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    iguchi69

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    2023ホワイトデー(ジョ双) 1/7

    眠れない夜~♪

     車内に楽し気なイントロが響く。軽やかな機械音はうつらうつらと船を漕いでいた双循の意識を一瞬で現実へと引き戻した。
     ――寝とったか。双循はそうとは気取られぬよう、閉じていた眼を二、三度瞬かせてから足を組みなおした。向かいの席で今しがた例の音を鳴らした女学生ふたりが互いに額を近づけ、無作法の照れ隠しをするようにくすくすと笑いあっている。スマートフォンを制服の袖で隠すように握っているところを見るに、音の発生源はあの端末だろうと推測できた。
     右側に座る羊の少女に小突かれて、隣の豹の少女が恥ずかしそうに、けれど手つきは素早く板の側面に指をかける。途端に音楽が止まった。おおかた、ミュートにし忘れたまま動画か何かを再生してしまったのだろう。耳に残る甲高い声が一小節を歌い終わる前にぷつりと途切れる。

    『眠れない夜…♪』
     幸いにも車内にはさほどの人もおらず、幼いふたりの粗相を咎める者はいなかった。双循とて、無防備に外で居眠りをしそうになったのを寸前で引き止めてくれたことに感謝こそすれ、不服を申し立てる気などない。都会のミューモンたちはおおむね他人には不干渉で、昼下がりの車内で起きたった数秒の事故になど誰も見向きもしないようだった。

     それにしても、らしくもない。すっかり春の足音を感じる陽気を背に受け、心地よい電車の揺れに身を任せていたとはいえ電車で眠ってしまうなど初めてのことだ。そもそも、普段の移動手段はバイクばかりで気を抜く隙などありもしないのだけれど。
     家の都合で言いつけられた使いを済ました帰路のことであった。郊外の親類に渡すものを渡し、油断していた事実は否めない。しかし何よりも、連日の寝不足がたたっていることは双循自身がよく知っていた。そしてその理由が、奇しくも耳に残るあの古い曲と重なるのがまた腹立たしい。

     今から一か月前のことである。2月14日。MIDICITYじゅうがどこか浮足立ったバレンタインのその日に、双循はバンドメンバーであるジョウにある悪戯を仕掛けた。ほんの悪ふざけであって、害のあるようなものではなかったと自負している。ただ、どんな時も大人ぶって透かし腐ったあのいけすかない不死鳥の感情を揺さぶってみたかったのだ。
     双循の目論見は端的に言えば『ファンの女性を騙りチョコを贈りぬか喜びさせ、まんまと騙されたアホ面を拝む』という単純なものである。掃除のおばちゃんからもらったあからさまな義理でも照れているような男だから、相手が妙齢とあればいっそう呆けた顔が見られるだろうと踏んでのことであった。ただそれだけだ。他の相手にするのとそう変わりはない。

     なのに、と記憶を反芻し双循は苦々しい思いを噛みしめる。あのクソ不死鳥め、と何度念じたかわからぬ呪詛を心中で呟いた。どこでどう嗅ぎつけたのか、ジョウは手にしたチョコレートの送り主を双循だと見抜いたのである。
     それだけならまだ良かった。証拠はないのだ。しらを切るのはそう難しいことではない。だがあの成人は、年ばかり無駄に重ねている所為か持っている妙な老獪さでこう言ったのだった。
    「来月の14日、空けとけよ」と。

     3月14日は言わずと知れたホワイトデーだ。一般的にはバレンタインで受けた愛へ返礼をする日となっている。ということは、ジョウの言葉もその名の通り自分へ意趣返しなのではないだろうかと双循は想像していた。仕掛けたことへの報復――そう考えると、目に映るもの全てがあやしく見えてくるのが不思議だ。
     まさか自分から手を出したことに怖気づく訳にはいかない。かといって、ジョウなんぞの策略に嵌るのは尚のこと不本意だ。3月に入ってからというもの、双循は宣戦布告ともとれるジョウの言葉の真意を汲むことに躍起になっていた。ありとあらゆる手段を考え、対策を講じる。その副産物が外で眠りかけてしまう程の寝不足だというのだから全く始末が悪い。たった一言、予定を開けておけと言われただけでこんなにも心を砕いていること自体が、相手の思うつぼなのではと勘繰りたくなるほどだ。

     ジョウとはあれ以来も何度も顔を合わせているが、チョコレートやホワイトデーの話題に触れようともしない。気付けば、14日は間近に迫っていた。鳥頭の留年男の考えることなどたかが知れていそうなものだが、ジョウには損得勘定抜きで直情的に行動するきらいがあり、双循にとってその未知数の無鉄砲さが何よりの懸念だった。あの男は本当に、何を考えているのか理解できない。

     受け取ったチョコを見るなり目を丸めていた。誰にも見つからぬように楽器ケースに押し込め、練習終わりに双循の元だけにやってきた。ホワイトデーの予定を確認する目じりが赤かったのは、顔がはにかんでいたのは気のせいだろうか。
     そして当の自分もまた、どうして一言送り主ではないと笑い飛ばさなかったのか。一瞬の気の迷いに、長い間囚われている。

     気付けば電車は都心の路線に乗り入れていた。にわかに活気づき始めた車内で、いつ降りたのか目の前の二人組はおそらく他人同士であろう子連れの女性と、目を閉じたままヘッドフォンに耳を傾ける若い男性に代わっている。じきに乗り換え駅に着くと車内アナウンスが告げていた。
     家に帰って、親父に報告して、と算段を立てる双循の腹の横でスマートフォンが震える。トレンチコートの内ポケットに手を突っ込み、画面を見るとそこには今思い浮かべていた男の名があった。丸く切り取られた眩しいばかりの笑顔は、去年の夏、長年の悲願だと言っていた神輿を担いだ時の写真だ。
     あの時もそうだ、と双循は思い出す。いっそ氷水にでも突っ込めばどうかと叩いた軽口を真に受けたジョウはこともあろうに屋台のジュース売り場にその体を投げ出していた。そしてまた、帯に表示されたメッセージに双循は面食らうこととなる。

     3月14日、19時。続く文章は、UNZでもそれなりに知名度のあるレストランの名前であった。
     ああ、どこまでもこちらの想定を飛び越えてくる男だ。双循は今度こそ誤魔化しきれない思いをどうにか抑えようと口元を覆った。耳たぶが燃えているとは、よく言ったものだ。
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