幼少期のとある日の話 とある和やかな日。ボイドールとバグドールは、親であるハカセと共にショッピングモールに買い物に来ていた。まだ幼い2人にとっては初めて行く場所で、ワクワクと心躍らせる2人の瞳は輝いていた。到着するとすぐ、2人はその施設の大きさに驚いた。普段2人が見てきたどんな場所よりも広く、様々な施設が集まっていたのだ。かつての彼らは、一つの世界と呼ばれるほど広大な電脳世界で暮らしていたものだが。
「見てください、ハカセ!お店がたくさんあります!!」
「はは、そうだね。危ないから、あまり離れちゃダメだよ」
「あっ…!あれって、今日ハカセが買いたがっていた商品が売っているお店では!?早速最短ルートで行きましょう、ハカセ!」
「あっちょ、ボイドール!待って…!ほら、バグドールも行くよ!」
ハカセは軽く振り向きバグドールに着いて来るよう促すと、すぐボイドールを追いかけて行ってしまう。当のバグドールは…動く素振りも見せない。彼の意識は今、玩具屋に飾られた赤いロボットのプラモデルに向いていたのである。ハカセ達の言葉は彼の耳に入っていなかったのだ。暫くしてバグドールがふと意識を周りに移した時にはもう遅い。この広いショッピングモールの中、バグドールは1人ぼっちになってしまっていた。
「……は?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、ハカセとボイドールの姿は影もない。見えるのは、自分より遥かに背の高い知らない人間ばかりだ。皆、バグドールの事など見えていないかのように過ぎ去っていく。バグドールはハカセとボイドールから逸れ、迷子になってしまったのだ。まだ小さい彼には、ここが何処かも分からない場所で1人になるのはこれ以上無い不安だった。
「…ハカセ…?ボイドール……?」
そう呟く彼の声は震えていた。青い目には今にも溢れ落ちそうなほどの大粒の涙。堰を切ったようにぶつぷつと切れて頬を伝って落ちていく。
「…どこ、行ったんだよぉ、ぐすっ、はかせ……ぼい、どーるぅ…っ」
ついにしゃがみ込み、ぐすぐすと泣き崩れるバグドール。そんな彼に話しかける2人の少女がいた。
「…キミ、大丈夫…?迷子なの?」
バグドールが顔を上げる。そこには桃色のツインテールの少女と、山吹色のボブヘアをハーフアップにまとめた少女。どうやら2人でショッピングモールに買い物に来ていたようだ。
「お父さんとお母さん、何処にいるか分かる?」
「……」
その優しい声色で問われる質問に、黙って首を横に振る事しかできないバグドール。2人の少女は少し話し込んだ後、バグドールに優しく手を差し伸べる。
「…おいで。お姉さん達と一緒に迷子センターに行こう」
「大丈夫、怖く無いよ」
バグドールは藁にもすがる思いで2人の手を取った。3人でインフォメーションセンターに向かって歩く。到着するまでの時間は、バグドールには永遠にも思えた。
「すみません。この子迷子みたいで…!」
受付に声をかけると、奥から金髪碧眼の優しそうな女性が出てきた。
「まぁ、大変…!ここまで同伴してくれてありがとうございます。あとはこちらで対処しますね!」
そう伝えられると、少女達は安心した様子でインフォメーションセンターを後にした。バグドールは受付に出てきた女性に迷子センターへと連れて行かれる。迷子センターでは、何処かで聞いた有名な音楽家のピアノソナタが流れていた。穏やかで心休まる音色が満ちている。女性はバグドールと目線を合わせ、女神のような優しい微笑みでバグドールに質問する。
「…お名前、教えて頂けますか?」
「…っ」
迷子センターに着いて安心したのか、涙が更に止まらなくなる。せっかくの質問も答えられない。それでも彼女は優しく待ち続けてくれた。暫くして落ち着き、やっと口を開く。
「………バグドール……」
「バグドールさん、ですか…ご家族のお名前、言えますか?」
「……ハカセ…と…ボイドール……」
絞り出したような答えも、きちんと頷きながら聞いてくれた。メモを取り終わるとバグドールの前にキャンディを差し出す。
「…ありがとうございます。今から貴方のお父さん達に迎えに来てもらいますね。少しだけ待っていてください。よかったらこれ、どうぞ」
そう言うと、女性は小走りで部屋を出る。館内放送でハカセ達を呼ぶためだ。キャンディの包装を剥き、口の中に放り込む。安心感の味。甘い。口の中で転がすうちに、目に浮かんでいた涙も引いた。ハカセとボイドールが迷子センターにやって来るのにそう時間はかからなかった。バタバタと外から慌てた足音。ボイドールが駆け込んできた。息を切らせたハカセも追ってくる。
「バグドール…!!」
「あ…ハカセ…ボイドール……!」
「もう…!心配しましたよ…!!」
ハカセとボイドールがバグドールをぎゅっと抱きしめる。
「ふふ、バグドールの目、真っ赤ですね。寂しくて泣いてたんですか?」
「っ、泣いてなんか無い…!!」
ボイドールが軽く煽り、バグドールが言い返す。そしてハカセが間に入って止める。キャンディよりも甘い日常の時間が、3人の間を流れていった。