【スミイサ】ヒーローは秘密で出来ている【シン花】 ブレイフラワーに、やたら顔の良いアメリカ人客が来るようになった。その容姿だけでも目立つのに、いつもスーツ姿で、金の髪も隙なくセットされている。しかもなんだか良い香りまでしてくる。自分の魅力を最大限まで引き出すすべを知っているみたいだった。話してみれば(話しかけてくるのは常にその客からだったが)気さくで物腰もやわらかく、いかにも女性にモテそうな雰囲気だ。そんな印象だったから、その客が幼稚園着の女の子を連れてきた日、イサミはたいそう驚いた。子どもがいるようには見えなかったからだ。
「娘さんがいたんですか」
イサミが思わずそう話しかけると、その客はなぜか動揺した。顔を赤くして青い瞳を泳がせて、「あぁ、えっと」と意味もなく言って、でもキリッと切り替えて。
「ルルっていうんだ。ほらルル、あいさつできるか?」
抱きかかえられている女の子……ルルは、あからさまに不機嫌そうだ。「どうした?」と、さすがのイサミも見かねて声をかける。するとルルは頬を膨らませて、いやいやと体を仰け反らせた。
「こんなのスミスちがう! しらない人!」
「え、誘拐?」
「いやいや誤解だ!」
「──ってことがヒビキの休憩中にあったんだよ。なんだったんだアレ」
閉店のレジ締め作業をしながら、イサミはヒビキに一部始終を話した。ヒビキは都度都度あいづちを打ちながらも、生花ケースを掃除する手を止めない。
「早めの反抗期なんじゃない? ていうかスミスって娘いたんだ」
「あいつ、スミスっていうのか」
「そこ? いつも親しげに喋ってるじゃん」
「あっちが一方的に話しかけてくんだよ」
いつもそう。だからイサミは、スミスの名前なんて知らなかった。自分から話しかけたのも、今日が初めてだ。
「毎回あの凄い格好で来るけど、パーティでもあんのか?」
「いやぁ幼稚園帰りの娘とパーティはないでしょ。シングルなら恋人に会いに行くんじゃない? 花束買ってくし」
「子連れでか?」
「きっと、いろいろあんのよ」
「まぁ、そんなもんか」
どうあれ、自分には縁遠い世界だ。そんなことより、さっさと作業を終えて帰ろう。慣れた手つきで一日の売上をレジに打ち込むイサミだが、その手が突然ピタリと止まった。
「…………なぁ」
「なに、どした?」
「違算マイナス5500」
「ウッソでしょ……」
こうしてスミス親子の話題は、そのまま中途半端に幕を閉じた。謎が解けるのは、ずいぶん後になってからだ。
それから月日は巡り、なんやかんやあってスミスと恋人同士になったイサミは、清いお付き合いを何ヶ月も続け、ついに初お泊まりの時を迎えていた。といっても場所はスミスの家で、ルルもいるから、清いことに変わりはなかったのだけれど。
リビングでの晩酌もほどほどに、明日に備えて早めに眠ろうとスミスが提案した。予定では、動物園とアスレチックをはしごすることになっている。
ルルはソファでうつらうつらしていて、ベッドに運べば、すぐにでも寝てしまいそうだ。眠気で脱力したその小さな体を、スミスが抱き上げる。すると、開いたり閉じたりしていたルルの目が、カッと見開いた。
「ルル、イサミといっしょにねる!」
「ルールー? ワガママ言っちゃメーでしょ?」
「俺は構わないぞ。どうせリビングで布団だし。添い寝でも」
「イサミ、じゃあ……」
「ちーがーうースミスもいっしょにねるの!」
「「ええ……」」
というわけでルルを挟んで三人、リビングで眠った。
その日の翌朝、一番に目覚めたのはルルだった。ガバっと掛け布団をめくり上げ、元気よく飛び起きる。その物音で目を覚ましたイサミも布団から起き上がり、天井に手を突き出してぐっと伸びをした。今、何時だ? と枕元のスマホを見ると、七時になる少し前。カーテンの奥がほの明るく光っているから、天気は悪くなさそうだ。視線を隣に移すと、スミスの大きな背中がある。
ルルが家を歩き回っている足音、カーテンを開いていく音と、規則正しいスミスの寝息。イサミはルルの動向をうかがってから、そっと手を伸ばしてスミスの頭を撫でた。なぜか、無性にそうしたくなった。
「ん……」
スミスが身じろいで、イサミは「やべっ」と手を引っ込める。やがてスミスも目を覚まし、ゆっくり布団から起き上がった。すでに起きている二人とは違って、たいそう気だるそうだ。
「おはよ」
「……ん、あれ」
覚醒しきっていないスミスは、寝ぼけた様子でイサミを見ている。青い目は開ききっていない。半開きだ。やわらかい髪質のせいか、金髪は寝癖でぐしゃぐしゃだし、髭も伸びている。イサミの前でいつも整った身なりでいるスミスとは大違いだ。
「眠れなかったのか?」
スミスは幼子みたいに目をこすりながら、「あー」と、肯定か呻き声か分からない返事をした。そのあと、おおきな口を開けてあくびをする。さらに眠気を払うように頭を振った。そうすることで、スミスはようやく覚醒してきたみたいだ。
「イサミ……」
名前を呼び、そして寝不足の目を細めてスミスはふにゃっと笑った。
「あぁ、そうか……一緒に寝たのか」
リビングに戻ってきたルルが、そんなスミスを見て声を上げる。
「いつものスミス!」
「家ではいつもこんな感じなのか?」
「そう。スミスいつもへろへろ、ふにゃふにゃ、バタバタ」
「シングルファザーって大変なんだな……」
ルルとそんな会話をしていたら、イサミはあることを思い出した。
──こんなのスミスちがう! しらない人!
スミスが、ブレイフラワーにルルを初めて連れてきた日のことだ。あの、スーツでビシッとキメていたスミスは、ルルにとっては見知らぬ他人としか思えなかったのかもしれない。そしてさらに、ヒビキとの会話も。
──シングルなら恋人に会いに行くんじゃない?
ヒビキの予想は、当たらずとも遠からずだった。スミスが会いたかったのは、未来の恋人……すなわちイサミだったのだから。そう気付いて、イサミは少し照れてしまった。一方スミスは、起き抜けの姿を情けないと思っているのか、なかなかイサミと目を合わせようとしない。しかしやがて、観念したようにポツリとつぶやいた。
「けっこう頑張ってたんだぜ」
クールな俺を見せたくて。そんなことを言いながら、スミスは恥ずかしそうに笑う。その恥ずかしさはイサミにも伝染した。ルルは真っ赤になった男二人を、不思議そうに交互に眺めている。
「……て、いい」
「ん?」
「もう、頑張らなくていい」
「そんなわけにもいかないな。俺がしたいからするんだ」
そう言うと、スミスは立ち上がった。
「おいスミス。まだ寝てていいぞ」
「大丈夫! シャワーだけ浴びさせてくれ」
「そんな焦らなくても、まだ時間あんだろ」
どこか急ぎ足で風呂へ向かったスミスを、イサミはあっけに取られつつ見送る。
イサミは知らない。
スミスがたった今、脱衣所でうずくまり、「大好きだ……ッ」と小さな声で叫んでいることを。そして、初めて一夜を共に過ごし、緊張で眠れなかったことも。豆電球の明かりを頼りに、どうにか寝顔を見ようとしたことも。となりにいるすべての瞬間、抱きしめたくてたまらないと思っていることも。もっと「好きだ」と言葉にして聞きたいことも。素肌に触れたいし触れてほしいことも、スミスは隠し続ける。だって格好悪いじゃないか。愛する人を守るのでなく、愛に振り回される男なんて。
ルイス・スミスはアオ・イサミの恋人になった。でも、それだけでは満足できない。スミスはヒーローになりたかった。そのためには、ぜんぶ、ぜったいに秘密なのだ。今は、まだ。