第四話 潔癖というほどではないが、部屋の掃除は毎日しないと、何となく落ち着かない。かといって、平日に帰宅し、夕飯や洗濯などを全て済ませた後となると、それなりに遅い時間帯になる。掃除機などはもってのほかだ。使い捨て式の掃除用ワイパーなどを使用していたのだが、それでは取りきれないゴミが気になるようになり、シュロ箒購入した。
そもそもが綺麗好きというよりは、なんとなく座りが悪い、という心理的な問題で掃除をしていたために、箒を使っての掃除はいかにも綺麗にしました、という達成感があって、意外に気に入った。音も出ない。周囲に迷惑をかけることもない。
ただ、気になることがあった。
夜半、さて箒をかけるかと手に取り床を掃いていると、物音がするのだ。初めは隣人が騒いでいるのかと思った。これまでに隣人との騒音問題とは無縁だったので、意外に思っていたのだが、よくよく気にしてみると音は壁を隔てた向こう側ではなく、どうも室内から聞こえてくる気がする。
壁を叩くような音は掃除の最中は控えめながらもずっと続き、やれ一仕事と箒を置くと止んだ。
これが二日続いた。
その翌日は、背後から何か物が落ちる音が聞こえてきたので振り向くと、小麦粉のタッパーが落下していて、床中粉まみれになっていた。
元来、楽観的なたちなので、気にしたことはなかったのだが、もしかしてこれがいわゆる事故物件というやつなのではないか、と思い至った。
そう考えると何となく不気味な気がする。箒と物音との因果関係など考えてもみたが、箒は新品のものを購入したし、不穏な物音などこれまでに聞いたこともない。困った。なにより、このまま超常的現象がエスカレートしていけば、お隣さんにも迷惑がかかるに違いなかった。
とはいえ、掃除をしないと落ち着かない癖が消えるわけでもなく、楽観的な性格が治るわけでもないので、今日も相変わらず箒での掃除に勤しむことにする。
相変わらず部屋のどこからかわからない音が鳴る。最初に聞いた音よりも、さらに激しくなっているようにも思える。
これはお隣さんに一度、謝っおいたほうがいいな、と覚悟していると、インターホンが鳴った。エントランスのものではなく、部屋の前の呼び鈴が押されたらしい。
これはしまった、ついに隣人か痺れを切らしたかとドアを開けると、そこにいたのは穏やかな見た目の住人ではなく、いかにもガラの悪い、その上不機嫌そうな男が立っていた。上背があるので、なかなかの迫力だ。片目には眼帯をしており、どこかで喧嘩をして怪我をしたのだろう、ということが想像に難くない。
そこまで思った時に、まるで心を読んだかのように
「おい、この目は喧嘩で負けたわけじゃねえぞ。俺が負けるわけないからな」
と唐突に主張する。
「俺の目はどうでもいいんだよ。いや、どうでもいいわけじゃないんだけどな、今回の原因は兄さん、あんただよ。毎晩怒りを煽るようなことしやがって」
「あ、物音のことですか。すみません。俺にも原因が分からなくって。ご迷惑かなとは思っていたんですが」
怒るだろうか、と心配になりながら、頭を下げる。目線をチラリと男にやると、黙ったままこちらを見つめている。何だろうか、と自分の周囲を見回した時に、片手に箒を持ったままでいることに気づいた。「掃除をしていたんです。うるさくしないようにと思っていたんですが」
と、弁解をしておく。
男は小さな声で「これだな」と呟くと、まるで当然だあるかのように、ひょいと箒を取り上げた。男の風体も相まって、頭によぎるのは暴力的な想像ばかりで、いくら箒とはいえ打ち据えられたらかなり痛むに違いない。最悪の事態をなんとか回避しようと、すみませんと叫ぶがうるせえな、と一喝される。
「あのな、夜中に箒で掃くなんてことしたらどうなるか、考えたら分かるだろうが。人の気持ちを想像するってことができねえのかよ」
箒は男の右手でくるくると回る。ただ、その叱責だけは納得がいかなかった。むしろ、周囲に気を遣って箒を選択しているのだ。
「掃除機よりはいいかと思ったんですが」
「あのな、箒で掃き出されたらな、普通は追い払われたと思って嫌な気分になるんだよ」
「嫌な気分に?誰がですか」
「あんたの家に来てるくらいなんだから、あんたの知り合いなんじゃねえのか。そりゃこんな時期なんだから来るだろうが。ハロウィンだぞ」
男は言いたいだけまくし立てると、そのまま扉を閉めて出て行った。
後日、部屋の前に箒が返却されていた。10月31日、ハロウィンを過ぎた頃のことだった。試しに掃除に使ったが、何事も起こらなかった。
俺は箒が無事に帰ってきたことに何より安心していた。シュロ箒は、意外に高級品なのだ。