【痴漢される父の話】昼下がり。
水木の忘れ物を見つけ、走って届けたまではいいが胸元に抱いた赤ん坊な鬼太郎はすっかり夢の中。
流石に再び走って帰宅するには起こしてしまう。
ここは人間の文明を久しぶりに使おうか。
水木とたまにしか使った事が無い『電車』なる物。
不安ではあったが、初めてでは無いので緊張しつつ乗ることが出来た。
降りる駅も水木と予習済みで掲示板を思い出しながら反芻。
電車の中はそれなりに混んでいて座席はぎゅうぎゅうになっていた。
しかしワシは普通の人に比べて何時間も立っていても問題は無いと自信がある。
胸元に抱いた鬼太郎を潰さない様に、隅へ立って窓の外を眺める事にしよう。
今どれ位なのか、もうそろそろ降りる駅であろうかと意識を外から電車内へ向けた時、突然さっきまで感じなかった違和感が背後にあるのを感じた。
電車内はまだ程よく混んでいて人と人が接触するのはよく分かる。
しかしそれにしては背後の人物は密着し過ぎでは無いだろうか。
電車とはこれが普通なのだろうか…
意識しなければよいかと、良い子でぐっすり眠る倅を見つめる。
傍で椅子に座ってる人々も電車の揺れで眠気に襲われ眠っている。
平和なものだ。
そんな事を脳裏に浮かべた数秒後、ワシは平和では無くなった。
密着していた人物が何やらゴソゴソしだしたのだ。
それも尻部分で。
密着し過ぎて尻にぶつかっとるんじゃよな…
仕方ない、こちらが少し動けば良いか。
幸いにも人が減ってきて、移動する事が出来る。
数歩横にカニ歩きして背後の人物と距離を取る。
取った筈なのに、何故か先程の気配の人物がまた背後にいる…
何故じゃ…
しかもさっきよりも近い気がする…
不意に尻に違和感が強くなる。
強くなるどころか明らかに何者かの手が触れている。
何者かというと、先程から後ろに居る人物ではあるのじゃが。
最初の多少のぶつかりとは訳が違う、明らかに故意的に触ってくる感覚がある。
さわりと撫でたと思ったら、そのまま力を入れて揉み出してくる。
何が楽しいのやら…
普段同じ人間な水木ならばこんなに密着されてきても不快感はなかった。
しかし今はどうか…意味のわからなさにこんなにも感情が死んでいく。
この不快さで相手をふん縛る事は可能だがここで騒いでしまって、また水木に迷惑をかけてしまう訳にもいかない。
ここはただ、胸に抱く倅を守る事だけに専念するしかない。
ワシが何もしないのもいい事に、手の動きも多くなる。
あぁ、とても不快感じゃ…
力を入れてしまって倅を潰してしまわない様にせねば…
「怖くて声が出ないかい…?」
後ろの者の声がする。
どうやらコチラが何もしない事が余程嬉しいと見える。
ひたすらに今、水木に会いたい…
「アンタ、俺の連れに何してんだい?」
「ひ、ヒェッ…!」
「みず、き」
「ご同行願おうか」
「わ、私がこんな大男に何をすると言うのだ!馬鹿馬鹿しい!」
楽しそうに撫でくりまわしておいて突然の言われようである。
「うるせぇ!コイツの吸い付く尻を撫でねぇヤツは居ねぇんだよ!」
「それはお主だけじゃ…」
いや、先程までその男も触っていたから強ち間違いではないのか?
何はともあれ、なんとも緊張感にかける…
しかし、先程まで張り詰めていた息がやっと吐けた気がする。
自分で思っていたより力を入れていたのか。
倅は大丈夫そうにして寝ておったが、苦しい思いはしておらんかっただろうか。
無意識に拳に力を分散させ握っていたらしく、手を開くと手が震える。
爪がくい込み掌に血が滲む。
これは年若いオナゴが受けたと同じ恐怖なのか、怒りなのか…
あのままでいたら頑なに守っていた『人間を愛する』妻の気持ちを裏切る事になる所だった。
たったこれしきの事で…自分が情けない。
「お前…手も怪我してるじゃねぇか!あの野郎…もっと色々問い詰めてふん縛るかァ…」
「もう良い」
「だがなぁ!」
「ワシは早うお主と家に帰りたい…」
「……そうだな」
「しかし、お主どうした?先程別れたばかりじゃろ」
「なんか胸騒ぎしてあの後スグ終わらせて無理矢理退勤して追っかけた。俺の第六感は当たるんだよ」
今回はその第六感に救われるとは。
その他の人間といた時よりも、やはり水木と居れる今が一番安心する。
ワシはまだまだ人間を信用出来ていない所がある。
それでも、水木だけでも信じ愛して行きたい。
「早く帰ってワシを『慰めて』おくれ」
「お前……その言葉忘れるなよ?」
全ての人間を受け入れれなくても、好いた男一人だけでも信じて愛そう。
それだけは裏切らぬ様に…
ワシにできる限りを注ごう。