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    ぎん→かほ片想い本「君の知らない物語」ケツ叩きサンプル
    表紙等込の正式な告知とサンプルは後日アップ予定です。
    内容に一部変更の可能性があります。

    君の知らない物語(ケツ叩き)「お疲れでした花帆先輩」
    「うんお疲れ吟子ちゃん。良かった~みんな喜んでくれてたね!」
    「そうですね、コメントもたくさんいただいていましたし」
     花帆先輩と二人での映画談義配信を終えた夜のことだった。
     慣れている花帆先輩のおかげもあって配信は好評に終わり、ホッと一息ついたところで、花帆先輩がやりきったような表情でニコニコしていた。
     配信のアーカイブを見返すと、オススメの映画だったり、私たちの挙げた映画に「面白いよね!」なんてコメントがもらえていた。
     先ほどまでの配信をみんなが見てくれていたのか、メッセージアプリに大量の通知。
    各々好きな映画やみんなで見たい映画をコメントしてくれているらしい。
     温かい気持ちになりながらもスマホの電源を落とす。
    「ん~~……! じゃあ名残惜しいけど……支度し始めなきゃなぁ」
    「花帆先輩?」
     いつもの花帆先輩ならこのまま映画の話題を消灯直前になるまで続けるというのに、今日は珍しく、伸びをしながらやりきったような表情をしている。
     支度……?
    「あ言ってなかったけ? あたし明後日から長野の実家に3日くらい帰るつもりなんだ」
    「そういうことですか、ゆっくり羽根を伸ばしてください」
    「ありがと~」
     合点がいった。
     それなら私も花帆先輩の部屋に長居してしまうと準備のお邪魔になるだろう。映画の話の続きはまた今度するとして、このあたりでお暇させていただこうとしたんだけど……
     花帆先輩が何やら考え込むようなそぶりをしている。
     ……なぜだろう。嫌な予感がする。
     それでも目の前で眉を顰めている先輩の姿を見たら声をかけずにはいられなかった。
    「どうしたんですか? 花帆先輩」
    「あ、え~とね、何か大事なことを忘れているような気がして……」
    「あぁ……夏休みの宿題とか?」
    「うっ! それは……確かに大事かも……」
     苦々しい表情を浮かべる花帆先輩。
     一週間ほど前、私の失言がきっかけで「カッコイイセンパイになる!」と意気込み、夏休みの宿題を今更になってやり始めた花帆先輩。夏合宿の最中に花帆先輩は多分宿題をやっていないはずなので、進捗はどうなっていることやら……
     ため息交じりに進捗は大丈夫そうかと尋ねても、花帆先輩からもため息とともに返事が返ってきた。
    「ぼち……ぼちかなぁ……さやかちゃんに色々教えてもらいながらではあるんだけど……」
    「ん、そっか」
     それなら良かった。
     いくら花帆先輩の頼みとは言えど、一年生の私では二年生の花帆先輩の夏休みの宿題を手伝ってあげることは難しいから。いや、手伝えるなら手伝ってあげるというわけではないんだけども。
     自身の宿題、綴理先輩へのお世話……? と、小鈴への練習の指導。それからフィギュアスケートと多忙を極めるさやか先輩を困らせてないと良いけれど……ただでさえこの間体調を崩されていたし……
    「あ、思い出した!」
     閃いたと言わんばかりに目を輝かせながら私へ視線を向ける花帆先輩。
     ……え? 私?
    「……夏休みの宿題以上に大切なことって今あるん……?」
    「えっ、いっぱいあるよぉ~、ラブライブ!出場に向けて練習はしなきゃだし、それに夏休みは有限なんだよ吟子ちゃん!」
    握りこぶしを固めて熱弁する花帆先輩だけど、夏休みが有限だからこそ夏休みの宿題は計画的に進めておかないといけないんじゃ……?
     と思ったけれど、どうせ困るのは花帆先輩だし……もうなにも言うまい。
    それにもしかしたらさっきまで話していた映画観賞会についてかもしれないし。それならまぁ……私にも関係あるし、興味はある。
    「思い出したんだよ吟子ちゃん。あたし、梢センパイと吟子ちゃんのお家にお邪魔したことがあるじゃない?」
    「梢センパイの家については私は知らないけれど……少なくとも私の家には確かに来てもらったね」
     あぁでも合宿のラジオ配信中、梢先輩の実家のベッドの大きさがどうとか言ってたっけ。
    「うんうん。あの時は楽しかったなぁ~」
     先月、大倉庫で見つけた衣装の修繕のために私のお婆ちゃんと、私の好きな伝統をみんなに見てもらうために来てもらったときのことだ。
     花帆先輩が楽しんでくれていたことに少し嬉しさを感じつつ、話を進める。
    「えっと、それがどうかしたん?」
    「そう、花帆は気づいてしまったのです! 梢センパイと吟子ちゃんがあたしの家に来たこことがないって!」
     思わず眉を顰め、首を傾げてしまう。
     何を言いだすのかと思ったら……
    「花帆先輩の家が長野にあるんだから、それは当然でしょ?」
    「うん、それはそうなんだけどね?」
     自分でもわかっているらしい。
     よかった。
     それじゃあこの話は終わりで……とはいかないらしく、花帆先輩は笑いながら──
    「だからね、明後日あたしと一緒に長野に行かない?」
    「は?」
     え? 花帆先輩の長野への帰省に私もついていく……?
    「いや意味わかんないし、一人で帰りなよ花帆先輩」
     急な話というのも当然そうだけど、なにより遠く離れた家族と久しぶりに会うのだから家族水入らずでゆっくり過ごすのが良いと思うけど。
    「え~そんな寂しいこと言わないでよ吟子ちゃん!」
    「いや私が花帆先輩の家に行く意味がわかんないし……」
    「意味ならあるよぉ~だってあたしたち友達でしょ!?」
     言われると思った。
     確かに私と花帆先輩は、花帆先輩の言う通り友達のような距離感ではあるけれど……
     でも友達の家だからって長野のお宅まで遊びに行くかと聞かれると……どうなんだろうか。こういうところで友達がこれまでいなかったのが響いてくる。
     その論点で言えば花帆先輩は梢先輩と「友達」ではないでしょ? とは言いたくなったけど、話がややこしくなりそうだったので口を噤む。
     ただそんな私の受けに回る姿勢は悪手だったようで。

    「そういえばこの間から姫芽ちゃんから聞いたんだけど吟子ちゃん、あたしの実家に行きたがってたって聞いたよ?」
     …………今なんて言うた?
     聞き間違いじゃなければ私が花帆先輩の実家に行きたがってると、姫芽から聞いたと花帆先輩が口にしたような。
     え? なんでほんな話が?
     頭の中が疑問符で埋め尽くされ、それでも思考を巡らせると……思い至った。
     あぁ……なるほど、あの時の話を姫芽が……っ!
     遡ること一か月ほど前、ラナンキュラスのお花畑で撮影会をしている最中のことだった。
     足元に広がるラナンキュラスのお花に感動し、花帆先輩の家で育てているのもいつか見て見たい──と、コメントしてしまったのが姫芽に聞かれてしまい……
     にへらとした笑みを浮かべながら花帆先輩にアタシから伝えておこうか~? と茶化されたのを絶対にやめてと釘を刺したはずだったんだけど。
     姫芽、花帆先輩に言ったんだ。
     ふぅん……しかも口ぶりからしてラナンキュラスを見てみたいと言った発言を切り抜いて伝えているみたい。
     後で姫芽は絶対に問い詰めるとして、今は花帆先輩への誤解を解かなければならない。
    「違うんよ花帆先輩、別に私、花帆先輩の実家に行きたいって言ったわけじゃないんよ」
    「そうなの? でも姫芽ちゃんはそう言ってたけどなぁ?」
     不思議そうな顔をする花帆先輩。
     やっぱり姫芽は「私が花帆先輩の実家に行きたがってる」と伝えたらしい。
    姫芽は今度正座させよう。
    「この間私たち一年生で撮影会をしたんですけど……花帆先輩ご存じですか?」
    「うん。その時に吟子ちゃんがあたしの実家に行ってみたい~って言ってくれたって聞いたけど……?」
    「そうじゃないんです。別に花帆先輩の家に行きたいと言ったわけじゃなくて、花帆先輩のお家で育ててるラナンキュラスを見てみたいと呟いただけで……」
     私の弁明を聞いた花帆先輩が納得したように二度三度頷いてくれた。
     これで花帆先輩もわかってくれるはず……と、思ったけど花帆先輩はまた首を傾げる。
    「え? それってやっぱりあたしの家に行ってみたいって話じゃないの?」
     …………
     ………………
     ……………………
     …………………………そういうことになるんやろか。
     そういうことになるみたいだ。
     どうあがいても言い逃れできそうにないことに恥ずかしさであったり、謎の敗北感に襲われていたところに、花帆先輩が眉を八の字にさせながら謝って来た。
    「でもそう言う話ならごめんね吟子ちゃん……実はこの時期ってラナンキュラスはもう収穫しているから……」
     別に謝ることでもなんでもないのに花帆先輩が謝って来た。
     いやだから、本当に私別に花帆先輩の家に遊びに行きたいわけじゃ……
    「……ねぇ吟子ちゃん、確かに今あたしのお家、ラナンキュラスは植えてないオフシーズンで面白いものは余計になんにもないんだけど……おねがぁい……」
     私の手を取り、瞳を潤ませながら上目づかいでおねだりしてくる花帆先輩。
     うっ……
     花帆先輩にこれをやられてしまうと無下にできなくなってしまう。
     どうしても私は花帆先輩のこのおねだりに弱いらしい。
     いやいや流されちゃダメ百生吟子……っ! かくなるうえは……!
    「ほら、私よりもまず梢先輩に予定聞いた方がいいんじゃない……!?」
    嗚呼、梢先輩ごめんなさい。
     そう心の中で謝りながら苦肉の策を絞り出すと、花帆先輩はそれもそっか、と納得してくれたと思いきや、パッと表情を変えた。
    「それもそうだよね! 梢センパイにも声かけなきゃだよね、行こっか、吟子ちゃん!」
    「えっ、ちょっ、花帆先輩!?」
     花帆先輩から唐突に手を引かれて部屋を出る。
     あまりの話の速さに困惑してしまったけれど、梢先輩ならきっと花帆先輩を止めてくださるだろう。
     観念しつつ、引かれるままに廊下を歩いて梢先輩の部屋へたどり着く。
    「梢センパ~イ、こんばんはっ!」
    「あら二人してどうしたのかしら、ひょっとして映画観賞会のお誘いに来てくれたのかしら? とりあえず入ってちょうだい」
    「は~い」
     花帆先輩が扉を数回ノックすると梢先輩が麗しい笑みを浮かべながら私たち二人を仲へ招き入れてくださった。
     花帆先輩はなんでもない顔をして梢先輩の部屋に入っていくけれど、私は梢先輩のお部屋に上がらせてもらうことなんてほとんどなかったのでどうしても緊張してしまう。
     花帆先輩、普段どれだけ梢先輩のお部屋にお邪魔しとるん……?
     そんな私からの視線には気づかず、梢先輩とさっきまでの映画談義配信について梢先輩と語り合っている。
    「さっきの配信素晴らしかったわ花帆、吟子さん」
    「えへへ、ありがとうございます!」
    「ありがとうございます」
     梢先輩が穏やかな笑みを浮かべながら私たちを褒めてくださった。
     それから話は本題に移り変わり花帆先輩が梢先輩にも明後日からの帰省で一緒に長野へ行かないかと梢先輩を誘っている。
     ああ、さっきは褒めてくださったのに梢先輩ごめんなさい……私に花帆先輩を止めることはできませんでした。でも梢先輩ならきっと、きっと花帆先輩を止めてくださるはずと、思っていたんだけど……
    「──ということなんですよ梢センパイ! どうですか? あっ! 長野って星がすごい綺麗に見えるんですよ?」
    「あらいいじゃない、素敵なお話ね」
    「えっ」
     梢先輩なら花帆先輩の提案もやんわりとたしなめてくださると思ったけど、目論見が外れてしまった。
     梢先輩は花帆先輩にとても……それはもう、普段姫芽が飲んでいるいちごミルクくらいに甘やかしてしまうところがあるけど……今回はそっちだったみたいだ。
     けれども口では素敵な話ねとは言いつつ、少し残念そうな表情を浮かべる梢先輩。
    「ただ……ごめんなさい花帆。実は私も家に帰らなければならなくて……」
    「あっ……そう、ですよね……」
     申し訳なさそうにする梢先輩と、しゅんと落ち込む花帆先輩。
    「ただ帰るだけなら家も近い私が日にちを改めればいいのだけれど……乙宗家の演奏会に出席することになっているから……」
     梢先輩のご実家は有名な音楽一家。そう言うこともあるだろう。
     梢先輩がどんな楽器を演奏なさるのだろうか……など興味は湧いてくるけれど。
     ともあれ、これで長野旅行の話は流石になくなるかと思いきや、思わぬ方向から援護射撃が飛んできた。
    「スクールアイドルとして好きにさせてもらっているとはいえ私も乙宗家の娘。年に一度くらい、親孝行をしたいから……」
    「そんな気にしないでください! ご家族との予定は大事ですから!」
    「ありがとう花帆。それにね、私も親戚に会えるのは純粋に楽しみにしているから気にしないで頂戴? もちろん吟子さんも」
    「あっ……はい……」
    「そういうわけだから、今回は二人で長野を楽しんできてちょうだい」
    「えっ?」
    「いやいやいや梢先輩抜きでなんてそんな……」
    「私のことは二人とも気にしないで頂戴、ね? せっかくの夏休みなんですもの」
    「え、え~~……」
     梢先輩が微笑む反面、花帆先輩は残念そうというか、不服そうな表情。
     今回は花帆先輩に私も賛成。梢先輩抜きで私たち二人だけで楽しむなんて……
    「夏休みが終わったらいよいよラブライブ!に向けて忙しくなるから時間を合わせるのも難しくなると思うから……ね? 花帆」
    「む~~……わかりました梢センパイ、ラブライブ!が終わったら絶対、ぜ~ったいあたしの家に遊びに来てくださいね?」
    「……えぇ、約束するわ」
     私抜きでどんどん話が進んでいく……っ!
     別に私、梢先輩を誘わなくてもよいのか確認しただけで、行くとは一言も言ってないのに!
    「ね吟子さん、花帆をよろしく頼むわね」
    「え、えぇ~……」
     何をよろしくされたのかはわかりかねるけど、梢先輩からもお願いされてしまっては断るに断れない。
    「あたしの扱いが手間のかかる子供みたいになってませんか梢先輩!?」
    「あら、そんなことはないわよ? ごめんなさい花帆」
    「も~~あたしだって吟子ちゃんの先輩なんですからね! むしろアタシが吟子ちゃんをエスコートしますから!」
    「それはお土産話が楽しみになりそうね」
     花帆先輩は私の友達なのか先輩なのかどっちなん?
    「それじゃあ話は決まりですね! 梢センパイが来れないのは寂しいですけど……吟子ちゃん楽しみにしててね!」
    「え、えぇ……? 私まだ行くって言うとらんのに……」
     思わず眉尻が下がってしまう。
     そんな私のリアクションをに対して悲しそうな顔をする花帆先輩。
     もう本当に花帆先輩はしょうがないんだから……
     経緯はどうあれ、花帆先輩の実家に行ってみたいと言ったのは私なんだし、今回は諦めるとしよう。それに、私が見張っていないと花帆先輩実家でずっとダラダラ過ごしてしまうかもしれないし。
    「……はぁ、私も一度お婆ちゃんに報告して良いよって言われてからだからね……?」
    「吟子ちゃん……っ!」
     観念して、譲歩すれば目を輝かせて私に向かって両腕を広げてくる花帆先輩。
     あ、まずい、これは抱きついてくるやつだ。
     とっさに防御姿勢を構えるも花帆先輩の方が早く、あえなく確保されてしまう。
    「ありがと吟子ちゃ~ん!」
    「ちょ、ちょっと花帆先輩引っ付かないで!」
    鼻先に触れる花帆先輩の髪の匂い。
    「はっ!? これって所謂お家デートってやつじゃ……!?」
    「全然違う! 絶対に違うから花帆先輩!」
    「あらあら……」
     私に抱き着いて離れない花帆先輩。
     梢先輩はどうやら助けてはくれそういないみたいだ。
     (不本意ではあるけれども)長野旅行の話は固まってしまったので、それからは三人で消灯の間際まで映画について語りつくした。

     ……梢先輩が、どこか寂しげな表情をしていたのは、気のせいやろか──。

       *

     映画談義配信の翌日、花帆先輩と長野へ行く前日の夜。私はというと部屋での荷物整理を終え、今は姫芽の部屋を訪れている
     目の前で正座する姫芽を見下ろし、腕を組む。
     隣であわあわと口元を押さえながら、私と姫芽どっちの見方をするか慌ただしく見守っている小鈴。ごめんね小鈴、今日を逃すと帰ってくるまで時間が作れなさそうだったから……
     そんな姫芽と小鈴二人の前で私は……仁王立ちをしていた。
    もちろん、姫芽を問い詰めるために。
    「どうして正座させられているのかわかってるよね? 姫芽」
    「……なんでかなぁ~?」
     にへらと笑い、とぼける姫芽。わざとらしく脚がしんどそうな素振りをしていることには気づかないことにしつつ、問い詰める。
    「しらばっくれないで、花帆先輩に私が実家に行きたがってるって言ったでしょ」
    「あ、あはは~アレのことですかぁ、吟子ちゃん良かったねぇ花帆せんぱいとお泊りできて」
     ……ふぅん、そっか、そういう態度をとるんだね、姫芽。
     姫芽がそういう態度なら、今回は私にも考えがあるんよ。
    「ねぇ小鈴。チャレンジしよっか」
    「はわわわわ……ほえ? チャレンジ?」
    慌てふためいてこちらを見守っている小鈴に声をかけると、目を丸くして首を傾げた。
    何をするかわわからないけれど、チャレンジという単語に瞳の奥を輝かせているのがわかり、小鈴は可愛らしいなぁと思いつつ本題へ。
    「そう、チャレンジ。正座する姫芽の脚に辞書を積み上げていくの」
    「待って待って待って待って吟子ちゃ~ん? それ江戸時代に実際にあった拷問だよねぇ? 勘弁してほしいなぁ~?」
    「そう……姫芽、江戸時代から続く「伝統」だよ」
     本当は足の下に三角形にした角材を置くんだけど……
     まぁ、今日のところは正座に重しを乗せるだけで勘弁してあげよう。
    「ぎ、吟子ちゃん!? 伝統って言えばなんでも許されるわけじゃないと徒町思うな!?」
    「ほら吟子ちゃん、小鈴ちゃんもそう言ってるし、目を覚まして欲しいなぁ、アタシが悪かったからぁ~……」
     おかしいな、それなら花帆先輩がわたしに言ってくる「伝統」はなんだというのだろうか
     花帆先輩がいつも私に使ってくる「伝統」という単語がもはや、対私への免罪符のようになりつつあることには前向きに保留しつつ、目の前の姫芽を見下ろすように歩み寄る。
    「おかしいよぉ……そんな伝統、いくらなんでも人権とかなんやかんやで戦後の日本じゃ禁止されているはずだよぉ……」
    「ま、流石にそれは冗談として」
    「よ、良かったぁ……」
     小鈴が胸を撫でおろす。ごめんね小鈴、今回の件は小鈴はなんにも悪くないのに。
     この状況については二人が仲良くゲームをしている部屋に乗り込んだ私が悪いのだが、元をたどれば花帆先輩にあの件を言いふらした姫芽が圧倒的に、絶対的に、明確に悪い。
     わざとらしくめそめそした声を上げ、萎れた表情をして見せる姫芽を見ていると、やっぱりもうしばらくこのままでもいいんじゃないだろうかという悪戯な感情が仄かに芽生えそうになったけど……仕方がないので解かせてあげた。
    「で、どうして花帆先輩にあの時のこと言いふらしたん?」
    「やぁ吟子ちゃんが花帆せんぱいともっと仲良くなれたらなぁと思いましてぇ」
    「余計なお世話、ほんっとうに恥ずかしかったんだから」
    「でもでも、話を聞く限り姫芽ちゃんが言っても言わなくても吟子ちゃんなら花帆先輩に連れていかれることには変わりなかったと思うけどなぁ……」
     そう言って頭を掻きながら言ってくる小鈴。
     言外に「吟子ちゃんは花帆先輩の頼みを断れないもんね」とか「花帆先輩の押しに弱いもんね」とでも言いたそうな顔をしている。
    「小鈴も花帆先輩に迫られたらわかるから」
    「徒町まだなんにも言ってないのに」
    「顔にそう書いてあるから」
    「ってことは吟子ちゃん、花帆せんぱいに迫られたら断れないって自覚はあるんだねぇ~」
    「姫芽、まだ正座したい? ステージ設営の余りの角材なら持ってくるよ?」
    「ひえっ」
     閑話休題。
     そもそもどうして、姫芽が私と花帆先輩の関係を気にかけてくるんだか。
     そこがわからない。
     ひょっとして面白がってるだけ……?
    「あ、花帆せんぱいにタジタジな吟子ちゃんを見るのが面白いのは、半分本当なんだけどね?」
    「うん、吟子ちゃんと花帆先輩が仲良しなの見てると徒町も嬉しいなぁ~って気持ちになる!」
     ふ、二人して私と花帆先輩のこと面白がっとるん!?
     面喰ってしまった私の顔を見ると姫芽はまた悪びれもせず、にへらと笑いながらごめんよぉと謝ってきた。
    「まぁ当たらずとも遠からず。ってところかなぁ。あたしは」
     もったいぶるような言い回しをする姫芽をせかすように答えさせると──

    「だって吟子ちゃん、花帆せんぱいのこと好きなんでしょ?」
    「は?」

     耳を疑うようなセリフが帰って来た。
     私が、花帆先輩を、好き?
     何言いとるが?
    「……え? あれ? 吟子ちゃんその反応、もしかして自覚なかった……?」
    「えっ、徒町もてっきりそうだとばかり思ってたよ?」
     待って欲しい、私小鈴にまでそう思われとったん?
     おかしい。
     私が花帆先輩のことを好きだなんて、そんなはず……
    「あ~~~そっかそっか、いやごめんね吟子ちゃん、アタシの勘違いだったかもしれないや」
    「あの、徒町も、吟子ちゃんは口ではなんやかんや言いつつも花帆先輩のことが好きだとばかり……」
     いや、そんなはず、え?
     た、確かに花帆先輩のことは周りを笑顔にしてくれるところとか、努力する姿は尊敬できると思ってるけど……
     花帆先輩を、好き?
     私が困惑した表情を浮かべていると、姫芽が私の目の前で手を振りながら声をかけてくる。
    「吟子ちゃん、吟子ちゃ~ん? あ帰って来た」
    「ごめん……」
     一瞬意識が飛んでしまうくらいには姫芽の発言が衝撃的だったから……
     姫芽がいつもの目元を緩ませた笑い方から一転、申し訳なさそうな顔になる。
    「そっかぁ、自覚がなかったかぁ」
    「どうしよう姫芽ちゃん……」
    「小鈴ちゃん……確かにこれは難題だねぇ……事件は迷宮入りしそうだ」
    「勝手に未解決事件にしないで。で、姫芽はどうして私が花帆先輩のことを……好き……って思ったわけ?」
     あまりにも恥ずかしすぎるせいで肝心なセリフが小声になってしまったけれど。そこを茶化して来たら今度こそ石抱きで正座してもらおう。
    「え、これ言っても良いの? 吟子ちゃん恥ずか死んじゃうと思うよ?」
    「吟子ちゃん死んじゃうの!?」
    「物の例えだよ小鈴ちゃ~ん」
     ……正直言うとすごく聞きたくないけれど。
     固唾を飲んで答える。
    「いいから聞かせて」
    「そっかそっかぁ……うん、一個一個上げると消灯時間になっちゃうから端折るけど……」
    「え、待って、私そんなに花帆先輩のことが好きだって思われるような態度をいつもとってるって言うの?」
    「え、それはもうたくさん……じゃあ小鈴ちゃん一個上げてみようか」
    「徒町が? う~~ん、やっぱり花帆先輩になんだかんだ吟子ちゃんも甘いところとか?」
    「…………わかった」
     自覚があるだけに既に恥ずかしすぎて自分で自分の墓穴を掘って埋まりたい気分だけど、その衝動は抑えよう。
    「アタシ的には……吟子ちゃん、花帆先輩のことずっと目で追ってるんだもん」
    「いやいやいやいやそんなわけ」
    「あ、それは徒町も思うな」
     二人がかりでダメ押しされてしまう。そんなに?
    「だってほら、花帆先輩ってこう、目を離せないじゃん」
     動物的な意味合いで。
     目を離したらケージから放たれたウサギのようにどこかへ勝手に走ってしまいそうだし。
    「う~ん、それは徒町もさやか先輩からよく言われるかも」
     その気持ちもとてもわかる。
    「だから別にほら、そういう気持ち? で花帆先輩のことを目で追っかけてるわけじゃないんよ」
    「う~~む、かたくなに認めませんなぁ、まぁそういうことにしておきますかぁ」
     納得いってない様子の姫芽が腕を組んで首を傾げるけれど、知ったことじゃない。
     私が花帆先輩のことを好きなわけ……
    「まぁさ、花帆せんぱいとせっかく二人きりなんだし、積もる話もあるだろうから楽しんできなよ吟子ちゃん」
    「帰ってきたら写真とかお土産話聞かせてね、吟子ちゃん」
    「まぁ、それは……うん」
     良かった。とりあえず二人ともわかってくれたみたいで。
     なんだか自分の脈が速くなっている気がするけれど、そう、これはいきなりヘンなことを言われてビックリしただけだから。
     とりあえず安心したし、姫芽も問い詰めたので部屋へそろそろお暇しようと踵を返すと、最後に姫芽が付け足すように一言。
    「あそうそう吟子ちゃん、最後にアタシからアドバイス」
    「……何?」
    「花帆せんぱいから来たメッセージを教室で確認してるときの吟子ちゃん。周りのみんなからすっごい暖かい目で見られてるよぉ」
     ………………嘘だと言って欲しかった。

       *

     部屋に戻り、電気を消して布団に潜り込む。
     目を瞑り、眠りに……つこうとしてもなんだか目が冴えてしまって眠れそうにない。
     どう考えても理由は一つ。
     さっき姫芽と小鈴から指摘された「私が花帆先輩のことを好き」ということ。
     花帆先輩のことは好きだ。
     好ましいと思っている。
     でもそれは先輩として? 友達として? それとも……
     わかるわけない、そんなこと。
     だって私にはこれまで……そもそも友達と呼べるような人すらいなかったんだから。
     そんなこと考えたことすらなかった。
     ……思い返せばこの五か月だけでもいろんな出来事があったな。
     花帆先輩に誘われてスリーズブーケに加入して、逆さまの歌、伝統の衣装を作り直したり。
     撫子祭では動物喫茶をやらされて……
     記憶に残る大きなイベントがこの5か月だけでもたくさんあった。
     日常の些細な出来事なら、この間また急に後ろから抱き着かれたし、いいよって言ってないのに勝手に私のアイスを一口食べては「お返し」なんて言って自分の分を差し出してきたし。
     配信で私を辱めてくるし、やめてって言ってるのに教室に押しかけてくるし、ひっきりなしにメッセージを送ってくるし……(きっとそんな私の姿もクラスの皆から温かい目で見守られているのだろう。本当に恥ずか死んでしまう)
    ……私本当に花帆先輩のこと好きなんだろうか?
     まぁ、嫌いじゃ……ないんだけど……
     本当に、まだたった五か月しか経っていないはずなのにいろんなことがあった。
     でも「まだたった」五か月。
     友達と呼べるような人のいなかった私のこれまでと比べたらあまりにも短すぎる。
     友達はできた。姫芽、小鈴、それからクラスメイトにも何人か。
     それから……自分を友達と思っていいよ、なんていうヘンな先輩。花帆先輩。
     わからない。
     私のこの花帆先輩への感情が「好き」かどうかなんて。
     ふと、おばあちゃんがラブストーリーの映画を眺めながら言ってくれたことを思い出す。
    「いつか吟子にもわかるようになる日がきっとくるけぇ、心の底から好きで、大切にしたいって思えるような、そんな人が──」
     あのとき私の頭を撫でてくれたお婆ちゃんの手の感触はいまでも 覚えている。
    「……本当に、私にわかるんやろか」
    脳裏に浮かぶのは花帆先輩の顔。
     ラナンキュラスの花のように可愛らしく笑い、私の手を引っ張ってくる人。
     私みたいな偏屈な人間にも隔てなく笑いかけてくる、ヘンな人。
    「~~~っ! あぁもう! 全然眠れない!」
     それもこれも全部花帆先輩と、ヘンなことを言ってきた姫芽と小鈴のせい!
     視界が闇に慣れてきてしまったので、頭まで覆い隠すように布団を被った。
    「明日から……二泊三日……花帆先輩と長野……」
     きっと花帆先輩のことだから私の手を握って引っ張りまわすのだろう。そんな花帆先輩に私はきっと「引っ張らないで」なんて悪態をつきながらも手を引かれてるがまま……
     想像したらちょっとだけ笑えてしまった。
     なんだかんだ言って私、花帆先輩と二人で長野へ行くの楽しみにしてるんだ。
     花帆先輩には絶対に言ってやらないけど……

       *

     出発当日。花帆先輩の部屋を目指して学生寮の廊下を歩く。
     現在時刻は待ち合わせの三十分程前。だけど……これは別に、私が花帆先輩と一緒に長野へ行くのが楽しみで仕方ないから。と言うわけでは決してない。
     朝一番に私はメッセージアプリで花帆先輩へ「今日から三日間よろしくお願いします、出発は十一時半でよろしいですよね」と確認も兼ねて送ったけれど……出発の三十分前になってもこれに既読が付かないからだ。
     まさか寝坊してる? という考えが頭をよぎった。
     休み時間になる度私にメッセージを入れてくる先輩のことだ。起きてメッセージのチェックをしないはずがないし……
     そんなわけで私は花帆先輩の部屋を目指して歩いているわけであって別に、花帆先輩と長野へ行くのが楽しみすぎて浮かれ切っているからというわけでは決してない。決して、だ。
    外で照り付ける陽射しを窓越しに浴びながら廊下を歩いているとふと、視界の端に赤のワンポイントが入ったジャージ姿で橙色の髪を揺らして花壇の前にしゃがみ込んでいる人影を見かける。
    「……花帆先輩?」
     口元を緩ませながら軍手を付けて花壇の手入れをしている姿は、まさしく私がこれから様子を伺いに行こうとしていた花帆先輩の姿であった。
     土のついた軍手で汗を拭ったのか、頬に少し土がついてしまっている。
     愛でるように、慈しむように、優しく微笑みながら花の世話をする先輩から少しだけ目が離せないでいると、視線に気が付いたのか急に振り向いて、さっきまで微笑むような表情から一転してパッと満開に花咲かせるような笑顔でこちらに手を振って来た。
    「あ! 吟子ちゃ~ん!」
     外からの声に応じるようにして窓を開ければ、むわっとした熱気が廊下へ流れ込んでくる。
     シャベルやジョウロをその場にゆっくりと置いてから花帆先輩がこちらに向かって駆け寄って来た。私は二階にいて先輩が外にいるせいで見下ろすような構図になってしまっているけれど、仕方ないだろう。
     そもそも花帆先輩は損なこと気にしないだろうけど。
    「どうしたの吟子ちゃん。出発までまだ時間あるよね?」
    「花帆先輩、今何時だかご存じですか?」
    「えっと、始めたのが十時だから……十一時くらい? あたしもそろそろ切り上げようかなと思ってたところだから!」
     やっぱりスマホ見てない……
     思わずため息が出そうになったので我慢……はせず、そのままため息を普通に漏らした。
     花帆先輩もよくアイスの二本目を食べるときに「我慢は体に良くないんだよ」って言ってたし、私のため息も我慢しなくていいだろう。
    「あ、あれ? ひょっとして時間そろそろ……」
     そんな私の態度で何かに気が付いたように口の端を引きつらせ、軍手に土がついているというのに口元を片手で隠して私の顔色を窺ってくる花帆先輩。
     先輩が後輩の顔色を窺うというのもヘンな話ではあるけれど、実際問題今こうして花帆先輩は私の顔色を窺って冷や汗を垂らしているのだから仕方ない。もう一つため息をついて。
    「はぁ……もう十一時半ですよ花帆先輩」
    「ええええええ!? ご、ゴメン吟子ちゃっ……うぺっ! ぺっ! 口に土が入ったぁ」
    「そんなことだろうと思ってた、早う支度してね花帆先輩」
    「ひゃあああああ! ごめん吟子ちゃん! あたしシャワー浴びるからコレ片付けてもらっても良いかなぁ!?」
     そう言って慌ただしく寮へ走って帰る花帆先輩を見届けて、私は仕方ないなと思いつつ寮の庭へ出ていくのだった……あれ、花帆先輩ちゃんと土叩いて寮に上がった……よね?

       *

     そんな慌ただしく始まった花帆先輩の実家への帰省。
     いや私にとっては帰省でもなんでもないし……なんやろか、お友達の家に遊びにお出かけ……? ともあれ、奇妙な旅が始まった。
     蓮ノ空女学院学生寮から金沢駅までのバスに揺られながら、隣に座る花帆先輩は私に向けて両手を合わせて謝り倒していた。
    「ほんっと~~~~にゴメンね吟子ちゃん!」
    「まぁ花帆先輩の遅刻癖は今に始まったことじゃないから良いんだけど……」
    「それはそれで良くないよね!?」
    「だってそうでしょ花帆先輩。私が入部してからも朝練に何回遅刻した?」
    「……ひいふうみい……よぉ……ねえ吟子ちゃんは朝練に遅刻したことあったっけ?」
    「ないよ、ゼロ回」
    「だよねぇ、ひいふうみぃ……」
    「ねえ花帆先輩それちゃんと一から数え直してるよね?」
     まさか遅刻の回数で落語の時そばをやろうとしてないよね?
    非難するような視線を送れば、頭を掻いて笑いながらもう一度謝って来た。
    ほんと、調子良いんだから……
     ちなみに聞いておいてなんだけど、私自身も花帆先輩が朝練を遅刻した回数は覚えていない。ただまぁ、これでも遅刻はかなり減った方とは梢先輩が褒めていたけれど……梢先輩の花帆先輩を褒めるハードルは低すぎではないだろうか。少し心配になる。
     今度梢先輩とは、花帆先輩の教育方針について話し合わないといけないかもしれない。
     ともあれ……こんなでも一応、その、花帆先輩のことはちゃんと……尊敬しているので苦言を呈することはあっても、私から偉そうに指導したりすることはない。
    いくら花帆先輩が人との約束の時間に遅刻しそうになっても、この時期になっても夏休みの宿題が全部終わっていなくても、私より体力がなくたって、花帆先輩は先輩で、私は後輩だ。そこのところは間違えるつもりはない。
    閑話休題。
    そもそもの話、だ。
    「どうしてまたこんな出発前に花壇の手入れなんて……」
     さっきまで花帆先輩が手入れしていたように、うちの学校の寮には綺麗な花壇がある。
     登下校の最中に見かけては、いつもきれいなお花を咲かせていたから誰かが手入れしてくれているんだろうなとは思っていたけれど、それが花帆先輩の仕事だったと聞いたときには驚いたものだった。
     どうやらお花が好きな花帆先輩が、寮母さんに許可をもらって好きにお花を植えて手入れしてあげていたらしい。
     だから、花帆先輩が寮の花壇のお世話をしていることそのものには別に疑問は無いけれど、出発の直前になってまでお世話をしているのかはわからなかった。
    「この時期は頻繁にお手入れしてあげなくちゃいけないから、しばらく寮を空ける前にやっておこうと思ってて……あ! お水やりは寮母さんにお願いしてきたよちゃんと」
    「ふぅん、そっか」
     それならきっと、花壇に植えられたお花たちも私たちがいない間でもすくすくと育つことだろう。
     合宿と小鈴の映画撮影が一段落ついたところで私たちスクールアイドルクラブはそれぞれ実家へ帰省するための休みを設けた。
    かくいう私も花帆先輩の家から金沢に帰ったら残りの日は、ばぁばのいる実家の方へ帰ろうと思っている。
     スクールアイドルクラブだけに限らず、たいていどこの部活もこの時期は帰省のための休みを設けているらしく、今の学生寮はほとんど生徒が残っていない。
    「梢センパイも今頃おうちに帰ったのかな?」
    「どうやろね、演奏会、うまくいくといいけど」
    「梢センパイなら大丈夫だよ!」
    「うん、そうだね」
     私たちとは別のタイミングで寮を発った梢先輩へ想いを馳せるように二人して外の景色を眺める。青い空、白い雲。夏特有の湿気こそあるものの晴れ晴れとした天気で、出かけるにはいい天気だ。……暑いけど。
     バスの車内は冷房が効いているおかげで涼しい。外の天気が良いのは嬉しいけれど、こうも暑いと眺めているだけで暑そうな気持ちになってしまう。
    「……姫芽ちゃん、この天気の下でバス停歩いたんだっけ……」
     外を見上げながら苦々しい表情で呟いた花帆先輩。この前の買い出しで姫芽がバスに乗らずこの道を歩いて帰って来たことを言っているのだろう。
     ……姫芽、思い付きで行動しがちな花帆先輩に引かれるって相当だと思うよ……
     窓の外は、曇り一つない晴れやかな青空だった。

       *

     金沢駅に降り立ち、陽射しから逃げるようにして駅構内へ移動する。
     旅行シーズンということもあってか金沢駅は老若男女、子供連れの家族から若いカップル、老夫婦まで様々な人が行きかっていた。
     そんな光景に少しだけ嬉しい気持ちになりつつも、新幹線の時間までは時間があるので花帆先輩を連れてお土産コーナーへ足を運ぶ。
    「花帆先輩、五人家族って聞いてるけれどご家族に食べられないものとかとかってある?」
    「う~ん、ふたばとみのりはピーマンが苦手だけど……あたしとお父さんお母さんは食べ物の好き嫌いは特にないよ!」
    「そっか、ありがと」
     花帆先輩がちょっとだけ自慢げにアピールしてくるのをさらりと流し、お礼だけ言ってお土産の棚に視線を移す。
    お土産にピーマンが入ることは滅多にないだろうからそのあたりは特に大丈夫そう。
    「どういたしまして~……え? ひょっとして吟子ちゃんお土産用意しようとしてくれてる!? 気にしなくていいよ吟子ちゃん!」
    「そんなわけにもいかないでしょ」
    「ほんとに気にしなくても良いんだけどなぁ、あたしが誘ったんだし」
     そう呟きながらお土産を吟味する。
     店内を歩いているんだし少し静かにしてくれたかな? と思いつつお土産を吟味していると花帆先輩が大きな声を上げながら私の着物の裾を引っ張ってきた。
    「……何? 花帆先輩」
    「これ見て見て! うさぎの形したおまんじゅうだよ吟子ちゃん! 可愛い~~!」
     そう言って花帆先輩が指さすのは金澤さんの福うさぎ。
    真っ白でまん丸な体に、赤い目と両耳でうさぎをかたどったお饅頭にどうやら花帆先輩は食いついたようだ。金沢でもかなり評判高い和菓子なのでお土産にはうってつけ……なんだけど……
     花帆先輩らしいというかなんというか……
    「それ花帆先輩が食べたいだけやろ」
    「え~可愛くて食べられないかも!」
    「じゃあ食べられないものを買ってもしょうがないし他のにしようか、花帆先輩」
    「えっ! 吟子ちゃん意地悪だ!」
    「花帆先輩、食べられないものないんじゃなかったの?」
    「それとこれとは別だよ~それに食べるよ、ちゃんと!」
    「はいはい」
     かといって、ほかにも素敵なお土産がありすぎて目移りしてしまい悩んでいたからこのお菓子を購入した。
    「えへへ可愛いねこのお饅頭」
    「花帆先輩が食べたら共食いになるんじゃない?」
    「えっ! ……そうかも……?」
     冗談で言ったつもりだったのに、ギョッとした顔つきになって真剣な顔で思い悩んだ顔をする花帆先輩がおかしくって笑いが零れてきた。
    「吟子ちゃん笑ってる!?」
    「だって、冗談のつもりだったのに……ふふ……」
    「もう~!」
    後ろでぷりぷりと怒ってるのをアピールしてくる花帆先輩を連れ、切符を発券し改札口を通って新幹線に乗り込む。
    おばあちゃんに花帆先輩のお家にお邪魔することになったと伝えると、色よい返事で「楽しんでいらっしゃい」と言いながら新幹線の切符を用意してくれた。
    花帆先輩の切符はおうちの方が出してくれたみたいだけど……先におばあちゃんから貰っていなかったら危うく私の分まで用意してもらうことになりそうになったのは少し焦った。

     さて、新幹線に乗れば長野までは約一時間。
     遠いようで近いような旅程だけど、隣の席に座る花帆先輩は上機嫌にしておとなしく座っている。花帆先輩のことだからこの前の敦賀への遠征の時みたいに窓際に張り付いてはしゃぎ倒すかと思ったけれど……
     長野へ帰る新幹線だからあまり面白味を感じていないのかも?
     と、思っていたけど……どうやらそうではないみたいで。
    「はい吟子ちゃん、吟子ちゃんの分のお弁当!」
    「え?」
    「新幹線と言ったら駅弁だよねぇ~お昼まだだったでしょ?」
    「それはそうだけど」
    「じゃあお昼にしちゃおっか!」
     そう言いながら黄緑色の缶のお茶と、幕の内弁当とラベルの張られた弁当容器を取り出す花帆先輩。
    ……え、花帆先輩、この新幹線が一時間で長野に着くの知ってるよね?
    「やっぱりお弁当と一緒に飲むお茶はこのカンカンのお茶がいいよねぇ」
    「え、花帆先輩?」
     わざわざ車内で食べなくても……と思ったけれど、新幹線が長野に着いたら花帆先輩のお母さんが車で迎えに来てくれる。車でご飯を食べるわけにも、ましてや花帆先輩のお母さんを待たせて長野で食事を済ませるのも悪いし……そう考えるとこの移動時間にご飯を済ませるのは理に適っている気がしてきた。
     はたして本当にそうだろうか、単に花帆先輩が「新幹線車内で食べる駅弁」にはしゃいでいるだけでは……私は訝しんだ。
     そのあたりは一旦忘れておくとして、せっかく用意してくださったんだし、食べないのも悪いのでいただこう…………あれ?。
    「と言うかいつの間に買ってたんですか」
    「うん? 吟子ちゃんがお土産選んでくれている最中にね」
    「静かになったなと思ってたんですけどあの時にお弁当買ってたんですか?」
    「なんか吟子ちゃんあたしへの扱いがお買い物に連れていく子供みたいな扱いじゃない!?」
     だってそうでしょ、花帆先輩興味持ったものにすぐ飛びついちゃうんだし。
     とはいえお弁当を用意してくださったのはありがたいし、ちゃんとお礼は言わないと。
    「なんにせよありがとうございます。お金払います」
    「あれ? スルーされた? いいよいいよ、あたしからの奢り」
    「そんなわけには」
     私がお財布を取り出そうとしたら花帆先輩に手で制され、お弁当とお茶を押し付けられてしまった。
    「お土産買ってくれたからお返しってことで、ね?」
    「……まぁ、お菓子をねだる子供みたいでしたしね、花帆先輩」
    「やっぱり子供扱いされてる!?」

     花帆先輩と一緒にお弁当を堪能したところで少しは花帆先輩も落ち着くかと思いきや、また楽しそうにして私に話しかけてくる。
    薄々そんな気はしていたけれど、この三泊四日の長野旅行中、花帆先輩はたぶんずっとこんな感じだろう。
    「吟子ちゃん吟子ちゃん!」
    「……なに?」
    「新幹線の醍醐味と言ったら駅弁……ですが他にもあります。さてそれはなんでしょう?」
     急に何を聞きだすかと思ったら……
    「外の景色……とか?」
     その答えもあったか~って表情で目を丸くする花帆先輩。
     敦賀への遠征ライブであれだけ窓に張り付いて楽しそうにしてた人は誰?
    「……それもあるね! 忍者走らせたりね!」
    「忍者?」
     花帆先輩が良くわからないことを言うのはいつものことだけど……今のは普段の発言に輪をかけてわからなかったので首を傾げれば、花帆先輩は信じられないものを見るような目絵こっちを見つめてくる。
    「……え? 電車乗ってるときにこう……空想の忍者を走らせたりとか……しない?」
    「なんそれ……?」
    「え~ぜったいするって! ホラ外の景色見て! 山の上を忍者が走ったりするでしょ?」
     花帆先輩に指さしたのでつられて外の景色を眺める。
     緑豊かな山、山、時々田んぼ、川……
    「景色の山の上を忍者が走るの! わかんない!?」
     景色の山の上を…………あ、なるほど。
     私たちの乗る電車と併走するように遠くで忍者が走っている妄想を浮かべる……のかな。
     なるほど、言われてみると少しわかるような……?
    「……いや、あの山って木が生えてるところの上を走るの? それに新幹線の速さについてこれる忍者ってなに? と言うかここから目視できるサイズの忍者って家より大きい人間だよね?」
    「そうだけど! そこは妄想だからいいのぉ!」
     そう言うものなのだろうか。
     なんとなく花帆先輩としばらく外の景色を眺めていると田んぼから河にさしかかる。
     私たちに併走する忍者が河に向かって飛び込もうとしたところで、花帆先輩に声をかけられて現実に連れ戻される。
    「ふふふ……答えはね……すみませ~ん」
    「え?」
     やけにもったいぶった様子だった花帆先輩が突然私の方へ身を乗り出して謝って来たかと思ったけど、どうやら違うみたいだ。
     声につられて花帆先輩の視線の先を追えば車内販売でワゴンを押して歩くお姉さん。
    「アイス二つください!」
    「え!?」
     花帆先輩の注文にお姉さんが元気に返事すると私と花帆先輩にアイスを一つずつ差し出してきた。
     お姉さんが花帆先輩からアイスの代金を受け取ると一礼お辞儀をして奥の方へ歩いて行く。
    「新幹線の醍醐味! それはこのすっごい硬いアイスだよ!」
     すっごい自慢げに私に受け取ったアイスを見せつけてくる花帆先輩に思わずまたため息が一つ。この先輩は本当に……
    「……いただきます……」
    「いただきま~す」
     この後、新幹線から降りる直前までアイスにスプーンが刺さらなくて二人で焦りながら食べたアイスは……うん、美味しかったけど、少し頭が痛くなった。

       *

     私たちを乗せた新幹線が長野へ到着した。
     アイスを食べ終え、やや痛む頭を抱えながら花帆先輩と一緒に新幹線を降りる。
     改札を通れば眼前に広がる長野の街並み。乱雑に立ち並ぶビル行きかう自動車を見ているとさっきまで新幹線の車窓から眺めていた景色と同じ街……? という戸惑いすら覚える。
     とはいえ県庁のある街なんだから、これだけ都会に見えるのも当然と言えば当然か。
     アイスを急いで食べたことによる頭痛と、ビルから反射する太陽光のせいで顔をしかめていると小さな女の子が二人、隣の花帆先輩に向けて手を振っているのが見えた。
    「あ、みのり~! ふたば~!」
    「お姉ちゃ~……え、お姉ちゃん大丈夫? ひどい顔……」
    「吟子さんですよねこんに……? 吟子さんも顔色悪いけど大丈夫……?」
     私たちの顔を覗き込んで心配そうにする小学生高学年くらいの子が二人。
     あぁ、この子たちが花帆先輩の妹のふたばとみのり…………さん?
     よく見ると確かに花帆先輩の面影があるような……
     
     どうしよう、同年代の子の友達がいなかった私は当然、私よりも小さい子の相手をしたことなんて無い。花帆先輩の妹さんだから敬語? でも花帆先輩に敬語を使ってないのに妹さんに使うのも…………よし。
    「えっと──」「あははアイス急いで食べたら頭痛くなっちゃって~」
     ……こんの先輩は!
     私が意を決して妹さんに話しかけようとしてたのに!
     しかもそんな正直に言わなくていいでしょ! 私まで一緒だと思われる! 誰のせいで急いでアイス食べることになったと思っとるんが!?
     そんな私の恨みを込めた視線に気づくことなんてなく、花帆先輩はふたばちゃんとみのりちゃんをそれぞれ私に紹介してきた。
    「紹介するね吟子ちゃん、あたしの妹のふたばとみのりだよ~」
    「よろしくお願いします」
    「いつも姉がお世話になっております」
     深々と私にお辞儀してくるふたばちゃんとみのりちゃん。
     そんな二人の丁寧なあいさつにこちらまで頭を下げて挨拶をする。
    「こ、こちらこそお世話になっています。百生吟子と申します……」
    「吟子ちゃん硬いよ~もっとフランクに接して良いんだよ?」
    「え、えっと、みのりちゃん、ふたばちゃん、よろしくね……?」
    「はい!」
     二人揃えて元気に返事をしてくれたので内心胸を撫でおろした。
     そう言えばこの子たちも私の着物を見ても変に思わないんだ。
     ……アイスで頭痛くしてたのは忘れてくれたかな。
    「お母さんは?」
    「車で待ってるよ」
    「そっかそっか、じゃあ行こうか」
    「うん……あれ? お姉ちゃんひょっとしてまた香水つけてるの?」
    「うん! 先輩から貰った香水!」
    「都会の女ってやつだね」
    「そうだよそうだよ~? 先輩から後輩に香水を贈るのがスリーズブーケの伝統だからね! あたしも吟子ちゃんに同じ香水をプレゼントしたんだよ!」
     そう言ってわざとらしく後ろ髪をかき上げる花帆先輩。
     ひょっとしてそれ、都会の女アピール……?
     童顔の花帆先輩がやってもおしゃまな子にしか見えないけど……?
     というか、だ。
    「後から梢先輩に聞けばそんな伝統ないって聞いたけど?」
    「そ、れは~その……」
     私に指摘されるとしどろもどろになる花帆先輩。
     それに今日、私はあの香水をつけてはいない。
    「これから伝統にしていくんだよ吟子ちゃん! 今度は来年吟子ちゃんが後輩の子に同じ香水をプレゼントするんだよ!」
    「伝統って言えばなんでも私が言いくるめられると思ったら大間違いだからね、花帆先輩」
     この人は最近、私に事あるごとに「伝統」って言葉を使って言いくるめようとしてくる節があるから困ったものだ。
     いくら伝統を愛する私でも、魔法の言葉みたいに伝統伝統連呼されても……あれ、おかしいな、なんだかんだで花帆先輩にそうやって言いくるめられてることが多くなってるような気がする。
    花帆先輩だから仕方ないよね、と脳内の小鈴がにっこりと無自覚に、言葉のナイフで突き刺そうとしてくるのを頭を振り払って追い出す。違う。そんなんじゃないから。
    「あ、お母さん!」
    「お帰りなさい花帆ちゃん、それから吟子ちゃんね、遠路はるばるいらっしゃい」
     落ち着いた雰囲気で、背が伸びて髪を長くした花帆先輩のような……そんな雰囲気の女性の方が柔らかく微笑んで挨拶をしてくれた。
    「こ、こちらこそ、しばらくお世話になります」
     花帆先輩のお母さんは私のお辞儀をしばらく眺めて目を丸くしている。
     あ、やっぱり着物着てるの、へ──
    「花帆から聞いた通り可愛い子ねー」
    「か、かわっ……!?」
     可愛い!?
     私がお邪魔することは話してたんだろうけど、花帆先輩私のことをお母さんになんて話してたん!?
    「着物もとっても似合っててお人形さんみたいねぇ」
    「そ、そんな……ありがとうございます……」
    「吟子ちゃん照れてる~?」
    「う、うるさい!」
    「ほらからかわないの花帆、さ、二人とも暑いから乗って乗って」
    「え! お母さんが先に可愛いって言いだしたのに!」
    「ほらお姉ちゃん荷物は後ろ載せて!」
    「吟子さんも荷物もらいます」
    「あ、ありがとう……」
     双子の妹さんと花帆先輩のお母さんに流されるまま、荷物を載せて花帆先輩が助手席へ、後部座席で私を真ん中にして三人座り、五人を乗せた車が走り出した──

     長野駅から走り出してどれだけ経っただろうか。
     市街地を抜けさらにトンネルを抜けると、山間を縫うような道を走り抜ける。
     窓の外を眺めれば山、山、橋。
     私が勝手に壁を作ってしまっているだけなのはわかっているけれど、最初のうちはいったい何を話したら良いかわからず外を眺め、さっき花帆先輩から教わった忍者を走らせようとしていたけれど……
    「この間のライブの衣装は吟子ちゃんが一人でほとんど作ったんですってね~すごいわね」
    「そうなんだよお母さん! 吟子ちゃんの作る衣装本当にすごくってね!」
    「そ、そんな、恐縮です……」
    「ふふ、ホントに礼儀正しい子なのね~花帆ちゃんの後輩とは思えないくらい良い子ね」
    「えっ、お母さん!?」
     とまぁ、こんな感じにずっと花帆先輩とお母さんが話しかけてくださった。
     両隣のふたばちゃんとみのりちゃんも私の着物を着てみたいと目を輝かせてくれたり、スクールアイドル楽しいか聞いてくれたり……とにかく、みんな良い意味で距離を詰めてくださったおかげで会話も弾み、おかげで私の忍者の出番は来ないまま花帆先輩の実家に着いた。

    「ありがとうございました」
    「いいのよ、それよりもいらっしゃい、自分の家だと思ってゆっくりしていって頂戴ね」
    「ほんっとに何にもないところだからゆっくりはできると思うよ吟子ちゃん!」
    「ねえ、自分で何にもないってわかっているのにどうして呼んだ……んですか」
     危ない、ついいつものように花帆先輩相手に敬語を使わず会話してしまうところだった。
     ご家族の前で流石にそんなわけにはいかないだろうと慌てて付け足したけれど、花帆先輩はいたずらに微笑んで。
    「え~吟子ちゃん別にいつも通りでいいんだよ?」
    「なっ……んのことですか?」
    「いつも通り、アタシの子と友達だと思って接してくれていいんだからね?」
     …………まぁ、花帆先輩がご家族の前でもそう言うなら……
    「ふふ、花帆ちゃんとっても嬉しそうにするのね、吟子ちゃんもそんなにカタヒジ張らなくていいからね?」
    「はいありがとうございます。あ、それとこちらつまらないものですが……」
     花帆先輩のお母さんともなると花帆先輩のああいう人との距離感のおかしさも慣れているのだろうか。そもそもあの距離感のおかしさがこちらの優しく接してくれるお母さんからの遺伝という可能性も考えられるけど……
     深く考えないでおこう。
     トランクから荷物を出してもらう際、家に上がる前にお母さんに先ほど駅で買った福うさぎを渡す。花帆先輩が目を輝かせているような気配を感じるけれど、あえて無視する。
    「あらあら丁寧にありがとう、さどうぞ上がって上がって」
    「ありがとうございます」
    「吟子ちゃんこっちこっち~! あたしの部屋に荷物置いて~!」
     廊下の奥から跳ねるような声が聞こえてくる。どうやら花帆先輩は私とお母さんのやり取りは気にしないでさっさと家に上がっていったらしい。
     もう、本当に仕方ないんだから。
    「それじゃあ、お邪魔します」
    「いらっしゃい吟子ちゃん! 日野下家へようこそ!」
    「うん、よろしく花帆先輩」
     私と花帆先輩の、忘れられないひと夏の思い出が、始まる。

       *

     花帆先輩の部屋に荷物を置かせてもらい一息……と思ったら、早速花帆先輩に手を引かれて外へ連れ出される。
     山間部なので駅前よりかは涼しいものの、容赦なく照り付ける太陽の光に一瞬目を細めた。
    花帆先輩に連れられるままビニールハウスに案内される。
    「ここがうちの畑! この前言った通り、この時期はもう収穫しちゃってるから何にもないただのビニールハウスなんだけどね……」
     眼前に広がるビニールハウス、ビニールハウス、ビニールハウス……
     整列して綺麗に並んでいる。
    「ひょっとして思ってたのと違ったかな……? あはは」
    「そんなことは……ちょっとだけあるかも」
     確かに、ちょっとだけ想像とは違ったけれど……春にはこのビニールハウスの中もラナンキュラスの花で満開になるのかな。
    以前撮影で訪れたラナンキュラスのお花畑よりもっと大きくて広い一面のお花畑みたいなものを想像していた。
    確かに考えてみれば、それだけ一面のお花畑があったら公園みたいに観光に来る人も訪れるのかも。
    「また秋になったらお花の種を植え始めるんだけどね、夏は害虫駆除したりお水回りを整えたり……とかかなぁ? あたし体弱かったでしょ? だからお父さんお母さんがここの畑で何してるのかちゃんと見たことって……実はあんまりなかったかも」
     そう言って少し寂しげな表情を浮かべる花帆先輩。
    「……そっか」
     寂しげな表情を浮かべる花帆先輩になんと声を掛けたら良いのかわからず、私は隣でただ綺麗に並んだビニールハウスの連なりをぼんやりと眺める。
    「あそうだ、冷蔵庫になら残ってるかもお花……来て来て吟子ちゃん」
    「あ、うん」
     思いついたように花帆先輩に連れられた先は、お家の隣にある大きな冷蔵室。
     扉を開ければ中からぶわりと、冷気と共に花の香りが漂ってきた。
    プレハブ小屋の中身を丸々冷蔵庫にしたような大きくてひんやりした空間に、隣の花帆先輩が「生き返る~」と呟いた。
    気持ちはわかる。外はかなり暑かったから。
    「ここがね、収穫したお花を出荷前に保管したり、次に植えるお花の種を保管している部屋かな。結構広いでしょ?」
     やや薄暗い部屋の中を見渡すとポリバケツに活けられた花や、無数の段ボール箱。それから少しの作業スペースまである。
    「お花少しでも残ってて良かった~、ちょっと風情みたいなものはないかもだけど……綺麗でしょ?」
     言いつつ花帆先輩がポリバケツから一輪、ラナンキュラスの花を取り出そうとする。
    うん、本当に綺麗……だけどこれ商品だよね? 勝手に触って大丈夫?
    「……っとと、これ商品かな、触っちゃダメだ。ごめん吟子ちゃん、眺めるだけでお願い」
    「あ、うん……」
     良かった、やっぱり触っちゃいけないものだったみたい。
     花帆先輩に言われた通り触れないように、顔を近づけるだけにしてラナンキュラスの花を眺める。華やかで綺麗なお花を目にすると自然と口元が綻んだ。
     色とりどりのラナンキュラスはどれも綺麗で、それこそ雅やかという表現が似合うのかも知れない。
     隣の花帆先輩も目を細めて……
    「懐かしいなぁ……子供のころ、ふたばとみのりと一緒にかくれんぼでここに隠れて風邪ひいたっけ」
    花を眺めて、穏やかな気持ちになっていたところに、花帆先輩が信じられない発言をしたせいで急に現実に引き戻された。
    「なにしよるん!?」
     子供の頃の花帆先輩、体が弱かったのにこんなところに隠れてたら風邪ひくに決まっとるやろ!
    「あの時ばかりは流石にお母さんにも少し怒られたっけなぁ」
    「それはそうやろ!」
     怒らなきゃいけないけれど、風邪を引いている花帆先輩が心配な気持ち、両方抱えたまま花帆先輩の看病をしたお母さんの心中察するにあまりある……
    「あはは、そんなわけでこのなんにもないこの土地で遊ぼうとしたら自然とお外遊びになると思うんだけどね、あたし体弱かったから……」
    「いや外で遊べなかったのはわかるけど、さっきのかくれんぼで体調崩したのは完全に花帆先輩が悪いやろ……」
    「あはは……ねえ吟子ちゃん。ちょっと涼んだし少しお散歩しない?」
    「……ええけど」
    「じゃあ決まり、あ、でも吟子ちゃん、このあたりあぜ道もあるから着物じゃない方が良いかもだけど……言った通り着替えってある?」
    「うん、部屋の荷物に入っとるから着替えさせて」
     花帆先輩の家に泊まると決まった時。花帆先輩からは汚しちゃうといけないから外歩くために洋服もあった方がいいかも、とは忠告いただいていたのでちゃんと着替えは持ってきてある。
     まぁそのおかげで荷物が少し多くなってしまったけれど……こればかりは仕方ない。

     花帆先輩の部屋でワンピースに着替えてスニーカーに履き替え、玄関で待っていてくれた花帆先輩に声をかけようとすると、なにやらスマホで自撮りをしているところだった。
    「お待たせしました花帆先輩」
     先輩を待たせてしまったことを謝ると、花帆先輩に腕を引かれる。
    「いいところに来たね吟子ちゃん、ほら笑って笑って~? はいチーズ!」
    「え! ちょっと花帆先輩!」
     カチリ、と写真アプリで撮影した音が聞こえる。
     私も映すなら映すよと言って欲しかった。私変な顔になっとらんやろか。
     って違くて、どうして急にまた写真を……
    「これね、梢センパイに長野の実家に無事に着きました~って報告したくて」
    「そういうこと……撮るなら撮るって言ってよね」
    「ごめんごめん」
     スマホに二件の通知。きっと花帆先輩がスリーズブーケのグループに送ったのだろう。
     一件目はさっき花帆先輩と一緒に撮った写真。
     二件目は長野に無事着いた旨、梢センパイも演奏会頑張ってください。というコメント。
     変な顔にはなってなかったことに安堵しつつ、私も梢先輩に向けて「頑張ってください」と一言送った。
    「よし、じゃあいこっか吟子ちゃん」
    「うん」
     返事をしたら花帆先輩が私に向けて手を伸ばしていた。
     …………その手はなに?
    「ほら吟子ちゃん初めての土地でしょ? はぐれちゃったら大変だよ~?」
    「花帆先輩が手を繋ぎたいだけやろそれ」
     指摘しても恥ずかしそうにするでもなく、悪戯を思いついたような顔をしたかと思えば、両手を掲げて眼力を込めて私を脅かしてくる。
    「長野にはね、出るんだよ~?」
    「こんな日もまだ沈んですらいないのに、出るわけないやん……」
     陽が傾き始めたとは言え、いまだ太陽の光は私たちに容赦なく降り注いでいる。
     つくにしてももうちょっとマシな嘘を……
     そう思いながら嘆息すれば、キョトンとした表情になる花帆先輩。
    「え? なんの話? 出るのはクマさんだよ?」
    「熊!?」
    言われてみればさっきの花帆先輩の掲げる手は五指を揃えて垂らすようなものではなかった。爪を立て、獣を模した手だったのかと気が付いた。
    花帆先輩がやると怖さよりもかわいさが勝るのはどういうことだろう。きっとこの間の動物喫茶での接客の賜物だろうか。
    けれどなるほど、確かにこれほどの山奥なら熊が出てもおかしくはない。
    「そう、クマさん」
    「だからって手を繋いでたらいざ遭遇したときに二人仲良く襲われるでしょ」
    「えっ吟子ちゃんひょっとして、吟子ちゃんよりも脚の遅いあたしを囮にして自分だけ助かろうとしてる!?」
    「いやそういうわけじゃないんやけど」
     遭遇したとしてもそっちの方が助かる見込みが高いって話をしようとしたけどなるほど確かに、花帆先輩にクマの相手をしてもらって私が逃げた方が生存確率は高そうだ。
     花帆先輩は誰とでもすぐ仲良くなれる。きっと熊とも仲良くしてくれることだろう。
    「ちなみに花帆先輩はひょっとして知らなかったかもしれへんけど、卯辰山にも熊って出るらしいから気ぃつけてね」
    「えっ噓でしょ!?」
     身をすくませてやや大げさに驚いて見せる花帆先輩。その様子だと本当に知らなかったらしい。
     冗談はさておき。いや卯辰山にも熊が出没するのは冗談じゃないんだけど。
    「ほら行きましょう花帆先輩、お散歩」
    「うん!」
     花帆先輩を追い越すようにして歩き始めると、楽しそうに笑う花帆先輩が私の手を取って歩き始めた。……やっぱり、結局こうなるんやね。
     それでも振りほどくことはできない自分に内心呆れながら、花帆先輩に掴まれた手を優しく握り返した。
     
     陽が傾いてきたおかげかさっきまでよりは幾分か暑さがマシになってきた中、花帆先輩の家の周りを散策している。
     遠くを見渡せば山稜が連なり、少し視線を落とせばその山の麓まで延々と続くアスファルト。それに沿うように一面の畑、畑。時折見かけるポツンと立った一軒家。
     耳を済ませればジワジワとセミの鳴き声が聞こえてくる。
     自動車とはごくまれにすれ違うくらいで人が全然見当たらない。むしろ動物……タヌキや狐、野犬と遭遇する可能性の方が高いんじゃないかとさえ思えてくる。
     花帆先輩と手を繋いで歩いていたので人とすれ違わずに済んで良かったと思う。
     つないだ手はじっとりと汗ばんでいる。暑さのせいか、それとも……考えるまでもなく暑さのせいに決まっている。
     足元を見れば脇をチョロチョロと水が流れている。畑の用水路か何かだろうか。
     金沢の人の手が行き届いた用水路は好きだけれど、こういう自然な用水路も風情があって良いな、なんて。
     一面の緑に囲まれた景色……私は好きだな。
     ただ──自称、都会の女の花帆先輩にはこの静けさは耐えかねたみたいで……
    「ね~、なんもないでしょこの町」
    「そう? 私は結構歩いてて楽しいけど……」
    「吟子ちゃんはそうかもだけど、ずっといるには退屈だよぉ~」
    「じゃあどうして私を長野まで連れてきたの……」
     歩いている道すがら、寂れた公園を見つけたので二人で少し休憩がてら腰かける。
     目に入る遊具は完全にサビついているわけではないし、たまたま子供がいないだけなんだろう。
    「うぅん……どうしてだろうね?」
    「は?」
     いつもの花帆先輩の思い付きだろうとは思ってたけれど、まさか本当になんにも考えずに私をここまで連れてきたん? 花帆先輩。
     思わず眉を顰めてしまうと花帆先輩が慌てて訂正してきた。
    「あ違うの! う~んとね、なんだろう……」
     わざとらしく眉間に皺をよせ、両手の指でこめかみを押さえてうんうん唸る花帆先輩。
     しばらくその様子を見守っていると、自分で納得いく答えが見つかったのか目を見開いてすっきりした表情になる花帆先輩。
    「あたしのことを知ってもらいたかった……んだと思う」
    「花帆先輩のことを?」
    「うん、あたしね、梢センパイの家と吟子ちゃんの家に行ったことがあるじゃない?」
    「そうやね、私は梢先輩のお宅は知らないけれど……」
     私が入学する前、去年の出来事だろうな。
     そもそも私が花帆先輩の家に連れてこられた、事の発端だ。
    「うん、その時に梢センパイのお母さんと色々お話したり……梢センパイが小さいころからどれだけスクールアイドルが好きだったか、音楽と触れ合ってきたかとか、色々知れたんだ」
    「うん」
    「それに吟子ちゃんのお家に行った時は吟子ちゃんのお婆ちゃんとお話しできたし、吟子ちゃんの好きな伝統について教えてもらえたよね」
    「そうだね」
     あの時の私は少し先走ってしまったところもあったから、思い返せば恥ずかしさ半分って感じだけれど……花帆先輩が楽しかったよって言ってくれたのは……嬉しかったな。
     思い返して口元が綻んだ。
    「だからね、あたしのことも知って欲しいなって思ったんだ。梢センパイも一緒に来れなかったのは残念だったけど……」
    「そ、うだね……」
     二人して空を見上げると、そよ風が吹き抜けた。
     今頃梢先輩は何をしていらっしゃるだろうか。
    「でもよく考えたらあたしって体弱くてずっとお家で本読んでたような子だからさ、来てもらってもなんにもお話しできるようなこと無いのかなぁって、思っちゃったわけです」
    「そんなことないと思うけど」
    「え?」
    「花帆先輩、出発する前に花壇の世話をしてたでしょ?」
    「うん、してたけど……」
    「それでさっき……お父さんとお母さんの仕事をあんまり見たことが無いって言ってたけど、そんなこと、ないんじゃない?」
    「花帆先輩が幼いころからご両親の育てる綺麗な花に触れてきたから、寮の花壇で花を育てているんだし……それに」
    「それに?」
     私が言い淀んでると、目をぱっちりと開いて首を傾げてきた。
    「花帆先輩が「花咲く」って言ってる理由が何となくわかった気がするから」
     冷蔵室で見た花。
     きらびやかに咲く姿は見る人みんなを笑顔にしてくれる。
     私をスクールアイドルクラブに引き入れてくれた。
     私のために「逆さまの歌」を探してくれた。
     伝統の衣装を作り直す私の背中を押してくれた。
    「花帆先輩はもう、十分に花咲いてると思うよ」
     あぁ……こんなことを言えばまた花帆先輩ははしゃいで抱き着いてきたりでもするやろか。
     そう思ったけれど、花帆先輩は目尻を下げて微笑んで。
    「ありがとう吟子ちゃん。でもね、まだ足りないの」
    「足りない……?」
    「うん、吟子ちゃんがそう言ってくれるのはすっごく嬉しいんだけど……あたしはまだ咲ききってないから」
     口を堅く引き締める花帆先輩。
     思えばFes×Liveが終わった時にもそんな顔をしていたような……
     それは、ひょっとして──
    「さぁ吟子ちゃん、陽が暮れる前に帰ろうか! 長野の夜道は怖いよ~? 真っ暗で全然灯りが無いんだから。今度こそお化けが出ちゃうよ?」
    「お化けよりも熊の方がありえそう」
    「えへへ、まぁそうなんだけどね」
     いや笑い事じゃなくて、本当に。
     コロッと態度を変えて笑って見せる花帆先輩。
     少し強引に話を切り上げられたような気が……
     花帆先輩に手を引かれて公園から帰路につく。
    「今日の晩御飯は何かな~? 吟子ちゃんがいるしお寿司とかにしてくれるかな~?」
    「花帆先輩が食べたいだけやろそれ……」
     真剣な話をしたかと思えば笑って見せて……ホント、ヘンな人。

       *

    夕方は涼しかったとはいえ、歩いていたら汗をかいてしまったので先にお風呂を言った抱くことになった。案の定というか予想通りと言うか……花帆先輩は私と一緒に入ろうとしてきたけれど、断固として拒否しゆっくりとお風呂に入らせてもらった。
     花帆先輩がお風呂から出てお互い髪の手入れを済ませると花帆先輩のお母さんから夕飯の準備ができたとお声がかかった。
     机の上にはお蕎麦の山、脇に天ぷらと薬味、それから……お饅頭?
     お饅頭と言っても私の持ってきた福うさぎではなく、ずっしりと中身の詰まってそうな見た目に焼き色がついている。
    「お寿司じゃない!」
    「やめてよ花帆先輩、私別にお寿司が良いとか一言も言ってないでしょ」
    「冗談だって~、あ、吟子ちゃんそのお饅頭みたいなのはね、長野の郷土料理おやきって言うんだよ」
    「おやき……」
    「せっかく長野に来たんだもの、長野のお料理を食べてもらおうかと思ってね?」
    「あ、ありがとうございます」
     花帆先輩に促されてちゃぶ台につくと花帆先輩のお父さんが先にいらっしゃった。
     さっきまで見かけなかったけれどきっとお仕事をされていたんだろう。
    「ご挨拶遅くなってすみません、百生吟子と申します」
     お辞儀をすると花帆先輩のお父さんは静かに私に会釈を返してくれた。寡黙な方みたいだ。
    「あたしお腹すいちゃたよ~」
    「お姉ちゃん一人増えてるんだからもう少し詰めて」
    「吟子さんお隣失礼します」
    「あ、どうぞどうぞ……」
     遅れてふたばちゃんとみのりちゃんも集まって全員で……
    「いただきます」
     それぞれが思い思いに箸を伸ばす中、私はどうしても気になっていたので「おやき」に手を伸ばして口へ運ぶ。
     歯を突き立てると、弾力のあるもっちりとした生地はごま油で焼いたのかとても香ばしく、野沢菜のみずみずしさがスッと通り抜けた。
    「美味しい……」
     口元を押さえながら思わず感嘆の声を漏らすと花帆先輩は自慢げにうんうんと頷いている。
    「これが長野の伝統料理だよ吟子ちゃん、美味しいでしょ、ふふふ……」
    「花帆先輩すごい自慢げにしとるけど別に作るの手伝ったわけじゃないよね?」
     髪の手入れしてお部屋でだらだらごろごろしとったよね?
     ……まぁ、自慢したくなる気持ちはわかる。
     私だってみんなに伝統の良さを伝えるときにすごいでしょ! と自慢したくなる気持ちになるから。でも……
    「それに花帆先輩、この間ハントンライスを食べながら、美味しい~あたし、金沢の子になろうかな~、とか言っとったやろ」
    「うっ!」
    「あら花帆ちゃん金沢の子になるの?」
    「ち、違うよ~! そ、そう! 金沢と長野のハーフになります!」
    「どういうことそれ……」

     お蕎麦やおやきに舌鼓を打った後、花帆先輩と並んで姫芽と慈先輩の配信を一緒に見た。
    きっと今頃猛烈に恥ずかしがってそうな瑠璃乃先輩に想いを馳せながら、花帆先輩に誘われるままふたばちゃん、みのりちゃんの四人でレースゲームに興じたりして夜も更けてきたところで寝る準備を始める。
     レースゲームの戦績については……うん、帰ってからゲームの得意な姫芽に教わってからリベンジを挑むとして……
     
    客用の布団をお借りしたので敷いていると、花帆先輩がアイスの棒を咥えながら部屋に戻って来た。
    「……花帆先輩? 一日一本まででしたよね?」
     指摘すればしまった、と言った表情で固まる花帆先輩。
    やがて何かを思い出したのか、少し得意げな表情で言い訳をし始めた。
    「…………知ってる? 吟子ちゃん、お昼に食べたのはアイスクリームだったよね」
    「……そうやね」
     花帆先輩のせいで味わう間もなく、急いで食べる羽目になったアイスクリームね。
     覚えとるけど。覚えてるから私は指摘しとるんやけど。
    「対して今あたしが食べてるのはガリガリ君、氷菓なんだよ!」
    「そっか、梢先輩に報告しておくね」
     それが言い訳になると思った?
     ずいぶんおめでたい思考やね、花帆先輩。
    「待って待って待って吟子ちゃん!」
     わざとらしくスマホを取り出すと花帆先輩が慌ててアイスを持ちながら手を伸ばしてくる。
     ちょっと、アイスを持ちながらこっち来ないで、そう言おうとした矢先、私と花帆先輩のスマホが同時に震え出した。
    「吟子ちゃん!? もう梢先輩に言いつけたの!?」
    「いや違うし! ……たまたまでしょ」
     言いつつ……梢先輩なら本当に花帆先輩の二本目のアイスに勘付いて連絡を入れてきたのかもしれないけど……流石にそんなわけないか。
     片手で花帆先輩を押しのけながら震えるスマホに応じれば、ビデオ通話が始まった。
     ……のだけど、梢先輩は無言のまま。
     スマホを近づけたり遠ざけたり……インカメに視線は向いているけれど……なんだろう。違和感を感じる。
    「あら? ここを押せば写真が……あら? 機械さん?」
    「……ひょっとして梢先輩……」
     私たち宛に昼間のお返しで自撮りを取ろうとしてビデオ通話を開いた?
     そう口にしようとしたところで後ろの花帆先輩から口を塞がれる。
    「ふぁん!? ひょっほ、あにふるん!?(なん!? ちょっと、なにするん!?)」
    「ダメだよ吟子ちゃん、梢先輩が自撮りチャレンジしてくれてるんだよ、邪魔しちゃいけないよ」
    「ふゃっ」
     私の口元を押さえつつ、耳元でささやいてくる花帆先輩のせいで思わず肩が跳ねた。
     恨みがましく花帆先輩を見ても私のことなんてそっちのけでスマホの画面を注視している。
    「ん……おかしいわね、これで写真が撮れると思ったのだけれど……」
    「梢センパイ可愛い~……ずっと見てられるかも……」
    「ふふゃふぉんなほほひっへ……(またそんなこと言って……)」
    「だって吟子ちゃんもわかるでしょ? ホラ見て」
     スマホを遠ざけて持ちながら首を傾げたり、困った表情を浮かべる梢先輩……
     確かに少し可愛らしいとは思うけど……どちらかと言うと罪悪感が勝ってしまう。
    「……わひゃっひゃふぁらふひほへへ(わかったから口どけて)」
    「あ、ごめんごめん……」
     ぷは、ようやく花帆先輩が私の口元を解放してくれた。
     なら、やるべきことはひとつ。
    「梢先輩! 写真じゃなくてビデオ通話になってます!」
    「えっ?」
    「ぎ、吟子ちゃん!」
    「あ、あらあらあら本当だわ、吟子さんとそれに花帆さん……これから寝るところだったのかしら」
    「あ、あはは~こんばんは梢先輩」
     あっ花帆先輩いつの間にかアイスを食べきってる。
     アイスの棒を梢先輩から見えないように後ろ手に隠したけれど、梢先輩もそれは見逃さなかったらしい。
    「花帆? 今何か隠さなかったかしら?」
    「え!? 多分画面にノイズが走ったんだと思いますよ!」
    「のいず? 私の気のせいと言うことかしら?」
     …………ほんにこの人は……
     とはいえ忙しい梢先輩が私たちのために連絡を取ってくださっているのだし、花帆先輩へのお説教でこの時間が終わってしまうのも忍びない。仕方がないから黙っててあげよう。
    「えっと梢先輩今はお時間よろしいのですか?」
    「ええ、さっきまで家族と食事をしていたのだけれどね、時間ができたから」
    「嬉しいです梢センパイ!」
    「花帆も吟子さんも元気そうで何よりだわ、長野はどうかしら?」
    「あ、えっと……楽しいです!」
    「吟子ちゃん……!」
     楽しかったのは事実。
     花帆先輩にずっと振り回されっぱなしな気がするけど、ご家族も良くしてくださるし、これは本心ではあるけれど……
     隣の花帆先輩を見やると目を輝かせてこっちを見つめてくる。今にもとびかかって抱き着いてきそうなので念のため先に花帆先輩へ手のひらを広げて「ステイ」と命じる。
     眉尻を下げて悲しそうな顔をする花帆先輩。
     なんなん? この人は犬かなにかなん……?
    「そう、ならよかったわ」
    「梢センパイもまた今度来ましょうね!」
    「……そうねぇ、そうなるとラブライブが終わった頃になるのかしらね」
     いつも通りの穏やかな声色だけど……目を細めて少し寂しそう声になる梢先輩。
    「……っそうですね! お休みが終わったらいよいよラブライブに向けて全力疾走ですからね!」
    「ええそうね、頑張りましょう、花帆……吟子さんも」
    「「はいっ!」」
     二人で声を揃えて返事をすれば梢先輩のさっきまでの寂しそうな声からワントーン上がった嬉しそうな声になり、柏手を打った。
    「さて、二人の声が聞けて嬉しかったわ、ありがとう花帆、吟子さん」
    「え? もっとお話ししましょうよ梢センパイ……」
    「私もそうしたいところなのだけれど、明日は演奏会本番の日なのよ、ごめんなさい花帆」
    「そうですか……梢センパイ頑張ってください!」
    「ありがとう、それじゃあおやすみなさい二人とも」
    「はい、おやすみなさい梢先輩」
     お互いにひらひらと軽く手を振り挨拶を済ませて通話を……
    「ぽち……ふふ、本当にいい後輩に恵まれたわね…………二人が楽しそうで良かったわ」
     あ、まずい、梢先輩切ったつもりになってる。
    「…………これで、良かったのよね?」
    「え?」
    ありがたいお言葉を聞いてしまったけれど……え?
    背中を向けてらっしゃるので顔は見えないけれど……寂しそうな、どこか切なげな声。
    花帆先輩は今の梢先輩のセリフ……
    そう思い、後ろを振り返るとアイスの棒をゴミ箱に捨てているところだった。
    つまり、今の梢先輩の声を聞いてしまったのは……私だけ?
    ……っと、梢先輩がこちらに気が付かれる前に通話を切らなきゃ。
    「あっぶない……」
    「吟子ちゃ~ん!」
     押さえつけていた花帆先輩が堰を切るように私にとびかかって来た。
     上から覆いかぶさるようにして私に抱き着いて離れない。
     あぁもう! こうなるってわかってたけど!
    「吟子ちゃん楽しんでくれてたんだね~! 良かったぁ~」
    「ああもういちいちくっつかないで! ほらさっさと寝ようよ花帆先輩!」
    「は~~~い」
     押しのければのそのそと動いて……私の手を取りながらベッドの上に引っぱってきた。
     …………え?
    「いや花帆先輩? 花帆先輩がベッドで私は敷布団じゃないの……?」
    「え~いいじゃんいいじゃん! せっかくのお泊りなんだから一緒に寝ようよ~」
     ……はぁ、まぁどうせそんな気はしてたけど……
    「しょうがないな……」
     ここで花帆先輩に流されて一緒に寝てあげる私も大概、花帆先輩に甘いらしい。
     昨日の夜からわかりきっていたことだけど、少し気恥ずかしいだけだからこの二泊三日は下手に抵抗せず、流れに身を任せてしまった方が楽なのかもしれない。
     そうだ、きっとそうに違いない。
     そう、自分に言い訳を重ねながら、花帆先輩に手を引かれるがままにベッドに腰かける。
    「ほら花帆先輩もう少しそっち寄って」
    「はぁい」
     ニコニコと嬉しそうにしながらベッドに寝転がる花帆先輩。
    両手を広げて私を手招き、甘い声で「おいで吟子ちゃん」と甘い声で囁いてくる花帆先輩は……さながら蠱惑な食虫植物のよう。
     ……ひょっとして私を抱き枕にでもして寝るつもり……?
    「吟子ちゃん確保~!」
    「ああもう! 抱き着くのは流石にやめて! 寝にくいから!」
    「え~~……」
     本当にこの人は……
     言っても仕方ないと諦め、花帆先輩に抱きしめられたまま部屋の灯りを消す。
     腕に感じる花帆先輩の体温がこそばゆい。
    「んふふ……」
     目を瞑って眠ろうとすれば隣の花帆先輩がなぜか一人でに笑い始めた。
    今度はなん? 怖いんやけど……
    「なに? 花帆先輩」
    「なんだか、嬉しくって」
     そう言いながらくすくすと笑う花帆先輩。
     灯りを消した部屋に私と花帆先輩ふたりの声だけが響き渡る。
    「思えばお友達とこうしてお泊りしたのって初めてだなぁと思って」
     何を言いだすかと思えば……
     寮で何度も私の部屋で寝落ちしてるし、どうせ梢先輩の部屋で寝たことなんて数えきれないほどある癖に……
     まぁでも、そう言うことじゃないんだろうけど。
    「あたしにとってこのベッドはさ、ひとりぼっちの場所だったから」
     暗闇のせいで顔は見えないけれど、少し寂しそうな声になる花帆先輩。
     高校入学するまで体が弱かったから……
     そう思うと花帆先輩の距離感がやたら近いのは……もしかしたら人肌が恋しいからなんだろうか。……いやいや、それにしたって距離感近すぎでしょ。
    「だからなんだか嬉しくって……来てくれてありがとね吟子ちゃん」
    「……どういたしまして」
     抱き着かれながらこうして面と向かってありがとうと言われると照れ臭い気持ちになる。
    「はっ! そうだよ吟子ちゃん! せっかくのお泊り回なんだからやってないことがあるよ!」
     ようやく抱き締める手を解いてくれたかと思ったら身を乗り出して顔を近づけてきた。
     近い、近いって。
    「なに?」
     どうせろくなことじゃないだろうけど。
    「枕投げでしょ? 恋バナでしょ? それから……」
    「電気消したしお風呂に入った後だから枕投げは無し」
    「うっ! だよね……」
     私が指摘すれば、いそいそと寝る姿勢に戻る花帆先輩。
    「あ、でも恋バナは? 好きな人の話とか!」
    どうしてもこのまま寝たくないらしい花帆先輩はおしゃべりを続けてくる。
    好きな人。
    昨日の夜、姫芽と小鈴に指摘されてからの今夜なのでドキリとした。
    まさか花帆先輩の口からも出てくるなんて……
     花帆先輩には正直縁遠い話なんじゃないかなとか思ってたけど……
     そう思った私は、深く考えずに先輩に聞き返してしまった。
    よせばよかったのに。

    「いや恋バナって……花帆先輩こそ好きな人とかおるん?」

    「いるよ?」

    「……え?」
     あっけらかんと、当然のように言い返した花帆先輩のせいで開いた口が塞がらない。
     花帆先輩に、好きな人が……いる?
     あまりにも突然のことに頭が真っ白になった。
    「だ……」
     誰?
     そう言い切る前に慌てて口を噤んだ。
     そんなの、聞く前からわかりきってることだったから。
     花帆先輩に好きな人がいるのだとしたら、そんなの、当然……
     ようやく暗闇にも目が慣れてきた。
     花帆先輩の顔を伺えば、翡翠の瞳がまっすぐと天井を仰ぎ見ていた。
    「ごめん先輩、何でもない」
    「……うぅん、あたしこそごめんね、吟子ちゃん」
     それは、何に対して?
     それすらも聞くことができない。
     普段は騒がし……賑やかな花帆先輩も私と同じように押し黙っている。
     花帆先輩はもっとこう、恋に恋する乙女みたいな、「あたしにはまだ難しくてわかんないや」なんて言って笑うような人だと勝手に思ってたけど……そんなのは私の勝手な思い込みだったみたいだ。
     考えてみればシュガーメルトやholiday∞holidayみたいな浮かれポン……甘い恋の歌を歌い上げるときだってあるんだから、そんなはずないって、わかるのにね。
    『だって吟子ちゃん、花帆せんぱいのこと好きなんでしょ?』
     出発前夜に姫芽が言ってきたセリフが頭に浮かんだ。
     いや、そんな、まさか。
     ……私、花帆先輩に好きな人がいることにショック受けてる……?
     そんなはずない、ただちょっと、ビックリしただけで。
     ……本当にそうやろか。
     実は自分でも気が付いてないだけで、私、花帆先輩のことが……?
     そこまで思考を巡らせると、隣から寝息が聞こえてきた。
     は?
     さっきはあんなに神妙な顔しとった癖に真っ暗な部屋で黙ったら寝付くとか、本当にこの人は……っ!
     人の気も知らないで安らかに眠る花帆先輩が憎たらしいから鼻でもつまんでやろうかと手を伸ばそうとしたけど──
    「ん……梢センパイ……」
     寝言を一言漏らした花帆先輩は、私に背を向けるようにして寝返りを打った。
    「……花帆先輩……」
     自分だけ先に寝る花帆先輩に恨めしさを感じつつ、風邪をひかさないように毛布を掛けてあげる。体が弱いのはもう大丈夫とは言ってても、つい心配してしまう。
     ……別に花帆先輩のことは嫌いじゃないけれど……
     好きかどうか考えても、わかるはずがない。
     だって私には、これまで友達と呼べる人なんてほかに居なかったんだし。
     それで言うなら私は尊敬する梢先輩が好きだし、友達の小鈴だって好きだし、姫芽も……言ったら茶化してきそうだけど……好きだ。
     スクールアイドルクラブのみなさんが好きだ。
     嫌いじゃないとは言ったけど……花帆先輩のこともまぁ……好きだ。
     好きだけど……さっき見たいな、その、恋バナみたいな話の好きかと聞かれると……やっぱり私にはわからない。
     背中を向けて眠る、花帆先輩の後姿を眺める。
     花帆先輩のだれにでも分け隔てなく距離を詰めてくるところだったり、人のために行動できるところだったり、努力する姿は……あれ? 結局花帆先輩、夏休みの宿題はどこまでやったんやろか……まぁそれはさておき。
     人として、先輩として、花帆先輩のことは好ましく思ってる。
     でも。でも……花帆先輩とはまだまだ半年にも満たない付き合いで、この感情がなんなのかなんて、わかるはずがない。
     あぁもう、花帆先輩のせいで昨日に続いて今日も……
     目を瞑っていればきっとそのうち眠れるようになるだろう。そうしよう。
     考えたところで答えは出そうにないんだし。
     あぁ……でも、わかることがひとつだけあった。

     きっと、花帆先輩の好きな人は──
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