専用裏蜂蜜 日が傾き、辺りが夕焼けから宵闇へと移り変わる頃。
家族経営の弁当屋にしては数の多いメニュー表を目の前で見ているハッチンをヤスはレジカウンターから肩肘をついて見守っていた。
決めかねているのか、なぁ、とハッチンがヤスに顔を向けないまま声をかける。
「ハチミツ弁当って作んねーの?」
「ハチミツをどう弁当にすんだよ」
「ファ~そーだなー……ファッ!」
「ハチミツライスは弁当にしねぇ」
「ファ、だめか……じゃーヤスんちのかーちゃんに期待だな!」
「うぜえ……つーか早く決めろよ」
「んー、ちょっと待てって……フライ弁当はこないだ食べたし、オムライスも食っただろー……」
「トルコライスはまだ頼んでねぇぞ」
「ファッ!じゃ、それ!」
「はいよ。」
さっきまで店先でメニューとにらめっこしていたハッチンは注文が決まるや否やピッと触角を立ててご機嫌だ。先に会計を済ませ随分とたまってきたポイントカードを見るとニッといたずらっぽく笑った。
「ファーイ!あとちょっとでヤスんちの弁当コンプだぜー!」
「どーかな……ハッチンがコンプするまでに新メニューが増えるかもしんねぇし」
「……増えんのか?」
「考案中だ」
「ファッ、ま、いくら増えてもぜってーコンプするけどな!」
そう言って笑いながら弁当の入ったビニール袋を受け取るハッチンに対し、口ではぶっきらぼうだがヤスの声色は普段よりも随分と優しい。
ほぼ毎夕、店が休みの日以外にUNZ商店街名物の弁当屋で繰り広げられるこの光景は商店街では見慣れた光景になりつつあった。
事の発端は数週間に遡る。
普段なら練習終わりにそのままばらばらと解散する事が多いどこ指の四人だが、その日はヤスの家の弁当屋に集合していた。
双循はから揚げ目当て。ジョウは新メニューのスタミナ弁当目当て。そしてハッチンはなんとなく暇だから着いてきた、そんな理由だった。
だからか、二人がさっさと目当ての弁当を頼む間、外壁に貼り付けられているメニューを見てても迷ってしまって決められていなかった。
いつも即断即決のハッチンにしては珍しい。
「どうしたんだハッチン。いつもコロッケかのり弁の二択じゃねーか。」
「ファ〜、たまにはちげーのも頼もうと思ったんだけどよ……ヤスんちの弁当種類多すぎね?」
「まぁ、そうだな。」
「それもウチの売りだからな」
レジの奥からヤスがフン、と自慢げに話に加わってきた。弁当の話には遠慮なくヤスは入ってくる。
「ヤスが好きなの生姜焼き弁当だろ?オレ食った事ねーんだよなー」
「マジかだせぇな」
「ファッ!?ダサくはねーだろ!」
「ウチの弁当食った事ねぇやつはだせぇ」
「ファー!なら全部食ったらハッチン様かっこいいって言えよ!」
「全制覇したら考えてやる」
「言ったな!?よゆーだっつーの!」
売り言葉に買い言葉。
やれるならやってみろと余裕ぶって煽っているヤスにとっては相手がハッチンとはいえ常連が増えるのは嬉しいことだろう。気になるのはハッチンだ。やるといったら本気でやるタイプだが飽きる時は即効で飽きるタイプでもある。いつまで続くか。
仲がいいな、と途中から傍観に徹していたジョウと我関せずとひとり揚げたてのから揚げを食べていた双循は同じことを考えていた。
そんな二人の考えとは裏腹にハッチンは欠かさず通った。最初は一気に五種類くらい買おうとしていたが、ヤスにそんなに一気に食えねぇだろうが!と怒られてからは一個づつちゃんと買っている。
最初こそヤスに言わせてやる!と対抗心からだったものの今では単純に日替わりで弁当買うのが楽しいのと、溜まっていくスタンプが嬉しいようで。本来の目的をほぼ忘れかけてしまっている様子だった。
そして現在に戻る。
厨房で明日の仕込みをしながら、ヤスは悩んでいた。
ハッチンが弁当屋の常連になってからしばらく。宣言通りにあと一週間もしないうちに全メニュー制覇しそうな勢いだ。
それは、まぁ、いい。
全メニュー制覇してみろと言ったのは自分だし、弁当を食べて貰えるのは素直に嬉しい。
悩んでいるのはハッチンが全メニューを制覇した後のことだ。
ハッチンのことだ、目的を達成したらすぐ来なくなるんじゃないか。
いや別にハッチンが毎日来なくなるのは寂しいな、とか一瞬だけそんな事を考えなかった訳じゃねぇけど、そうじゃなくて。むしろうぜぇ騒がしい奴が来る頻度が下がるなら別に、うん、いいんだろうけど……ただ……
「売上が一人分下がるだろうし……うちは毎日通っても飽きねぇ弁当屋だって宣伝になるだろうし…………?」
「やっちゃん?」
声に出していたらしい。母の声にハッと我に返った。いつの間にか、まな板横のバットにはキャベツの千切りの山がこんもりと多すぎるほどに出来てしまっていた。
仕込み中に思考を飛ばすものではない。
「あ、悪い、ぼうっとしてて」
「疲れてるなら今日は早めに休んだら?」
「……いや、疲れてはねぇ」
「そう?」
明日はキャベツ大盛りね、と朗らかに眉根を下げる母に少し申し訳ない気持ちになる。作業に戻った母を横目に見ながら千切りキャベツを片付けているうちにまたハッチンの事がもやもやと思考を襲う。
この調子だとまた考え込んで何かやらかすかもしれないと心の片隅でため息をついた。
試しに、本気で作る訳じゃないが参考までに。
「なぁ」
「ん?」
「ハチミツ使ったやつで……弁当のメインになりそうなおかずって、なんかあるか?」
「ハチミツ?……そうねぇ、思いつくのはハニーマスタードを使うとか……あ、ハチミツ照り焼きなんかやっちゃんは好きよね。あとは……」
流石、下手なスマホのレシピサイトよりすらすらと弁当のおかずになりそうなハチミツメニューがすらすらと出てきた。
ついその中からどれが気に入り、いや、受けが良さそうか思わず考えてしまう。やっぱりハチミツの味が隠し味程度ではないものの方がいいのか。
「そうね、最近メニュー増やしてないし、一個くらいレギュラーに新しいのを追加してもいいかもねぇ。やっちゃんが考えてみる?」
ヤスの考えをまるっと読まれたのか母ちゃんがくすくすと微笑ましそうに笑いながらそう言った。
◆◇◆
「ファッハチミツ弁当!?」
「ハチミツ照り焼き弁当。まだ試作品だから、後で感想教えろ」
「ファ〜……!わかった!ぜってー電話する!」
「メッセでいいメッセで」
「な、これいつ普通のメニューに載んの!?他の奴にも食わせてーんだけど!」
「試作品の改良点がなくなったらかな……完成するまで裏メニューだから他の奴には言うんじゃねぇぞ」
「裏メニュー!」
後日。いつものように弁当を買いに来たハッチンに新メニューの味見に付き合えと弁当を渡した。
ハッチン専用の裏メニューの響きにキラキラと目を輝かせる視線が眩しすぎてちょっと目を逸らした。
感極まったように興奮してハチミツ照り焼き弁当を受け取るハッチンは想像していた何倍も喜んでいて。今にも嬉しさに駆け出しそうな勢い。そこまでハッチンに弁当で喜ばれると無意識に尾羽がふわりと揺れてしまうのがちょっぴり悔しい。
「……少なくとも完成するまでは付き合ってもらうからな。通えよ」
「言われなくても完成してもずっと通うっつーの!!」
満面の笑みで触角を振りながらドンッと胸を叩くハッチンにふっと頬が緩んだ。