠くで救急車のサイレンが鳴っているだけだし、それもすぐに聞こえなくなった。 
     沈黙に耐えれなくなった清田がナイトテーブルのラジオをつけてみると、前の宿泊客によって選局されていた局で放送されてるのはちょうど深夜枠のラジオの恋愛相談のコーナーだった。だが、リスナーからの明け透けな男女の夜の営みについての質問について下世話な議論が飛び交いはじめたのに耐えきれず慌てて電源を引っこ抜く羽目になった。
     男同士の下ネタには耐性があるが女性同士でなんて話をしてくれてるんだ、公共の電波で。振り返ってみると今の話を気にしている様子でも無く、ウブな清田をからかうこともせずに変わらない様子で牧はそこにいた。
    「あー・・・そんなことより牧さん」
    「なんだ」
     さすがにいい時間だし、酒も入ったことで眠気を覚えたのか牧は大きく口を開けてあくびをしている最中だった。このままさっさと寝てしまえば気まずいなんてことは無いはずだ。
     寝てしまえさえすれば会話など必要ないのだから。
     ところがあとひとつだけ、重大な懸念事項を清田は抱えていた。
    「ベッドなんスけど、あー、これ二人で寝れますかね?足がはみ出るかもしんねーのは仕方ないとして横幅がちょっとばかし足りないんじゃ・・・」
    「・・・ダブルとツインを間違えたんだ」
     ダブルっつったらベッド二つあるって思うだろ普通、神だってよく分かってなかったんだ、ときまりが悪そうに牧がボヤいた。
     このさほど広くは無い部屋にあるベッドは先程まで清田が寝ていたベッドただひとつだ。残念なことに横になれそうなソファなども設置されていないため朝まで一眠りするならばここで清田は牧とピッタリくっついて寝るほかはない。
     実家の自室にあるのよりも幅が広めのものではあるが、どうにもこうにも清田も牧も世間一般的な日本人男性よりは立派な体格をしている。
    「俺が間違ったんだし清田が壁か通路側、好きな方使っていいぞ」
    「ちょっとくらい危機感ってヤツを持って下さいよ・・・」
    「危機感?なんの事だ」
    「牧さんはもしかしたら忘れてんのかもしれないっスけど、オレ、牧さんに告ったことあんのにこんな二人きりでホテルとか『マズい』って思わなかったんですか」
    「マズい?特に困ることは無いぞ」
     本気で牧は清田の言いたいことがちっとも理解出来ていないようだった。
     告白は忘れて欲しい黒歴史だけど、過去に自分は牧に好きだって言ったんだからちょっとくらい意識して欲しい。牧のことをずっと諦めることが出来ずにもがいている清田をただの後輩として信用しているというのは酷な話だ。
     ガキくさいワガママなことを言っている自覚はある。
    「だからそうじゃなくて!ホモかもしれねー野郎とホテルなんかに軽々泊まんないでくださいってことッスよ!!!」
     あえて自虐的な言葉を使ったが、だって、牧はあまりにも無防備だ。
     自分は牧のことを心の底から大切に思っているからこそ色々我慢するし我慢できるけれども、仮に相手が悪いヤツだったらと考えると嫉妬で気が狂いそうだ。牧は四年生だし清田ではない後輩が事実として海南大にはたくさんいる。
     バスケだけじゃなくて、同じ学部だとか、どうせ海に赴けばチャラチャラしたサーフィン仲間だって大勢いるのだ。
     なにかしらの飲み会があるたびにこうして潰れた後輩とかをわざわざホテルにまで連れてきて面倒を見ては朝帰りしているのかとイヤな想像をせずにはいられない。
    「何を馬鹿げたこと言ってやがる。そもそも俺はお前なんぞにどうにかされる程ヤワな鍛え方はしてない。清田にその気があろうがなかろうが俺の許可なく妙な真似をしたらそこの窓から容赦なく放り投げるからな」
    「あーもう!オレの気も知らないで・・・!!牧さんのバカっっっ」
    「それはこっちのセリフだ。ったく人の話も聞かずに走って逃げやがって」
    「んなっ!?」
     まさか本人から蒸し返されるとは。
     覚えている限りでは清田が牧のことを無視し、放ったらかしにして逃げるだなんて大それたことをやらかしたのは例の卒業式前日の告白事件の時しかない。
     飲み会でも話題に出ることがなかったので有難いことに牧は誰にも自分のお粗末な告白のことを言いふらさずにいてくれて、本人さえも清田の願い通りに忘れるか水に流してくれたものだと油断していた。
    「その調子だとあれはやはり本気か。罰ゲームかドッキリの可能性も考えていたが・・・ずっと聞こうと思ってたんだが・・・その、なんだ?清田は男が好きなのか?さっきもホモがどうのこうの言ってたが、嫌な気分にさせたらすまない。踏み込まれたくなかったら答えなくてもいい」
    「そういうワケじゃないですけど・・・ハア、普通に今でも可愛い彼女欲しいですし。牧さんだけですよ好きになった野郎なんて。牧さんはオレにとって特別なんです。それだけっス」
    「じゃあ今は他に好きな女がいるのか」
    「すきなおんな?だれの?っ、牧さんまさか好きな人いるんですか」
     予想外の展開に思わず声が裏返る。
    「お前だよお前。過去形でしかも、男は好きじゃなくて彼女が欲しいってことは今は別の好きな女でもいるってことだろう?」
    「ちょっと待ってください。話がブッ飛びすぎてついていけないんですけど」
    「俺のことはもう好きじゃないみたいに言ったじゃないか」
    「言ってない!言うわけないっしょ!今でも好きに決まってるじゃないスか!」
    「の、ワリには今日はまた随分と他人行儀だったじゃねえか。隣をわざわざ空けてやってたのに俺の事だけをあからさまに避けていただろ」
     図星。しかもバレバレだった。
    「・・・そりゃあ初恋の、しかも自分をフッた人が隣にいたら誰でも気まずいですって」
    「ん?別にフったつもりは無かったんだが」
    「はあ?」
    「あの時お前、俺のことを憧れてますだとか好きだとかゴチャゴチャ言ってたが付き合ってくださいとか具体的なことは言わなかっただろ。マジな感じだからちゃんと聞いて返事考えようと思ってたし、そもそもお前自身の中でも整理がついてなさそうだったからな。それでまずは落ち着かせてやろうとしたらどっか行くしよ・・・」
     何年も前だから詳しいとこまでは覚えてない、スマン。とあまりにも牧が平然と言ってのけたので清田は頭の中が真っ白になってしまった。
    「オレ、このまま牧さんのことをベッドに押し倒してチューするくらいフツーにやりますよ・・・」
     なんだよそれ。
     自嘲気味に力無く笑っていると、じゃあ試してみろと突然牧が力任せに清田の寝巻きの襟首を引っ張った。
    「わっ!」
    「押し倒して、どうするんだ?」
     必然的に牧をベッドへと押し倒す形となってしまい、潰すまいと必死に体勢を整えると試合中を彷彿とさせる挑発的な表情をした牧が清田のことを見上げていた。
     しばらく口を開けて見惚れている間に濡れて束になった清田の毛先からぽたぽたと水滴がこぼれ落ちて、白いシーツにいくつか丸いシミを作っていた。
    「何するんですかいきなり!って乗っかっちゃってすいませんすぐ降りま、」
    「ここまで先輩がお膳立てしてやったってのに逃げるのか?清田」
     我に返って上体を起こすが牧の力強い手は清田の寝間着を掴んだままだ。この状況も、ずるい問いかけの意図も全く読めない。
    「っぐぬぬぬぬ、しません!しないです!さっきのはウソですから手を離してくださいってば、酒の勢いでもこんなことしちゃダメっスよ。絶対朝になったら後悔しますって」
    「ったくこの意地っ張りが」
    「じゃあ!聞きますけど!?要するに実は牧さんもオレのこと好きだったってことなんですか・・・!?」
    「いいや。それは無いな」
     そんなにバッサリさっぱりキッパリ言わなくてもいいだろうと清田は肩をガックリと落とした。身体の力が抜けてかなり体重を預けてしまったがこのくらいでは高校の頃からダンプカーだなんて二つ名を付けられていた牧はビクともしないだろう。
     再会してたった数時間の間で清田は何度、牧によって心を掻き乱されたことか。牧は自分をからかって遊んでいるのかはたまた酔っているだけなのか、それとも大穴で本気と書いてマジなのか全く理解できやしない。
    「無いが──・・・確かめる価値はあると思ってるからこうしてる」
    「タイム!!!」
     たまらずに人差し指と手のひらでタイムアウトのジェスチャーをするとベッド横のナイトテーブルの上に腕を伸ばして放ったらかしになっていた缶ビールを荒々しく奪い取る。
    「心の準備をさせてください」
    「もう殆ど入ってねえぞ」
    「一旦こいつで間接キスして心の準備をするんですよ」
     ちょっと前まで牧が煽っていた飲み残しを覚悟を決めてイッキに飲み干した。
    「間接キスってお前なあ。ガキじゃあるめえし・・・あぁ、なるほど。はじめてなのか?」
    「キキキキキキキキッスのひとつやふたつくらい!!!?オレだって無いけどできます!楽勝っスよ!」
    「そろそろ一分経つぞ」
     放り投げた空き缶は放物線を描いて見事に一発で部屋の隅の屑籠へとコン、と気持ちのよい音を立てて着地した。幸先は良さそうだがこれくらいバスケ部なら出来て当たり前だから、良くないかも。
    「やっぱり男は無理だとかギリギリで言われてもオレ・・・やめないですからね」
     牧の顔の右と左に両手をついて、ちょっとずつ身体を折り畳む。キスどころか人をベッドに組み敷くなんてなんせはじめての経験なので肘をついたら何故か顔の位置がズレてしまい、半歩ほど後退したらベストポジションに収まることが出来た、はず。あと何センチか頭を下げたらくちびるが触れてしまう、ギリギリの距離。
     瞬きをしてから牧が目を閉じっぱなしにしたのを合図にして、清田は身体を強ばらせながらも二十歳と数ヶ月にしてはじめての口付けを牧へと捧げた。
     くちびるだけではなく鼻がぶつかったり、身体もかなりの面積がぴったりくっ付いてそちらの方が妙に生々しくて緊張してしまいロクに肝心なキスの方の感触を覚えていない。
    「し、しました・・・」
     ほんの一瞬だった気もするし、長いことくちびるを合わせていたような気もする。目はちゃんと瞑っていたし鼻息も我慢出来ていた。
    「ふっ・・・は、ハハッ!!」
    「えっ」
     及第点くらい貰えるかと思っていた最中、突如として腕の中で大笑いをはじめた牧に清田はなにか自分の知らない間にとんでもない粗相をしたのかと身体を跳ねさせて飛び退いた。もう牧は清田の襟を掴んではいなかった。
    「すいませんオレ・・・へたくそで」
    「どうだった」
    「ま、まきさんはゲンメツしたんでしょ」
    「お前の感想が聞きたい」
     やたら上機嫌でもう何が何だか清田はワケが分からなくなってしまった。大失敗だ。OB会なんて来るんじゃなかった。鼻の奥がツンと痛くなって、顔がしわくちゃになってしまっている気がする。
     確かめるだなんてそれっぽいことを言って清田を焚き付けておきながら、きっと本心ではただの同情か、からかって遊んでいただけなのだ。
    「わかんないですもう、嫌だ、なんか、牧さんこういうの慣れてるでしょ。オレで遊んで、こんなの本当は好きな人としかしちゃダメなことなのに、平気でオレとキスなんかして・・・こんな牧さん、牧さんじゃない・・・・・・」
    「おい。泣くなって、俺が悪かった」
     好きな人の前で泣くのは恥ずかしいのに我慢したくてもボロボロとぬくい涙が溢れて止まらない。涙が頬をつたうと、ちょっと痒くて気持ち悪い。
    「オレは牧さんのこと、好きでぇっ、大事なファーストキスだったのに・・・なんにもおぼえてないっ・・・ううっ、牧さんなんてもうぜんぜん好きじゃないです・・・・・・」
    「ったく・・・いつまでも世話の焼ける後輩だな」
     袖口でゴシゴシと涙と鼻水を拭っていると、すぐ近くで牧の声がした。気がつくと牧の逞しい両腕は清田の身体に回されており、子どもをあやすみたいに背中を規則正しいリズムで叩かれる。
    「勘違いしてるみたいだからハッキリ言っておくが、俺はどうでもいいヤツとキスしたりしない。お前があまりにも健気でかわいいもんだから笑っちまったんだよ、許せ」
    「オレのこと好きじゃないけどキスした、けど、オレはどうでいい相手じゃないからキスした・・・んですか?」
    「そうだ」
    「どうでもよくないって何?脈アリってこと?オレ、バカだから全部ちゃんと教えてくれないとわかんない、スよ」
     とっくにキャパオーバーした頭では牧の言葉を拾って繰り返し言うことくらいしか出来ずに清田は牧の肩に顔を埋めて未だに鼻をすすっている。
    「ずっとお前とあの夜の事について話したかったのに俺を無視した挙句遠くに行きやがって。連絡先も知らないし、お陰様でこっちも長いこと引き摺るハメになっただろうが。お前、またすぐにあっちに帰るんだろ。俺だって年が明けて大学卒業したら社会人だし・・・試すような真似をしてすまない」
    「!」
     凝り固まっていた清田の表情筋は牧の一言で本来の柔軟さを取り戻した。おずおずと顔を上げてみると牧は真面目な顔、ではなく半笑いで清田のことを見ていた。
    「眉毛がすっげえ八の字になってる」
    「・・・牧さんのせい」
    「清田、口説くんなら本気で口説きに来い。ちなみに、」
     さっきのキスはちっとも嫌じゃなかったぞ、と近づいてくる牧との距離感にひゅっと息を飲んだのも束の間。清田はファーストどころかセカンドキスも牧に捧げる、というより奪われてしまった。顔が熱くなりすぎて最早痛いし、叫びたくても牧のくちびるが自分のくちびるに引っ付いているのでどうにも上手くいかない。
     ちょっと離れたと思ったらまたくっ付いて。なるほど、顔をちょっと傾けたら鼻と鼻がぶつからないからキスってしやすいんだなと感心する。これは人生三回目のキスで、と数え直している間にすぐに四回目もやってきた。
    「くち、あけろ」
     息が苦しくなったあたりで牧のくちびるが完全に離れていったが、呼吸を整える時間もロクに与えられないまま言われるがままに開いた口内へと熱くて柔らかい、厚みのある物体が侵入してきた。
     それがやたらあったかい活きの良い刺身・・・なんかじゃなく牧の舌なのだと気がついた瞬間ゾクゾクと背筋に稲妻が走ったような感覚が清田を襲った。驚いて引っ込んだ清田の舌の裏側をざらりとなぞられて鼻か、喉の奥から子犬の鳴き声みたいなきゅう、という変な音がする。
     おまけに牧の手が清田の首の後ろをやたら色っぽく撫でるものだからもう立っているのがやっとで、快感という名前の未知の感覚に清田は小さく身体を震わせていた。
    「・・・今度はどうだった」
    「ベロが・・・柔らかかったです・・・・・・」
    「なんだそれは」
     バスケでぶつかり合った時はあんなにも屈強で頑丈だった牧の身体にこんな柔らかい場所が隠されていたなんて知らなかった。
     肩で息をする惚けた表情の清田を見て、牧は満足気に微笑むと熱を帯びたふたり分の唾液で濡れた自らのくちびるを親指で拭った。そんな些細な仕草でさえ色っぽくて触られてすらないのに背中は腹の下のあたりがむず痒くなってくる。
    「オレは牧さんしか知らないのに・・・やっぱり手慣れてる・・・・・・」
     牧の首筋に甘えるように顔を埋めると、さも当然のように牧が目の前に来た清田の頭を撫で回したり指先にくるくると髪を巻きつけて遊んでいる。
    「お前もさっさと慣れればいい。できるだろう?」
    「牧さんが教えてくれたらできる」
     一体いつどこで誰にあんなキス教わったんですかと問い詰めたくもあるが今、甘やかされているこのかつてないほど美味しい状況を全力で楽しむことと天秤にかけた結果後者が余裕で地面にめり込んだ。
     今なら何をしても怒られない気がするのでちょっとした意趣返しのつもりでほんのりと赤みを帯びた耳朶をあむ、と甘噛みしてみたが咎められることは無く、しかも酒のせいなのかとても熱かった。
    「また帰ってこい」
    「でも牧さん大学卒業したら東京行っちゃうんでしょ。もっと遠くなっちゃうっスよ」
    「ん?なんで知ってんだ」
     しまった、と思わず口から出たせいでべりっと身体を引き剥がされて睨みつけられる。ここ数年、一切本人とは関わらないようにしていたが、その代わりにありとあらゆるコネを使って牧の近況を逐一仕入れていたのがこれではバレバレだ。
     しかも記憶にある限りでは飲み会でもこの話題には触れられていなかった。
    「・・・ダチのアニキの、カノジョの、ハトコが、海南大にいてですね・・・それで、はい」
    「次戻ってくる時はちゃんと事前に連絡をしろ。東京の家も決まったら教えてやるから変な遠慮はせずに俺に直接聞け。いいな?」
     勢いよく首を縦に降ると牧は直ぐに機嫌を治して穏やかな表情に戻った。
     もう、さすがに二人とも我慢の限界で恥ずかしいなんてことは言ってられずにベッドへと雪崩こんだ。清田があくびをすれば牧も続けてあくびをする。眠気を自覚して寝転んでしまえばもうダメだった。
    「あの、一応確認なんですけど・・・これって今流行りのさっきラジオで言ってたワンナイトラブってやつじゃないですよね」
    「ワンナイトもなにも俺たちはまだセックスしてないだろうが」
    「セッッッッ!?」
     動揺が激しく、両手の手のひらで牧の口を塞いでしまった。あまりにも堂々とハレンチなことを言うものだから。
     高校時代に牧が少なくとも、清田の知っている限りでは練習終わりのロッカーで繰り広げられるくだらない猥談に参加していたことはなかったので牧がそう、セックス・・・だなんて生々しくてエッチな単語を口にするなんて。
    「当たり前でしょ。ここはラブホテルじゃないんスよ!しかも、男ですし・・・オレも牧さんも」
    「・・・お前ってヤツはほんと・・・・・・」
    「あっ!また笑って!なんなんスか」
     清田は至って真面目にものを言っているのだが、何かが牧の笑いツボに入ったらしく終いには引き笑いまでして布団をバシバシと叩いている。
    「オレたちお付き合いをするって感じでいいんですかね?キスしちゃったし・・・」
    「試用期間ってとこだな」
    「使用期間?オレのことを牧さんが好き勝手使うってことですか?」
    「全然違う。たぶん漢字が違う」
    「感じが違う?」
     高校一年の夏のインターハイの決勝前日、確かあの日も中々寝付けずに夜更かししていた気がする。緊張と興奮で眠れない清田に小言を言いつつも牧は清田が眠るまでこんな風に雑談に付き合ってくれた。
    「朝は何時までこの部屋いれるんですか」
    「十一時」
    「じゃあ結構寝れるッスね、十時四十五分になったら起こしてください・・・」
     ついに眠気が限界に達し、目を開けているのがしんどくなってきた。牧がナイトテーブルのスイッチを操作して部屋を暗くしたので尚更だ。
    「朝起きたらいなくなってるとか・・・そーゆーのは無しッスよ・・・・・・・」
    「当たり前だ。まだお前から立て替えた会費とホテル代を貰ってねえからな」
    「財布は・・・ズボンのケツポケットに・・・・・・」
    「もういい。わかったから、寝ろ」
     しばらく経って規則正しい穏やかな寝息がすぐ傍から聞こえてくる。清田が眠りこけたのを確認すると牧はそっと清田の髪を撫でてから目を閉じたのであった。
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