ルシアダ犬を飼う①「駄目だ。絶対駄目。」
ルシファーは何事もまず否定から入る。エデンにいた頃は柔和で明るい男だったはずなのに、鬱病のせいか今では酷くマイナス思考だ。アダムが何かを提案して、二つ返事で受け入れてくれた試しがなかった。
今日の夕飯は肉がいいと言っても、昨日も肉だった、一昨日も肉だった、三日前も肉だっただの、理屈を捏ねては押し問答になる。結局今日も肉にしてくれるのだから、最初から分かったと言えばいいものを。
ワンクッション文句を挟みたくて堪らないらしい。全くもって、素直じゃない。
しかしながら今回の提案については、何度アダムが言い寄っても返事はNOとしか返ってこなかった。
「そのケダモノを元居た場所に返してこい!」
「嫌だね!絶対飼う!!」
地獄にもペット文化がある。アダムがそのことを知ったのは、地獄に堕ちてすぐのこと。ショッピングモールの一角に、狭いショーケースに入れられた小さな命を見た。ふわふわの身体を小さく震わせながら、三つの大きな目を潤ませてこちらを見つめてくる。
犬のような、犬ではないような。不思議な生き物。そんな生き物が、地獄には沢山いる。
「見ろルシファー!犬がいる!」
「私は猫派だ。」
「この可愛い毛玉が城にいたら和むだろうな。鬱病の緩和ケアにどうだ?」
「いらん。誰が世話すると思ってる。」
冷たくあしらわれ、ペットとの生活は叶わなかった。その日からアダムの頭の片隅には潤んだ瞳が住んでいて、いつか必ず犬を飼うと心に決めていたのだ。
そして今日、アダムは雨に打たれグッタリとした捨て犬を拾い、城へ連れ帰った。
話は冒頭に戻る。
「アーサーは私が面倒を見る!」
「お前…!もう名前まで付けて!!」
「うるさい!ほっとけ!」
名付けには慣れている。
アダムはルシファーを押し除け、バスルームでアーサーを綺麗に洗ってやった。重たい泥が落ちて嬉しいのか、長い尻尾をフリフリと動かして足元に擦り寄ってくる。
脱衣所に上がると、一つ大きな身震いをして、細かな水滴が周囲に飛び散った。汚れが落ちたアーサーは全身黒々とした体毛に覆われ、精悍な顔つきをしていて中々のイケメン犬だった。きっと将来、メス犬を引っ掛けては鳴かせるプレイボーイになるだろう。
「私の次にいい男だな。」
「わん!」
ハッハッと舌を出して呼吸する。どう見ても犬だった。違うのは、尻尾の先が赤く燃えているところだけ。湿った体毛は、高い体温のおかげで瞬く間に乾き切ってしまった。
小さな身体を抱き上げると尻尾の炎は不思議と暖かく、微塵も熱さを感じなかった。
リビングに戻ると身体中から不機嫌オーラを出したルシファーが待ち構えていて、また喧嘩をしなければならないことを心底面倒に思った。
「あー…ルシファー…、その…」
「腹を空かせているだろう。食わせてやれ。」
「えっ」
ルシファーが指差す方向には、銀の皿の上に、生肉を叩いて作られた手作りらしきドッグフードが盛られていた。アーサーは喜んで皿に顔を突っ込んで、血の滴る生肉を頬張る。ルシファーはもう一つの皿に温いミルクを注いで床に置いた。
いつもそうだ。文句を言いつつ、最後には結局折れてくれる。ルシファーはそういう男だった。
「ルシファー……!」
「…フン。明日からはお前が犬ころの飯を用意するんだな。」
「アーサーだよ。」
「意味は?」
「アダムの『あ』とルシファーの『さ』から取った。」
「『さ』が突如現れて驚きだが。」
その日はどちらがアーサーと寝るか揉めた末に、川の字で寝ることになった。アーサーは二人の間で、まるで人間のように仰向けで眠る。
三人とも、同じシャンプーの匂いがした。