春の陽気「よーし!」
そんな元気の良い声と共に、しっかり襷掛けをして庭に出る。
そして蛇口を捻って水をじょうろに溜めたり丁寧に雑草を抜き始める姿は誰が見たって農家の娘のようで、とてもじゃないが神に仕える高貴な存在「神使」の中でも特に高い霊力と妖力を持ち数百年間も夢見草を無事に守り続けてきたかの有名な「桜月家」の現当主には見えないし、村人が見たらひっくり返るだろう。
しかし、当の本人こと結望は至って楽しそうに土いじりをしていた。
「わー!見て見て、レージュちゃん!すっごく綺麗に咲いたよ!」
輝く笑顔で結望がそう言えば近くを漂っていた悪魔のレージュは同意するようにコクコクと頷いて花を眺めていたし、
「ねぇナコちゃん。これってもう収穫していいかな?」
結望がそう聞きながら首を傾げれば幼い少女の姿をした付喪神のナコは結望の隣にしゃがみこんでよく観察してから「うん」と頷いていた。
そして果てには。
「あっ、なんだか少し元気が無いみたい…」
「月にお任せ下さい!」
結望が心配そうに呟けば濃い桜の香りと花吹雪と共に少女の姿をした月─何を隠そう、豊穣を司る夢見草の氏神である─が姿を現し結望の元に駆け寄った。
きっとこの光景は、村人が見たら夢かと疑い頬を全力で抓るだろうし他の神使も思わず四度見くらいするかもしれない。
けれど結望を気にせず、屈託のない笑顔を浮かべていた。
「月様!おはようございます」
「あっ、お、おはようございます、結望ちゃん。すみません、急に…」
「いえいえ!朝から月様とこうしてお話出来て嬉しいです!」
「…!ゆ、月もでございます!」
見た目では姉と妹なのだが、実際は神使と神。
けれど2人は友達として笑顔を向けあい、それから並んで植物を眺めた。
「このお花なんですけど…」
「これは……あぁ、最近陽が長くなってきたので少し太陽に当たる時間が長かったようです。今日は少し多めに水を上げてから日陰となる物を用意すれば問題ございません」
「良かった〜!ありがとうございます!」
「いえいえ」
そう言って月がニコリとしてから立ち上がる後ろではレージュがせっせと積み石を運んでおり、ナコは収穫可能になった実を慎重に選びながら小さな籠に集めていた。そして結望はレージュが運んでくれた石を積み上げ日陰を作りつつ、走ってきたナコが差し出す実をパクリと食べては感嘆の声を上げて表情を緩める。
その光景に流石の月も驚く……ことは別に今更なので無かったが、小さく首を傾げて結望に目を向けた。
「結望ちゃん、ハウル様は…」
「んぇ?あっ、ハウル君は今お仕事中なんです!」
この植物達は結望とハウルが住む家の庭で育てられている物ではあるが、育て始めたのは元々生家で母親が育てていた様々な植物の面倒を見ていたハウルの方であり、大半の物は薬の材料となる。なので最初はハウルも世話は自分でするつもりだったが、今まで植物を育てたことがなく…けれど産まれてからずっと桜に囲まれて育った結望が大変興味を持ったため少しづつ一緒に作業するようになり、今では仕事が立て込んでいる時だけこうして代わりを頼むようになった。…勿論ハウルが頼んだのは水やりと実の収穫程度だったが。
「あぁ、そうだったのですね」
「はい!多分お昼前には終わると思うって言ってました!月様は今から村の見回りですか?」
「そうですね、そろそろ行こうかと…」
「じゃぁまたおやつ時に桜餅を作っておきますね!」
「…!はい!頑張って参ります!!」
そう言ってすぐ、月はとても嬉しそうに桜の花吹雪に包まれて姿を消す。それを見送ってから結望も立ち上がり、ふぅと一息ついた。
「日陰はこれくらいで大丈夫かな?」
「大丈夫だと思う」
ナコが返事し、レージュはコクコクと頷く。
そんな反応に安心した顔をしてから、結望は2人を撫でてまた「よーし!」と気合いを入れ直した。
「それじゃぁあとは雑草抜きと水やりだね。んーと、レージュちゃんは雑草を溜める用の麻袋を持ってきてくれる?それからナコちゃんは水やりをお願い!」
結望の指示に2人揃って頷いてすぐに行動を始める。
勿論悪魔と付喪神に園芸を手伝わせるのはどうかと思う人もいるかもしれないが、2人とも本来の主人であるハウルが書斎に篭っているので暇だし、レージュは純粋に結望に懐いているから、そしてナコは結望に懐いているのは確かだが知識を増やしたいという気持ちもあって自ら手伝いに来ていた。一方の結望は「みんなでやると楽しいから」という理由で誘った訳だが。
「えーっと、雑草を抜く時は…」
ハウルに教わった出来るだけ楽に抜く方法を思い出しつつ、順調に抜いてはレージュが持ってきてくれた麻袋に入れていく。とは言えいくら普段から手入れしていても豊穣の加護を強く受けるこの山の春というのは中々に雑草にとっても良い環境であり、途中からは水やりを終えたナコも参戦することとなった。
「ふぅ…ナコちゃんレージュちゃん、大丈夫?」
「拙は問題ない。でも嫁様はそろそろ1度休んだ方が良い」
ナコがそう言うとレージュも賛同するように深く頷く。…最初はあまり仲の良くなかった2人だが今では随分打ち解けたらしい。
「んー、そうだね。じゃぁ少し休憩!」
2人の様子に和むような顔をしつつ、立ち上がって伸びをして手を洗ってから庭がよく見える縁側に腰掛ける。そうすれば穏やかな空気が日光に照らされ火照っていた体を程よく冷やしてくれてついウトウトしてしまうくらいに心地が良かった。
「(少しだけ休んだら…続きを…)」
そう思いながら2人を眺めていたが、ゆっくり瞼が落ちてしまうのには抗えない。
結局、結望が船を漕ぎ始めるまでそう時間は掛からなかった。
…
……
………
「……丈夫だよ。2人は…で……布団を…」
ぼんやりとした意識の中でそんなひそひそ声が聞こえる。
それからなんだか体の片側が暖かくて、優しく揺れていた。
そこまでは分かっても中々瞼が持ち上がらなかった結望だが、ピタリと動きが止まってからそっと額に柔らかい物が触れる感覚がして落ち掛けていた意識が僅かに戻ってきた。
「ん、ん……」
「…あ」
ゆっくり目を覚ますと、目の前には少し照れたような苦笑いをするハウルがいた。
けれど完全に起きた訳では無い結望にはその意味が分からず、ただ気の赴くままに……ギュッとハウルに抱きついて再び寝息を立て始める。
当然、ハウルは嬉しさと照れと困った状況に挟まれて頭を悩ますことになった訳だが。
「あー…」
「主、布団の用意出来……」
「ん、ありがとな」
「…主も寝る?」
「そう、だなぁ…。昼前に起こしてくれるか?」
「分かった」
コクリと頷くナコ、それから布団を掛けようと構えてくれているレージュに苦笑いを向けてからそっと結望を抱えたまま布団に寝転び、しっかり抱きしめる。
そして最後に「…おやすみ」と小さく言うと、また額に軽い口付けをしてハウルも春の陽気に身を任せて目を閉じた。