領主、その犠牲と献身「どうぞこちらへ。」
「司祭、手間をかけるな。」
「とんでもございません。」
領主様がお忍びで治療にいらした。
今までも襲撃などでお怪我を負い、たびたびいらしていたが、ここのところは特に頻繁だ。
魔族が我が教区、ヴァイゼに来てからだ。
教会は公に魔族の逗留を認めてはいない。だからその姿は直接目にしたことはないが、人の青年によく似た美しい姿だとは耳にしている。だが所詮魔族、獣の本性を隠せるはずもないのだ。怒りが沸々とわきあがる。
グリュック様にはシャツを脱いでいただき、傷の確認を行った。
「なんてひどい‥」
触れるのすらためらわれるほどに、その肌は傷だらけだった。引っ掻き傷だけではない、今日は咬み傷がやけに目立つ。肩口、二の腕が特に深い。なんと痛々しい、腰のあたりに爪を立てられたような痕まであった。
獣は、柔らかな部分と、肉の大きな部分を好んで噛むのだろう。最近は少ないが、以前はかじり取られたようなえぐれた傷がついてくることさえあった。
ああ、首の動脈すれすれにも鋭い歯の跡が見える。なんて恐ろしいのだろう、お命があって良かった。
しかも、近頃は巧妙に服に隠れる部分だけを傷つけているようだ。なんと悪どい魔族なのだろうか。傷の治療を進めながら、おいたわしさに思わず涙が出た。
ここに魔族が来てからというもの、冬には毎日のように見ていた骨と皮ばかりの餓死者が減り、炊き出しの日に教会を一周するほどだった人の列も消え、治安も良くなった。浮浪者ばかりだった街の広場は遊ぶ子どもたちで溢れている。
それに、領民も礼拝に訪れる余裕ができ、貴族だけでなく市民からの寄進も増え、領地が豊かになっているのが実感できるようになった。
‥領主様は魔族を使役する代わりに、御身の血肉を与えているのかもしれない。
「このお方は、ヴァイゼのために、我が身すらも魔族に差し出しているのだ。」
その尊き献身と自己犠牲にまた涙が溢れるが、司祭はそれを領主には悟られぬよう、腕で目をぬぐいはなをすすった。
彼は心を込め、最大の敬意と力を込めて治療を行った。
それから。
「領主様がいらっしゃいました。」
「お通しするよう」
気怠げな領主様がお姿を見せた。
「司祭、また手間をかける。」
「もったいないお言葉。さあ、こちらへ。」
「服は?」
「どうぞお召しになったままで。」
「‥ご配慮感謝する。」
見ずともわかる。服の上から治療を行った。
あ。今日は鬱血痕が多い日?手加減されたのでしょうか、きのうはおたのしみでしたね?少し声が枯れておられ唇も赤みが強いようですこちらも治しておきましょう。
いや、私は何も見ていないし知らない。傷を負った哀れな子羊を女神様の恩寵をもって癒すのみだ。
哀れかな?
治療を終えると領主様は、使用人に命じると治療費に寄進を少し上乗せしてくださり、そそくさと馬車に戻られた。
以前よりお元気そうに見えるそのお顔つきとお姿を見て、ご健勝を‥と微笑んだ。
見習いの僧侶が不安そうに私に問いかける。
「司祭様。領主様のお傷がちらりと見えましたが、帝国への報告はよろしいのでしょうか。」
「よいのだ。」
「しかし、あれはあまりにも酷い。あの魔族は共存などと甘言を吐きながら、人を喰らう意志を全く失っていないのではありませんか?」
「よいのだよ、そなたにもいずれわかる。」
不安そうな顔の見習い僧侶の肩を優しく叩く。
魔族を従えることには未だ思うところはある。
だが、領主様は生きるお力を取り戻しお元気になり、ヴァイゼは豊かになった。
時折無茶をなさるが私は傷を治す。それで良いではないか。
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