君抱き締めて想う 麗らかな昼下がり、伊織にしては珍しく早い時間から長屋で横になっていた。
(……暇、だな)
今日は非番だ。周回作業や特異点の対応などはなく、平凡な一日で特にすることはなかった。縁を結んだサーヴァントとしてすべき事柄は多いが現時点での行動は制限されていない。
何もない日は好きに過ごして良い決まりになっている。
伊織としても仏堀をしたり、刀の手入れをしたりと長屋で過ごすにしても何かしら手を動かしている方が多い。
だが、今現在ただ横になっているだけである。
勿論、用事がないのなら一日寝て過ごすというもの悪くはない。ただ、伊織としては変わらぬ景色を眺めているのも少し飽きてきたところだ。こうして寝ているのには訳がある。自主的に寝ているというよりかは伊織は付属品、オプションでしかない。
少し視線を下げれば丸い黒髪が目に入る。常ならばころころと表情が変わる豊かな顔は伊織の胸に埋まって此方から見えなくなっている。
隣で眠っているセイバー曰く、伊織は抱き枕らしい。
突然部屋にやってきたかと思えば、やれ周回のし過ぎて疲れただの、このままではマスターに申し訳が立たないから休むしか無いだの大袈裟な言い訳をしながら布団を広げ横になった。
寝るのは構わないが、何故伊織を引き込んだのだろうか。
由を聞く間もなくセイバーは寝てしまった。疲れているというのは本当だったらしい。ぎゅっと抱きしめられたと思えばすうすうと寝息を立て始めた。
(……一緒に寝たいのなら、そういえば良いだろうに)
寝ているセイバーを起こさないように気遣いながら伊織は静かに思う。よく朴念仁と云われる伊織とて恋人の頼みを無下にはしないというのに。
セイバーと恋仲になったのは少し前の話だ。
セイバーから恋慕の情を伝えられた時、伊織はすぐに頷いた。その速さにセイバーは驚いたようだったが、伊織自身も驚きを隠せなかった。
言の葉にされるまで考えもしなかったが、嫌だとは少しも思わなかった。寧ろ、胸の内が暖かくなった。まさか自身にこんな気持ちがあるとは思わなかった。
今更に自覚して気持ちが湧き上がってきたのか心の臓が乱れて落ち着かない。どうにか鎮めようと画策するも、目の前の嬉しそうなセイバーの笑顔を見てればどうでも良くなってしまった。セイバーが喜ぶならそれでいい。
そうして付き合い始めた二人の仲は順調とはいかず、若干ぎこちなかった。
セイバーは恋仲になった事実に慣れないのか、伊織の顔からよく目を逸らす様になった。恥ずかしいのか話し掛けながらも赤くなった顔をよくしている。それまでと変わらない伊織とは大違いだ。
変わらないと云っても、伊織も心持ちが違う。
セイバーと話すのは他愛ない話でも楽しいと感じるし、一緒に過ごす時間は心地が良い。この暇な時間すらよく思えるのは、セイバーのお陰だ。
(……セイバーは、よく休めているだろうか)
ふと気になって様子を窺うと、離れると思ったのか腕の力が強くなり、近くに引き寄せられる。
「こら、セイバー痛いぞ」
起きるまで傍にいるから安心しろと伝える代わりに頭を撫でてやれば、起きていない筈のに嬉しそうにくふくふと笑ってみせた。
男である伊織は女人と比べると硬くて抱き心地は良いとはいえないだろうが、少しでも疲れがなくなるといい。
(そうだな。勝手に抱き枕されている礼をしなくては)
好き勝手にされている意趣返しに少し悪戯心が湧いて出た。
今なら、セイバーは寝ている。だから気づかないだろう。知らないのなら問題にならない、呼んでも怒られない筈だ。
「……これからも宜しく、■■■」
真名を口にしてからこれは中々にむず痒いなと顔に熱が集まる感覚に困惑し、再び呼ぶ機会が来ない事を祈る羽目になった。
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(……起きた、と伝えるタイミングを逃した)
決して隠していた訳ではなかった。ふと意識が戻ってからも眠気が抜けず、ぼんやりとしたまま優しく頭を撫でる手つきと身を包む心地良いぬくもりに身を預けていたら、そのまま云い出す機会を逃してしまった。
「……これからも宜しく、■■■」
そして、図らずも伊織の言の葉を聞いてしまった。
セイバーが起きていたら恐らく口にしないであろう内容に眠気など何処かに飛んでいってしまった。
勝手に聞いてしまうなんて、私はなんという失態を犯してしまったのだとショックで肝が冷えているのに、顔が病にでもかかったかのように熱くて仕方がない。
(どうしてこうなった? 私はただイオリに謝りたかっただけなのに)
こうなった事の発端は全てセイバー自身にあった。
「……伊織が好きだ。私の、恋人になって欲しい」
長く秘めていた気持ちを抑えきれなくなったのはいつからだろう。思えば江戸の時から、ずっと思い続けていた気がする。
朴念仁の伊織は色恋沙汰にはてんで疎い。セイバーからの好意にきっと伊織は気づいていないだろう。
口にすればきっと困惑させてしまう。だから、この気持ちは表に出さずに仕舞っておこうと考えていたのに、気が付けば口から告白の言の葉が零れ落ちていた。すぐに我に返っても口に出した言の葉は取り消せない。
気まずい沈黙の最中、なんとか誤魔化さなければと慌てて口を開く。
「なんでもない! 忘れてくれ!」
「いいぞ」
「ああ、解っている。イオリはそんな風に私を……はぁ 今なんと」
聞こえてきた返事は了承だった。まさか気持ちが受け入れられ、恋人同士になれるとは露程にも思っていなかったので、とてもとても驚いた。
「きみっ、それは真か」
早すぎる返事を信じられず、思わず伊織の顔を両手で掴んで覗き込む。
セイバーの雰囲気に押されて勢いで返事をしていないだろうかと不安に駆られたが、表情は凪いでいる。見たところ、嘘は見受けられない。真らしい。
真、らしい。
そんなこんなで伊織と思いを通じ合わせ、晴れて恋仲になった。
(なったまでは良かったのに……あの日からイオリがおかしくなった)
おかしいというのは少し違うかもしれない。
まず声音が変わった。剣士として常に冷静沈着でいようとする伊織の声は平坦で滅多に乱れる事はない。なのに、セイバーと話す度、話し掛けられる度に少し高くなる。気の所為ではなくあの日からずっとだ。
加えて、セイバーを見る伊織の表情はとても柔らかくなった。此方を見ると目尻が下がり、優しい顔つきで此方を見つめてくる。その隠しもしない好意に当てられ、恥ずかしくなってつい目を逸らしてしまう程に眩しい顔をしている。
恋というものを知って人生観が変わったのかと思えばそうではなく、マスターや他の者と話す時は前と何も変わらない。ただ、セイバーと目を合わし会話する場合のみふわりと表情が崩れる。
知らない。こんな伊織は見た事が無い。しかし、やはりと云うべきか、残念ながら本人にその自覚はないらしい。
(あんなにも、解りやすいと云うのに自覚がないとはどういうことだ イオリは私を悶え殺すつもりなのか そんな顔をされたら嬉しくて仕方ないではないか! そ、それに今日に至っては私の真名を甘い声で呼ぶなど……こんな姿、他の者には見せられない。あー駄目だ駄目だ、イオリは私のものだ! いっそ周りに手を出される前に神域に仕舞ってしまった方がいいのではないか? その方が安全ではないか?……むう、私が悪いのか? もっと早く気持ちを伝えていればこんな事には……いや、エドの日々にそんな余裕はなかった。あったとしても、きっとイオリは受け入れなかっただろう。それよりも世の平安を、盈月の儀を優先しただろう。今、カルデアにいるからこそこの状況は成り立っている……)
この奇跡とも呼べる時間は大切にしなければいけない。
こうして思いを結べたなら尚更だ。一時一時を大事に過ごしていきたい。だからこそ、伊織に謝りたかった。
いきなり昼寝をすると云い出したのはきっかけが欲しかったからだ。本当は面と向かって気持ちを伝えたかった。
話しているのに何度も顔を背けてしまって済まなかった。これからは恥ずかしがらず、きみの好意をきちんと受け入れる。そして必ずきみを幸せにすると。
「イオリ!」
「……起きたのか?」
「っ、ああ」
そう決意を固めて、伊織の胸に埋めていた顔を上げたのに大分情けない声が出てしまった。
目を覚ましたセイバーをよく眠れていたようで良かったと安堵の表情をしながらそっと微笑む伊織を間近で見るのは堪らないものがある。
そんな心配そうな顔をしないでほしい。
抱き枕にすると云った時は何故その必要があるのかと不可解そうにしていたのに、その胸の内で不安を募らせてしまっていたのか。気付けなくて済まなかった。
(私はきみと過ごせて安らぎを得ている。きみと居れて幸せだ……)
そう口にしようとして、目を瞑ってしまう。駄目だ、まだ慣れない。恥ずかしくて顔を逸らしてしまいたくなる。
いやいや駄目だ、しっかりしろ。向き合うと決めただろうと自分を叱咤しながら目を開けると、伊織を見上げてしっかりと目を合わせる。
覗き込んだ伊織の瞳には強く意思を持ちながら少しだけ情けない顔をしたセイバーが映っている。同じ様にセイバーの瞳には真っ直ぐに想いを伝えてくる伊織が映っているのだろう。
伊織はそんなにセイバーが好きなのだろうか。それが本当なら喜びのあまり泣いてしまうくらい嬉しい。貰った気持ちの分、いやそれ以上の想いを持って一緒に幸せを築いていきたい。私のイオリ、私だけの。
(うん……謝るのはやめだ)
謝罪よりもきっとこの言の葉の方が良い。
「ありがとう、大好きだぞイオリ」