Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    yuno_tofu

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 🍜
    POIPOI 27

    yuno_tofu

    ☆quiet follow

    Shayt ④-1本来、私の半分・・である種族は睡眠というものをとれはするが必要とはしない。しかしもう半分の種族ゆえに…そして、時間というものを忘れ去る為に、私は睡眠を好んでいる。

    ……の、だが。

    ふと枕元に気配を感じ、薄く目を開く。
    それは普段一人暮らしをしている私にとっては珍しいことな訳で、勿論たまに昼寝をしていると弟子に叩き起されたりもするが、今は全くと言っていいほど気配が動かない。

    なので何事かと思いながらぼやけた視線を向ければ、黒い服と青い肌の男、つまり夢魔姿のシェイムがこちらを見下ろしていた。

    (そういえば、今日から働きに来るんだったか……)

    ぼんやりと思い出すも、瞼は重い。
    まるでとても早起きをした気分で、出来ればもう少し寝たいなと思いながら口を開いた。

    「んん…?もう時間かい……?」

    「いいや。まだ朝六つ(6時)を過ぎた頃だよ。夢を覗こうかと思ったが起こしてしまったか」

    「なんだ、まだそんな時間か…。もう少し寝かせておくれよ…」

    切実に。心底切実に、言葉を返す。
    最早彼の返答の後半については頭に入っていないくらいに眠たい。なんせいつもは、一応昼四つ(10時)開店としながら起きる時間も大体そのくらいなのだから。

    結局そのまま寝返りを打ち、彼に背を向ける。
    流石に自分から言ったのだから朝五つ半(9時)には起きるつもりだが、こんな朝早くから付き合わなくても良いだろう。

    「暇なら店の掃き掃除をしておいておくれ……」

    それだけ言い残し、瞼を閉じる。
    そうすれば彼は小さく「……ふむ」とだけ呟くと大人しく部屋から出て行った。


    ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
    それからおおよそ一刻半(3時間)後。
    隣の部屋である居間から物音が聞こえて再び目を覚まし、暫し布団の上でぼんやりする。けれどすぐにふすまが遠慮なく開けられ、緩慢かんまんにそちらを向けばちゃんと白虎の姿になったらしいシェイムが何やら色々と抱えながら首を傾げていた。

    「ここの者達は物で恩を売るタイプかい?」

    「んん…?何か貰ったのかい…?」

    まだ少し眠いが、先程よりは随分良くなった。
    そう思いながらようやく起き上がって伸びをする私に、彼は両腕で抱えていた果物と野菜、それから餅なんかを見せてくれる。

    「店の前に群がってきた時に食料を押し付けられた。初対面に対して無警戒もいいところだ」

    ふふっと可笑しそうに笑って、更には「食べるかい?私は気味が悪くて口に入らないよ」なんて言葉も付け足して。

    けれど私はその様子に怒りが湧く訳でも驚く訳でも無く、ただ少し安心する気分だった。

    なんせ近所の者達は皆、商売に携わる者だ。
    確かに店は街一番の大通りにこそ面していないが、天満あまみの商店はそこにだけ集まっている訳では無い。むしろ贅沢をしたい時や他所の商人か旅人向けの店が多い大通りに比べ、中程の大きさのこの通りには古くから街の者達で賑わう老舗ばかり並んでいる。この一輪堂も含めて。

    つまり彼らは決してただのお人好しではないし、新参者に媚びを売る必要も無いのだ。勿論肩書きに囚われそれだけで簡単に態度を変える「人間」という種族であることに変わりは無いのだが、多少は弁えた言動をしない限り幾ら私の遣いとて余所者の彼にここまで気を許しはしないだろう。

    (彼の演技力は心配しなくても良さそうだね)

    これで気兼ねなくお使いを頼める。
    内心そう思って笑みを浮かべ、彼の腕の中から艶の良い桃を一つ手に取った。

    「物で恩を売るのではなく、物で挨拶するのが商人というやつさ。気に入られて良かったね」

    「なるほど。なら毎日が物々交換という訳か。ここのモノ達は随分と貧窮ひんきゅうなのかな」

    「初対面の挨拶だよ。毎日はやってられん」

    言いながら、襦袢姿なのも気にせず土間へ。
    そしてあまり使われていない包丁を取り出すと同時に、果物を抱えたままついてきた彼には「そこに入れておくれ」と雪女の作る万年氷溶けない氷によって低温で維持されている棚──冷蔵庫を指した。中には酒が数本くらいしか入っていないからまだ余裕があるだろう。

    そう思いながら桃を剥き始めている横で、彼はちらりと冷蔵庫に視線を向けると随分見慣れてきた煙霧で抱えていた物達を包み込み、恐らく冷蔵庫の中に転移させた。更には煙霧の中からまた高価そうな、今度は平皿を取り出して差し出してくる。

    「なら毎回君に土産を渡さなくても良いということか」

    「……そうだねぇ、何か折り入って頼みがある時以外は要らないんじゃないかい?」

    相変わらず、突拍子のない男だ。
    内心少し驚きはしたがすぐに笑って言いながら有難く彼の持つ皿に切った桃を並べ、そのまま皿を受け取るとさっさと居間に向かう。ちなみに今回の皿から読めた記憶は「高価な皿の使い方は選ぶのか」なんてものだったけれど、生憎私は人間の付ける価値に理解はあれど興味は無いし、物とは正しい方法で使ってこそだろう。

    ということで気にせず座布団に座り、菓子楊枝ようじで刺した桃を口に運ぶ。その向かいで、ついて来ていたらしい彼は私をじっと見下ろしてからにこりと笑った。

    「見返りがあればそれ相応の対応をしてくれると解釈しても良いのなら、今日の教育は真面目に聞くよ」

    「……随分とやる気があるねぇ」

    もう一切れ桃を食べようとしていた手を止め、思わず苦笑い。全く弟子といい彼といい、真面目すぎる。
    しかしまぁ、いくら手を抜きたくとも確かに仕事を手伝って貰うならある程度のことは教えておかねばならないのも事実。となればまずは彼の力量や性格を測るところから始めなければならない。例えばこの店で一番大事なことは──

    ふと、壁に掛けていた小さな掛軸が目に入る。それから棚の上の花瓶と香炉も目について、口角を上げながら作り笑いを浮かべた。

    「なら一つ、試させて貰おうかな。君は和の国でこの皿にどのくらいの価値を付ける?その掛軸と、花瓶。それから香炉の中で最も近い価値だと思う物を選んでおくれ」

    さてはて、彼ならどう答えるか。
    まず三つの品に値を付けるにも、今まで私に商売について聞いてきた商人であればまずは素材の値、もしくは加工の難しさで考える。他には造り手が高名か否か。そして作られてからの年数や現在の状態、見目の良さと貴重性など様々な観点から答えを探した。

    勿論私はその考え方を否定する気も無いし、返答を元にちょっとした助言なんかをしていた……が、唯一私が気まぐれで尋ねてみた弟子ゆのだけが異なる答えを出した。
    それも、自ら一週間掛けて天満あまみの骨董品店やら陶工の店、質屋なんかに通い詰めた上で「分からない」という答えを。

    『一番古いのはこれで、一番新しいのはあれ……だと思います』

    『ふむ、合っているよ。けれどそれでも分からない、なのかい?』

    『…だってラギさんは質屋じゃないでしょう?一番需要がありそうなのはそっちのだから、質屋さんならそれにちょっと高い値を付けると思うんです。綺麗だし。でもこっちの、もしも骨董品店に並べるとして、裏に印があるから職人さんの一点物…かもしれないけど、その人が今も人気じゃなきゃ売れないだろうし、あれだって見た目は綺麗なんですけど今の時代の陶工さんが作った物の方が使いやすくはあると思うんですよ。って考え出したら……ラギさんが扱うのはみんな一点物ばかりだし分かんなくなって…』

    至って真面目に。私がしたのは意地の悪い問いだったというのに、弟子は見事に物の価値ではなく、私の問いの趣旨を考えて答えた。

    そして今、彼はというと──

    「………渡した皿もあれらも、私に価値を付ける事は不可能だ。所有者や制作者、その道具の用途で価値は上下するのだから」

    不思議そうに、むしろどこか怪訝そうな表情でそう答えた。

    「…ふふっ、なるほどね。君の物に対する価値観がよぉく分かった」

    物を儲けの為に売る者の答えとしては不正解だろうけれど、ここは一輪堂私の店。私はあくまでも買い手の決意と責任・・・・・を測る為に値を付ける。
    つまり、物の本質を理解し価値に囚われない弟子と彼の答えの方が好ましいことこの上ないのだ。

    当然彼は満足気な表情をする私を見て最早意味が分からないとでも言いたげな顔をしていたが、それ程までに身に染みた考え方なら尚更私は何も言わなくて良いだろう。折角一番面倒かと思っていた教育をせずに済んだのだから。

    「それじゃぁ他に何を教えようかな。まずは片付けと……」

    桃をまた一切れ口に運んでからそう言って話を逸らす。そうすれば彼はすぐに思考を切り替えたようでにこりと、そしてどこか得意気な表情を浮かべた。

    「片付けなら昨日記憶した。散らかった状態にも戻せるよ」

    「それは……遠慮しておくよ」

    本音を言うと、少し誘惑な提案だ。
    何せ、散らかっていると弟子が掃除に来てくれるのだから。

    とはいえ流石に掃除して貰った物を再び散らかすのはどうかと思うし、やはり程々に片付いている方が生活も営業もしやすいのは間違いない。何より彼には他にも任せたいことがあるのでやめておこう。

    「あぁそうだ、帳簿の整理を頼もうかな」

    「なら帳簿を過去の物含めて見せてくれるかい」

    「それなら文机の左下の引き出しの中にある」

    「了解した」

    返事してすぐに彼は店の方に向かい、それからぱらぱらと紙を捲る音だけが僅かに聞こえた。……と思いきや、私が桃を三切れ食べる前には戻ってきたが。

    「記憶したよ」

    「おや早い」

    確か五年分程はあったはずなのだけれど、彼は相当速読……いや、言葉の通り読んでいるのではなく内容そのまま見た物を記憶しているのだろう。その上。

    「あれより古いのは私の部屋の押し入れにあるよ」

    「いや、数年分だけで充分だ。計算したがそこまで差はなかった」

    とも言うのだから、なんとも便利なものだ。
    制御できていないことに目を瞑れば、つくづく彼を作ったと言う侑李君の手腕には驚かされる。それと同時に、彼が「物」であるという言葉を理解はしているが、あまりにも生き物との差異がない様子に不思議な感覚がするばかりだ。定義上は侑李君の話も加味すれば式神よりも彼ら・・に近い存在なはずだが……。

    そんなことを思いつつ、最後の一切れを口に運ぶ。
    そうすればすぐに彼は皿を持って土間に向かい洗い始めてくれた。であれば、その間に私も仕事の用意をするとしよう。

    大人しく自室で、やや面倒に思いながらも着替えを済ませる。それから組紐で長い髪を結い、いつものように二本の簪を挿しながら居間に戻れば、既に彼は皿洗いだけでなく机拭きも終えてくれたらしい。

    「もう昼四つ(10時)になるようだが店は開けないのかい?」

    「今用意しているよ…」

    置いていた羽織に袖を通しつつ、小さく溜息。
    仕事とはどうしてこうも始める時が最も億劫おっくうなのか……。

    「皿洗いありがとうね。ついでで悪いが店の表の札をひっくり返してきておくれ」

    少しでも楽をしたい、あわよくばもう少しのんびりしたいという気持ちでそんなお願いをしてみたが、彼は「ああ、あれか」と言いながら店の玄関の方に視線を向け、同時に外から一瞬僅かな煙霧の気配を感じた。

    「終わったよ」

    「……なら、仕事の説明をしようか」

    どうにもこうにも、些か彼は優秀すぎるかもしれない。
    まぁけれどそんな彼がここで働くというのなら、とことん楽をさせて貰おうじゃないか。

    居間から廊下を渡って、店へ。
    それから文机の横を通り、上がりかまちを降りて草履ぞうりを履きながら合計で四つ並ぶ商品棚の一つ、根付ねつけに筆、木の小物入れや巾着袋など比較的小さく割れにくい物ばかり、けれど一つとして同じ物は無い棚の前に立った。

    「君は、付喪神を知っているかい?」

    茶化すことなく、真っ直ぐと尋ねる。
    そうすれば彼は私について来ながら、小さく「…ふむ」と呟いた。

    「百年も経つ器物に宿るモノ。人をたぶらかすと言われている精霊と記憶している。 ある世界の昔話だが付喪神を恐れた人間達が「煤払い」と称して毎年立春前に古道具を路地に捨てていたそうだ。廃棄された器物たちが腹を立てて付喪神となり一揆を起こしたと言われている」

    すらすら、すらすらと。ここではない、どこかの話を。

    (やはり弟子が言っていた内容と近い。外の世界ではこれが一般的なのか )

    世界が違うくとも同じ言葉はあって、けれど意味は同じだったり違ったり。特に今回のことは発端になった身として・・・・・・・・・・やや複雑な心境になることこの上ないが、そうは言ってもられない。彼には悪いが、覚え直して貰おう。

    「なるほど…ね。しかしこの国では大事にされ強く想いを受けた物に宿り、それぞれが特殊な能力を得て所有者の力にならんとする存在を“付喪神”と呼ぶ。神とは言うが実際は神でも妖でもなく、心はあれど生き物の定義にも当てはまらない。中には妖となる付喪神もいるが……基本は視ることも感じることも滅多に出来ない、弱々しい存在だ」

    「…百年待たなくとも所有者の感情で生命に似たモノが宿ると言うことか。弱々しいと言うのは存在意義が他者に左右されると解釈しても?」

    「あぁ。使用されなかったり大切にされなくなった付喪神はいずれ消えるか、堕ちる…つまり邪鬼になって所有者や周囲の者達に牙を剥いてしまう。本体である“物”が修復出来ない程に傷つけられてしまった時も同じだ」

    そっと、棚に並ぶ品を撫でながら話す。
    それからくるりと彼の方に振り返り、少しだけ圧を込めて笑顔を向けた。

    「だから、くれぐれもここの物は大切にしておくれ?付喪神が宿っているからね」

    それが、この店の正体。
    天満あまみの商人達は大抵「曰く付きや変わり物を売っている」程度にしか認識しておらず、私も商品に強く惹かれた者にしか付喪神のことを明かさないし売りもしない。そんな変わった店なのが、花のように儚い一点物ばかり扱う“一輪堂”なのだ。

    「君が宿したものを売っているということかい?」

    「いいや、私が宿した物ではないよ。ここにいる子らは皆、私が見つけたり買い取ったり…託された物達だ。何も知らず普通の店で扱うには些か危険だからね」

    勿論もっと付喪神の存在を周知すれば私がこうして店を開く理由も無くなるのだが……如何せん付喪神とは純新無垢で幼い存在だ。善悪も分からず、ただ所有者の為だけに健気にある彼らは言ってしまえば搾取の対象だろう。
    善い人間がいるということは、それ以上に悪い人間がいるということなのだから。

    一瞬の間、過去を思い溜息を吐きそうになる。けれどすぐに仕方ないのだからと自分に言い聞かせて、すっかり慣れた見て見ぬふりをしながら首を傾げる彼に意識を戻した。

    「ああ、ここは買取店か」

    「買取もするし、売りもするよ。……けれどそうだね、値をつけるのは私がするから会計の仕事はしなくていい。基本はこの子達の手入れをお願いしようかな」

    そう言ってから近くに置いたままだったはたきを手に取り、持ち手を彼の方に向けてにこりとする。が、彼はというと。

    「まるでペットショップ……いや。元が無機物ならリサイクルショップか」

    商品棚に目をやりつつ、口元に軽く手を添えて小さく一人でぶつぶつと。けれどすぐに差し出されていた物に気づいては「あぁ、了解した」と返事をして受け取り、早速真面目に手入れを始めてくれた。

    その様子を見ながら少し思案。「しょっぷ」という言葉は「店」という意味らしく、弟子に教えて貰った覚えがある。しかし「ぺっと」や「りさいくる」の方は初めて聞いた言葉だった。異国の言葉であろうことは分かるが……。

    「……悪いけれど、私はあまり異国や外の世界の言葉を知らないからね」

    まだ異国との貿易が始まって十年程。ここ数年でようやく翻訳が進み異国の商人と商売が出来るまでにはなってきたが、未だ通訳という存在は希少だ。そんな中でも弟子はある程度異国の言葉が分かるようで「私、高校英語までしか出来ないんですけど……」とぼやきながらも時折商人とのやり取りを手伝ってくれている。……ちなみに弟子曰く高校というのは寺子屋の一種のような物で、英語というのは異国語のことらしい。

    しかし私はまだ少し学んだ程度。彼には「話すな。こちらの言葉に合わせろ」だなんてことを言うつもりは毛頭無いが、円滑な会話の為には前もって自分の無知を伝えておく方が良いだろう。そう思い、念の為に言っておいた訳だが。

    「先程のはわざと君に分からない言葉を使ったのだよ。こちらの言葉に変換して把握してるだけさ」

    つくづく、そういえば彼はこういう者だったと思わされる。一言多いというか、なんというか……。

    「なるほどね。……けど、全くを知らない訳では無いからね」

    「…へぇ。知識リテラシーが高いのだね。なら君に教授アウトプットする必要ネセサリーはない訳だ」

    「……ふむ、最後のは聞き覚えが無いね。意味を聞いても?」

    試そうとするのを隠すことなく笑顔で言ってきた彼に、最早何も気にせず少し考えながら聞いてみる。

    「りてらしー」という言葉は確か、弟子から「すまほ」とやらを貰った時に「ネットリテラシーが──」と言っていたので教わった。それから「あうとぷっと」は、「いん」と「あうと」という言葉を教えてくれた時に例文として言っていたはずだ。
    けれど最後の言葉だけは聞き覚えがなく、素直に聞いても彼が教えてくれなければその時は弟子に聞けば良いかと思いながらだったが。

    「ネセサリーのことかい?正式な発音はNecessary。 必要と言う意味を持つ」

    ことほか、あっさりと。
    そしてはたきでの掃除の手を止めることなく。
    その事に満足ではあるが少し驚いていれば、彼は相変わらずこちらを見ずに口を動かした。

    「綾月君が使うとは思わないが……外の言葉に興味があるのかな?」

    「興味…と言うよりは、少し前からこの国は異国の商人達との交易が始まってね。その為に弟子に幾らか教えて貰ったし、あとは便利だからと渡されたこれが中々に……ね」

    そう言ってたもとから、桜を模した手作り感溢れるつまみ細工の飾りがぶら下がる紫と黒を基調とした薄い革の手帳のような入れ物を取り出し、ぱたりと開けば艶のある黒が現れる。そしてその黒に軽く触れると、瞬く間に光だしては自宅の庭の光景と数字だけの時間を写した。

    これが、弟子に「魔科学品なんで世界が違っても連絡出来ます」とよく分からないことを言われつつ渡された「すまほ」。……なのだが、色々出来ると教わりはしたもののよく分からない言葉が多く今のところ弟子から送られてくる手紙のような物を読むか、こちらから電話をかけるか程度にしか使ってはいない。まぁ主機能さえ使えれば別に弟子との時間を削ってまで使えるようになる必要は無いかと思いそのままというのもあるのだけれど。

    「ああ、“オペレーティングシステムOS”か」

    ちらりと振り返り、一言。相変わらず私の分からない言葉だが……恐らくこれは説明されてもあまり理解出来ないだろうし、彼もそう思ったのかすぐにまた掃除に戻りながら話を変えた。

    「異国の商人と言っていたね。ここの世界には国がいくつあるんだい?」

    「いくつ……。そうだね、少なくともこの国以外に五国以上はあるかな」

    「なんだ。君も詳しく知らないのか」

    「ここは島国なのだよ。昔は海を挟んで最も近かった「唐華とうか」という国と交易があったのだが、いつしかその国は他国との交易を辞めてしまってね。お陰で最近まで他の国は和の国の存在を知らなかったようだし、こちらも外には唐華しかないと思っていた。しかし今回新たに交易を始め我々が「黄丹おうに」と呼んでいる国によって他にも何国かあるらしいというのは分かったのだが……如何せん彼らが国名を言っているのか地名を言っているのか分からない所があってね」

    話しつつ、手持ち無沙汰なのを感じて手入れ道具を纏めた箱から陶器用の柔らかな手拭いを取り出す。そして丁寧に拭き始める横で、彼ははたきでの手入れが終わったらしく少し箱を覗き込んでは雑巾を取り出し、棚拭きはこれかい?とでも言いたげな目線を向けてきたので小さく頷いた。

    「なるほど。では異国の者の種族については?」

    「種族……というと、詳しくは分からないが一応異国もこの国とは変わらないらしいよ。生き物がいて、それらを守る種族がいて、神がいる。そして、生き物を害する存在がいる。例えるなら和の国の妖と邪鬼は、黄丹おうにだと天使と悪魔と言うそうだ。まぁこれは和の国の者達が翻訳して作った言葉だけれど」

    「ふーん」

    どこか興味無さげに、ただ一言。
    それから彼は不意に緑青ろくしょう色の左目に赤い罰印を浮かべて私の方をじっと見て、そして。

    「君は、妖と何が混ざっているのかな?」

    にこりと、微笑んだ。
    私を、私の正体・・を、見透かそうとするように。

    「……うん?君は何か分かる力があるのかい?」

    思わずきょとんとしてから、首を傾げる。
    何せ彼の目には確かに、黒髪と黒い瞳を持つ和の国の人間とそう大して変わらない姿が映っているはずだ。強いて言うなら、差異は前髪の一部が白銀の色なことくらいだろう。
    ──そうであるように、私が隠しているのだから。

    なれば彼はなんらかの力で確信があるのか、ただの鎌掛けか。
    否、仮に前者であろうとこの聞き方をするのなら、が混ざっているかまでは分からないだろう。

    結局私の反応は変わらず、彼の表情もまた崩れない。
    そして僅かな間の後、彼はくすくすと笑いながら赤い罰印をその瞳から消した。

    「それを知らずに私を招き入れたのか」

    「招き入れた、というよりは勝手に入ってきた気もするが…まぁいい。今度侑李君にでも聞いておくさ」

    棚拭きを再開し、どうやら完全に話を逸らす気らしい。
    それならそうと別の方面から揺すれば良いかと気にせずにっこりとして、拭き終えた陶器と手拭いを元の場所に戻していると彼は「君があの時、許可したから来たのだよ」と言ってからちらりと私に視線を向ける。

    「君のそのスマホで「プログラミング言語」と調べられるかい?」

    内心、確かに来る許可はしたがいきなり部屋に入ってくることを許した覚えはないのだけれど…と思いつつも上がりかまちに腰掛け、教える気になったらしい彼の言った通りに、そして弟子に教わった通りに検索というものをしてみる。が、並ぶのは知らない言葉ばかり。理解出来る言葉をなんとか掻い摘んでみようと試みるも、分かったのは「何かに何かを命令する為のものらしい」くらいなもので、益々彼の言いたいことは分からなくなった。

    「うん…?」

    思わず唸りながら首を傾げる。
    そうすれば彼は掃除の手を止めて私の元に来ると、軽くだけ「すまほ」に触れた。すると突然画面には不明瞭な線やまばらに四角く色の滲みが現れ、瞬く間に表示されていたもの達を覆い尽くしていく。けれどそれは一瞬のこと。驚いているうちに画面は静かなものに変わっていき、そして最後には黒い背景に異国の言葉と数字が大量に並んだものを映した。

    「それと似た物が見える能力だ」

    ただ、そう一言。けれどようやく合点がいく。
    命令をする為の文ということは、あらゆる情報が詰まっているということ。ならもしそれを見ただけで理解出来るのであれば。そして、それを生き物にも置き換えられるのであれば。

    「……なるほどね、それを君は読み取って判断している訳か」

    「理解が早いじゃないか。これはマスターの能力。私はスマホと類する存在だ。学習したら答えはいずれ分かる」

    まるで「隠し事は意味ない」とでも言うように。
    ただの興味本位だと思っていたが、これはきっと彼なりの警戒と牽制なのだろう。とは言っても自衛の為に動くたちでもなさそうだから、恐らくは人の良さそうな侑李君の為。なんともあるじ思いなものだ。

    しかし。

    「へぇ?なるほど…ね。それなら、いつか出る君の答えを楽しみにしているよ」

    二人の仲睦まじさも彼の優秀さもよく分かったが、少なくともその脅しのような牽制については「私の同族」に会うか、私が彼の前で隠さず力を使うくらいしない限り答えは出ないだろう。

    そして仮に彼が答えを導き出したとしても、侑李君の為に迂闊なことは出来ないはずだ。
    私の正体が知れ渡りここに居られなくなれば、流石の侑李君でも何も知らなかった・・・・・・・・弟子や友の孫娘と会うのは心情的に難しくなるだろうし、彼としても無条件で侑李君の世話を焼きその身を守ろうとする彼女達の信用をこれ以上失うのは惜しいだろう。

    つまり、知られたところで弱みにはならない。
    精々お互いに利用価値を再確認し合うだけだ。

    (一体、彼はどんな反応をするのやら)

    淡々と行く末を思い浮かべ、笑みをこぼす。
    人間達は勿論、弟子や友の孫娘に知られるのは今の関係を崩したくないので出来れば避けたいが……彼の反応だけであれば、少し興味が湧いた。

    それは彼が優秀だからなのか、恐怖心というものを持ち合わせていなさそうだからなのか、はたまた“物”だからなのか。

    「…ふむ。君とは気が合いそうだ」

    不意に彼がそう嬉しそうに笑うと、先の画面の異質な揺らぎのように一瞬彼の体がぶれ、夢魔の姿が見えたような気がした。
    ……それは感情の高ぶり的なものなのだろうか。人前では起こらないと良いのだが、まぁ言わずとも彼ならどうにかするだろう。

    「それは何よりだ。他には何が出来るんだい?」

    「君のスマホよりは高性能だ。それの付喪神と言えば分かるかい?」

    掃除を再開する彼に、軽い返事と好奇心を投げかける。
    そうすれば彼からはそんな答えが返ってきたが、つまりは知識と記憶に優れているということなのだろう。

    「そうかそうか、それは有難い。なら確認するがこれは読めるかい?」

    文机の引き出しを開け、薄い一冊の本を取り出す。
    中身はすべて黄丹おうにの言葉で、今の和の国ではこれをすらすらと読める者はまだいないだろう。

    しかし彼はというと私から本を受け取りすぐにぱらぱらと捲って、それから本を置き再び掃除を始めながら言葉そのままに淀みなく音読をし始めた。

    「…相変わらず読むのが速いねぇ。それに喋るのも上手い。あとはそれを訳せるのなら助かるが……」

    ある程度聞いてから、どうだい?と言わんばかりに、にこにこと。
    そんな私に、彼もにっこりと笑みを返す。

    「”訳して読め”と指示されていないのだから必要ないだろ?」

    「なら、今お願いしよう。訳してくれるかい?」

    表情を変えないまま、淡々と。
    すると彼は素直に山和言葉和の国の言葉に訳した内容をまた音読し始める。
    ……素直なのか素直じゃないのか、本当によく分からない男だ。けれど、優秀なことだけは間違いない。

    「――以上だ」

    「ふむ、聞いていた内容と相違ないね」

    彼の言葉に満足気な表情と言葉を返す。一方で彼は少し呆れ気味に「だろうと思ったよ」なんて呟きながら掃除をしていた。
    が、私にとってはこの上ない僥倖ぎょうこう。なんせ彼に通訳を頼めば、精度的に信頼出来るかも分からない通訳を大金で雇ったり、大人の男が苦手な弟子に無理をさせなくて済む。

    そう思ってすぐ、雑巾を持って土間に向かった彼を横目に文机の上に置いていた予定表に目を通す。
    そして丁度今、黄丹おうにの商人が来ていることを確認しては、少し口角を上げた。

    「今日の予定は?」

    「予定は…そうだねぇ。君、この街はどれくらい歩いたことがあるんだい?」

    戻って来た彼に聞かれ、見上げながら聞き返す。
    それから読みたそうに伸ばされた手に予定表……と言っても寄港中の船がいつからいつまで居るかを書いているだけの物だが、それを乗せてやりつつようやく腰を上げた。

    「軽く覗いたぐらいで自分の足ではまだだよ」

    「そうか、それなら少し案内してあげよう。君にこの街のことを知って貰っている方が今後のお使いも頼みやすいしね」

    自宅に続く廊下への襖に手をかけながら、にこり。
    そしてそのまま彼の返事も待たずに外出の用意をしようと自室に向かった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖☺☺☺☺☺☺😭😭😭🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works