まだ未定 一台の車が山道を走っていた。周囲は木々のざわめきと蝉の鳴き声に囲まれており、都会の喧騒とはかけ離れている。深緑色の樹葉は日の光によって碧緑に輝いている。そこから零れ落ちる木漏れ日は、僕らが通る道を自然の幾何学模様で彩っていた。周囲の景色は殆どが背の高い杉林だったり雑木林で、あまり面白みはないというのが正直な感想だ。時折、ところどころ利久鼠色に覆われているガードレールの先に小川が目に入るがそれだけだ。
そろそろ小腹が空いてきたな、とハンドルを切りつつ思案していると、口元に菓子が運ばれてきた。助手席のミゲルにお礼を言いつつ、そのままいただく。僕が好きなチョコレート菓子だった。糖分が脳にしみる。
「お前、これ好きだろ?」
「うん、好き。あいがとな。」
咥えながらだから喋りづらい。ポリポリと食感のいい細身のプレッツェルの中にチョコレートがたっぷりと入っているこの菓子は、味もさることながら作業中につまみやすいのが良い。黙々と食べ進めていくと、もう一本差し出された。
菓子の袋をドリンクホルダーの所に置いてくれれば自分で食べるのだが、それはミゲルの手の中に収まっている。ミゲルは僕に食べさせるのが好きなようで、運転中以外でもほら、と言って手ずから食べさせてくる。初めは少し躊躇していたが、今では手元を見ずに口を開けている。普通に、自分で取るより食べさせてくれるのは楽だし、毎回何か食べたいと思ったタイミングでスッと最適解を持ってきてくれるので助かっているのだ。
今も喉が渇いたなと思ったら、水でいいか?と蓋の空いたペットボトルを差し出してくれる献身ぶり。毎回助手席にミゲルが来て欲しいと常々思う。
ふと、他二人の様子が気になりカーブミラー越しに後部座席を伺う。変わり映えしない景色に早々に飽きたのか、この道で行こうと言った言い出しっぺの友人は、いつの間にか静かになっていた。その友人に肩を貸している方も釣られてか船を漕ぎ始めているようだった。言い出しっぺの方は午前中結構な距離を運転してくれたのでぐっすり夢の中だ。もう一人は完全夜型なのに、この旅行中僕らに合わせて起きるのを頑張っていたからその疲れが出たのだろう。
ミゲルはそんな二人に全くこいつらは…と呆れかえっている。けれど、二人を見つめる目線は慈愛に溢れていて内心が丸分かりだ。二人の眠りを妨げないよう、なるべく丁寧な運転を心がけた。
山深い所に通っているこの道は車通りが殆どなく、一時間ほど前に一台の軽トラとすれ違っただけだ。数十年程前に、高速道路ができたためこの下道を利用する人は激減し、野鳥を撮影しに来る人や行政などが稀に利用するくらいだ。そのため、道路脇には小石や木の枝があちらこちらに転がっている。
だからだろうか。突如、鈍い音とともに車体が傾いた。慌ててブレーキを踏み車を停止させる。後部座席にいた奴らも振動で起き、何事かと目を白黒させている。皆で外に出て、車の状態を確認すると、左側の後輪がぺちゃんこになっていた。
スマートフォンを取り出すも、画面に表示されるのは無情な「圏外」の二文字。こんな山奥なのだから当たり前である。助けを呼ぶ手段は断たれてしまっている。
「……これ、結構ヤバくね?」
周囲の木々のざわめきが異様な程耳に入ってきた。
その後、僕らは電波が繋がる場所が近くにあるかもしれないという希望を胸に周囲の探索を始めた。半刻ほど経った頃だろうか。木々が生い茂っていて見えにくいが、屋根のようなものが見えた。その奥は平野の可能性が高そうだ。
「あれ集落っぽくないか?」
「どこだ?俺は目が良くないんだ」
「どれどれ…おー、それっぽい」
「民家っぽいし奥は開けてそうだな。よし、行ってみようぜ。」
「賛成」
「えー、本気か?」
僕はあまりの展開の速さに思わず声を上げてしまった。内心、それが賢明だろうと冷静な頭は判断している。けれども、魚の小骨が歯に挟まっているような違和感がある。
「本気本気。だってこのまま彷徨ってても埒が開かないだろ?」
「まぁそうだけどさ。」
「ザベちは何を躊躇ってんのさ!逆に見つけれてラッキーだろ。」
「集落付近に行けば、電波が回復するかもしれないしな。」
「そーゆうこと。な?行ってみる価値はあるだろ?」
「そうだな。その前に、車に戻って着替えとか取って来よう。」
「あーそれならミゲルんとザベちで行ってきてくんね?俺ら結構バテ気味だし、この場所見失うのもアレだろ?」
「お前らの荷物は預かっておくぞ。身軽で行った方がいいだろ」
「しょうがないな。じゃあ荷物番は頼むぞ。」
「俺らが帰ってくるまで存分に休んでろよー。次の荷物持ちにさせてやるからな。」
「うぇー」
「それくらいはするさ」
「……なるべくゆっくり帰ってこいよー」
「ははっ、早く行こう、ミゲル。」
「そうさな。お早いお帰りをお望みのようだからな」
後ろ手にこんにゃろー!と叫んでいる友人から逃げるように僕とミゲルは車へと急いだ。
地図ではここら辺に集落があるって載っていなかった気がするんだが……よっぽどの秘境なのか?
ふと、僕の頭に違和感がよぎったがミゲルに急かされたため、それは頭の片隅に追いやられていった。