Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    malsumi_1416

    @malsumi_1416

    習作テデ🧸ちゃん置き場

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 18

    malsumi_1416

    ☆quiet follow

    【元使用人の独白、あるいはある男の告解】
    「テデの日」に寄せて

    ある使用人の目線から見た、幼き日のテランス+ディオンの思い出とそれを踏まえた「彼」の告白

    テデちゃんがお付き合い始めたあたり

    構成成分:
    モブの回想
    弊テデの幼少期の幻覚
    テランスの姓の捏造
    テ君の出番は幼少期のみ

    モブの語りから入ります
    キャプションをご了承の上、お好きな方はどうぞ

    #テラディオの日
    #テラディオ

    元使用人の独白、あるいはある男の告解

     少し、昔話を致しましょうか。
    懐かしいカモミーユのお茶は如何?
    こちらのお菓子は?
    ええ、あなた様とお会いできるからと今朝方から。焼きたてですのよ。
    ああでも、これが好きだったのは小さなあの子の方でしたわね。
    さて、どこからお聴きになりたいかしら。
    ……あら、そう。
    最初から、と。
    では、改めてわたくしとあの方の馴れ初めでもお話ししましょうか。
    懐かしいこと……あの時の事は今でも憶えてますわ。


     最初の報せが参りましたのは、凍てつく中に春の風が吹き始める頃。
    わたくし達一家が所領の倹しい我が家で、未だ残る寒さに暖炉を囲んでいた時のことですの。
    風ではなく、人の手が扉を打ち付ける音を聞いた従僕が表を確かめに行って、暫くして血相を変えて走り込んできたものですから。
    ……ふふ、まだ年若い見習いあがりの子でしたので、少しお行儀はよろしくなかったわね。
    兎も角その子がお連れしてきたのがルサージュ家からいらした使いの方で、わたくし宛に一通の書簡を携えて来たとのことでした。
    いきなり天上のお方様からお便りをもらうなんて恐れ多いこと、わたくしが嫁いできてからはとんとなかったことですから、それはもう屋敷中大騒ぎしたものです。
    お返事を待ってから帰られると仰る使者の方を主人に応対してもらって、震える手で丸められたそれの封を切ると……中から出てきたのはシルヴェストル様のサインがなされた一通の召集状と、こんな冬の最中でも見事に咲いた飛竜草でございました。
    ………あら、そもそもなぜそこでかの方のお名前が?というお顔でいらっしゃるのね。
     我が屋敷のある一帯はシルヴェストル様の数代前、ときの神皇様の弟君から武勲を理由に賜った土地ですから。
    そうとは申しましても、上納の際もお役目の方にお預けするのが慣例でしたので上流階級のお歴々へ直接お目通りする機会なんて、そう滅多にありませんわ。
    それでも……社交期だけは別でしてよ。
    実はその丁度半年ほど前、夏の社交シーズンが終わるまで一家で首都へ滞在しておりましたの。
    丁度、長男坊がデビゥした年でしたから、主人ったら張り切って色んな方々のところへご挨拶へ……ええ、シルヴェストル様のお屋敷にも確かに伺いました。
    わたくしはといいますと、丁度春先に産まれた三男坊がまだまだお乳が要る位小さかったものですから、挨拶もそこそこにお屋敷を辞する事が殆どでしたけれど。
    …ふふ。そうですわね。
    うちは貴族とはいえ専属の乳母を雇うほど禄が高くありませんし、何しろわたくし自身身体が丈夫で溢れるほど沢山お乳が出たんですもの。
    お陰様で長男から末っ子まで、親戚中から変わり者と呼ばれたとしても自分の手元で面倒をみられたのは幸いでした。
    だから、表向き半分はそのせいかしらね。
    先の冬に生まれた息子の乳母をお願いしたい、とシルヴェストル様直々のお手紙にはそのように書いてございました。

     最初は、それはそれは戸惑いましたよ。
    シルヴェストル様の細君はずっと床に臥せっていらっしゃるって伺ってましたし、この間お生まれ遊ばした御子様の事なんてついぞどなたも教えては下さらなかったんですもの。
    それに上級貴族の皆様に置かれましては、確かに自家よりも下の分家から使用人や乳母を募ることもございますけれど……まさか、薄らとしか繋がりのない少しご挨拶しただけのうちが選ばれるだなんて思ってもみませんでした。
     一つ気がかりなのは、わたくし自身身一つで奉公へ上がるものだと最初は身構えておりましたのに、よくよく書状を確認しましたら一番下の坊やを連れて出仕せよ、と書かれているところでしたわね。
    それが守られるならばさらに数人の使用人帯同を許し、滞在中の費用はもちろん謝礼として金銭と家所有のクリスタルをいくらか進呈するとまで書いてあったものですから、手紙を隅々まで検めた後もなぜそんなにまで、という疑問はわたくしのなかに残っておりました。
    ですが、我々中流の家に対して、あちらは尊い血筋でいらっしゃる。
    できるだけ早く返事を寄こすように、とのお達しでございましたが、我々に断るという選択肢などはなからございませんでした。
     使者への応対を済ませた後、いつの間にか戻ってきた主人が苦り切った顔で「うちの息子を……影とせよ、ということか」と呟いたこと、今でも覚えております。
    それを聞いて、その場に集まっていた家のものの内に小さく緊張が走ったことも。
    ええ、幸福で愚かなわたくしはやっとそこで気が付きましたの。
    あなた様ももちろんご存じでござりましょうが、皇家の皆様におかれましては———もちろん、位の高い諸侯の方々も含まれるでしょう、それら家ごとの格と、さらにその中の序列がすべてでございます。
    わたくしたちのような地方の弱小貴族ならばいざ知らず、皇都においては時たま、どこそこの家の跡取りが見かけの上は不慮の事故で……などということもございましたから。
    そのようなことが横行しますと、親戚筋で生まれた嫡男以外の子や身寄りのない同じ年頃の子をもらってきて、自身の子の護衛や身代わりとして一緒に育てる、ということが多くございましてね。
    こと皇族に連なるお家に限っては、将来の側近候補の育成も兼ねて数人の子供を乳母がまとめて養育するものなのだと、わたくしも後から知らされましたわ。
    そして、お家自体の格はもちろんのこと、受け継がれたお血筋からしても当時のシルヴェストル様は次期神皇候補とみなされるにふさわしいお方でいらっしゃった。
     我が家の部屋住みの三男坊が、神皇を継ぐやも知れないお方の御子様に気に入られれば、将来側近として引き立てられるかもしれない———
    端から見ましたらきっと、それはそれは栄誉なことなのでしょうけれど、わたくしは坊やの……テランスの丸くてあどけない寝顔を思い出してつい「嫌です!」と言ってしまったの。
    …………ごめんあそばせ、そんなお顔をなさらないで。
    けれどあの時、わたくしは坊やをそんなところにやるのが恐ろしくて恐ろしくて。
    おいおい嘆くわたくしの肩を抱きしめながら、それでも主人は「お方様の格別のお引き立てであられるから」としか言うことができなくて、とっても悔しそうなお顔をしておりましたわ。
    断ると家門がどうなるかわからない、けれど、送り出すことは一番小さなあの子を飛び切り可愛がっていた主人も苦しいのだと、口には出せずともわたくしはきちんと分かっておりましたとも。

     その日のうちに是とする旨の返信をお使いの方に託して、わたくしたちは迎えが来るまでの間出仕するための準備に追われました。
    先んじて、これで準備を整えるようにと上等な絹織物がいくらか届けられましたので、お下がりばかりだった坊やの衣服を女中と娘の手を借りていくらか誂えました。
    同じくらい上等な恰好をしておかないと、影として役には立ちませんものね。
    皮肉なことですけど、するするの生地で作られたチュニックを着たあの子の可愛らしかったこと!
    何も知らない坊やはいつもより肌触りのいいお洋服に機嫌をよくして、常よりもにこにこ、にこにこと笑っておりましたわ。
    ころころとよく動く子でしたから、折角のお洋服を這いまわって汚したりしないようにとあの頃はそればかり気にしていましたわね。
     さあ、そうして冬の気配が去って鈴蘭がちらほらと咲き出した頃、迎えの馬車が用立てられてわたくしたちはオリフレムへと向かいました。
    わたくしと、一番下の坊や。
    当面暮らすための荷物と、わたくしに付いてくれている女侍従の子が三人。
    そして最後の知らせと共に届けられた、黒く小さな鉄の鍵。
    たったそれだけで……それから数年の間、坊やと御子様が揃って学校に上がるまで、わたくしたちは同じ屋敷で生活することになったのです。


     ———ふう、少しお疲れでいらっしゃいません?
    さぁさ、新しいお茶を入れましょうね。遠慮なさらずに…そうだ、あなたからいただいたこちらを開けてしまっても構わない?
    ———まぁ!わたくしの大好きなアマンドの掛け物菓子ドラジェ!憶えていて下さったのね。
    ならこちらも、お持たせだけれど。
    …………続きをお望み?相変わらずせっかちでいらっしゃるのね。
    ええとどこまで、———ああそうですわ。わたくしたちが都に向かったくだりからでしたわね。
     
     あなたもご存じの通り、ホワイトウィルム城にほど近い一等地にルサージュ家のお屋敷が軒を連ねているのですけれど、その時案内されたのは……上流階級の皆様の暮らしてらっしゃる区画の外れ、家格に対してささやかな邸宅でございました。
    それでも、わたくしたちが親戚同士でやりくりしているこの町屋敷よりは大きなお屋敷でしてよ。
    そちらに馬車をつけられ、案内されるまま屋敷の奥のお部屋へ通されて……そうですの。ホールでも応接室でも、家のあるじの執務室でもなく。
     そこにございましたのは、ふたつの揺りかごとひとつの安楽椅子に、いくつかの衣装箱。
    読み書きが出来るように小さな机と棚には沢山の御本が並んでいて、壁につけられた燭台は細工の見事なこと。
    裏庭に面した明るく広いそのお部屋は、いわゆる子供部屋でございました。
    うちの子よりも少し先にお生まれの御子様でしたら、年頃からして布毬のひとつでもお持ちになっていそうなものでしたけれど、それでもそのお部屋にあったのはたったそれだけ。
    辛うじて厚い絨毯が敷いてございましたから、木や石の冷たさからは守られておりましたが。
     思い迷うばかりのわたくしたちがすやすや眠ったきりの坊やを抱き締めて立ち尽くしておりますと、徐に扉が開いて此度の依頼を下さったお屋敷の旦那様———シルヴェストル様が従者の方と入っていらっしゃいました。
    尊い御方でございますし、女のわたくしが主人を通さず直接お話するのも憚られて小さくお辞儀をするばかりのわたくしに、従者の方を通して「楽にするといい」と仰って下さってなお、鋭い眼差しが突き刺さるようでしたわ。
    わたくしと侍従が抱いている坊やを交互にご覧になって一つ頷かれた旦那様は、そのまま手振り一つで後ろに控えていたもうひとかたの使用人を呼び寄せられて……まだ少女の頃合いの、幼いと言って過言ではない侍従の娘が恐る恐るといった体で歩み出て、重たそうに抱えていたそれをわたくしは覗き込みました。
    ええ、そうですわ。
     愛らしい小麦色の髪を揺らしたお色の白い御子様が、これまた真っ白なお洋服とおくるみに包まれて、大人しく抱かれておりましたの。
    おずおずと差し出された御子様をお抱き申し上げるとまあ、なんて澄んだ青い瞳の赤ちゃんでしょう。
    それ自体が淡く光っているようで、まるでクリスタルの欠片をまあるく磨いて嵌め込んだような煌めきがそこにございました。
    けれどもその瞳はなかなかこちらを映してくれようとはなさらず、人見知り盛りの年頃だというのに泣き声ひとつ、かといって笑い声ひとつも聞かせてくださらない。
    そして不思議なことに、緩く巻き付けられたおくるみの端から長い長い何かがはみ出していて、暗色のそれがふらふらと意志があるかのごとく揺れていたのでございます。

     この子は一体—————と。
    途方に暮れておりますと、あちらの従者の方が寄っていらしておくるみを覗き込みながら、わたくしたちにとって当時はにわかに信じがたいことを仰って……思わず腰が抜けてしまいそうになりました。
     曰く、「こちらの御子は聖獣バハムートを宿しておられるのだ」と。
    我々ザンブレクの貴族、とりわけ皇族や上流階級の血筋からバハムートのドミナントは生まれるとわたくしも母から聞いてはおりましたけれど、まさかこの手にお抱きするその子がとは考えもつかなかったものですから。
    更には「奥方様はお産からこちら神経衰弱であらせられるゆえ奥様の侍従に面倒を任せていたが、未だに子供のない若い娘を使ったばかりに接し方を間違いこのように寡黙なまま大きくおなり遊ばされた」なんて仰って……
    他にもいくつか……そう、こんなことも仰ってたかしら?
    「貴女の仕事は、この御子のお世話に加えてルサージュに連なるものにふさわしい言葉遣いをお教えし、過不足ない礼儀作法を身に着けさせること」
    「ご子息においてはおそばに侍らせ、お言葉の少ない御子の手助けとなるよう躾けること」
    「必要であれば、罰を与える際に鞭など使ってこらしめること」
    「屋敷の人やものは自由に、細かい質問や不足があれば家老に申し出ること」
    「言うことを聞くようになるまで、クリスタルの枷はあまり外さぬよう。人の形をしているようで、中身は獣が宿っておる故」
    先んじて鍵は送っておいた筈、とそこまで聞いて、わたくしは恐ろしくなって思わずくたりと投げ出された御子様のお手々に目をやりました。
    まさかあの小さな鍵が、ドミナントの力を奪い苦しみを与えて制御するというあの、クリスタルを埋め込んだ枷の鍵だとは思ってもみなかったのです。

     戸惑うわたくしどもに従者の方はおおむねこのようなことを説明して下さって、最後に「どうか、取り扱いには十分に気を付けられよ」だとか何だか念を押されて、さっさと旦那様の後ろに戻ってしまわれて……一番大事なことをお教え頂いていないと気付いてお声掛けをした時には、すでに旦那様がお部屋を出ていこうと踵をかえしかけた其のときでした。
    「失礼ですが、ご子息のお名前は———」
    そう問いかけますと、今までだんまりでらっしゃったシルヴェストル様がふと考え込むように顎を撫でつけて、「それの名は……ディオン、だ」とおっしゃいました。
    まるで呼びなれない音を無理やり舌に乗せたような引っ掛かりを覚えましたが、それより先にシルヴェストル様は背中を向けられ今度こそ扉の方へ行ってしまわれましたの。
     ————ディオン、ディオン様。
    喜びと豊穣を司る方、大地に愛された子供。
    聖句に親しまれる古くから伝わったお名前はまさしくこの美しい御子様に相応しく感じて、ぽやんと宙を見据えておられるこの方をどうか立派な紳士にしてみせようと、お名前を口に乗せるだけで身が引き締まる思いでした。
    「それの面倒をよろしく頼む」と、お忙しい最中だったのか旦那様方はそれっきり足早にお屋敷を出ていかれてしまって、残された私と使用人が顔を見合わせて、丁度お腹の空いた坊やがぐずりだして……とにかく、そういったふうに始まったのです。わたくしたちの生活は。


     そのような出会いではございましたが、いくらドミナントとはいえ当時の殿下が愛らしい赤ん坊であることは変わりありません。
    坊やよりもなお細い手首に巻かれた分厚い枷が不釣り合いに痛ましくて、ご下命とはいえ、おいたわしい小さな殿下に精一杯のお世話をさせて頂こうと、わたくしは来る日も来る日も、どこかお寂しそうなお顔の殿下を抱き締めて過ごしました。
     当時の殿下はとにかく泣かないお子さまで……それでも、数日経つとむつきの端から伸びた尻尾が時折、わたくしや侍従の腕におっかなびっくり優しく絡み付いてくるようになってとても安心したのを覚えております。
    ああ!驚いたのはもうひとつ。
     赤ちゃんはすぐにお腹がすくものでございましょう?
    うちの坊やは兎に角食いしん坊で、乳粥を食べ、つぶした果物を啜り寝入り端お乳もしゃぶるような赤子でございましたから、空腹になられましても小さく尻尾の先を打ち付ける以外のことをなさらなかった殿下がそれはもうお労しくて。
    お口に運ばれるものは余さず召し上がるお子様ではありましたが、御身に宿した竜の仕業かそれとも枷の災いか、食べてもあまり身にならずに細い手足を持て余されたディオン様に対して、おこぼれで同じ食事にありついたテランスばかりがぷくぷくと大きくなっていくものですから、このままでは影として役に立つのだろうかといらぬ心配をしたりもしました。
    そしてただひとつ、わたくしからお乳を吸うことだけはなさいませんでした。
     上手く乳足らえない場合はそれまでと同様、お屋敷に飼われている大ヤギの乳を小さな器で少しずつ少しずつ飲ませるようにと伺っておりましたから、それを知ったときに、この子は乳の吸い方すらわからなくなってしまわれたんだわと気付いてしまって…お母様の産後のお肥立ちのせいとはいえ、肌の触れあいに馴染みがない御子様だと思うと、より一層手抜かりなく、坊やと同じかそれ以上にただ慈しんで育てましょう、と誓ったのです。

     わたくしたちは叶う限り一つの部屋で、旦那様の願われた通り殿下のそばにテランスを置くようにしてお世話をしました。
    座ってお空ばかり眺めておられる殿下の回りを、最初は坊やが這って回って不思議そうに首を傾げてはわたくしたちに振り返って、まるで「あのこはなあに」と問い掛けるような顔が愛らしかったこと……
    殿下にとりましては同じ年頃の子供は刺激になったのか、ある時からじいっとテランスを目で追うようになられて。
    お手々のかわりに長い尻尾が伸びて、テランスの頬をうっすらと撫でては引っ込めるご様子が微笑ましくて……。
     そうこうしておりますと、今思えばお互い慣れてきた頃合いだったのでしょう。
    頬から去っていこうとする尻尾をあの子が掴んでしまったときは少しひやりと致しましたが、その時初めて、そう、驚いたディオン様のお口から初めて細いお声が一瞬聞こえましてね。
    咄嗟に目の前で尻尾の顕現を解いてきょとんとしているディオン様と、握ったはずの尻尾がなくなってしまった坊やが見つめ合って、それまでずっと青だと思っていたディオン様のお目々の色がすぅっとかわったのをわたくしたちは目にしました。
    殿下は見守るわたくしたちの前で蜂蜜を煮詰めたような深いお色の瞳で周りを見渡されて、そして尻尾ではなくようやっとご本人のお手々を伸ばして、テランスに触れたのでございます。

     まるでたまごの中から竜の雛が孵るかのように、その日以来ディオン様はテランスを手本にするように変わっていかれました。
    周りをよく観察なさるようになり、わたくしたちと目線が合うようになって、ご自身の力でお部屋を冒険しようと小さなあんよで立ち上がられて。
    わたくしたちもそれまでの遅れが埋まるようお話をしたり、お庭のお花をご覧に入れたり、端切れでこしらえたお人形であやしてみたり。
    ディオン様の固く結ばれていたつぼみの様なお口が綻び、吐息に乗せて色々なお声が生まれ、お腹が減って泣くことを思い出し、むつきが汚れては換えて欲しそうに寄ってらして、本当に少しずつ表情も豊かになられて……———冬の入口に差し掛かったころに殿下が初めてこちらを振り返ってたどたどしく「 乳母やヌヌ 」と呼んで下さった時の喜びと言ったら……!
    言葉の早かったテランスはその時にはもういろいろとお喋りしてくれていたものですから、もともと賢いお子様でらしたディオン様はそれらをまねて日に日にお言葉も上達されていきました。
    そして屋敷に呼ばれて季節が一回りする頃には、わたくしから見たところの「普通の子供」と遜色ないディオン殿下と、おっとりしておしゃべりなテランス坊やの二人がまるで兄弟のようにころころと転げまわる賑やかで楽しいお屋敷生活となっておりました。

    ………ええ?大変だったか、ですって?
    わたくしどもはただ、家族と同じように慈しんで殿下の手助けをしたにすぎませんの。
    殻を破って出てきたのはひとえに殿下のお強さで、わたくしたちを受け入れて下さった優しさなのでしょうと、わたくしは今でも信じていましてよ。
    さて、それからですわね。
    ええ、ええ。そう、よく憶えていますとも。

     よく笑って下さるようになったのもつかの間、今度はあの子、テランスとディオン様の間でわたくしの取り合いが起こるようになってしまって……本当にしょっちゅう喧嘩をしてらした。
    殿下は特別な方ですからお呼びには一番にお抱き申し上げるわけですけれど、そうしたらテランスが怒って怒って。
    「ぼくのママンをとらないで」と地団駄を踏んでいたの、ああ、可愛い私の坊や。
    わたくしの足元でやきもちを妬いて打ちひしがれているその子を目の端に置きつつも「ヌヌ、ヌヌ、もっと抱っこ」とせがむディオン様を腕に囲っておりますと、いつも、肩に押し付けた唇が安心したようにゆっくり緩んでいくのをわたくしだけが知っておりましたので……そんな顔をなさる健気なお子様を片手に、もう片方ですっかりほっぺたを膨らませたテランスをあやしながら両腕を一杯にして一日中。
     もう大丈夫でしょうと重たい手枷を外したのも相まって、お力の強いディオン様はしょっちゅうあの子のことを押しのけて一日に何回も喧嘩ばかり。
    ————嫌だわ、そんなことくらいで怒ったりするものですか。
    小さい子の喧嘩はね、それ自体がコミュニケーションですもの。
    けがややりすぎに注意するのは、わたくしたち大人の役目です。
    大丈夫、お互いに怒り出してどうしようもなくなることはございましたけれど、賢いディオン様はわざと坊やにけがを負わせるようなひどい事なんてなさいませんでしたよ。
    大抵のいざこざはテランスが泣いてしまってお仕舞いなのですけれど、ほら、あの子は食いしん坊ですから。
    食事の時だけはとられそうになっても逃げ回って、わたくしどもも何度お皿を持ったまま追いかけて回ったことか……
    その懐かしい焼き菓子も、幾度となく取り合いしてらして。

     ———だけれど、普段は無邪気にあの子とやりあっておいでのディオン殿下は、本当にお辛いことがあると黙り込んでしまう敏いお子様でらっしゃったわ。
    全ての貴族が社交のために首都まで出てくる夏の間、わたくしどもの家族が代わる代わる屋敷を訪ねてくるに対して、ディオン殿下はお父様に会えてはしゃぐテランスの背中にしがみついて、まるで盾のようにしていたかと思うと、いざご挨拶と主人が覗き込んだとたん泣きそうなお顔でお部屋の隅に逃げてしまわれて。
    その日はカーテンにくるまって、ずっとこちらを伺っていらっしゃった。
    お淋しかったのねと気が付いたのは坊やが先で、主人にひとしきり甘えたテランスがお迎えに行ってなんとか事なきを得たのですけれど。
    その後も嫁いでいった娘や騎士補として奉公へ上げた次男坊らが訪ねてくるたびに、ふとした瞬間何とも言えない苦い顔で笑ってらっしゃるディオン様を、ただ「余はへいきだ」と仰る小さな貴公子を抱きしめることしか、わたくしたちには……

     猊下の奥方様が突然身罷られたときも、真っ白なお顔のまま葬儀が終わるまで一言も口を開かず、じっと、怒ったような、燃えるような瞳で正面を睨んでいらした。
    ずっと離れて暮らしておいででしたから、お母様が恋しかったでしょうに。
    あれからも長く臥せっていらっしゃった奥様に殿下がお目通りできたのは、年にたったの数回だけ。
    たったそれだけの触れ合いで愛するお母様と引き離されて育てられるだけでなく、お会いできたとて病ゆえに甘える暇もないままに、ある日突然お空の彼方に逝ってしまわれるなんて……あんまりですわ。
    数日後、お眠のお時間に寝床で本を読んで差し上げているときにぽつり、と「ヌヌも、いつかいなくなるの…」と空っぽの声でお尋ねになった、まるで寄る辺ない迷子のようなお顔ときたら!
    思わず息子と一緒に抱き締めて、「どこにもいきませんよ、ディオン様」とお誓い申し上げたらみるみるうちに大きなお目々に涙をためて、それでも声を荒げることもなさらずにただただ小さく「行っちゃやだ、行っちゃやだ」としがみついていらしたの。
    「ちちうえ、ちちうえにあいたい。なんで余はひとりぼっちなの…!」と、手に力を籠める殿下がそれはいじましゅうございました。
     殿下のお嘆きに合わせて、久しくお目見えのなかったお背中の翼と長くしなやかな尻尾がいつの間にか寝台の上ではためいて、まるで言葉にならないすべての感情が形になったような、そんな悲しみに満ちた半顕現を……わたくしは初めて目にするところとなりました。
    小さなお体で、お父上は政でお忙しく謁見日以外は一目まみえることもかなわない、そんな殿下の寂しさが吹き出して涙と一緒にこぼれ落ちるようで。
    「ぼくがいるよ!」と、そう言って同じくらいお目々をぽたぽたに濡らしたあの子が殿下のかわりにというようにわんわんと泣いて、広がった翼もものともせず肩口にしがみついておりました。
    気が付けば殿下の片方の手がわたくしから離れて強く強く、尻尾と一緒に坊やの腕を握りしめながら静かに嗚咽を殺してらっしゃった。
    その姿がお労しくてお労しくて、わたくしまで涙が溢れてしまって、ずっと抱き合って泣いていた、そんな、夜がありましたわ……。

    ……そんな悲しい夜から、少し経った頃でしょうか。
    それからの彼らときたら、わたくしの取り合いも回数が減って、その代わり二人どこへ行くにも一緒で…本当に仲良しさんでほほえましゅうございましたわ。
    まるで、あんなに苛烈な喧嘩をなさっていたとは思えないほど、テランスが殿下の手をとってそれを殿下が握り返して、どこまでも二人で行ってしまう危なっかしさはありましたけれど、心から楽しそうにしてらした。
     ある時なんて、屋敷に出入りの行商人が流行りものだと持って寄越したぬいぐるみを二人ともが欲しがって、それでも互いに遠慮しては渡しあって。
    お食事時になっても二人でその子を離さないものですから、急ぎ生地商に掛け合って手触りの良い布を買い込んで女中の子達とお揃いのものを二つ夜なべで誂えて、贈った朝のあの子たちの笑顔ときたら。
    確かそう、お互いの渾名をそれぞれの持っている子につけてらして、「これで寂しくないね」って…
    あとは朝方のベッドでお粗相をした時も、やんちゃが過ぎて花壇をめちゃくちゃにしてしまった時も、勝手にお空へお散歩に出掛けられた時ですら、お互いがお互いを庇い合って本当に可愛らしかったこと…
     ……あら?そんな難しいお顔をなさって…どうなさったの?ねえ、【殿下】。


     「夫人…」
    優雅にカップを持ち上げる彼女の向かいでは、すっかり冷めてしまった薬茶を前に苦り切った顔の美丈夫が縮こまっている。
    先の事件もあって心配していた女のもとに見慣れたストラスが連絡を携えてきたときは正直とても驚いたし、許すならこちらから伺おうと思っていた矢先であったから。
    それを、誰にも聞かれたくないからと人目を忍び、わざわざ軽く変装してまでこちらの夏屋敷にやってきたディオンを、両手を広げて彼女は出迎えた。
    共も連れずに一人きりの彼を屋敷に招き入れた際に、少なくともこけてはいない頬と顔の肌つやから、噂に聞くよりは元気そうでよかったと安心したところだというのに。
    「お加減が悪くなってしまわれたのかしら……今日はこのあたりになさる?」
    「いえ、その……ヌヌ、」
    記憶の中に住んでいる、何か失敗ごとをしてテランスに庇われているときの小さなディオンがそのままそこにいるような気がして思わず笑みが零れる。

     彼らが学校へ通いだすのと同時に役目を終え、乳母とその侍従は莫大な量の報酬と共に数年ぶりの我が家へと帰っていった。
    その後細々と管理されていたルサージュ家所有のあの懐かしい小さな家は、今では使用人ごとディオンに下賜され彼の私邸となったらしい。
    従者になる際に籍を抜けたとはいえ、彼女の末息子であるテランスからディオンの静養のために暫く皇都の屋敷に滞在すると手紙で知らされていたため、秋も過ぎ所領に引っ込む前に、てっきり息子一人かあるいは傷の具合にもよるが、せめて連れ立って訪問するものと思っていたのだけれど。
    ぜひ二人きりで話したいと瞳を揺らすディオンを作業室兼談話室に通し、女主人である自らが茶器を見繕って手に運びながら廊下の先々で使用人を散らして人払いを行う。
    きっと、なにか言い難いことがあるに違いない。
    (まったく、先日の息子にしても、男の子たちときたら…)
    まだほんのり温かな焼き菓子を山盛り籠によそいつつ、いくつになっても可愛い子のままね、と女は呟いた。

     席についてなお気まずそうな顔のディオンに「夫人は、わたしと出会った時のことを憶えておいでだろうか」と問いかけられたものだから、それからはつい懐かしくなった彼女が色々とお喋りしてしまったのわけなのだが。
    赤くなったり青くなったり、それでもやっと居住まいを正してこちらを見据えたディオンの口から語られるなにかを、ようやっと、今度は彼女が聞く番のようだった。





     「それにしても、ご立派になられたこと。お母様もきっと、彼方から喜んでらっしゃいますよ」
    それは違う、と言おうとしてディオンは踏みとどまった。
    今さら真実を言ったとて、目の前の優しい女性を困らせてしまうだけだと気づいていたからだ。
    あの日、喪失を悲しんだ記憶の彼方の女性は、自身の母ではないことを今では知っている。
    しかし、全てを明るみに晒すことが正しいとは限らない。
    それに、愛しいテランスを育んだこの女性には、ディオンも幸せでいて欲しかった。
    だからこそ、余計に口が重くなっていく。
    今からなそうとしている告白が、彼女を傷つけてしまったら。
    自分勝手だが、家族のように慕っている彼女に嫌われてしまったら流石に暫く立ち直れないだろう。
    その自覚が、ディオンの中に確かにあった。
     「……ヴァンフォール、夫人」
    「あら、改まってどうなさったの」
    ここから先は乳母と養い子の関係ではなく、一人の男の母親とそれを奪う相手としての会話だった。
    居心地のいいはずの柔らかな布張り椅子が急に針が千本立つ地面の様に思えて、この場を逃げ出したい衝動に駆られる。
    握りこんだ手のひらにはじっとりと汗をかき、湿らしたはずの唇は喉元から全て干上がってしまったかのようで、口内に張りついた舌がもつれて上手く言葉が出てこない。
    それでもせめて、この人相手には誠実に居なければとディオンは背筋を正して顔をあげ、まっすぐに瞳を見つめた。
    「……あなたの、息子さんを  ———どうかテランスを、わたしに下さい」
    背筋を冷たい汗が滑り落ちていく。
    ほんの一瞬驚いた顔をして、それでも大きく崩さずに目の前の女性は涼しく微笑んでいた。

     「あら、あの子はとっくに貴方に差し上げてましてよ、殿下。十二のときに、あの子の方から言いだして」
    その時から貴方はあの子の主人でしょうに、と相変わらずふくふくと愛らしく笑う女性にはぐらかされないように、もう一度、強く強く思いを込めてディオンは口を開く。
    「テランスと、……懇ろになりました。もう、離してやれそうにないのです」
    あれほどの男を、わたしのためだけに縛り付けることをどうか今一度許して欲しくて。
    勢い頭を下げると、あらまあ、お顔をお上げになってと流石に困った声がしたが、彼女の顔を確めるのが怖くてなかなか頭をあげられない。

     彼女が幼いディオンを叱る時も、確かに今のようだったように思う。
    いつも、あらあらあなたたち……と柔く嗜める物言いでやんわりと子供を叱るのだ。
    夜間にこっそり抜け出して、テランスと二人で勝手に屋根の上に登って星を眺めた時。
    庭で木登りの競争をして絹の衣服を揃ってどろどろに汚した挙句、裾を枝にひっかけて破いてしまった時。
    取り合っていた玩具をディオンが癇癪で投げてしまって壊した時。
    当時なんとなく好きになれない料理を、テランスの皿に押し付けた時……思い出せば枚挙に暇がない。
    その度に乳母や屋敷の使用人は、うすらと困ったように眉尻を下げて「おやおや、ディオン様」と幼い主人を嗜め、導き、甘やかしてくれた。
    「鞭で躾けて構わない」とは父親の仰せだというが、その実、彼らからそれを振るわれたことなど一度もない。
    思い返せば、それなりに愛された子供だったのだ。
    ディオンはひとりぼっちでいたわけでは、決してなかった。
    シルヴェストルが会いに来てくれた事なんてほとんどなかったように思うが、それでも屋敷のみんなが気に掛けてくれていた。
    ずっと、ずっと。
    そして、ディオンのために家族と引き離されながらも共に歩み、競い合い、愛情をくれた小さくて勇敢な幼馴染みと、その子を産み、幼いディオンと共に育んでくれた暖かな腕のうつくしいひと。
    それは長じてからも変わることなく、二人の間に横たわっている。

     ほんの数秒、あるいは数分。
    様々な思い出がディオンの頭の中を駆け巡っては、焦りの中に消えていく。
    カタン、と向かいで茶器が置かれる音が大きく感じるほど神経を研ぎ澄まし、ディオンは彼女からの応えを待っていた。
    クロノメーターの放つ駆動音すら、胸に響いて今の己には耐えがたい。
    「……ありがとうございます、殿下」
    しんと静まり返った部屋の中、抑揚の少ない声で彼女は応えた。
    「そうね、今日のお話は聞かなかった事に致しましょう」
    そう聞こえてきて、ディオンの身体が一気に強張る。
    怒らせてしまったか、失望しただろうか。
    それとも恨まれてしまうのだろうか。
    どんなよろしくない感情を向けられたとて、それでもこれだけは譲ることはできず、かといって彼の母親であり自らも育ててくれた恩がある女性にだけは、たとえ謗られようとも真実を伝えようと自分はここに来たというのに。
    まるで叱られた幼児そのもののように頭の中が熱くなって、何も考えられなくなっていく。
    「ああ、違うのよ。言い方がまずかったわね」
    ともかく、お顔をみせて頂戴な……ディディ?と小さな頃テランスから呼び掛けられていた内緒の渾名で呼ばれて、ディオンがノロノロと顔をあげると、日溜まりのごとく暖かさを称えた瞳の美しい女性が、凛と静かに向き合っていた。
    その己が愛するただ一人と同じ色かたちをした瞳が撓み、光をはじいて細められると同時に弧を描いた唇が柔らかく綻ぶ。

     ——ディオン殿下、あなたには大義がおありになる。
    その道を歩む上で、あの子との関係が障害となることがあってはならないのは、承知のうえでございましょう。
    宮中は華やかさに隠された陰謀や嫉妬、妬み嫉みが渦巻く場所だもの。
    現に、此度殿下が負われた傷のこと。真偽は兎も角、そこかしこで噂になっていましてよ。
    そしてこの先も、もしもがないとは言いきれない。
    ね、ですから、この事は内密に。
    でも今だけ、言わせてちょうだい……おめでとう、ディオン様——————

     一息に話しきった彼女はすっかり冷めた茶器に手を付けて一口含み、それでも幸せそうな顔をしていたずらに見つめてくる。
    貴族の女性にしては少し荒れた指先が一つ立てられて、それでいてなお整った形の爪が口元にあてられて小さくシィ、と息を吹かれて。
    「うちの人にも内緒の、わたくし達だけの秘密よ、ディディ」
    まるで少しの冒険を犯す無垢な少女のような仕草で今回の告白をそっと胸に仕舞いこんだ彼女の晴れやかな表情に、それまで黙ったまま固まっていたディオンはやっと肩の力を抜いた。
     赦された、この人に。
    皇族としての義務に反するため父親に打ち明けるわけにもいかず、他の何が赦さなくても、それでもこの人にだけは本当は認めて欲しかったのだと、震えそうな手のひらを開いてたまった唾を飲み下す。
    からからの咽と食べ盛りの胃袋が急に動き出して、ようやっと目の前の茶に手を伸ばし一口啜った。
    冷めてはいるがその香りに、冬の寒い朝、温かなこれを両手に抱えて窓辺に陣取り、テランスとふうふう冷ましながらちびちびとカップを傾けた幸せな時間が不意に脳裏に甦って、喉を下ったそれが胸の奥に優しく思い出の火を灯していく。
    向かいに座る女性はそんなディオンに目を細め、ありし日の小さな子供たちの姿を思い描いていた。

     出会った日の虚ろな子供、同じころの男の子が気になってやっと踏み出した一歩。
    初めて発した言葉、声をあげて笑ってくれた、泣いてくれた。
    いつの間にか二人で手を取り合って、学校に行って、護国の竜騎士となって。
    ———おかあさま。ぼく、ディオンの従者になる。そう言いきった幼い末息子の凛と前だけを見据えた瞳は、今も宝石のように胸の中で輝いていた。きっとあの頃から、あの子はこの子を追いかけて、離さないように必死に努力してきたのだろう。
    いつだって彼らはずっと、互いに掛け替えのない存在だった。
    そんな子らが、とうとう二人で羽ばたいていこうとしている。
    願いが叶ってよかったわね、わたくしの坊やテリ
    寂しくないといえば、嘘になるけれど。

     「だけど…うふふ。なんて幸せな気分なのかしら……まさか本当に、あなたのおかあさまになれたみたいで」
    そうだわ、少し待ってらしてと席を立った彼女が奥に設えられた作業用の小机から取り出したのは、ひどくふわふわした愛らしい獣たち。
    外大陸発祥のそれは、見た目の愛らしさも相まって今ではどこの家庭でも見かける玩具になっている。
    良かったら、貴方が持っていって下さる?と差し出されるままディオンが受け取ったのは、胼胝と肉刺で固くなった騎士の手のひらには不釣り合いの、どこか覚えのある揃いの愛らしい熊のぬいぐるみだった。
    二匹が纏っている衣服は、懐かしいことにあの頃自分たちが揃いで身に付けていた衣服と同じ色と肌触りをしている。
    「片方は、あの子に渡してね」
    焼き菓子もどうぞ持って帰って。テランスと一緒に召し上がれ。
    そういってついでのように籠一杯のフランを目の前に置かれるが、両手をふさぐ柔らかな二匹からディオンは目が離せなかった。
    着古した衣服をほどいて仕立て直し、小物類を拵えては贈ってくれていた夫人らしい細やかな気配りと愛情がほんのり微笑んでいる二匹の口許から伺えて、ディオンは恥ずかしさ半分、嬉しさ半分の複雑な目元をうつむきがちに隠しながら、ただ感謝に頭を垂れた。
    まるで小さな子供に戻ってしまったディオンを見ても、その人は変わらない穏やかさでただ微笑むばかり。
     先ほどとは違う感情で顔をあげられなくなったディオンにあらあら、とまた一つ頷いた彼女は隣に佇んだまま、小さく丸まってぬいぐるみを抱き締めたきり黙ってしまった子供の肩を優しく抱いてとんとんと静かに、宥めるように慈しむようにゆっくりと触れていく。
    ———世間は、神はお許しにならないのかもしれない。
    それでもせめて、わたくしだけは彼らの絶対の味方でいよう。
    そう心に決めて。
    「本当に、どうか幸せになって頂戴。私の可愛い息子たち」
    肩を微かに震わせるディオンに、あの日から変わらない少女のような明るさと慈愛に満ちた瞳を持つ女性はただ、彼の涙が乾くまで寄り添っていた。



    *********************************************
    副題:けじめをつけたいディオン様がテランスの母親に返り討ちにされるお話
    実子であるテランスは勿論、ましてやディオン様がこの人に勝てるはずがなかったんだよ……

    * ヴァンフォール =(仏) Vent + fort =(英)High wind
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💛😭👏🍼💖😭😭👏👏💖👏💖😭😭🙏🙏🙏💘💘💘💯👏👏😭👏😭☺💒👏❤😭😍😭😭😭💖💖👏👏😭☺😭😭👏👏👏💖😭👏💯💯💯💯💯😭😭☺😍😭
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    malsumi_1416

    DONE【とびっきりをあなたに】
    公現祭とガレット・デ・ロワ、それにかこつけていちゃつくテデちゃんのお話

    ヴァリスゼアにはエピファニーはないと思うけど、例えばこんな祝祭があってもいいじゃないかと。
    二人とも、相手に幸せになって欲しいのはきっと同じだったと信じて。

    1…原作軸のどこか、21〜23歳くらいの二人 遷都前
    2…転生記憶有り現パロ、社会人で週末お泊りする感じ

    構成成分
    宗教・風俗の捏造
    とびっきりをあなたに1 <原作軸>
     オリフレムの上空、羽ばたく風圧が人々や建屋に干してある洗濯物に障らないよう注意しつつ、海からの風を捉えてゆっくりと低空を飛行する。頬を切りつけるはずの寒気の刃も、顕現してエーテル伝いに鱗を纏ってしまえば左程気になるほどではない。冬の最中だというのに眼下に広がる町並みには色とりどりの飾り紐が渡され、寒さに負けじと咲き誇る花を頭に飾った子供たちがこちらを見上げて指を差していた。
    「みて、バハムート!」
    「すっげぇ……かっこいい~」
    「ディオンさまー!」
    『…ありがとう。今日の良き日に幸いあれ』
    嬉しそうに追いかけてくる子供たちの上を二、三度旋回して寿ぐと、途端にきゃあ、と喜色を含んだ悲鳴がそこかしこから沸き上がりこちらの心まで軽くなっていく。
    13329

    malsumi_1416

    DONE「冬に備える」
    ED後生還軸
    二人で生きると決めたテデちゃんのささやかな日常と「死者の日」について。
    過去作「味を知る話」及び前作「元使用人…」を一部踏襲しています。

    構成成分:
    石化由来の身体不自由
    風俗・習慣の捏造
    テが少々不安定

    明るい話ではないかも
    上記をご了承の上、大丈夫そうな方はどうぞ
    冬に備える ガツッ、——トン、ト、ト、ト。
    家の裏手に残されている腰かけ代わりの切り株に座り込み、手鉈を振りかぶりながら大きな丸太をひたすらかち割っていく。
    半分、もう半分…これはまだ太いからもう一回。
     もう全身至る所が石化していたため節々に少しばかり固さが残るが、去年の今頃と比較すると幾分か動きやすくなってきた身体をリハビリがてらこうして動かして、最近では家の運営にかかわる事なら少しづつ携われるようになってきた。
    けれど元々細かな作業が得意かと言われればそうでもないので、街道を外れた森に分け入り獣道を進んだ末にたどり着くこの家で出来る仕事……もとい暇潰しと言えば、もっぱら掃除と薪割りと、テランスが町から仕入れてきたり隠れ家の誰がしかがストラスの足にくくりつける手紙に紛れて寄越してくれる、野菜や果樹の種を植えている小さな畑の世話ばかり。
    4656

    malsumi_1416

    DONE【元使用人の独白、あるいはある男の告解】
    「テデの日」に寄せて

    ある使用人の目線から見た、幼き日のテランス+ディオンの思い出とそれを踏まえた「彼」の告白

    テデちゃんがお付き合い始めたあたり

    構成成分:
    モブの回想
    弊テデの幼少期の幻覚
    テランスの姓の捏造
    テ君の出番は幼少期のみ

    モブの語りから入ります
    キャプションをご了承の上、お好きな方はどうぞ
    元使用人の独白、あるいはある男の告解

     少し、昔話を致しましょうか。
    懐かしいカモミーユのお茶は如何?
    こちらのお菓子は?
    ええ、あなた様とお会いできるからと今朝方から。焼きたてですのよ。
    ああでも、これが好きだったのは小さなあの子の方でしたわね。
    さて、どこからお聴きになりたいかしら。
    ……あら、そう。
    最初から、と。
    では、改めてわたくしとあの方の馴れ初めでもお話ししましょうか。
    懐かしいこと……あの時の事は今でも憶えてますわ。


     最初の報せが参りましたのは、凍てつく中に春の風が吹き始める頃。
    わたくし達一家が所領の倹しい我が家で、未だ残る寒さに暖炉を囲んでいた時のことですの。
    風ではなく、人の手が扉を打ち付ける音を聞いた従僕が表を確かめに行って、暫くして血相を変えて走り込んできたものですから。
    16006

    related works

    malsumi_1416

    DONE【元使用人の独白、あるいはある男の告解】
    「テデの日」に寄せて

    ある使用人の目線から見た、幼き日のテランス+ディオンの思い出とそれを踏まえた「彼」の告白

    テデちゃんがお付き合い始めたあたり

    構成成分:
    モブの回想
    弊テデの幼少期の幻覚
    テランスの姓の捏造
    テ君の出番は幼少期のみ

    モブの語りから入ります
    キャプションをご了承の上、お好きな方はどうぞ
    元使用人の独白、あるいはある男の告解

     少し、昔話を致しましょうか。
    懐かしいカモミーユのお茶は如何?
    こちらのお菓子は?
    ええ、あなた様とお会いできるからと今朝方から。焼きたてですのよ。
    ああでも、これが好きだったのは小さなあの子の方でしたわね。
    さて、どこからお聴きになりたいかしら。
    ……あら、そう。
    最初から、と。
    では、改めてわたくしとあの方の馴れ初めでもお話ししましょうか。
    懐かしいこと……あの時の事は今でも憶えてますわ。


     最初の報せが参りましたのは、凍てつく中に春の風が吹き始める頃。
    わたくし達一家が所領の倹しい我が家で、未だ残る寒さに暖炉を囲んでいた時のことですの。
    風ではなく、人の手が扉を打ち付ける音を聞いた従僕が表を確かめに行って、暫くして血相を変えて走り込んできたものですから。
    16006

    recommended works