神奈備大忘年会において 憂鬱でもなければ楽しみでもない。ただ無心で引いた籤には「漫才・ツッコミ」と書いてあった。裏にはでかでかと「神奈備大忘年会」のロゴが印刷されてある。忘年会に本気を出す謎の一団があるようだが、薊はまだそれが誰かを知らない。
「これポジションまで指定されるんですね」
半分笑いながら隣の上司に声をかけた薊は、苦節十数年そういえば漫才、当たった事がないなと「漫才って今までありましたっけ」と続けて聞いた。
「あったろ。お前酔うの早いから知らねえんだよ」
「後半なんですね」
「初っ端にやっても誰も笑わんからな」
「やめるという選択肢はないんですね」
で、どっち? と薊が持つ籤を区堂が覗き込み、その文字を見て「一旦中止」と怒鳴った。苦節十数年、区堂さんそんな大声出るんだ、と薊はびっくらこいた。講堂はザワつき、おじが転び、お姉様は消え、数珠が弾けてばらばらと転がる音がした。
「じゃ解散」
「相方がまだ見つかってません」
「俺はしない」
「分かってますよ。区堂さんはウインクで爆風巻き起こすんでしょ」
「師匠に頼め」
「くじの意味は…」
挨拶もなく即時散会になってしまい、薊は師匠である上司のところへ行き「僕と組んでくれませんか」と頼んだ。師匠はまあ俺はやらんけどと前置きしてから片眉を上げる。
「お前にボケ老人とか言われたら殺し合いになるし」
「言いませんよ。ダメーって頭はたけばいいんでしょ」
「暴力はダメだと教えたろ」
「そうなんだ……」
拳を握り締め悲しい顔をする薊に「とにかく俺はせん。人はせん。」と言い残し師匠は去った。人でなければ何を殴ればいいのだろう。
「誰でもいいっていうんだね!!」薊は取り残された講堂で叫んだ。千切れた数珠の珠が足元に転がってきた。この光景。そうだ登吾に言おう。
*
「は? 俺で誰が笑うん? てか漫才とかあった?」
ちょっと緊急で話が、と呼び出され、体良く足にされた柴は薊の家のデカすぎるソファに座っていた。お茶は出してくれた。お茶菓子がないんだよねと置かれたササミをなす術なく見ながら柴はぼやく。
「お前は忘年会に来なかったから知らないんだよ」
「ふーん、漫才なんかあったら絶対やってるもんな」
「俺たちが組んでないなんておかしいからね」
「コンビ名は?」
「ゴリシュン」
「えぐ」
でも俺二、三人ボコったからなあ、二人やっけ三人やっけ一人殺ったら二人も三人も変わらんもんなとまだ少し悩んでいる柴に「最初に絶対笑えって言えばいいと思うよ」と案を出すとまあそうか、と頷いた。多感な頃に戦時を過ごした中年たちは、力に物を言わせることに疑問を抱かなかった。
「ほんでほんで? ネタは?」
「作って」
「そらもうお前、アンパンザミパン僕アザパンやろ」
「僕はツッコミなんだよ」
「ほな武勇伝武勇伝天井の俺が守るから♪ すごい、見事にやられて死んじゃった」
薊は「うん、ちょっと古いかな」と茶を啜りながら真顔で受け止めた。笑えや、と柴が言うので、あは…と愛想笑いをした。柴に対して初めての愛想笑いだぁと思った。
「やめよリズムネタ。しゃべくりの方がいいよ俺たちには」
「素人がしゃべくりで笑い取れるとおもとんか」
「賞レースじゃないんだから」
「やるならちゃんとせな。俺を呼んでおいて中途半端は許さんえ」
「うん。お前の事面白いと思った事は一度もないけど」
しかたなく……という困ったような薊の目を見ながら柴はデカすぎるソファごと引っくり返った。そういえば東の奴らってあんま笑わんよなと思ってたけど、俺がおもんないからなん? ほなチヒロ君の笑顔奪ってんのも俺? それはそうかも。
「ほななんで声かけたん。俺がおもろくてかっこよくて強いからちゃうん」
「お前しかいないと思ったから」
「好きやんそんなん」
「それとこれとは別」
「やりちんの台詞やん。チンコがデカすぎるゴリラとかやれや」
「そんな当たり前の事で笑いが取れる? お笑いって意外性じゃないの?」
「おわ」
お笑いって意外性なんや……そうかも……とデカすぎるソファを戻しながら柴は考えた。身体動かしてデカい声出しといたら取れるんちゃうん笑いなんか。お笑いが理論だったら俺とお前でどうにかなるわけないやん。解散や。お前チンコそんなデカないやろ。
「どうせ皆に逃げられたんやろ。言うとくけどな、俺もお前に不用意にツッコまれたら死ぬで」
「そんな事ないもん。一度は本気で殴りたい。面白半分で」
「殴るて言うてもうてるやん。ツッコミって殴る事ちゃうから」
「ねちねちツッコむのやめて!」
こっちがわからないからって言いたい放題、と薊は立ち上がる。いつもねちねちしとんのそっちやんと返すとそんな特選部隊と同じ事言わないでッと薊は泣き始めた。
「わかんないよッ! ツッコミなんてやった事ないんだからさァッ!!」
「ここまでで分かったんはお前はボケに対してボケを返すって事や。そのままツッコミを模したパワーボケを目指したらええやん。どうしてもハッキリしたツッコミいるならチヒロ君とか呼んでこな」
「レギュレーション違反じゃん! あんな蠱みたいな飲み会に子供を呼べるか! もういいっ」
薊は窓から飛び出そうとし、ふと思い出し「柴。送って」と呼んだ。
「はいはい送迎付きで結構なこって」と柴は意味ありげに笑いながら印を組み近付く。
それに気付き「あ、ここ僕んちじゃーん!」と思い出し、照れた薊がうっかり拳で柴の頭を殴った。人生初の面白半分で拳を振るった薊はツッコめた事にも気付かず、「あ、ゴメン」と呑気に謝っていた。
柴は床にめり込みながら「それでええんや」と親指を立てたが言葉にはならずそのまま薊の家の床の一部となり、忘年会の薊の出し物はけん玉になった。