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    特異点の向こう側

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    フォ学ネロ晶♀

    しめやかに しとやかに 眩しく照りつける太陽の光は白と黒のコントラストを足元へと落としていた。どこまでも続く蒼穹には一点の曇りも無い。屋上を吹き抜ける生ぬるい風は微かな夏の匂いを含んでいる。衣替えの頃は少し肌寒かった半袖にも、もうすっかりと慣れてしまった。
     ネロはヨーグルト風味のパックジュースにストローを刺した。ぷす、と気の抜けた音がする。爽やかな人工甘味料の味が口内を満たすのを感じながら、日の当たらないベンチへ溶けるように腰掛けた。
    「あ」
     屋上の昇降口からひょっこりと現れた生徒が声を上げた。不良校とも芸能校とも進学校ともデザインの異なる制服を身に纏っている。スカートから伸びる華奢な脚も、夏服の袖から伸びた白い腕も、ネロとはちがう。彼女の夏服姿にはいまだ少し慣れなかった。彼女の右手にはネロと同じパックジュースが握られている。
    「よ」
     ネロは軽く手をあげて挨拶をした。パックジュースを指差す。
    「あんた、いちごみるく派じゃなかったっけ」
     晶は手元のパックジュースとネロを今後に見ながらネロに近づいた。
    「なんか既視感あるなって思って買ったんですけど、あははネロと同じなんだ。お揃いですね」
     そう言って晶ははにかんだ。まるで日差しに照らされた水面みたいにキラキラとしていて、ネロは少しだけ目を細める。晶は「失礼します」と言ってネロの隣に居住まいよく腰を掛けた。わずかに石けんのような匂いがした。
    「……ふうん。じゃ、今度はカフェオレ買おうかな」
    「カフェオレですか?」
    「あんたと同じ色だろ」
     晶は目を瞬かせた。ふは、と笑い声を漏らす。
    「ネロって……もしかしてちょっと気障ですか?」
    「え、あんたが先に言い出したんじゃん」
     晶はまた笑った。ネロは平べったい目つきで、中身がなくなってぺこぺこと音を立てるパックを折り畳む。晶が思い出したように慌てた声を上げる。
    「わ、そうだ……! 私、職員室に行かないとなんでした。放課後、いつものところでいいですか?」
    「ん、了解」
    「また、放課後に!」
     スカートを翻し慌ただしく駆けて行く晶を見送ると、ネロはゴミ箱に紙パックを捨てた。ただ爽やかな甘味料の味は、まだ口の中に居残っていた。



     放課後、ネロと晶は図書室で隣り合っていた。時間が合えばルチルとファウストも顔を出してくれるが、ルチルは生徒会と執筆でもとより多忙な身、最近図書室登校から本格的に復学し始めたファウストは何かとやることが多いらしく、なんだかんだでネロと晶の二人きりで勉強会をすることが日常と化していた。
    「悪いな、いつも付き合わせて」
    「私も復習できますし、お互い様ですよ」
     図書室には二人掛けの机と椅子が三列に規則正しく配置されている。ネロと晶の他にも調べ物や読書をする生徒の様子が窺えた。
     二人の定位置は書架に近い右側の一番奥だ。入口から最も遠いので試験前であろうと慌ただしい足音に集中力を削がれたりもしない上に、書架の影になって人目につきにくい。
     晶はバッグからペンケースとノートを取り出した。広げられたノートには筆致の美しい文字が覗き、丁寧に取られていることが誰の目にも分かる。ところどころに猫のイラストが描かれているのは、彼女が猫好きだからだ。伏せられた睫毛は長い。
     ネロも同じようにノートと参考書を開いた。自分のペースで問題を解いていく。
    「ん……?」
     ペンが止まったネロに気づき晶が顔を上げた。椅子を寄せてネロとの距離を縮める。
    「ここ、よくわかんねぇんだけどさ」
     とんとん、と問題文をペンを叩いて示す。晶は瞬きをして問題文を覗き込んだ。最近気づいたが、彼女は目がいいわけではないらしい。
    「ん……。It is構文で人の性質を表す形容詞が来る場合、主語は of Aで表されます」
     さらさらとペンがノートの上を滑らかにを走る。
    「なので、『It is… of A to do』で『〜するとはAは…だ』の形になります。これに当てはめてみると?」
    「It is careless of her to go……の形になるってことか、なるほど」
     晶の書いた解説の下にネロが解答を書き記す。晶はそれに赤ペンで丸をつけると、猫のイラストを描いた。吹き出しには「good」と書かれている。晶は微かに笑って、椅子を互いの作業の邪魔にならない位置へと戻した。やがて自分の手元へ集中し始める。シャープペンのノック部分を下唇に当てて、考え込む仕草を仕草をしていた。「あ」とネロは声を上げる。晶が控えめにその目を見開いた。ネロはそのまま晶の頬へ手を伸ばす。
    「睫毛」
    「え、」
    「ついてる」
    「どこ?」
    「いいよ、動かないで」
     指先が彼女の前髪を掠めた。晶の身体がびくりと震え、硬直する。枝垂がちな睫毛が揺れた。ネロは僅かに早まる心臓の音を無視した。お互いの心音が聞こえてきそうなほど近づく。彼女の頬はわずかに紅潮していて、感触は柔らかかった。
    「とれた」
    「……ありがとう、ございます」
    「いや、なんかごめん」
    「いえ……」
     晶は何か言いたげに唇を動かしたが、言葉にすることはなかった。再びノートへと向き直る。数秒ほどで彼女は彼女の作業へと没頭した。ネロは指先でそれとなく自分の頬を触ってみる。やはり柔らかさが全然違った。





     ネロは頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めた。窓際の席は日当たりも良く、校庭の様子もよく見えて単調な授業の暇潰しになるので移動教室の際は、いつも窓際の席を選んでいる。抑揚のない教師の声と午後の陽射しはネロを微睡へと誘なう。小さく欠伸を噛み殺した。
     ふと窓の外から騒がしい話し声が聞こえてくる。どこかのクラスは体育の授業中のようだった。今の時期は各々がサッカーや縄跳び、バドミントンなどやりたいことを自由に選択できる。それゆえに話し込んでいる生徒も多く見受けられた。ネロも体育の教師から見えないところで駄弁るタイプだ。ふと、シャープペンシルを回していた手を止める。
     校庭の端の日陰。そこでネロは視線を留めた。晶だ。チョコレートブラウンの髪は一つに束ねられている。その隣にいるのはネロとは面識のない男子生徒だった。多分、同じクラスなのだろう。二人は互いに目配せをしながら面白そうに笑い合っている。男子生徒が晶の肩に腕を回す。晶がまた笑った。
    ──仲、いいんだな。
     ポキリという音がして手元を見る。シャーペンの芯が折れてしまっていた。カチカチとノックを鳴らして再び芯を出す。
     ネロの胸に小さな不快感が音のない雪のように降り積もった。ネロと晶は同じクラスではない。ましてや、特別な関係でも。
     ただの友人だ。でも、友人の中でも特に親しいとは思っている。だから、これは仲のいい友人に親しそうな友達がいたときの感情だ。
     なんとなく居た堪れない気持ちになって窓から顔を背ける。手持ち無沙汰に教室内を視線だけで見回すと、巡回中の教師と目が合いにこりと微笑まれてしまった。ネロは引き攣った笑いを返した。





    「ネロ! 世界史の教科書貸してくれ」
     パン!と勢いよく両手を合わせ、頭を下げるブラッドリーをネロは平べったい目付きで見た。
    「嫌だね」
    「なんでだよ!」
    「忘れたのが悪い。大人しく叱られろ」
    「チッ! 仕方ねぇな、晶に借りるか……」
    「なんでそこで転校生の名前が出るんだよ」
    「ケチなおまえが貸してくれないからだろうが」
     踵を返したブラッドリーはズカズカと隣の教室へと向かう。
    「あっ、おい、こら! おまえ迷惑かけんじゃねーよ」
     ネロは慌ててその背中を追いかけた。
    「よお、晶呼んでくれ」
     昼休みはもうすぐ終わる。教室も廊下もガヤガヤと落ち着きがない。ブラッドリーに声をかけられたクラスメイトは教室を振り返って大声を出した。
    「おーい、真木ー! 用だって」
    「は〜い」
     晶が扉に近づいてくる。ブラッドリーが軽く手を上げた。
    「よぉ」
    「ブラッドリー、ネロも! どうしました?」
     晶はブラッドリーとネロを交互に見てから笑みを浮かべる。ネロは体温が上昇するのを感じた。ブラッドリーを指さす。
    「いや、こいつがさぁ……」
    「教科書貸してくれ!」
    「えっ、また忘れたんですか?」
    「悪りぃ悪りぃ、世界史!」
    「も〜! ちょっと待っててくださいね」
     晶は教室に戻りロッカーを漁った。先程晶を呼んだクラスメイトが何やら声を掛けている。転校生ながらもすっかりとこの学園に馴染んでいた。彼女は人の懐へ潜り込むのが上手い、まるで猫みたいに。晶が教科書を持って二人の元へ戻ってくる。
    「はい、どうぞ」
    「おう、せんきゅー」
     世界史の教科書を差し出すその手首を、ブラッドリーが掴んだ。彼女の手首はブラッドリーが親指と中指で掴んでも、余ってしまうほど細かった。
    「わ!?」
    「おまえ、相変わらずひょろっこいな。もっと魚食え。あ、世界史の礼にこのパンやるよ」
     ブラッドリーはメロンパンを雑に手渡した。晶の顔がパッと明るくなり、声が高くなった。
    「え、これって」
    「購買の馴染みのバーさんがくれたヤツ」
     ブラッドリーがサムズアップしてみせる。
    「食べてみたかったんです、でもいつも売り切れで! ネロが作ってるんですよね」
    「え、うん、まあ」
    「間違いなく絶対美味しいやつだ〜、大事に食べますね」
     晶は大事そうにメロンパンを胸の前で抱いた。ネロは時計を振り返る。休み時間は残り10分もない。
    「悪いな、突然押しかけちゃって」
    「いえいえ! ブラッドリー、次は教科書忘れちゃダメですよ」
    「努力はする」
    「絶対しないやつですよね、それ」
     平べったい目つきで晶はブラッドリーを見た。教室から晶を呼ぶ声がした。
    「ねえ晶ー、次移動だよ」
    「今行くー! ブラッドリーは次世界史で……ネロは?」
    「美術」
    「そっか、ファイトです!」
     晶は軽く二人に手を振って教室の中へと戻っていった。ネロとブラッドリーはそれぞれの教室への帰路に着く。
    「おまえ、距離近すぎねえ?」
    「あ?」
     ネロの言葉にブラッドリーは顔を顰めた。
    「おまえはあいつの何なんだよ、付き合ってもねぇのに」
    「は? 何って……別に、友だちだけど」
    「ともだちぃ?」
     ブラッドリーは呆れたようなため息をつくと、白のメッシュが入った髪をガリガリと掻いた。
    「…………はあ。お前マジか。それで無自覚とかタチ悪いぜ」
    「何が」
    「俺があいつと話したときとか、あいつがクラスメイトと話してるとき、おまえ、ちょっと嫌そうな顔してるだろ」
    「……そうか?」
     ブラッドリーは器用に片眉をあげて、口角を上げた。鼻で笑うような声で言う。
    「別にただの友達だったら、いいじゃねぇか。ほかの奴らもみんな同じだよ、ただの友達。なのに嫌な顔するのはなんでだ? 独占欲か?」
    「別に……そんなんじゃない」
     ブラッドリーがネロに向き直る。「トン」とネロの心臓を人差し指で小突いた。
    「男の嫉妬は見苦しいだけだぜ」
    「嫉妬」
    「んだよ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔しやがって」
     ブラッドリーが眉根を寄せる。ネロは嫉妬という言葉を舌で転がした。妙に生々しい響きを持った言葉だ。
    ──嫉妬? 俺が?
    「おまえは放課後に晶と勉強してるよな?」
    「…………それが?」
    「そのポジションで甘んじてるようじゃ、いつか足元掬われるぜ。あいつの友人の枠に当て嵌まるやつはめちゃくちゃに多い。そのラインから一歩踏み出したいやつもな。お前はどうなんだ、ネロ?」





     雨が降っている。室内はじめじめとしているがクーラーをつける気分にはならなかった。扇風機の回る音がやけに大きく聞こえてくる。
     ネロは課題と向き合っていた手を止めて、部屋の電気を消した。勢いよくベッドへと身を投げ出す。ギシリとスプリングが音を立てた。うつ伏せのままゆっくりと目を閉じる。そのまま微睡の世界へと意識を放り投げた。



     夢を、見ていた。
     紙吹雪が舞い散る空の下で、純白のウェディングドレスを身に纏う女性の姿。「世界で一番きれいだよ、晶」と泣き腫らした友人に声をかけられている。「は、」と声が漏れた。間違いなく彼女が主役だ。
     じゃあ、隣に立つのは、誰だ?
     彼女がこちらを振り向く。心臓が高鳴る。鐘の音が鳴り響く。それは真夏のひまわりも恥いるような眩しさだった。目が離せない。彼女は世界で一番美しい笑みを湛えた。
    「ネロ」
     隣に並び立つのはネロ自身だった。



     ネロはそこで目が覚めた。名前を呼ぶ声がやけに耳にこびりついて離れない。ぼんやりとした喪失感が胸に残る。シーツを握りしめた手に力が入った。汗がシャツに張り付く。
    「はは…………」
     ネロは思わず頭を抱えた。乾いた笑い声が口から漏れる。笑おうとして失敗した表情がそのまま顔に張り付いていた。
    「………………マジかよ」
     もう誤魔化しようがなかった。
     抱きしめたい。触れたい。その瞳に映っていたい。信頼を寄せられたい。親愛を向けられたい。それ以上に特別が欲しい。彼女のたった一つになりたい。欲望は波濤のごとく押し寄せて、とめどなく溢れていく。
    ──好きだ。
     全身の熱が集まったように顔が熱くなる。
    ──好きだ、どうしようもなく。
     自分がこんなにも貪婪なやつだとは思わなかった。ネロはぐしゃぐしゃと空色の髪を掻きむしる。ブラッドリーの言葉が頭をリフレインする。
    ──お前はどうなんだ、ネロ?
    「欲しいさ、俺だって」





     放課後、いつものように二人は図書室にいた。隣に座る晶は何も変わらない。普段通り、教科書とノートを開いてサラサラとペンを動かしている。ときどき聴こえてくる息遣いにも、細い指も何もかもが変わらない。変わったのはネロだけだ。
     手の止まったままのネロに晶は顔を上げて声をかけた。
    「ん、どこかわからないとこありました?」
    「あー……ここがよくわかんなくて」
    「どこですか?」
     晶は椅子を寄せてネロとの距離を縮め、ネロの教科書を覗き込む。吐息が頬にかかりそうなほど近い。ふわりと漂ったのはシャンプーの香りだろうか。ネロは息を呑む。動揺を押し殺して教科書を指した。
    「……ここ、なんだけど」
    「ああ! これはですね──」
     小さな唇が揺れ動く。柔らかそうな髪が華奢な肩に滑り落ちた。細い指先が垂れてきた髪を耳にかける。彼女の小さな耳と首筋があらわになった。日焼けとは程遠い白い肌だった。何もかもが細く、頼りなさそうで目が離せなくなる。晶のしだれがちな長い睫毛がふるりと揺れた。カチリと視線が交わる。
    「ネロ?」
     晶は訝しげな顔でネロを見つめた。そのココアブラウンの瞳の中には呆然としたネロが映し出されている。
    「聞いてました?」
    「…………ああ……うん。聞いてた」
     ネロはのろのろとノートへと視線を落とした。シャーペンを握って問題の解答を書き記す。それを見守っていた晶はうんうんと頷くと、花が綻ぶような笑顔を見せた。
    「正解! です」
    ──ああ、かわいいな。
     ネロはそっと唇を噛み締めた。柔らかそうな肌が目に焼きついて離れない。
     晶は椅子を元の位置に戻した。彼女の髪がふわりと揺れるのに合わせて、また芳香が漂う。晶はまた自分の教科書と向き合って作業を進め始めた。
     柔らかくて、いい匂い。
     ネロのペンを握る力が自然と強くなる。それからはほぼ無心で課題を進めた。
     どのくらいの時間が経った頃か、下校を知らせるメロディが校舎に流れ始めた。図書室のあちこちから椅子を引く音が聞こえて来る。晶の「そろそろ帰りましょうか」の声で二人は図書室を出た。
     夕日に照らされて廊下は黄金色に染まっている。晶はネロの数歩先を歩いていた。スクールバックに付いたストラップが彼女の歩みに合わせてゆらゆらと揺れる。ネロはそれをぼんやりと見つめていた。校舎を出たら、「また明日」でお別れだ。二人の影は寄り添うように長く伸びている。ネロは嘲笑した。実際には隣すら並べていないのに。
     ブラッドリーの言葉が頭にこだまする。
    ──お前は転校生の何なんだよ。
     『友だち』でよかった。どこかで勝手に諦めたような気になって、予防線を張っていた。「そういうものだ」と割り切ってしまえば、心の安寧を保てたから。名前を付けずに全てをうやむやにしてしまえば、なにもかも器用にかわせた。そうすれば、ふとした時に崩れる敬語をかわいいと思ったり、ころころと変わる表情から目が離せなかったり、その細さに緊張したり、隣に並んでいたいと思うこともなかった。そうすれば、彼女の全てが欲しいと願う心にも気付かずにいれたのに、
    ──俺だけに見せて欲しい、全部、全部。一挙一動も見落としたくはない。
     ネロは前を歩いていた晶の手を唐突に掴んだ。晶は驚いたように振り返る。制服のプリーツスカートがふわりと膨らんだ。そのまま華奢な腰を抱き寄せる。スローモーションのように周りの景色が流れていく。
     彼女が何か言葉を口にする前に、ネロはその唇を塞いだ。柔らかい感触と、自分とは少しだけ異なる体温。黄昏に包まれた校舎に晶のスクールバッグが落ちる音が響いた。
     見開かれたココアブラウンの瞳にはネロだけが映されている。
     今、ネロだけが、たった一人で彼女の世界を独占していた。
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