臆病者の恋 大通りから一本入り、喧騒が薄れ、閑静な住宅街となる手前。
そこに紅茶を専門とする喫茶『ロイヤル・フォーチュン』はあった。
店内は洋風のクラシカルな店構えで、店主が自ら足を運んで揃えたという調度品は、どれも店を厳かに彩る事に成功しており、店内は落ち着いたおとなの隠れ家のような空気が流れていた。
そんな店のカウンター席。
しょぼんと肩を落とした白熊……ではなく、とても体格に恵まれた見るからに好青年という男性が肩を落としていた。
顔は落ち込んだ黄色いポ◯モンのようになっているし、背景に『ショボン』と効果音まで見える。
事情をしっている常連客の何人かが、同情めいた視線を青年に、そして非難まではいかないが、何かしてやれよ、という視線をカウンターの奥に送る。
カウンターの奥では、毛先だけ白い波打つ黒髪、チョコレート色の肌をした青年ほどではないが体格の良い男性が紅茶を淹れていた。
店のマスター、バーソロミューである。
バーソロミューは常連の視線など気にもとめず、涼しい顔で紅茶を淹れきる。
それを青年の前に置いた。
「はい。パーシヴァル。ダージリンでよかったね?」
「……はい」
「ダージリンは和菓子もよく合うんだ。どら焼きいるかい?」
「……はい」
まだしわしわの青年、パーシヴァルにふふっとバーソロミューは吹き出した。
「そんなに欲しかったかい? チョコレート。なら譲って貰えば、」
「私はっ!」
パーシヴァルは顔を上げると、必死な顔で声を荒げた。
「貴方から貰いたかったんだっ……!」
「義理とか本命とかでもなく、バレンタインに先着順に配ってるチロルチョコでも?」
「はい! 昼休みに抜けてくればひょっとしたら手に入れられると!」
結果は私の前でなくなりましたがと、パーシヴァルは肩と声を落とす。
バーソロミューは、はははと軽快に笑うと、「仕方ないなぁ」と、慈しむように目を細めた。
「そんな君にはコレをあげよう。店に飾ろうかと思って買ったんだが、どうにもしっくりこなくてね。よかったらもらってくれないか?」
バーソロミューは一旦引っ込みしゃがみ込むと、小さなラッピングされた小さな鉢植え付きの花をカウンターに置く。
パーシヴァルは多い葉の中に咲く、その濃い赤とも濃い紫とも見える花を見つめた。
「……これは、チョコレートの香りが?」
「あ、よくわかったね。ほのかにチョコレートのような甘い香りがするのが特徴の、チョコレートコスモスという花さ」
「チョコレート……コスモス」
思案するようにパーシヴァルは呟く。
バーソロミューはダメ押しとばかりに、「これは君だけにあげるものさ」と囁けば、パーシヴァルの顔がとたんに輝いた。
犬の尻尾がはえてぶんぶんと振れるのが見えたぐらいだ。
パーシヴァルは「大切に育てる」と約束し、店を出る時も「貴方が私に送ってくれたものだ。大切にする」と大事そうに鉢植えを抱えていた。
バーソロミューはそんな彼を愛おしく見つめ、「バイバイ」と手を振ったのだった。
◆◆◆
『本日、臨時休業』
パーシヴァルが去った後、札をドアの前に吊るす。
幸い、長居する客はおらず、約束の15時には余裕で店を閉める事ができた。
そして15時。
ウィンドチャームを鳴らして入ってくる男性が。
紫髪の精悍な男性はバーソロミューを見るなり、「本当にいいのか?」と問いかけてくる。
バーソロミューは何を今更、と肩をすくめた。
「貴方は私とパーシヴァルの交際を反対している、私も彼に絆され断りきれないけれど逃げたい気持ちがあった。なので協力し合っての逃避行、利害は一致してるだろう?」
一ヶ月ほど前だ。
バーソロミューは店に来た紫髪の男性、ランスロットからパーシヴァルとの関係を聞かれた。
バーソロミューは一つ答えるから貴方も一つ答えてくれと条件を提示してあれやこれやと情報を引き出した。
パーシヴァルは大層毛並みの良い血統書付きの子息である事。
仕事も順調で仕事仲間にも恵まれている事。
本人が語ったわけではないが恋に浮かれている事。
悪い虫がついたのではと心配されている事。
紫髪の名前はランスロット、彼も血統書付きの家系で、パーシヴァルと同じ職場で上司で、それなりの金も動かせる事。
そんな情報を引き出して、バーソロミューは「素晴らしい」と手を叩き、そして握手の為に手を差し出したのだ。
「私はとっておきの悪い虫の自覚がある。どうか私が逃げるのを手伝ってくれ」
と。
提案されたランスロットは驚いた顔をしており、バーソロミューは鳩が豆鉄砲を食ったよう顔も似合うイケメンだなと思った。
そして話し合いが何度かもたれ、計画が練られた。
だから2月14日の午後、バーソロミューは失踪する。
「すでに大事な物は運び出してあるからね。後は私が貴方が用意してくれた海辺の別荘に匿われに行くだけさ」
パーシヴァルは探すだろう。
探偵を雇うかもしれない。
そこはランスロットにスパイでもしてもらって頑張って隠匿してもらおう。
「さ、じゃあ行こうか」
バーソロミューは一度だけ店内を振り返る。彼と出会った店内を。
そして踵を返すと、迷いのない足取りで店を出ていった。