promise bouquet 部室に妖精さんがいるかのような歌声が響き渡る。
弾むように軽やかで、可愛らしい歌声の主は、私の教えた通りの分量の茶葉をポットに入れて沸騰したお湯を注ぐ。
これが試験だということも忘れてしまっているのかしらというほどに、上機嫌な歌は続く。
花のように笑い、小鳥のさえずりのように歌い、茶器の準備のために歩けばそよかぜが吹いたようにスカートの端が靡き、それでいて、月明かりのように静かにお茶を淹れる後輩のその姿に、私はすでに合格にしてあげたくなってしまう。
私の隣に座るもう一人の後輩に目を剥ければ、口元を硬く引き結んで緊張した面持ち。
……ダメね、やっぱりどうしても私はあの子には甘いみたい。
内心で笑みをこぼしながら、またお茶を淹れてくれる子の姿を目で追いかける。
ポットにカバーを被せてタイマーを入れれば、口ずさんでいた鼻歌のイントロはしっかりとした歌唱に切り替わる。
あまりにも花帆が楽しそうに歌うものだから、私もつられるように……
「遊び疲れた綺羅星は──」
私のパートが始まると同時に、共に歌い始める。
私まで歌い始めたことに驚いた吟子さんが目を丸くする。
けれどもすぐに目元を緩ませて、息を吸う。
「ぼやけそうな輪郭を」
私たち三人の声が、重なった。
そうして茶葉を蒸らし終えるまでのわずかなひと時も花咲かせるように、最後まで歌いきった。……のだけれど……
「あーーーーーーっ!? 歌うのに夢中になって蒸らしていた時間のこと忘れていましたぁ!」
心地よい余韻から急展開、花帆の叫び声が部室に響き渡る。
これには吟子さんもため息をついて。
「はぁ……もう、やっぱりそんなことだろうと思ってた」
「だったら吟子ちゃん、途中で時間だよって教えてよ~!」
「無理に決まっとるやろ! 私は花帆先輩と違って時間計ってたわけじゃないんやし! ……それに、これは花帆先輩の試験なんだから」
「そ、そうだけどぉ~」
肩を落として項垂れる花帆は取り合えずとばかりに蒸らしていたカバーを外してあらかじめ温めていたティーカップに注ぐと……ふわりと良い薫りが舞い、透き通るような赤みのお茶が注がれる。
「……あれ……大丈夫そう……?」
「ふふ、今日の茶葉は大きめの茶葉のものだから。……少し味は濃いかもしれないけれど」
「よ、良かったぁ~……」
さっきまで真っ暗な顔をしていたのに、私の助言を聞けばすぐに晴れやかな顔になって順に三人分のお茶を淹れてくれる花帆。もちろん、最後の一滴まで残さずに。
そうして花帆を見守っていると、隣の吟子さんが耳打ちしてきて。
「……良かったんですか?」
聞かれて、やっぱり私は花帆に甘すぎるのかしらねと内心苦笑しながら。
「いいのよ。やっぱり私は花帆の笑ってる姿が好きだもの」
「それは……私もそうですけど……」
眉を八の字にさせて、梢先輩が良いならいいんですけど……、と漏らす吟子さん。
……やっぱり、私とあなたは似ているわね。
ただ、そんな私たちの様子を見てしまった花帆は誤解してしまったようで、怯えるウサギのように震えて。
「ひょ、ひょっとしてやっぱり減点されてました……?」
「ち、違うのよ花帆、そうじゃなくて、そう、ずいぶん楽しそうにお茶を淹れるわねと吟子さんと話していたところなのよ」
隣の吟子さんが「えっ」と小さな声を漏らした。……ごめんなさい吟子さん。
「そ、そう! ひょっとして花帆先輩、試験ってこと忘れちゃってるんじゃないかな~って!」
「ホントかなぁ~……ってあたし、ちゃんと試験を受けるつもりでお茶淹れてますからね!?」
「ええ、ええ、わかっているわ、ごめんなさいね花帆」
「その割には歌うのに夢中で忘れとった癖に……」
「んぐ……そ、そうだけどぉ……」
「ま、まぁまぁ……」
でも。
「本当に楽しそうに淹れてたわね、もっと緊張した顔で淹れ始めると思ってたから……」
顔を強張らせながらお茶を淹れる花帆の姿も容易に想像できたから。……けれどもこうして楽しそうに淹れる花帆もまた花帆らしくて。やっぱりあなたはジェットコースターみたいね、なんて。
私がそう指摘すれば、花帆は頬を綻ばせて。
「……だって、梢センパイの教えてくれたことを実践してるんですから……嬉しいんです」
「……そう、ありがとう、花帆」
「はいっ! さ、お茶の準備ができましたよ梢センセイ……!」
花帆が淹れてくれた紅茶は、本当に綺麗で、華やかな香りが胸を満たす。
「ありがとう花帆、さ、吟子さんも」
「は、はい!」
お菓子は私で用意したクッキーを添えて、三人でいただきますの掛け声をする。
ティーカップを摘まむようにして持ち上げ、まずは香りを確かめれば、豊かな香りが鼻孔まで走り抜ける。……確かに少しばかり味が強い気もするけれど、十分に美味しい紅茶を入れられていると言えていた。
ほう、と一つため息が漏れる。
視線を挙げれば、緊張した面持ちの花帆と目が合った。
「美味しいわよ」
「! 良かったぁ……」
「はい、少し渋みが目立ちますが、これはこれで」
「……えっと、それは珈琲をいつもブラックで飲む吟子ちゃんだから苦くても飲めるよって言う……?」
「え? あ、違いますよ、本当に美味しいと思ってますから」
「なら安心だ」
胸を撫でおろす花帆を見守りながら、もう一度紅茶を口に含む。
粗削りだけど、これならきっと大丈夫。
それに、美味しく飲むことも大事だけれど……思えば花帆は、お茶をするうえで一番大事なことを最初から知っていたのだから。
そう確信した私はソーサーの上に静かにカップを置き、花帆の名を呼ぶ。
「は、はいっ!」
肩を跳ねさせ、唇を硬く引き締める花帆。
……ダメね、慈にも以前、「声のかけ方が怖いんだよ」と言われたというのに。
「そんなに肩肘を張らずに聞いて頂戴花帆」
一呼吸おいて。
「……合格よ」
「……! やったぁ……!」
目を大きく見開いて、両手に拳を作る花帆。
それから自分で淹れた紅茶を勢いよく口にして……
「あっつい!?」
「当り前じゃないですか花帆先輩……」
「えへへ……嬉しくてつい……でも、うん、あたしでも梢センパイみたいにお茶淹れられたんだ……」
花が咲くような笑顔を見せる花帆。
ああ……懐かしいわね。初めて会った時にお茶をご馳走して……脱走した理由を聞いて。
私がお茶を淹れる度に美味しい美味しいと言ってくれて、淹れ方をレクチャーするようになって……本当に、あっという間だった。
「約束通り花帆、私のティーセットを受け取ってちょうだい。……この間最後の贈り物なんて言ってしまったけれど、増えてしまったわね」
苦笑いすれば、花帆は首を静かに横に振る。
「贈り物はいくつあったって良いんです。ありがとうございます梢センパイ。大事に、大事にします」
「……おめでとう、花帆先輩」
「えへへ、ありがとう吟子ちゃん」
瞳の端の涙を拭いながら答える花帆へ歩み寄る。
ハンカチを差し出して、柔らかい髪を漉くように撫でてあげる。
「このティーセットは、これからあなたがずっと使ってもいいし、そのまた後輩……吟子さんへ譲っても。花帆の好きにして頂戴」
「あたしが……?」
「ええ、花帆にあげるのだから」
「……それなら、きっとあたしは……」
顔を上げた花帆が、吟子さんの顔を見据える。
やりたいことはもう決まっているかのように、高らかに宣言する。
「だったらあたし、来年吟子ちゃんに譲って、吟子ちゃんからもっともーーっと後輩までこのティーセットを引き継ぎます! スリーズブーケの新しい伝統にするんです! 良いよね!? 吟子ちゃん!」
「とても、素敵だと思います」
「でしょでしょ!? あとは吟子ちゃん! 来年になったら後輩の子に香水を送ってあげるのも忘れちゃダメだからね!?」
「えっ!? それ結局伝統じゃなくて花帆先輩が勝手に言い出したことやろ!」
「それも新しい伝統にするの~! 吟子ちゃん伝統好きなんだから良いでしょ?」
「花帆先輩、私が伝統って言えばなんでも喜んで食いつくと思っとるが!?」
「え~違うの~? あ、でもいくら伝統大好き吟子ちゃんでもあたしの来年のテストは甘くしないからね~?」
「はあ!? 言っとくけど私、多分花帆先輩よりも紅茶入れるのすでに上手いからね!?」
「っぐ……! 言われてみれば多分そうかも……!」
「……っふふ……」
騒がしくも賑やかで、楽しそうな二人を見て思わず吹き出してしまう。。
はしたないけれど、口元を手で押さえなきゃいけないくらいに笑身が零れて──
「あ~~っ! 梢センパイまで笑って! いいですよ! あたしこの一年でもっとも~っと修行しますから!」
「ふふ、ふふふ……そうじゃなくて、ごめんなさい花帆、バカにしてるわけじゃないのよ」
花帆に悪いと思っていても笑いが止まってくれなくて。
あなたたちを愛おしいと思う気持ちが溢れ出て。
……本当に、本当に私は良い後輩に恵まれた。
「来年のスリーズブーケが楽しみだと思って、ね?」
心の底から、本心を伝えたつもりだったのだけれど、花帆の眉が一瞬だけ下がって、それからもう一度目を見開いて、私の手を取って来た。
何度も見た、花帆の何かを思いついたって顔。
私はそのたびに花帆の発想に驚かされたけれど……
「約束しましょう、梢センパイ」
「約束?」
「はい! あたし、この一年梢センパイから貰ってティーセットでたくさんたくさん、それこそ新しい後輩にだってなんどもお茶をご馳走します!」
「ええ」
「今は確かに合格を貰っただけで梢センパイの淹れるお茶には遠く及ばないと思いますけど……でも、あたしが卒業したときまた、あたしの淹れるお茶を飲んでくれるって、約束してください!」
……思わず拍子抜けというか、驚いてしまった。
きっとそんなこと、約束なんてしなくても機会があると思ってしまった。
きっと花帆のことだから、それはもう壮大な約束をしてくると思っていたのだけれど……?
私の動揺が花帆に伝わってしまったのか、花帆は目を細めて微笑んで。
「それが良いんです! 今からでも約束を沢山重ねましょう! おっきいお花の周りにちっちゃいお花もたくさん集めるみたいに、約束で花束を作りましょう!」
「~~っ! じゃ、じゃあ梢先輩! 私も、珈琲と同じくらいお茶淹れられるようになりますから!」
花帆につられるように吟子さんまで。
二人して私に詰め寄るようにして、たくさん、たくさんの約束を口にする。
「おはようとおやすみなさいのメッセージください!」
「こ、梢先輩が大きなステージに立つときは、私に衣装を作らせてください!」
「えっ吟子ちゃんズルい! じゃああたしともっとも~~っと一緒にライブしてください!」
「ズルくないし! それにその約束はこの間みんなでしたやろ!」
「ふーんだ! あたしと梢センパイは一生スリーズブーケなんだから!」
約束を一つ一つ結んでいくたびに、胸の奥が温かくなって。
寂しくなって、胸が少し痛くなって、でも同じくらい愛おしい。
私の手を取っていた花帆が、手を柔らかく解いて、小指を差し出してくる。
「……ねぇ、知ってますか梢センパイ。約束って、束ねて、糸で結んで、いつでも思い出せるようにって語源なんですよ」
赤い糸を結びつけるように、私の小指を撫でる花帆。
「……なら、絶対に忘れたりしないわ。あなたたちと交わした約束を」
誘われるがまま、私も小指を立てる。
「ほ~ら! 吟子ちゃんも!」
「う、うん」
「約束! ですからね梢センパイ!」
「──ええ」
花帆の声に頷いて、三人で小指を立てて交える。
約束があれば、どんな寂しさだって怖くない、挫けない。
いつかまた会えるように、沢山の花を結びましょう。