【冴凛】肛門は4センチ程度しか開かない 長年不仲が続いていたが、日本初のワールドカップ優勝を機にようやく永久凍土並みに凍り付いた関係が改善された実の兄、糸師冴の言葉に凛は困惑していた。 不快にならない程度の喧騒の中、ボックス席の向かいに座ってコーヒーを飲む冴に意を決して告げる。
「ごめん兄貴、今のちゃんと聞き取れなかった。もう一回言って?」
「……」
「兄貴?」
「兄ちゃん」
「え?」
「二人のときは『兄ちゃん』って言う約束だっただろ」
「いや、でもここ外だし……」
「周りに知り合い居ないんだから問題ないだろうが」
そう言うと、冴は椅子に大きくふんぞり返ってそっぽを向く。確かに知り合いどころか周りに日本人すら居ないため、凛が日本語で何か言おうとも理解されることは無いだろう。それでも成人した今、幼い頃のように「兄ちゃん」と呼ぶのはどうにも気恥ずかしかった。
「実家に帰ったとき、知り合いが居ないときは『兄ちゃん』って呼ぶって約束したよな?」
「した、けど……」
「じゃあ守れよ」
「……分かった」
これ以上凛がごねようと、冴は折れない。何せ自己中な兄なので。諦めて小さな声で「兄ちゃん」と呼ぶと、ようやく冴は凛の方へ向き直る。やや鼻につく満足気なその表情に凛のストレス値が僅かに上昇したところで、冴はおもむろに口を開き先の質問に答えた。
「凛、肛門を拡張しろ」
「……ごめん。ちょっと何言ってるか分かんない」
絶対に聞き間違いだと思って聞き直したのに、一言一句変わっていなかった。頭を抱えそうになる凛を他所に、冴は話し続ける。
「知ってるか? 肛門は4センチ程度しか開かないんだと。だけど、ちゃんと拡張すればもっと開くようになるんだ」
ペットボトルとか握りこぶしも入れられるようになる、などと言われて、どう返事をすれば良いのか見当もつかない。そもそもそんなもの、入れたいと思ったことは一度もない。第一、肛門はうんこを出すところだ。
冴は13歳でスペインに渡ったが、国が変わったとしても肛門の役割は変わらないだろう。それともスペインって肛門に異物を入れる教育をしている? もしくはレ・アールが? と熱い風評被害をスペインとレ・アールに対して抱いた凛だったが、まずこれだけは言っておかねばならなかった。
「兄ちゃん」
「どうした」
「俺、肛門拡げる気は無いんだけど……」
「お前、人工肛門になりてえのか?」
「なりてえわけねえだろっ!!」
怒りに任せてバンッと両手をテーブルに叩きつけて立ち上がると、迷惑そうな表情を隠しもしない店員に注意された。冴に至っては「何やってんだこいつ」といった表情で凛を見上げている。誰のせいだと思ってんだよ。
好奇の目に晒されながら着席すると、冴が涼しい顔でコーヒーを口にしていたので凛もドリンクに口を付ける。冷めかけの液体が食道を通っていくと、頭に上った血もゆっくりと降りてくるような感じがした。