記者id② 所詮根拠のない宗教家の預言。世間はもちさんの動画をそう定義付けた。世界は相変わらず回り続けるし、七日後に滅ぶなんてこともありやしない。信じたい人間だけ怯えていればいいだろうという残酷にも冷めた認識は、動画公開の翌日いっぱいかけて大体の人の総意となったようだった。
僕の方はというとやはり相変わらずというか、もちさんが終わると言うならまあ終わるんだろうというぼんやりとした意識の中で変わらずに仕事を続けていた。とはいえ七日後に世界が終わってしまうのなら、それより後の予定なんて入れていてもなあと新規の仕事は取らず、積もり積もっていた取材をまとめて記事にするため家に籠っていることの方が殆どで、世間は日常に戻りつつあった、はずだった。
「……おお、本当じゃん。流石もちさん」
それが急変したのが、あの動画が出て翌々日──もちさんが世界終焉を預言した日まで残り五日の出来事だった。海外の衛星基地から打ち上げられていた無人宇宙ステーションが、突如警告を発したのだという。およそ数百キロメートル離れた宙に地球へ向かって軌道を描くひとつの小惑星が観測され、それはどうやらあと数日も経たないうちに衝突するらしい。その規模、約五十キロメートル。現在の技術ではどうやっても撃墜することなど出来ないそれは、速度の関係性も相俟って高熱を纏いながら突っ込んでこようとしているのだと。この惑星が衝突すれば、地球上に生息する約九十五パーセントの生命が死滅する。青褪めた表情で速報を打ち出すキャスターの唇は、ひどく震えていた。
朝イチのニュースで緊急速報を見ていた僕は、おお、なんていう感嘆を漏らしながらも手元でSNSを開いているところだった。仕事用として開設している僕のアカウントは、先日リリースしたもちさんの記事に対する拡散の通知で一生音を鳴らし続けている。ちらりとコメントを見れば、やはり速報を受けての動揺や心配による書き込みが横行しているようだった。
僕は一度、リビングのソファから立ち上がって仕事場に使っている自室へと戻る。机の上には開きっぱなしのパソコン、それからいくつかの取材記録がある。記事にするまではそこまで時間もかからないそれらを前に、僕はゆっくりと一瞥するとパソコンのサブモニターでニュースを開きながら机の前へと座ることにした。今は、目の前に残っている仕事を先に片付ける方が先だ。それらが全部終わってから、この世界終焉に対して手をかけることにしようと結論付けた。
世界が終わる。そのカウントダウンの最中で、僕が出来ることなんてあまりにも限られている。きっと最後の日まで、仕事をしている可能性だって充分あるわけなんだけれども。
「……」
星と僕らの余命宣告は、どういう結末を迎えるんだろう。それはひどく、気になる気がした。
◇
部屋を劈くスマホの音に、モニターと睨めっこしていた僕の意識がはっと現実へと帰ってきた。なんだ、と視線を巡らせれば傍らのスマホが着信を知らせていて、画面には数年ぶりの懐かしい名前を浮かび上がらせている。あれ、珍しい。そう思って拾い上げたスマホを慣れた手つきでタップして、耳へと当てながらサブモニターへと目を滑らせた。
ニュースは相変わらずずっと流れ続けているようで、どうやら今は日本のとある大企業が富豪向けに元々作っていた宇宙船を作り変え、地球からの脱出船として用いようとしているという話をしているようだった。
「はい、もしもし」
『もしもし、甲斐田さん? お久しぶりです』
「お久しぶりです、社長! え、何年ぶりですか?」
『ええと……確か三年か、四年ぶりになりますかね。時々季節ごとに物を送っていたりしたので、近況は知ってはいましたけど……』
「いつも高い肉を……こんなぺーぺーの記者にほんとありがとうございます」
『あはははっ、いえいえ。お世話になってますからね、良いんですよ全然』
スマホから流れてきた快活そうな声色に、僕は凝り固まっていた肩が和らぐような心地を覚える。相変わらずだな、そう口にするのはこんな情勢じゃ言うのさえ憚られるけれど、それでもどこか安心感を覚えるんだから社長は本当に凄い。
数年前、とある取材のために知り合った某大手玩具メーカーの代表取締役社長、加賀美ハヤト。年齢が近いこともあってか、仕事でもプライベートでも色々と仲良くしてくれている人たちの一人だ。ここ最近は僕も社長もそれぞれの仕事のせいであまり話せなかったけれど、こうして連絡を貰えるのは凄く嬉しかった。
「あ、そういえばどうしたんですか、社長。こんなご時世に突然」
『こんなご時世だからですよ。甲斐田さんの安否確認もしたかったんですが……もしお忙しくなければ、少し仕事の依頼を受けてくださいませんか』
「仕事? 記事ならいくらでも書きますけど……取材行っていい案件ですか?」
『勿論。むしろ来てくれなければ困りますね』
「……結構大事?」
『そこそこ、でしょうか。一応、世界終焉とかいう話ですから、うちでも出来ることをやろうっていう話の都合で、甲斐田さんの手を借りられたらって感じです』
「成程……」
社長がこんなご時世にやろうとしていること。全然予測なんて立てられなくて首を捻ってしまうけれど、折角仕事に来てくれと頼まれているならやらなきゃ損だ。勿論行きますと答えながらもスケジュール帳と脳内の今の進捗を比べて、最速で組み立てた僕は日程案を幾つか口頭で出す。出来るだけ早い方がいいと返してきた社長の言葉を汲み取って翌日の午前中と書き込んだスケジュール帳は、先週と比べて驚くほどまっさらだった。
「じゃあ、また明日の午前中に宜しくお願いします」
『はい。ご時世の問題で治安もだいぶ悪くなっているらしいので、道中お気をつけてくださいね』
「分かりました。社長の方も気を付けて」
ぷつ、と切ったスマホの向こう側、モニターではニュースが延々と流れ続けている。海外のどこかでは、泣き叫ぶ人々が自国の旗に火をつけているようだった。絶望に打ちひしがれて、アスファルトに蹲って喚いている人。子供は誰かを求めるように手を伸ばして、辺りの大人に突き飛ばされている。
世界は、確実に終わりへと近付いていた。きっとぼんやりそれを眺めているばかりなのは、僕だけなのかもしれない。
翌日早朝。社長の元へ取材をするために準備していた僕の眼前では、今日も世界終焉に関するニュースがずっと流れ続けていた。毎度別のチャンネルを付けているはずだというのにキャスターはずっと変わらないままでいるから不思議に思っていたら、どうやら今テレビ局ではアナウンサーを含めた職員たちの集団失踪が相次いでいるそうで、僕が見ているこのキャスターはAIプログラムになっているそうだった。最新技術は凄いなあと思う反面、これだけの技術を以てしても世界の終わりを防ぐことは出来ないんだという事実に、少しだけ胸が空虚感を孕んだ。
海外の暴動は比較的治安の良い日本にも影響を及ぼしているようで、既に各地で強盗や殺人が横行するようになっているという噂だった。警察もその対応に追われているようで、昨日の深夜からずっと窓の外ではパトカーのサイレンが鳴り続けている。見回りを強化していることも相俟ってか、いよいよ終末感が増してきているように思えた。
僕自身も色々用心しなくちゃな、と仕事着に鞄を持ちつつ、鍵をしっかりと二重に締める。僕の住むマンションは一応そこそこに良い場所だから、オートロック付きの駐車場に止めてある車は今日もどうやら無事みたいだった。後は社長の元に行くまでに何事もなければ良いけど、と乗り込んだ車の中、かかったラジオは沈鬱な声が衝突予定の小惑星について、絶望的な見解を口にしているところだった。
◇
「本当にお久しぶりです、甲斐田さん! 道中、何事もなかったですか?」
「お久しぶりです。あー……まあ、無事です。僕は」
加賀美インダストリアル本社、社長室に招かれた僕は相変わらず本当に明るく朗らかに笑う加賀美社長の顔を見て、安心感からほっと大きな溜息を吐いた。実際社長に返した答えは間違いなく、僕は確かに無事ではあるのだ。僕、は。
自宅からここまで約四十分弱の道のりの中で、僕の車の前に飛び出してきた人は三人。全員若い人で、慌てて踏んだブレーキの前で自分が死んでいないことを確認した瞬間、泣き喚いたりキレ散らかしたりボンネットを叩いたりとそりゃあもうやりたい放題だった。最初は唖然として相手を起こして道端まで連れて行ったりしていたけど、流石に二人目からは速攻で警察を呼んで引き渡してその場を後にすることにしたけれども。自分が安全運転をいつも以上に心掛けていてよかったと、何度でも胸を撫でおろすばかりだ。
僕の疲れた表情から何かを察したのだろう、苦笑を漏らした社長は慣れた手つきで自らの部屋にあったコーヒーメーカーからわざわざカプチーノを作って出してくれた。美味しいですよと勧められたそれを一口飲んで、ようやっと座っていた椅子の背もたれに身体を預けられた僕はあーだかうーだかの唸り声を少しばかり上げた後に、がばりと起き上がって鞄からボイスレコーダーとメモ帳を取り出した。
「よし、もう大丈夫です。仕事しましょう」
「はい。宜しくお願いします」
「で、今回呼んでくださった理由を聞いても良いですか?」
「ええ。既に一部告知の形はとっているのですが……この度、加賀美インダストリアルは全国に住む子供たちに無償で各一人に一つ、自社製品を配布することにしました。その趣旨を、是非甲斐田さんに記事として打ち出していただければ、と」
「……配布!? え、無償で!?」
「はい。勿論、外の環境状況、様々ありますでしょうから。希望者にはご連絡いただいた住所に送付することも検討しています」
加賀美インダストリアルで手掛けている玩具は現在市場シェアナンバーワンと言っても過言ではない。社長本人が根っからの玩具好きであるという点からか、子供から大人まで様々な年齢層が楽しめる玩具を日夜開発、販売してきた。過去経営難や高齢化に伴い倒産に追い込まれてしまった玩具の商標権を買い取り、昔からのファンや当時の社員たちからのこだわりを大切にして新たに売り出すというプロジェクトも幾度となく成功させてきた前例もあるため、国外という点で見てもこの会社は兎角大きな会社であることは間違いない、のだけれど。
そんな加賀美インダストリアルが、世界終焉を前にして自社製品の無償配布なんて。例えあと四日ですべてが無に帰すとはいえ、思い切った舵切りすぎないだろうか。
「……一旦、今回の取り組みの意図を聞いても良いですか」
「勿論。とはいえ、私としては特に大きなことをしているつもりはないんですよ。例えば何かしらの天災により被災した方々に、食品会社の方や生活用品を製造している会社の方々が被災地へ無償提供することがありますよね? それと同じです」
「ああ、なあるほど……」
「子供たちに、下を見て欲しくないんですよね。例え明日世界が終わるとしても、夢を持ち続けていて欲しい。何かを抱くということを、諦めないで欲しい。それだけのことです」
にこりと微笑んだ社長の後ろ、ガラスで覆われた高層ビルから見える空は鮮やかな青だ。きっとあと四日後にはこんな青も見られなくなるのかもしれないけど、それでも社長は自分が出来ることの中で誰かに空を見て欲しいと願ったのだろう。最期に見る景色は地面じゃなくて、空でいて欲しいと。
この人、どこまで格好良いんだ本当に。思わずほうと吐いた溜息に、僕はペンを取り落としかけてしまった。
「はー……いや、凄いな……社長は」
「そうですか? 個人的には普通のことだと思ったんですけど」
「それを普通って言えちゃうところがまた、ねえ」
「あははは! それで言うなら甲斐田さんだって、充分凄いじゃないですか」
「え? 僕こそ別に凄いことしてないですよ」
「いえいえ。誰より残酷な現実を直視するだろう立場にいて、それでも目を背けず言葉にして誰かに一秒でも早く伝えようという意志があるじゃないですか。それってやっぱり、凄いことだと思いますよ」
社長の言葉を聞いても尚、当たり前ながら僕にそんな自覚があるわけもない。確かに社長の言う通りなのかもしれないけれど、僕はそもそも未だ迫り来る世界終焉で自分の命が終わるという感覚さえあまりよく出来てはいない。だから、現実で起こっているはずの何もかもが、どこかガラス一枚を隔てた向こう側で起こっているような心地もしていて。
──否、だからかもしれない。僕が躍起になってこの世界を追っているのも、最後の最後までつぶさに見て書き記そうとしているのも。すべて、自分に死ぬ瞬間が来るのだという実感が欲しいのかもしれない。
「あ、そういえば社長」
「何ですか?」
「社長はあれ、乗らないんですか? あの、何だっけ。宇宙船?」
「……ああ、何処かの企業が作ってるとかいう、地球脱出用の船ですか」
「そうそうそれ。なんか今そういうの作ってるって話だったから、社長くらいの人なら乗れるんじゃないのかと思ったんですけど」
「乗れる乗れないで言うなら乗れますが、乗っても意味ないですよ、アレ」
「え?」
「アレは、落ちるでしょうし。それに──」
僕の質問に、社長はふと座っていた椅子をくるりとゆるく回す。横を向き、その視線の先を自らの背中に広がる青空へと向けては、ぽつりと呟いた。
「希望を与えようとする者が、何よりも先んじて逃げるはずないでしょう」
「社長……」
「……甲斐田さんこそ、死なないでくださいね。私の個人的な願いでしかないですが、貴方には最後まで空を見ていて欲しい。その刹那に目に映したものを、貴方だけの言葉で書き記して欲しいから」
空の向こうから来る閃光は、どんな色をしているのだろうか。僕は、社長の問いかけに答えることも出来ないまま、ただずっと社長の横顔と一緒に空の青を眺めていた。
『加賀美インダストリアルの取り組みについて、詳しくは同会社の公式ホームページを参照頂くか、下記のお問い合わせダイヤルまで御連絡頂けると幸いだ。
世界終焉まで、あと四日。世界終焉を信じ、各地では若者を中心に暴動や犯罪が起こっている。それらの衝動もまた、来たる瞬間に抱く不安に他ならないだろう。
然し、命は限りある。誰にでも訪れるその閃光を受け止めるその時まで、我々がしなければならないことは、すべきことは、思うことは、何だろうか。
君は、世界終焉を信じるか。もし本当にその日が来るのならば、君は何をしたいだろうか。』