泡沫は夢の中 ざわざわと人の声と足音と、人が動いて服が擦れたり食器が鳴ったり、様々な音が重なった音が聞こえる。
「……バー……」
その中で、心地の良い低く落ち着きのある音が耳に届く。
「……バー……ミュー」
不鮮明だったそれは次第にはっきりと言葉として形となり、鼓膜を震わせた。
「バーソロミュー」
名を呼ばれた。
そう認識し、一気に情報が目から耳から鼻から肌から五感を通して流れ込んでくる。
目の前にはテーブルを挟んで銀髪の青年、心配そうな顔、背後はテーブルや椅子で食べ物や飲み物を運んでいる店員がいる。耳は周囲に座る客達の話し声や、彼ら彼女らが出す物音を拾い、鼻はテーブルの上に乗る紅茶の匂いを感じ取る。肌は麗らかな日差しと陽気を感じ取り、もうすぐ夏だねと話し合っていたのだったか。
「バーソロミュー、大丈夫かい?」
目の前の青年が眉尻を下げ、声に心配を滲ませ問うてくる。
そうだ。この青年と喫茶店に入って紅茶を楽しんでいた。
なぜ青年と喫茶店に入ったのか。デート中、喉が渇いたからだ。
そう。デート。
この青年は恋人で、名前は——
「パーシヴァル」
音にすれば、舌に馴染み、すとんとその存在が心の中に落ちてきてはまった。
「心、ここにあらずという風だったけれど何か心配事でも?」
「……心配事?」
そんなものはない。ないはずだ。
バーソロミューのは頭を振って、グラスを掴むと、水を一口、二口と飲む。
冷たい水が口内に入り食堂をとおり、じんわりと身体を中から冷やしてくれ、少し落ち着いた。
「すまないね。少し、ぼうっとしてしまったようだ。最近ハマッたアニメのおかげで睡眠時間が足りてないせいかな? もう大丈夫だから安心してくれ」
ニパリと笑うが、パーシヴァルの表情は晴れない。このままではデートをやめて病院にと言い出しかねない心配性の彼に、バーソロミューは困ったと眉を下げる。
「やっとデートができたんだ」
なぜやっとなのか? そうだ。仕事が忙しかった。
それにそうだ。忙しい中、パーシヴァルが色々と調べてデートプランをたててくれたのに、台無しにはしたくない。
「互いに忙しくやっとのデートだ。君がねってくれたプランでね。少し休めば問題ないぐらいの体調不良で台無しにはしたくない」
「……体調が悪化するようなら、すぐに伝えて欲しい」
「もちろん」
バーソロミューは大きく頷いて、頑固なパーシヴァルが折れてくれた事にホッとして紅茶を飲もうと目の前のカップに視線を落とす。よかった。まだ半分以上、残っている。
取手に指をかけてカップを持ち上げ、一口含む。
「それではバーソロミュー。友達の話の続きを聞いても?」
ゴクンと飲み込み、頭をフル回転させる。
友達の話?
ぼうっとする前はなんの話をしていたんだ?
分からないと答えればパーシヴァルによって「やはり心配だから」と強制的に病院に連れていかれるかもしれない。
どうやって聞きだそうか、ヒントはないかと考えていれば、パーシヴァルが正解をくれる。
「『友達の話なんだが、恋人に不満があるらしくて』と」
もう一口飲もうと思っていた紅茶をゆっくりとソーサーに置いた。意識して、ゆっくりと。そうしなければ叩きつけてしまいそうだったからだ。
だって友達て。
もう自分の話をしますよと告白しているようなものではないか。ぼうとする前の私、何をしているんだー!?
「……パーシヴァル、その“友達”はけっして別れたいとかではなく、痘痕も靨でそういう所も好きだし無理してなおして欲しくはないが、いや中にはなおして欲しいのもあるが、それはいったん置いといて、大好きだがやっぱり不満は不満というややこしい状況で、ただ吐き出したかったのだと思うんだ。なので聞いた内容はすぐに忘れるように」
「……それがまだ聞いていなくて」
「そうなのかい?」
助かった。セーフ。
と、胸を撫で下ろすも、その撫で下ろしたてをすぐに上げる事となった。
「あぁ。『食事の適量を知らない。盛るな』というのと、『悪気はないのは理解しているが必要以上に世話を焼かれお姫様のように扱うわれるのは、むず痒い前に舐めてんのか? と思ってしまう』というのと、『身内判定した者には意外と雑。それは構わないが、報連相の連をちゃんとしろ。緊急時でもないのに途中の連絡を抜かす傾向がある。下手をすると相談もない。恋人なら事後報告で分かってくれるからという信頼はいらない』は聞いたのだけれど」
「けっこう喋ってるね?!」
セーフじゃなかった! 全然セーフじゃなかったー!
バーソロミューが気づいてるのか? 気づいてないのか? と探るようにパーシヴァルを見れば、彼はニコリと微笑む。
「まだあるらしく、その話の途中だった」
まだありはする。不満は。
だがこれ以上語る必要はないだろうと。どうにか誤魔化せないかと思っていれば、真剣な声が耳に届く。
「おそらく忙しいとか、デートに関する事で、私は知らなくてはならないんだ」
「……」
パーシヴァルを見れば、笑顔を消して真剣な目でバーソロミューを見ていた。
これは誤魔化せないかと、バーソロミューはため息をつく。
「……友達の恋人はとても健気でね。友達が年上で経験豊富でデートもしなれていて愛も捧げられ慣れているだろうからと、いもしない過去の奴等に対抗して、忙しい中、友達を楽しませようとデートプランをねってくれるんだ。そりゃあ豪華なディナーも世界の絶景も現代の水族館や遊園地も楽しいし嬉しいけれど、部屋で一緒にベッドに腰掛けてだらだらすごすだけでも君となら素晴らしい時間だとも」
時間が合えば必ずどこかに出かけるのではなく、部屋で二人っきりでまったり過ごしたい。
資材集めやQP集めの周回で忙しいだろうに、あれこれと気を回し過ぎないで欲しい。
シミュレーターのおすすめデートコースを聞いて回るなら、バーソロミューも共に……
「ん? あれ?」
資材集め? シミュレーター?
知らないはずの知識が頭の中にある。
カルデア? ストームボーダー? マスター?
なんだこれは? 私は会社員で、パーシヴァルの恋人で、今日は久々のデートで、喫茶店に入って……あれ? 喫茶店に入る前、どこでデートしていたかの記憶がない。パーシヴァルとの出会いは? 会社名は?
混乱し、助けを求めるようにパーシヴァルを見ようとする。
「バーソロミュー」
いつの間にか横に立っていた彼は座るバーソロミューの頭を抱き寄せた。
「ありがとうバーソロミュー。私は絶対に貴方を取り戻してみせる」
その言葉の後、ぐにゃりと歪む視界。
音がなくなり、視界もなくなり、匂いもなくなり温もりもなくなり、そして意識が完全に闇に飲まれた。
◇◇◇
引きずり戻されるように、意識が浮上する。
「っ」
ガバリと顔を起こせば、目の前には眠る前と変わらずベッドに横たわるバーソロミューが。
パーシヴァルは恋人の顔に手を伸ばし、頬に触れ、もう一ヶ月は言葉を発していない唇に指を当て、呼吸をしている事に安堵する。
そんなパーシヴァルに淡々と話しかける声。
「今回も成功よ」
「……ありがとうございます。メディア殿」
「マスターに頼まれているからよ。貴方に礼を言われる事ではないわ」
メディアは出入り口であるドアを開ければ、振り返らずに言葉を残す。
「それじゃあ、また、準備が整い次第」
「はい」
ドアが閉まり、静寂が部屋に訪れる。
パーシヴァルは自分だけが握りしめ繋いだ手を持ち上げ、その手の甲に口付けを落とした。