青龍と友神 眷属というものは基本的に、自らの仕えている主に属する動物の要素を含んでいることが大体である。白虎の側近とされる眷属は頭に虎の耳を拵えた白髪の少女と桃色と黒髪を交えた少女であるし、朱雀の側近も朱色の尾羽を持った黒長髪の女性と褐色肌の男性である。勿論玄武の側近も白蛇を思わせる赤眼の青年と、背に六角形の刺青を持つ青紫髪の青年であった。
だが、青龍だけは少々事情が異なる。勿論彼の眷属における者にも、大きな角を持つ桃色の髪の少女と金髪の少女がいたが、彼女らとはまた別にもう一人。
青龍の眷属には、狐憑きの青年がいる。それは四神の間でも周知の事実であり、また彼が収める自領でもよく知られたことであり──ただ、どうしてその青年が青龍に仕えているのかは、民草の知らぬところである。
「とやさーん。昨日の五番地区の捧物一覧見た?」
「……あー、どこ行ったっけあれ」
「知らないよー、リリっち帰ってくるまでに見とかないと。まーたどやされるよ」
「多分引き出しん中に入れてあると思うんだけどな……」
平和そうに小鳥が謳うとある日の青龍領、神宮殿にて。春の陽気をほんの少しばかり纏わせた庭でぼんやりと木を眺めていた青龍の元へ、ぴこぴこと金の狐耳を揺らしながら一人の青年がやってきた。明るそうな雰囲気を湛えたその右頬には赤の模様が入っており、おそらく誰が見ても、彼が噂における青龍の眷属である狐憑きの青年だと気付くだろう。青年は慣れた様子で青龍の肩を小突くと、いつものように楽しげな笑みを浮かべた。それを横目で見ていた青龍も、少しばかり眉尻を落とす。
「夕陽が帰ってくるまでには確認しておくって。ところでがっくんは今年の市政の取り纏め、持ってきた?」
「…………持ってきた! ダイジョブ!」
「本当かあ? 何だ今の不穏な間」
「いや本当に持ってきてるって! 書類だって……まあちょっと落書きしちゃったけど……」
「まーた街で丁半やってきたな、このギャンブルジャンキー狐が」
「あーーーーっ痛い痛い抓んないでごめんって!」
むんずと両頬を抓られる狐の叫び声が、庭いっぱいに木霊する。この青年は毎度毎度、街に御遣いへ行かせると民草に混じってやれ盤双六だ丁半だとギャンブルばかりをして練り歩き、当の御遣いをすっぽかす時があるのだ。今回は一応目的は達成して帰ってきたようだが、案の定遊んできてはいたようなので抜け目がない。
狐の青年は一頻り頬を引っ張られた後に開放されてはいたが、未だ青龍の隣で頬を摩っている。過去何度も青龍筆頭に他眷属たちにも叱られているというのに、彼の賭博癖が直らないのは最早性分と言うべきか。……彼の経歴故とも言えるだろうが。
青龍が狐の青年に手渡された書類をぺらりと捲ると、そこにはいくつかの地域名と共に今年の市政方針や、人口の増減、農作物などの生産物等の情報が書き込まれていた。その内の一つ、とある地域に目をやった青龍は少しばかり安心にも似た息を吐く。
「がっくん」
「ん?」
「……再建、無事今年にはできそうだってさ」
「……あの子たち、頑張ったんだ。良かった」
──青龍の治める地域には遥か昔、青龍の管轄外であった、とある土地が存在していた。大河の中央に位置していた浮島のようなその土地では、百人程度の人々が川向こうと密接にやりとりをしつつも、独自の信仰を得て暮らしていた。狐の青年はそこで古くから崇められていた農耕を司る神、稲荷神であった。青龍も過去には稲荷神である青年とは友として接しており、自領とはまた別の土地として、神としての尊厳を損ねない形でその土地を扱っていた。ただ、それはとある大嵐と共に、浮島が増水した川の氾濫で呑まれてしまう前まではの話ではあるが。
神というものは天気を幾らかは操れるものの、天災を未然に防ぐことはできない。空は空の領域であり、土地に住まう氏神とは別の代物だからだ。故にその大嵐は青龍は元より、四神の治める地域では大災害として爪痕を残すこととなった。青龍の自領でも何百人の民草が命を落とし、その中でも氾濫した川の近辺に住んでいた人々の被害が酷かった。故にその浮島の惨状も青龍は心配をしていたが──案の定、大嵐から一夜明けた朝に青龍が見たのは、美しく築かれていた街並みがすべて最初から無かったかのように平坦となってしまった浮島と、その真ん中にぽつんと残されていた赤鳥居。そしてその上で膝を抱えていた彼の青年のみであった。その他すべては、流されてしまったのだ。
後に彼の青年は浮島から離れ、青龍の眷属としてその身を青龍領の神宮殿へ寄せることとなった。理由は様々であったが、一番は稲荷神を信仰していた人々がほぼすべて帰らぬ人となってしまったことだろう。神は信仰なくして存在し得ることはできない。故に彼は、自領を捨てることとした。否、捨てざる得なかった。民を守ることの出来ない神様に、在れる場所などない。──それが、彼の言い分だった。
「……がっくん」
「何すか?」
「……戻る?」
それは、おそらく他から聞けば要領を得ない問いかけだっただろう。けれど狐の青年は少しばかり虚を突かれたような表情をした後に、ふと笑みを深めた。慈しみと懐かしさの望郷。ただ、哀しみさえ湛えた双眸の色は美しさを秘めていた。
「いんや、戻らないっすよ。今のオレは刀也さんの部下だし」
「そっか」
「刀也さんが要らないってんなら帰るけど」
「言うと思ってんの?」
「思ってないっす」
「……じゃあ好きなだけ居ればいいよ。ちゃんと仕事するんならね」
「まるでちゃんと仕事してないみたいな言い方!」
「してないだろ、ギャンブルジャンキーがよお」
彼の地は農業と賭博を生業として発展した街であった。一度は更地と化してしまった浮島だったが、人々は彼の地をもう一度再建すべくと奮闘してきた。天災がその後幾度となく来ようとも、その度に負けぬ対策を講じて作り上げた浮島は現在、商業の街として新たな始まりを迎えようとしているらしい。青龍領となった後も変わらず、浮島では稲荷神を据え置くのだという。青龍神と稲荷神、その二頭を祀るのだと。
復興の赤鳥居を中心に、発展していくであろう彼の地。少しばかり忙しさが落ち着いた時には、人に扮して浮島を訪れてみようと青龍は頭の隅でそう考えた。その時には隣でけらけらと楽しそうに笑う友神を連れて、珍しく賭博に興じてもいいかもしれない。民草の営みに干渉することを嫌う青龍にしては珍しい考えであったが──不思議と悪くないと思ったのは、このお人好しで優しい狐の神に感化されたからなのかもしれない。