【スミ⇄イサ】運命の人「ルルはスミスのこと、好きか?」
なんて、そんな分かりきったことを唐突に聞いてくるものだから、ルルの返答は逆に数秒遅れた。
「……ルルはスミスもイサミも好き。大事」
イサミはイサミで、それを分かりきっていたと言わんばかりに「そうか」と即答した。
「そう」
「……だよな」
「ガピッ」
それから会話は途切れて、しばしデッキで海風に吹かれるだけの二人になる。
人類を救ったヒーローたち。イサミ、スミス、ルルの三人は、その功績を称えられたあと、長い休暇が……半ば強制的な世界一周豪華客船の旅が与えられた。今はその真っ最中だ。目的はもちろん、過酷な立場におかれていた三人をねぎらい、休ませることだった。しかし三人を見送ったなかには、別の思惑を持つ者もいたとか、いなかったとか。
──ルルちゃんルルちゃん! スミスさんがブレイバーンさんだったってことは、やっぱりイサミさんのこと──
興奮気味に話すミユを思い出し、砂浜で目撃した押し倒しシーンも思い出し、ルルはうーん、と思案する。いまのところ、イサミとスミスのあいだに目立った変化は見られない。生体電池でしかなかったルルが人間の感情を理解し始めた、そのときからずっと……瞳の色が青でも緑でもスミスはイサミを愛おしそうに見つめている。見つめているだけだ。じゃあイサミは? というと、たった今の問答が。
「イサミ、どうしたの?」
期待を込めたルルの質問に対して、イサミは答える。「一応、聞いておきたかったんだよ」と。でも、それはちゃんとした回答ではない。ルルはちゃんと本心を答えたから、イサミもちゃんと答えた。
「ルルとライバルになりたくなかった。奪い合いたくなかったんだよ」
好きの種類が違ってて、よかった。そう言うとイサミは、はにかんだ表情を見せる。
ルルは、スミスすら知らないイサミの表情をたくさん知っている。スミスが戦死したあと、ルルに寄り添ってくれたのはイサミだったから。でも、この顔は初めて見る。スミスのいなくなった過去はもちろん、ハッピーエンドをもぎ取った最高の今にすら、なかった表情だ。
イサミは進もうとしている。ルルはそう直感した。
「ルル、イサミのこと応援する!」
「あ……ありが…と」
イサミがあまりにも照れくさそうなので、恋バナは一旦そこで打ち切られた。そのあとは自然と、スミスの前では話しづらい話題に終始することになる。
「そういえば、ルルはスミスがブレイバーンだって、いつ気付いたんだ?」
「それは──」
イサミの知り得ない、イサミのいない世界の話。それはブレイバーンの最期の言葉に始まり、やがて、どこかにいるミユとスペルビアとの思い出話へと変わる。絶望とやさしさと勇気に満ちたルルの話は陽が傾くまで続き、イサミはそれをずっと真剣な表情で聞いていた。
「応援する」という言葉どおり、ルルは不自然にならない程度にイサミとスミスを二人きりにした。それが功を奏したのか、イサミもイサミなりに頑張っていたのか。世界一周も終盤に差し掛かったある日、ルルはスミスにこう言われた。
「ルル、悪いんだけど、明日のディナーのあと、イサミと二人で話したいことがあるんだ……だから」
イサミの気持ちを知っているルルは、それを聞いて飛び上がりそうになった……が、しっかりと我慢する。まだ『そう』だと決まったわけではないからだ。いや、二人の様子を間近で見るに、『そう』としか思えないのだけれど。
「わかった! ルルご飯食べたらすぐ部屋帰る!」
「はは、ありがとうルル」
大好きで大事な二人が、しあわせになる。こんなに嬉しいことはないと、ルルは一日中、顔のニヤケを抑えるのに苦労した。
そうしてやってきた当日。ディナーが終わってからわずか三十分後。ルルのいる部屋に戻ってきたのは、イサミひとりだった。しかもなぜかブチギレていた。
「ガピ……イサミ、どうした」
「…………る」
「?」
「カレー作る! そんでスミス泣かす!」
「ガピー!?」
★
いくつもの国をめぐり、船での生活にもすっかり慣れた。海の上では時間がゆっくりと進む。あまりにも穏やかな毎日が続くせいで、あの戦いの日々が夢だったのかと思うくらいだ。でも、あれは夢じゃない。イサミの隣にはスミスとルルがいるし、降り立つ異国の景色は在りし日の姿とは違っていた。破壊された建物や焼け落ちた自然を見ると胸が痛む。懸命に立ち直ろうとする人々の姿を見ると、観光客でしかない自分がもどかしくなる。
だから、イサミはスミスの気持ちがよく分かるのだ。ディナーのあと、大事な話があるからと二人きりになり、「世界を旅してまわろうと思う」と言い放ったスミスの気持ちが。
「……今まさに旅してるだろ」
イサミの戸惑いがちな声に、スミスはフッと笑った。そして「そうだな」と。
「でも、今の俺じゃ見えていないものも、きっとあると思うんだ。他の誰でもないルイス・スミスとして、いろいろなことを見つめ直したい」
ルイス・スミスとして。そこにはスミスのある決意が含まれていたが、イサミは気づくことができなかった。
「上層部の許可は得てる。定時報告の義務付きだけどな。イサミも貰ってるだろ? 携帯端末。あれで──」
「なんで俺に言うんだよ」
イサミはスミスの言葉を遮った。膝の上の拳をぎゅっと握り、「なんで……」と、もう一度。もしかして一緒についてきてほしいとか? しかしイサミの予想は、あまりにもあっさり裏切られる。
「出発の日に、イサミに見送ってほしいから」
「……ルルは? ヒロやヒビキは」
「ヒロたちはともかく、ルルは殴ってでも止めてきそうだ。だから言わない」
ずるい。とイサミは思った。そんなこと言われたら、俺は殴れなくなるじゃねえか。
「話はそれだけか?」
「……そうだ」
「そうかよ」
こいつはいつもそうだ。人であろうがロボットであろうが、自分勝手に俺を振り回す。
振り回された結果がこれだ。
行き場を失くしてしまった感情を抱えたまま、イサミは無言で席を立った。そしてルルの待つ部屋へ戻る。
イサミの早すぎる帰還に、ルルは驚きを通り越して心配していた。しかし当のスミスがルルに何も言うつもりがないらしいので、イサミから詳細を話すことができない。しょうがないから振られたということにしておこうと思うが(実際、振られたようなものだ)どうにも腹の虫が収まらない。だからちょっと、その前に決意表明だけさせてほしい。
「ガピ……イサミ、どうした」
「…………る」
「?」
「カレー作る! そんでスミス泣かす!」
「ガピー!?」
・・・
帰港地であるロサンゼルスに戻ってからは、船上での穏やかさが嘘のように毎日が慌ただしかった。イサミは原隊復帰の準備や帰国の手続きに忙殺されたし、スミスはスミスでやることが多いらしかった。会っていないから、くわしくは知らない。
最初は乗り気ではなかったものの、世界一周旅行をプレゼントしてくれたことにイサミは感謝していた。スミスとあんなことがあっても、結局はすごく楽しかった。そして何より、ルルも含めて三人一緒に過ごせるのは、たぶんあれで最後だったろうから。
別れは刻一刻と迫っている。くやしいけれど、「見送ってほしい」とスミスに言われたおかげでイサミは落ち着いていた。それは「勝手にいなくなったりしない」という約束だったからだ。
そして、その日がやってくる。
イサミが宿にしている仮設住宅に戻ると、ドアにメモ用紙がが挟まっていた。二つ折りのそれを広げてみると、『トップ・シークレット』という文字と、短い伝言だけが書かれている。送り主の名前は書いていなかったが、スミスからの手紙に違いなかった。
『一週間後に出発する』
イサミはその文字を何度も目で追った。追って、その意味を噛み締めて、次に会うときのことを考える。スミスを見送って、そのとき俺はどんな気持ちでいるのだろう。その答えも出ないまま、イサミはメモ用紙を丁寧にたたんで、ポケットにしまった。
★
イサミの部屋のドアに手紙を挟んた次の日、まるで意趣返しのように空母内のスミスの部屋に同じことがしてあった。メモ用紙を広げてみると、これもまたスミスがしたように短いメッセージが書かれている。
『トップ・シークレットをドアに挟むな』
スミスは思わずクスリと笑う。そしてその下には11桁の番号と、『碧 勇』という漢字のサインがあった。
日本の漢字は文字自体も意味を持つ。それをなんとなく知っていたスミスは以前、ヒビキに尋ねてみたことがある。ブレイブナイツ結成よりも前のことだ。
「響はreverberationとかechoかな」「じゃあ……イサミ、は」「勇はbrave。名字の碧は……Blueとは違ってなんというかGreenも混じってて……うーん、あ!」そうしてヒビキはこう答えた。
──ブレイバーンの胸の色!
その一連のやりとりを反芻しながら、スミスはドアを開けて自室に入る。そしてすぐに、元ATFに支給されたばかりの携帯端末を手に取った。
液晶が灯ると流れるような動作でロックを解除して、はやる気持ちを抑えつつメモの番号を打ち込む。3桁目で間違えて、すべて消して再チャレンジ。今度は無事に成功して、ひと呼吸ののちにコール音が鳴り始める。
応答を待つ数秒が、とても長く感じられた。出ない。忙しいのか? とスミスが諦めかけたとき、端末の画面が切り替わった。
「ハロー?」
音声のみの通信でも、ひさしぶりに聞く声でも間違えない。イサミだ。
「ハローイサミ、こちらスミス」
「よお」
風来坊になるつもりだと告げてから、イサミはどこかそっけなかった。その態度は船の上でも今も変わらない。怒っているようにも聞こえて、スミスは少しだけ気後れしてしまう。まぁ声を聞けた嬉しさのほうが、何倍も勝るのだが。
「スミスに確認したいことがある」
「なんだ?」
「出発の日って、時間あんのか」
「あぁ、夕方の便だから」
「そうか、分かった。じゃあ昼前に俺の部屋に来いよ」
それだけ告げると、イサミは一方的に通話を切ってしまった。
「イサミ! 待ってイサミ……ッ、holy shit……」
ふたりをつなぐ暗号通信は沈黙し、スミスの携帯端末はガラスのはまった板に成り下がった。
もしかしたら、自分が思っているよりも、イサミは怒っているのかもしれない。でも、どうして。スミスは頭を抱えた。
愛を発することばかりしてきたこの男は、自分へ向けられる愛には鈍感だったのだ。よしんばイサミの気持ちに気付いたとしても、スミスはこう受けとめる。
その愛も信頼も、俺へのものじゃない。俺の中にいるブレイバーンへ向けられたものだ……と。
イサミの仮住まいは、ワンルームのアパートメントのような間取りだった。玄関を入ってすぐのキッチンはこじんまりとしており、小さな冷蔵庫と電子レンジがテトリスのように収まっている。リビングの家具はテーブルに椅子二脚、ベッド、ハンガーラックくらい。雑貨はトレーニング用品が少し。あとは生活必需品をさらに厳選したような、必要最低限のモノだけしか置いていない。それはここが仮住まいだというだけでなく、イサミの性格もあるだろう。図らずとも白と木目で統一されている部屋を見渡し、スミスは自分とは大違いだと思った。スミスの部屋はアニメや特撮のグッズで溢れていて、モノも色彩も多い。
「ベッドにでも座っててくれ」
あいさつもそこそこに、イサミはスミスにそう指示した。そうして椅子の背もたれにかけてあった黒いエプロンを取ると、手慣れた様子でTシャツの上から付ける。
「イサミ! 昼飯作ってくれるのか?」
「おう、おとなしく待っとけ」
「なにか手伝えることは……」
「いーから」
あえてぶっきらぼうにそう言うと、イサミはキッチンに立った。スミスからは背を向ける位置取りになる。なにを作ろうとしているかはまだ分からないが、イサミの動作には無駄も迷いもなく、手慣れているのが伺えた。
水音や野菜を切る音、材料を炒める音がして、しばらくすると独特の香りが部屋中にただよってくる。スミスはこの香りを知っている。でも、知っているものよりも複雑で刺激的だ。
「カレーか?」
「そうだよ」
「Hooray! ジャパンのカレーは美味いよな! ハワイで初めてヒビキたちにごちそうになって感動したんだ」
はしゃぐスミスから見えないところで、イサミは笑っている。
「自衛隊のやつとはまた違うけどな」
イサミの作るカレーには、豪華客船で立ち寄った国々で見繕ったスパイス、隠し味に赤ワイン、マーマレード。具はスタンダードな野菜の他に、大きめに切った牛肉がゴロゴロ入っている。ご飯はパックのものをレンチンしただけだが、それでも味は負けていない自信があった。
それからよもやま話をしているうちに十五分ほど煮込み終わり、ご飯も温め、皿に盛り付けられたカレーと缶ビールがイサミによって運ばれてくる。
「飲むだろ?」
「もちろん」
待ちかねたスミスがテーブルに座ると、イサミもエプロンを脱いで対面で座った。こうやって、面と向かって二人で食事するのは初めてだ。酒の席は何度かあったが、そのときはカウンターだった。
照れくささを感じているのは二人とも同じだ。だから乾杯をする。これだけの量で酔うほどスミスもイサミも弱くはないが、素直に会話するための潤滑油にはなってくれるだろう。
勢いのまま冷えたビールをふたくち喉に流し込み、スミスはさっそくビールをスプーンに持ち替えた。ご飯とカレーのちょうど境目をすくい取り、大きな口でひとくち目を味わう。
「うっまい!」
口の中にひろがる辛味とコクと、ハワイで食べたカレーにはなかったスパイスの複雑な風味。勢いのままにふたくち目を頬張ると、今度は大きめの牛肉がほろほろと崩れ、存在感を主張してくる。スミスの口は会話を忘れて、ただ夢中でカレーを味わう器官になった。
皿の上がみるみる減っていくのを、イサミは缶ビール片手に見ている。顔がニヤけそうになるたびに、ビールを飲んで誤魔化した。スミスの食べっぷりが嬉しいのに、目は、どこか冷ややかで何かを試している。観察の視線だ。
「おかわりは?」
「いる!」
それを聞くとイサミは立ち上がり、パックのご飯をレンジにセットした。ついでに冷蔵庫から自分のビールを取り出す。「ちゃんと噛んで食えよ」なんて苦笑いしながら、イサミは二本目のビールを開けた。その仕草があまりにも自然で、スミスはもう何年も前からイサミと一緒に暮らしているような錯覚にとらわれた。イサミがやさしくて、そばにいて、平和で楽しくて、あまりにも幸福だ。……過ぎた幸福だ。
「イサミのこと、怒らせたと思ってた」
二杯目のカレーをスミスの前に置くと、イサミはまた対面に座った。
「怒るってか……浮かれてた自分に腹が立っただけだ」
「浮かれても、いいんじゃないか?」
それを聞いたイサミの眉間に、ちょっとシワが寄る。
「お前はそう思わないから、世界を見てまわるんだろ。俺を置いて」
「……」
沈黙。きつい言い方になったとハッとして、イサミは「わるい、今の無し」と言った。そして。
「ブレイバーンだけじゃなくて、お前までいなくなるんだ。さすがに……さみしい」
イサミはビールをひとくち飲んで、またつぶやいた。「さみしい」と。それはイサミにしてはめずらしく素直になった瞬間だったが、スミスには届かなかった。
「イサミは、俺のことをブレイバーンだと思っていないんだな」
「理解はしてる。でも……スミスもブレイバーンも、俺の目の前で一緒に存在してたんだ。なかなかイコールにはならねえよ。キャラも違いすぎるし」
「そうか。やっぱり……そうだよな」
「それにお前、ブレイバーンだったときのこと、俺にもルルにも何ひとつ話さねぇじゃねえか。忘れてんのか?」
「いや、イサミを抱いて戦った記憶は、しっかり胸に刻まれているさ」
「戦った記憶、は……ね」
イサミはそうやって何か言いたげに言葉を区切ると、何を言うでもなく黙り込んでしまった。スミスは間をもたせるみたいにカレーを食べ、イサミはビールをぐいぐい飲み干す。そうして缶をカラにすると、やっとスプーンを取ってカレーを食べ始めた。
「美味いかよ念願のカレーはよ」
「美味いし最高だ。イサミはすごいな! ……念願?」
「ルルに教えてもらった。ブレイバーンが死ぬ間際、ジャパンのカレーが美味かったって言ったって。だからルルはスミスがブレイバーンだって気付いたって」
「死ぬ……?」
「デスドライヴズと相討ちになって、ブレイバーンも俺も一緒に死んだ。そういう未来から来たんだと。今のルルは」
スミスの知らない話だった。聞けば、二人の死後、ミユがブレイバーンのコアを使って時間を遡る装置を作ったらしい。ルルはそれを使って未来からやってきた。だから見た目は少女でも、意識は大人だという。豪華客船でスミスがたびたび感じていたルルの成長は、どうやらそういうことらしい。
「ブレイバーンのコアで……」
「まったく。俺にはもったいないくらい有能なメカニックだよ」
イサミはカレーをどんどん食べ進めるが、今度はスミスの手が止まってしまった。
ブレイバーンがいなくなったあとの、どこか別の時間軸。そこで必死に勝利への可能性を繋いだ仲間たちがいた。それを礎に、今この時間があるのだ。
ルルやミユだけではない。スミスの脳裏に、ATFのなつかしい顔ぶれがよみがえる。その記憶をさかのぼってたどりつくのは、みんなで囲んだ昼食のテーブルだ。騒がしく、美味しくて楽しかった。
「……今際の際に言い遺すくらい、カレーが好きか? スミス」
そうだけど、それがすべてじゃない。イサミもきっと分かっていて訊いている。
ブレイバーンは、食事を摂ることができない。だからこそ最期にもう一度、親しい人たちや大好きな人とテーブルを囲んで目線を合わせて、美味しいものを食べたいと願った。ちょうど、今しているみたいに。
「だから作ってくれたのか? カレー」
叶えてくれたのか。しかしスミスの予想は否定された。
「ちっげぇよ自惚れんな」
「え、違うのか」
「カレーをスパイスから作るのが、なんとなく好きなんだよ」
しょんぼりするスミスをよそに、イサミは続ける。
「俺はソロキャンプも好きだし、トレーニングも趣味だけどよ」
「?」
突如として始まったイサミの問わず語りからは、真意がまったく見えてこない。スミスは困りつつ、イサミの意外な趣味が知れたよろこびを感じていた。イサミとキャンプをしてみたいが、それはソロではないな、とか、そんなことを考えながら。
「他の誰かと分かち合えるのって、カレーくらいなんだよな。褒められると嬉しいし」
「ええっと……つまり?」
「このカレーは、俺がずっと試行錯誤して、やっとたどり着いたスパイスの比率で作った」
「……Sweet」
「世界がめちゃめちゃになったのに、前と同じレシピのカレーが食えてるんだよ、俺たちは」
そしてイサミは、噛みしめるように言う。「奇跡みたいだろ」と。
「それだけじゃない。デスドライヴズに勝ったことも、スミスが戻ってきたことも、俺には奇跡としか思えない。ルルの存在も、ブレイバーンの存在も……ぜんぶ奇跡だ」
「勝ったのは、イサミとみんなの勇気があったからだろ」
「それを含めて奇跡だよ。でも、スミスのことは……う、んめ……だと、思う」
「…………なんだって?」
「……カレー」
「え!?」
いやこのタイミングでカレーとは言ってなかった絶対違う。
「イサミ? 顔が真っ赤だな」
「言っただろ。俺は浮かれてたんだよ。ルルにカレーのこと聞いてすぐ……俺、作れるぞって、運命か? て思っ……」
スミスはカレーが好き?
イサミはこだわり強めのカレーが作れる。
「Destiny」
「もっ、もちろんそれだけじゃねえけど!! いろいろ! いろいろあンだよ!」
声を荒げると、イサミは食べ終わった皿を引っ掴んでテーブルを立った。そしてキッチンのシンクに皿を置いて、蛇口をひねる。水音が激しいのが、そのままイサミの胸の内を表しているようだった。
告白ではないが、限りなくそれに近いことをイサミはやってのけた。ルルのように、「スミスもイサミも好き。大事」という愛しかたをしたかったからだ。でも、失敗してしまった。素直な言葉は出ないのに、態度にはあまりにも分かりやすく出てしまう。
こんなんじゃあ、自分を置いていく好きな相手を笑って見送るなんて出来そうにない。でも、イサミはスミスを許してしまう。スミスの死を経験しているから。だから、どこかで強く生きてくれているだけでいいって思えてしまう。そういうたった一人の存在だ。ルイス・スミスは。
「ずるいよな、本当に、ずるい」
シンクのふちを握る手に力がこもる。
水は流れ続けている。
スミスが、イサミの背後から近づいてくる。そしてそのまま包むように、しっかり両腕で肩を抱きしめた。
背中と胸がくっつく。二人の体温が寄り合い、イサミの耳元をスミスの唇がかすめる。小声を強制する至近距離の会話は、まるで恋人同士の睦言のようだ。
「俺も、イサミとの出会いは運命だと思ってる」
「じゃあ、なんで、またいなくなンだよ……ッ」
なんで好きだって言わない? なんで俺を連れていかない? ブレイバーンはそうしたじゃねえか。イサミがみなまで言う前に、スミスはバックハグから手を伸ばし、蛇口から流れ出続ける水を止めた。
「俺は、ブレイバーンに嫉妬してるんだ」
「は?」
イサミには、スミスの言葉の意味が分からない。だって──
「スミスがブレイバーンだろ」
「イサミと共に戦って世界を救ったのは、俺じゃない。ブレイバーンだ」
「いやだから、お前がブレイバーンだったんだろ」
「俺は変形できないし、空も飛べない」
「そういうことじゃねえよ聞けよ俺の話をよ」
「でも、イサミの作ったカレーを食うなんて、ブレイバーンにはできないよな」
「……ハグもな」
イサミはスミスの腕を取ってゆっくりほどくと、シンクとスミスとのあいだに挟まれた体で振り返った。
スミスは、泣いていた。
「お前がスミスだろうがブレイバーンだろうが、俺にはたいした問題じゃねえよ。お前はお前だ」
今度はイサミが遠慮がちに、スミスの腰に、背中に腕をまわす。それはねぎらいや、なぐさめや、激励や愛情など、すべてを含んだやさしい抱擁だった。
「でも、お前自身は、それじゃ駄目なのか?」
その問い掛けに、スミスは唇を引き結んで頷くだけだ。
ブレイバーンは、イサミを乗せて一緒に戦った。
スミスは、イサミと離れたところで戦死した。
それはスミスが人間に戻ってから、ずっと考えていたことだった。スミスがイサミとのあいだに感じている絆も信頼も愛も、イサミにとってはほとんどがブレイバーンとのものじゃないのか? そう考えはじめてから、スミスはイサミを想うことから逃げ出したくなってしまった。だってブレイバーンはクールで強い、スミスの理想の姿そのものなのだから。
勝てない。でも、負けを認めることもしたくない。当然、イサミを想うことから逃げ出せもしない。声もなく泣くスミスの息と震えが、肉体をとおしてイサミに伝わる。
「俺は、弱くて臆病だ」
「そんなことねぇよ」
「でも、そんな俺を……運命の人だって、言ってくれて、ありがとう。イサミ……俺は…」
ひょっとしたら、そこに続くのは愛の告白だったかもしれない。でも、そうはならなかった。それはまだ早いと、他でもないスミス自身が自分に告げた。
「俺は、世界と、自分の気持ちを見つめ直してくる」
力なく垂れていたスミスの腕も、イサミの体を包む。
「いつになるか分からないけれど、ルイス・スミスとして君に誇れるものを何かひとつでも見つけたら、すぐに戻って来るよ」
「あぁ、待ってるぜヒーロー」
「……救われたのは俺のほうだから」
そして、スミスの腕の力はいっそう強く。涙は流れるままでも、もう悲観してはいない。
「やっぱり、イサミは俺のヒーローだ」
ホテルへやってくる手はずの車をロビーで待ちながら、スミスとイサミは名残惜しい時間を過ごしていた。イサミが旅程を尋ねると、「決めていない」と言う。
「大丈夫かよ」
「なるようになるさ」
「まぁ、お前なら行き倒れる心配はないか」
それを聞いて笑うスミスが、近づいてくる何かに気付いて外を見た。エンジン音がしたらしい。
「迎えが来たみたいだ」
二人でホテルから出ると、小型の軍用車が徐行しつつ入口前に止まった。乗り込む前に、スミスはもう一度イサミを振り返る。そして支給された通信端末を取り出して見せた。
「いつでも連絡してくれ」
「あぁ」
「あと俺の番号、みんなにも教えておいてくれないか」
「え、教えてねぇのかよ」
みんな、というのは信頼できる仲間たちのことだ。ルルや、ブレイブナイツや、元ATFの親しい面々。イサミもそれは理解している。思い当たる人数は、両手で足りる程度で決して多くはなかった。
ルルに、ヒビキに……イサミが身近な心当たりを挙げていると、スミスが近寄ってくる。もう車のドアに手をかけていたというのに、わざわざ戻ってきて耳打ちでこう言うのだった。
「独り占めしてもいいんだぜ。俺からかけるのは、イサミにだけだ」
「……ばかやろ」
照れるイサミにウインクをすると、スミスがすっと拳を差し出す。イサミも、その拳にコツンと自分のそれを合わせて応えた。
「イサミ」
スミスの拳がひらき、イサミの拳を強引にほどいていく。イサミがされるがままに見ていると、あっという間に十本の指が絡み合った。
手のひらが密着する。
スミスばかりが一方的にグッと強く握って、イサミの反応も、関係の変化も待たずに離す。
恋人ではないが、大事な運命の人。
「いってきます。イサミ」
「いってこいよ。気が済むまで」
もう充分な時間を過ごしたからと、スミスはあっさり車に乗り込んだ。別れを惜しむのは違う。別れではないのだから。
破壊され、舗装の間に合っていない道路を、スミスを乗せた車は力強く進んでいく。イサミはその姿が見えなくなる最後まで見送った。清々しい気分だった。笑ってスミスを送り出すことができたから。
空は青く、どこまでも広がっている。これからも俺たちは同じ空の下にいると、そういう祝福を受けているみたいだ。
イサミは視線を、車の進行方向からスミスに握られた手のひらに移した。体温も指の感触も、未だに生々しく残っている。これから先も、事あるごとに思い出すだろう。本当にずるい男だ。イサミがカレーでやろうとしたことを、逆にやられてしまった。
「スミス……ブレイバーン……」
見送りの余韻のなかで、その名前は自然と口からこぼれ落ちた。そして、とうとう言わずじまいだった本音も。
「なんで俺たち、付き合ってねぇんだろな」